ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

サラバンド

2007年04月05日 | 映画レビュー
 すごい映画。心が痛い。痛くて見ていられないけれど、のめり込んでしまう。大音響のブルックナー9番には大感動。家に帰るなり自室でブルックナーに耽溺した。

 別れた夫が隠遁生活を送る山奥の別荘を訪ねたマリアンは、かつての夫ヨハンとは30年ぶりの再会だ。突然現れたマリアンの訪問目的は何なのだろう? ヨハンは既に86歳、マリアンも63歳。ヨハンには前前妻との間に息子ヘンリックがいて、彼も既に61歳になった。ヘンリックは最愛の妻アンナを2年前に亡くし、今は19歳の娘カーリンと二人暮らしだ。

 物語の核心は、親子三代に亘る息詰まる愛憎劇にある。ヨハン→ヘンリック→カーリンという3代の愛と憎しみがマリアンを通して見つめられていく。映画はほとんどが人物二人の会話で成り立つ演劇的なものであり、映画としては退屈な部分もあって、最初のうちは眠くなったのだが、既に互いに老人となった父子がいまだに激しく憎しみ合うくだりからは鬼気迫る痛さに突き動かされて、すっかり物語にのめりこんでしまった。こんなにも恐ろしい脚本を書いてしまうベルイマンには驚嘆するしかない。85歳にもなってまだこれだけの緊張感ある作品を書いて演出してしまうエネルギーには脱帽だ。もちろん、85歳だからこそ書ける老いと死への恐怖と不安と安らぎというものがにじみ出ていて、老練の匠を感じさせる。

 物語はマリアンがカメラ目線でカメラ=観客に向かって語りかけるプロローグから始まり、マリアンが観客に語りかけるエピローグで終わる。後はカメラはほとんど室内を写し、章立てられた場面ごとに二人の会話が長台詞で編まれていく。ワンカットの台詞の長さにはびっくりしてしまう。これだけしゃべりまくる映画は役者も大変だ。こんな物語だと、映画ではなく小説でも表現できるような気がするのだが、ここに音楽が重なることによって小説にはできない表現の深みが生まれる。大音響のバッハのオルガン・ソナタやブルックナーの9番が人物の心象を際立たせて不安や苛立ちをつのらせる。とともに、どこか神がかり的な感動をもたらすのだ。

 「サラバンド」はこの映画ではバッハの無伴奏チェロ組曲第5番のサラバンドを指す。これはバッハのチェロ組曲の中でもっとも難易度が高いと言われている。ヘンリックとカーリンの父娘はともにチェロ奏者であり、父ヘンリックはカーリンにずば抜けた才能を見出して彼女をソリストに育てようと躍起になっている。だがその父の思いがまたカーリンには重荷なのだ。ヘンリックとカーリンが同じベッドに眠っていることに驚いたが、この二人が父娘の愛情を越えていることは想像に難くない。祖父と孫娘との愛情の間にヘンリックという息子/父が屹立することにより、この三者の関係は複雑に絡まる。さらに、ヘンリックの亡くなった妻マリアへのそれぞれの愛情が強いだけに、いっそう老父と老息子の対立は先鋭化する。家族の愛憎劇を目撃するのがヨハンの前妻マリアンだ。彼女がなぜ300キロも旅をして30年前に別れた夫に会いに行ったのか? その謎は最後まで解けない。彼女はこの芝居の狂言回しとして配置されたのだろうか? だが、彼女の大らかな「愛」が老い先短いヨハンを抱きとめる場面の美しさと衝撃は、彼女が単なる狂言回しではないことを知らしめている。

 ここに描かれた家族愛と憎しみの小さな劇には、宗教的な色彩も浮かび上がる。わたしがキリスト教徒ならばこの映画の深みがもっと理解できたかもしれないが、それは叶わぬこと。

 互いを傷つけあう台詞があまりにも冷酷無比で、よくこんな恐ろしい言葉の刃をぶつけ合うことができるものだとぞっとした。このような、心をえぐられる人間劇をぜひご覧あれ。

 こうなると前作「ある結婚の風景」はどうしても見たくなった。レンタルDVDが出ていない、残念!(R-15指定)

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SARABAND 上映時間112分 スウェーデン
監督・脚本: イングマール・ベルイマン
出演: リヴ・ウルマン、エルランド・ヨセフソン、ボリエ・アールステット、ユーリア・ダフヴェニウス

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