サン・さん 倶楽部

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サン・さん倶楽部 穂高三山の縦走に行ってきました

2010-09-13 16:45:12 | Jan

穂高三山(北穂・奥穂・前穂)縦走を計画して 週の半ばに出発を予定していたが、台風9号の進路が変わり敦賀に上陸し静岡に抜けるコースとなり、翌日の9日も雨が残るという悪い天気予報。 金・土の晴天に期待して夕方 涸沢小屋に9日(木)の宿泊申込みの電話をする。
すると上高地公園線は 降雨による事前規制で8日の15時に上高地公園線のゲートが閉鎖され通行止めとなっていて、翌日 通行可能になるかどうかも不明で 始発のバスが予定通り出るかは 次の日の天気の具合で発表を待たないと分からないが 涸沢では雨は相当降ったが 夕方の今は やんでいるとの事なので 9日の天気は別にして バスは出ることを祈って、出発をすることにする。

1日目(9/9木) 車を平湯アカンダナ大駐車場にデポ、6:20始発のバスで上高地に。心配した天気もどんどん回復し 上高地は青空にうろこ雲。 
途中 徳沢を過ぎたあたりで、槍まで行くが道に迷ったと 逆走してきた若いスエーデン人夫妻に話しかけられる。そのあと やっぱり槍まで行く韓国人の朴さんも道に迷って逆走、仲間とはぐれたと あわてて助けを求められる。どうも分岐で右に行くところを 両名とも直進し迷ったようだ。お互い たどたどしい会話でロスは 15分程のようだから大丈夫ですよと 登山マップを渡して説明し 横尾まで一緒する。10:00前、分岐の横尾に着き、やっと彼の仲間たちと合流できてホッ。
少し早いが昼食をし、本谷橋からSガレを通過し、北アルプスの峰々の眺めを楽しんでいるうちに 涸沢に着く。涸沢では 今までテント泊ばかりで 小屋泊まりは今回初めてである。何時ものテント場からの眺めと 涸沢小屋からの眺めは また違った味がある。

          
      横尾大橋と屏風の頭                                       涸沢小屋から

2日目(9/10金)
 2日目は涸沢小屋を出発して、初挑戦のコースである北穂高岳から涸沢岳を経由、そして宿泊する穂高岳山荘までのコースで、今回の登山で主目的の 北穂高岳から涸沢岳への稜線は 国内有数の岩稜を縦走する困難な縦走路の一つと言われ、名高い穂高の岩稜を縦走できる スリル満点のコースである。

朝食後、涸沢小屋出発、北穂沢、北穂南稜を経て北穂高岳北峰到着。以前 南岳から縦走の北穂高岳は残念ながら天気が悪く 展望がガスで利かなかったが 今回 天気は上々の快晴で、近くの槍から遠くの富士まで360度の大パノラマで楽しませてくれる。50分程写真を撮ったりお茶したりしてから 北穂高小屋を出発し北穂分岐に戻り涸沢岳へ向かう。
最低鞍部までの前半は 下り中心でバランスが求められ、涸沢岳への後半は 登り中心となりハシゴ越えや鎖場が連続、それに風が強く当たる場所などもあって緊張を強いられる。鉄杭を足がかりに最後の段差を越え やっと涸沢岳の稜線に出る。涸沢山頂から白出のコルに下り、無事 穂高岳山荘に到着、申込みをして昼食。
今回の北穂高岳から涸沢岳のコースは 困難な岩稜縦走路ということなのか、他の登山者と出会いは意外と少なかった。


北穂高岳山頂

    

                              

3日目(9/10土) 朝食の弁当を小屋で食べ、ヘッデンを装着して星空の中 山荘を出発する。
山頂に向かう登山道はヘッデンの明かりの列が続き ご来光の少し前に穂高岳山頂に到着。だんだん朝日で赤く染まる中 ヘルメット姿の数人が 朝日に照らされたジャンダルムへと向かうのが見える。
そのうち穂高の狭い山頂もツアーなどの人達でいっぱいになる。次の前穂高岳は 以前登った時は ガスで展望が悪かったので、今回は ガスが湧き出る前に山頂に着こうと 急いで写真を撮り、吊尾根を前穂へと向かう。そのかいあって山頂に着いた時は 誰もいなくて二人だけで山頂は貸切り、念願の360度の眺望を堪能することができた。
紀美子平に戻り 重太郎新道を下って新築されたばかりの岳沢ヒュッテで昼食してから岳沢を下山し無事に岳沢登山口に。土曜日でにぎわう上高地を後に14:00のバスで平湯アカンダナ大駐車場に戻り、ひらゆの森で疲れを癒す。

    
 奥穂高岳山頂

     
  前穂高岳山頂                                               岳沢ヒュッテ

今回 三日間とも天気にめぐまれ 感動の展望と 名高い穂高の岩稜縦走の体験でき、大満足で充実した山行きとなった。
ところで北穂高岳から涸沢岳のコースは別として、今話題の山ガールと いつもの韓国人登山者は勿論だが、この時期 何故か 若い西洋人男女登山者が結構多かったな との印象を持ちました。

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