現代劇だというのに、時代がいつなのかさっぱりわからない映画だ。それほどに、ダムに没する運命の三峡の町は古めかしく、そして今や廃墟と化しているのである。人々の顔は泥臭く汗くさく、大地にしがみつき生きている者の労苦や怠惰や卑しさや生命力をその全身からにじみ出している。携帯電話を使う人々は確かに現代中国を生きる労働者たちなのに、町は何千年も前から変わらずそこにあるかのようなたたずまいを見せる。
2009年の完成を目前にした三峡ダムの地元、古都・奉節(フォンジェ)では破壊が進む。不思議に思ったのだけれど、なぜダムの底に没することが決まっている町の建物をわざわざ壊すのか? その破壊活動の眺めは実にシュールだ。中途半端に壊されたビルの壁から覗く青空、廃墟となった建物で槌をふるう男達の影、そして橋脚の下に建てられた(というより埋め込まれた)粗末なアパート、いつも上半身裸の労働者たち。そのどれもがなにかしらぞわぞわした違和感をわたしに与える。整序された街並みや身綺麗な人々に心地よさを感じる心性からは対極の地点にある風景ばかりが映し出される。しかも長回しでまったりと動くカメラには緊迫感がない。同じように長回しのパンを多用するテオ・アンゲロプロス監督の作品との何という違いだろう。ジャ・ジャンクー監督の作品は「洗練」とか「美意識」といったものがヨーロッパのそれとは全く異なる。
まるでドキュメンタリーのような場面は、ビデオフィルムのような質感の映像のせいばかりではなく、登場人物のほとんどが素人ということから生まれる雰囲気なのだろう。恐らくプロの役者は主人公の女性とその夫および夫の友人の3人ぐらいではないか。その3人だけが他の出演者たちとたたずまいが違ったから。美男美女が登場しないどころではなく、まともに演技していなさそうな人々ばかりが登場する映画を2時間見続けるのはちょっと辛い。しかし、ときどきハッとさせられる超現実的な場面が登場するので、そこで目が覚める。この遊び心が憎い。そういう場面はいくつかあるけれど、ここでは伏せておくことにしよう。ひとつだけ例を挙げると、室内カメラがパンしていくと京劇の役者たちが携帯ゲームに没頭する姿が映るという可笑しな場面では思わずうなりそうになった。うまいですね、こういうカットの挟み方が。このように、本作には2000年の古都が現代に生きているという超歴史的な感慨が随所に溢れているのだ。
二年間音信不通の夫を捜しに奉節(フォンジェ)にやって来た若い女と、16年前に出奔した妻子を探しにやってきた中年の炭鉱労働者、この二人のドラマがまったく交錯することなく描かれる。交錯しない二人はしかし、共に新しい未来をこの街で見つける。沈み行くことが宿命づけられたこの町で、それでも二人はそれぞれの人生を歩み続ける。ジャ・ジャンクー監督自身の言葉で語ってもらおう。
「三峡ダムのプロジェクトによって、この地に巨大な変化がおこっています。何世代もここに住み続けてきた数限りない家族が移住を強いられています。二千年の歴史ある奉節は、打ち壊され、永遠に水に沈むのです。私はカメラを携えて、この死刑宣告された街に入り、破壊と爆破を目撃しました。耳をつんざく騒音と舞い上がる埃の中で、私はしだいに悟っていきました。
これほど絶望に満ちた場所でさえ、「生」はまばゆいまでに色鮮やかに花咲くのだ、と」
2006年ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞。
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三峽好人
中国、2006年、上映時間 113分
監督・脚本: ジャ・ジャンクー、音楽: リン・チャン
出演: チャオ・タオ、ハン・サンミン、ワン・ホンウェイ、リー・チュウビン、マー・リーチェン
2009年の完成を目前にした三峡ダムの地元、古都・奉節(フォンジェ)では破壊が進む。不思議に思ったのだけれど、なぜダムの底に没することが決まっている町の建物をわざわざ壊すのか? その破壊活動の眺めは実にシュールだ。中途半端に壊されたビルの壁から覗く青空、廃墟となった建物で槌をふるう男達の影、そして橋脚の下に建てられた(というより埋め込まれた)粗末なアパート、いつも上半身裸の労働者たち。そのどれもがなにかしらぞわぞわした違和感をわたしに与える。整序された街並みや身綺麗な人々に心地よさを感じる心性からは対極の地点にある風景ばかりが映し出される。しかも長回しでまったりと動くカメラには緊迫感がない。同じように長回しのパンを多用するテオ・アンゲロプロス監督の作品との何という違いだろう。ジャ・ジャンクー監督の作品は「洗練」とか「美意識」といったものがヨーロッパのそれとは全く異なる。
まるでドキュメンタリーのような場面は、ビデオフィルムのような質感の映像のせいばかりではなく、登場人物のほとんどが素人ということから生まれる雰囲気なのだろう。恐らくプロの役者は主人公の女性とその夫および夫の友人の3人ぐらいではないか。その3人だけが他の出演者たちとたたずまいが違ったから。美男美女が登場しないどころではなく、まともに演技していなさそうな人々ばかりが登場する映画を2時間見続けるのはちょっと辛い。しかし、ときどきハッとさせられる超現実的な場面が登場するので、そこで目が覚める。この遊び心が憎い。そういう場面はいくつかあるけれど、ここでは伏せておくことにしよう。ひとつだけ例を挙げると、室内カメラがパンしていくと京劇の役者たちが携帯ゲームに没頭する姿が映るという可笑しな場面では思わずうなりそうになった。うまいですね、こういうカットの挟み方が。このように、本作には2000年の古都が現代に生きているという超歴史的な感慨が随所に溢れているのだ。
二年間音信不通の夫を捜しに奉節(フォンジェ)にやって来た若い女と、16年前に出奔した妻子を探しにやってきた中年の炭鉱労働者、この二人のドラマがまったく交錯することなく描かれる。交錯しない二人はしかし、共に新しい未来をこの街で見つける。沈み行くことが宿命づけられたこの町で、それでも二人はそれぞれの人生を歩み続ける。ジャ・ジャンクー監督自身の言葉で語ってもらおう。
「三峡ダムのプロジェクトによって、この地に巨大な変化がおこっています。何世代もここに住み続けてきた数限りない家族が移住を強いられています。二千年の歴史ある奉節は、打ち壊され、永遠に水に沈むのです。私はカメラを携えて、この死刑宣告された街に入り、破壊と爆破を目撃しました。耳をつんざく騒音と舞い上がる埃の中で、私はしだいに悟っていきました。
これほど絶望に満ちた場所でさえ、「生」はまばゆいまでに色鮮やかに花咲くのだ、と」
2006年ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞。
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三峽好人
中国、2006年、上映時間 113分
監督・脚本: ジャ・ジャンクー、音楽: リン・チャン
出演: チャオ・タオ、ハン・サンミン、ワン・ホンウェイ、リー・チュウビン、マー・リーチェン
パープルローズさん、
本作は「世界」よりは面白いと思ったのですが、ジャ・ジャンクー監督とはあまり相性がよくないと感じました。他の作品を見たらどう評価が変わるのかしら…
この映画、私も見てきましたが、途中で寝てしまってこんなちゃんとしたレビューはとてもかけません(泣)。
ほんとに「いつの時代??」というような風景が続くのに、携帯の部分はそれと対照的でした。「世界」もそうでしたよね。
再開とても嬉しく思います。
またじっくりと読ませて頂きます。