気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く28 その9  門出の道の駅にて

2023年04月15日 | ゆるキャン△

 門出駅に隣接する「KADODE OOIGAWA」の建物は、駅の西側に接して国道473号線をまたぐ形で東西の施設から成っています。上図は東館より連絡橋でつながっている西館をみたところで、連絡橋の下の車道が国道473号線です。西館がメイン施設で、規模も東館の三倍ぐらいあります。

 

 東館から階段で連絡橋にあがって渡って西館に入ると、上図のように眼下に「食の都」と名付けられた広い食品売り場が見渡せます。道の駅によくある地元特産食品の販売コーナーですが、地元住民も買物に利用出来るようになっているらしく、スーパーマーケットのような空間構成になっています。

 

 地元特産食品販売コーナーの奥には、地元島田市の特産品である緑茶の体験ガイダンスコーナーもあり、緑茶類の販売も行なっています。

 

 さらに食事処も幾つかテナントで入っており、広いイートインスペースもあるので食べ歩きが楽しめます。人気があるのが上図の「麵屋燕」のラーメン類であるようです。

 

 ですが、私自身は「麵屋燕」のラーメン類よりも、隣の「山と海のお茶漬け」のメニューに興味があって、この日の昼食をここでいただこうと決めていました。鰹節山盛りのお茶漬け、というのが食べてみたかったのでした。

 

 お店に入ってカウンター席に案内され、「山と海のお茶漬け定食」を注文しました。上図は、1分ぐらいで運ばれてきた「山と海のお茶漬け定食」です。鰹節の香りが漂ってきました。

 

 カウンターに設けられた「お茶漬けの楽しみ方 五箇条」です。もちろん、その通りに楽しんでみることにしました。

 

 これ絶対旨いやつだ・・・、と食べてみました。おお、鰹節がフワフワと膨らむかのように濃厚な香りが口の中に溢れてくるではないか・・・。ということで、美味しくいただきました。

 

 昼食後もしばらくここで過ごすので、西館の北側へ移動しました。向かいの東館のエントランスの蒸気機関車を国道473号線ごしに望みました。なるほど、西館からも見えるように置いてあるのだな、と気付きました。

 

 西館の北側の建物には、カフェスペースがあります。ここに入った時点で12時35分でしたが、次の列車の時刻は14時1分でしたので、1時間余りの余裕がありました。それでこのカフェスペースでのんびり過ごすことにしました。

 

 カフェスペースは一階から二階まで「茶畑のベンチ」と名付けられた上図の階段状のコーナーがあり、マットが敷かれて座るも良し、横になるも良し、の自由なフリースペースになっています。その一角に座り込んでゴロゴロしました。

 

 ゴロゴロしながら、これまでに購入した品々を一度取り出して並べて、記録用に撮影しました。上図は新金谷駅のプラザロコのゆるキャンコーナーにて購入した分です。

 

 そして上図の品々が「KADODE OOIGAWA」での購入分です。上図左から二番目の「食べるおだし」は、嫁さんがよく作っている炊き込み御飯の具に良さそうだ、と思って買ってみたのでしたが、これが大当たりでした。そのままツマミとして食べられるものですが、ご飯を炊く際にといだ米と一緒に入れると、かつお風味の御飯が出来上がります。

 これが意外とイケるというか、マジうまなのでした。嫁さんも気にいってしまい、以後の我が家の夕食の炊き込み御飯に欠かせない食材となりました。アマゾンでの通販でも買えるので、なくなってきたらその都度購入しています。

 

 一時間ほど過ごした後、13時45分にカフェを出ました。その際に二階通路からカフェを見下ろして撮りました。

 

 門出駅に隣接する東館の「ステーションキヨスク」にて上図の「門出ソフト」を買って食べながら、列車の時刻を待ちました。

 

 門出駅ホームへの入り口付近にあるポストは、緑茶色に塗られていました。それで、最初は昔のポストを展示してあるのかな、と思いました。しかし、よく見ると投函や回収時刻の案内シールが貼ってあるので、どうやら現役のポストとして利用出来るようでした。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)大洗女子学園 Sd.Kfz.254ザウラーRK-7

2023年04月14日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ホビーボス (商品コード82491)

  制作期間   2014年1月5日~1月18日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 完成です!!

  総評・備考

 Sd.kfz.254ザウラー RK-7は、第二次世界大戦時にドイツ軍が運用した装軌装輪装甲車である。履帯および車輪の双方の走行装置を装備し、状況に応じて切り替えて運用出来る特殊車両の一種である。ガルパンにおいては劇場版DVD特典OVA「愛里寿・ウォー!」にて大洗女子学園チームの車輌として登場し、生徒会三役以下が学園艦内での移動用に用いている場面がある。
 公式キットは無く、適応キットはホビーボスの製品が唯一である。劇中車はほぼ実車準拠であるとされるので、そのまま組み立てても違和感は無い。キットは装軌、装輪のいずれの走行状態にも再現出来るが、劇中車は装輪での走行場面で描かれるので、それに合わせれば良い。改造や修正のいずれも簡単な作業で済む。初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つとされる。

  公式および適応キット一覧(2023年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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継続高校 T-20コムソモーレツ(フェイズエリカ版) 作ります !!  その4

2023年04月13日 | ガルパン模型制作記

 ステップ6では車体上部を組み立てます。ステップ7では車体背面部を組み立てます。いずれも組み立てガイドの指示通りに進めます。

 

 ステップ6で組み付けるパーツです。

 

 組み上がりました。操縦室のハッチは開閉自在にしようかと考えましたが、内部のインテリアが全くありませんので、開けても内部に何もない状態です。あまり意味が無いな、と思ってハッチも接着しました。

 

 ステップ7で組み立てるパーツ群です。エッチングパーツが含まれます。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ8では車体背面部を組み付けて、各部の部品を取り付けます。作中車は、現時点でプラモデルがこのホビーボスの品しかありませんから、それをモデルにしていると思われます。したがって描写もキット準拠であるようで、色々見ても相違点が見当たりません。なので、組み立てガイドの指示通りに進めます。

 

 ステップ8で組み立てるパーツ群です。

 

 組み上がりました。

 

 これにて塗装前の組み立てが完了しました。小型車輌だけにパーツ数が少なくて組み立ても楽でした。  (続く)

 

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大原秋景色3 大原の三千院へ

2023年04月12日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 来迎院から引き返して三千院の参道筋へ戻りました。途中に上図の浄蓮華院が見えました。公開寺院ではありませんが、大原地区での宿坊を務めているので、何らかの仏事や催事に泊りがけで参加した場合には入れるのかもしれません。

 表向きには、日本の佛教音楽の元となった声明(しょうみょう)の発祥の地がここであるとされていますが、京都よりも古い奈良の奈良声明との関係が全く説明されていないのが不思議です。例えば東大寺や薬師寺に伝わる天平時代以来の声明よりもこちら大原のほうが古いのでしょうか。個人的には違和感すら覚えます。

 都が平城京に在った天平時代、比叡山延暦寺は存在していませんでしたし、その里坊とされた大原の寺々も当然ながら存在していなかった筈です。声明は、厳密には歴史的にも宗派的にも色々分かれていますから、平安時代以降に形成されたこの大原の地は、正確には天台浄土教系の声明の発祥地と理解するのが良さそうに思います。

 

 来た時よりも鮮やかさを増した赤と黄が、青空にくっきりと照り映えていました。嫁さんは上機嫌でスマホを構えて撮っていました。大原の紅葉は、高雄、当尾と並んで京都の三大紅葉エリアとされていますが、紅葉の重なりが広範囲にわたって深みを持っているのが特徴と言えるでしょうか。

 

 秋の風情深まる三千院の土塀下の道を歩きつつ、「歩いーてーきたー道ー・・夢つーきぬ、こーの径ー・・・」、と楽しそうに口ずさむ嫁さんでした。その歌詞は、私が大学生の頃にサークルの詩歌集に載せたものの一部で、歌詞そのものは奈良・大和路を舞台にしているのですが、嫁さんはなぜか京都で謳うのでした。

 

 綺麗ですな。さすがは天下に聞こえた大原の紅葉でありました。三千院の周囲に特に集中しているため、紅葉がよく見える位置、鮮やかに見える場所を探してゆけば、九割ほどは三千院の参道筋に含まれます。

 嫁さんは三千院は何度か行っているそうですが、年によって紅葉の見え方が異なる、季節の状況によって紅葉の色にも変化がある、と話していました。なるほど、そうかもしれません。紅葉の色の変化は気温と日照時間に密接な関係があるというのは、私も聞いたことがあります。

 

 紅葉を愛でているうちに三千院の総門である御殿門の前に着きました。さすがに大原第一の人気寺院だけあって参詣客も大勢居て賑わっていました。

 

 参拝手続きを経て庫裏の書院から客殿に行きました。客殿の床の間の伝教大師の画像を拝みました。嫁さんが「伝教大師最澄って、天台宗の開祖ですけど、日本浄土教の祖でもあるんですよね」と小声で言いました。

 確かにその通りです。嫁さんは模型やプラモデルだけでなく、日本の歴史や仏教にも興味を持って高校生の頃から色々勉強していたそうですが、その内容が正確に彼女なりの知識に転じているのを、時々目の当たりにします。若い頃から日々きちんと学んでおくのは大事な事だな、と改めて思いました。

 私自身、思えば高校生の頃には色々本を読み、図書館に行き、博物館を周り、興味ある古社寺を訪ねたりしました。分からない事や疑問があればすぐに辞書や資料をひも解いて調べていましたね・・・。その頃から大学時代までに学び、教わった事柄というのが、今の私の中で最も生きている気がします。

 

 嫁さんが「なにか雑然としたお庭」と形容した、三千院に二つある庭園のひとつ聚碧園(しゅうへきえん)です。客殿の周囲に広がる池泉観賞式の庭園で、江戸時代の作庭と伝えていますが、確証はありません。そもそも三千院が現在地に境内を構えたのが明治四年(1871)のことですから、その時に新造したものとするほうが自然かな、と思います。

 三千院がここに移転する前には大原寺の政所が在ったらしいのですが、その実態はよく分かっていません。この政所とは、名の通り大原における天台宗の管理事務機関で、当時既に大原に在った来迎院、勝林院などの寺院を管理していたとされています。
 政所を設置したのは、堀河天皇第三皇子で保元元年(1156)に天台座主となった最雲法親王ですが、この人が三千院の前身である円融院に入寺し、大治五年(1130)に第14世梶井門跡を継いでいますので、政所は設置当初から梶井門跡の一機関として機能したようです。

 梶井門跡はもとは円融院の里坊で、比叡山東麓の坂本の梶井に所在したことからその名があり、後に京都市内に移転し、中世戦国期以降には大徳寺の南に位置していました。いまも大徳寺の南に残る梶井門はその遺構とされています。その梶井門跡が江戸期には現在の京都市梶井町の京都府立医科大学河原町キャンパスの位置に移転し、明治維新後に大原の現在地に移転したわけですが、その際に政所を本坊とし、梶井門跡の持仏堂の名称「一念三千院」にちなんで寺号を三千院に改めました。

 なので、三千院がここに落ち着くまでは、梶井門跡の大原の政所があったわけですが、政所という寺院の単なる管理事務機関に聚碧園(しゅうへきえん)のような立派な庭園があったとは考えにくいので、江戸時代の作庭という伝承自体もよく分かりません。もう少し詳しい歴史的事情を知りたいところです。

 

 客殿から順路をたどって本堂の宸殿に進みました。宸殿は大正十五年(1926)に宮中の紫宸殿を模して宮殿風に造られた建物で、宮中仏事を引き継ぐ行事である5月30日の宮中御懺法講(きゅうちゅうおせんぼうこう)が行われる道場でもあります。
 その南側には、三千院のもうひとつの庭園である有清園(ゆうせいえん)が広がります。平安時代以来の遺構をいまに伝える往生極楽院の境内地を中核として三千院が移転した時に整備し直したものとされ、もとの藤原時代浄土系庭園の面影が東側の園池などに見られます。三千院の庭園といえば、たいていはこちらの有清園を指します。

 

 その有清園の南に往生極楽院の甍が見えました。三千院がここに移転してくるまでは、極楽院とも呼ばれたこの寺は、平安時代後期の十二世紀末に、高松中納言藤原実衡の妻である真如房尼が、亡き夫の菩提を弔うために建立したものであり、その発願建立の経緯が真如房尼の甥にあたる吉田経房の日記「吉記」に記述されています。
 さらに平安時代の末期には、極楽院に隣接して梶井門跡の政所が建てられました。この政所の位置に三千院が京都市梶井町から移転してきて、現在の構えが整備されたわけです。

 

 往生極楽院を囲む有清園の紅葉が、まさに見頃でした。三千院の紅葉とは、これらの紅葉群を指します。

 

 宸殿から降りて有清園の順路を進み、紅葉のトンネルの中をゆっくりと進みました。というか、参詣客の行列が順路を進んでゆくのに合わせて流されていった、というのが実感に近いです。

 

 一度振り返りましたが、出てきた宸殿の建物は、紅葉の奥にまぎれて殆ど見えなくなっていました。

 

 往生極楽院の南、正面に着きました。藤原時代以来の遺構を伝える阿弥陀堂建築ですが、屋根の大部分や軒廻りなどの外回り部分は江戸時代の元和二年(1616)に大幅な修理を受けており、建物の大部分はほとんど江戸時代の様式に変わっています。藤原時代以来の部分は内陣とその船底天井ぐらいです。
 それでも、現存する平安期阿弥陀堂の貴重な遺構であることには変わりがなく、国の重要文化財に指定されています。

 

 往生極楽院に祀られる阿弥陀三尊像です。脇侍の勢至菩薩像像内の銘文から平安時代末期の久安四年(1148)の作と判明しています。制作年代が分かる点でも貴重ですが、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が西方極楽浄土から故人を迎えに来る来迎形式につくられて両脇侍が跪座(きざ・ひざまずいてすわること)するのも類例が稀です。平成十四年に国宝に昇格しています。

 嫁さんに訊かれるままに、この阿弥陀三尊像の概要、歴史的意義、そして定朝様式の継承の実相などを簡単に説明しました。三十五年前に、同じ内容を恩師井上正先生に、この同じ場所で説明していただいたのを思い出しながら、でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その8  門出駅のゆるキャンコーナー

2023年04月11日 | ゆるキャン△

 11時10分、門出駅にて降りました。ゆるキャン聖地巡礼にて何度も大井川鐡道本線を利用していますが、この門出駅に降りるのは今回が初めてでした。

 

 門出駅の駅名標です。まだ新しい感じで、駅のホームもまだ新築といった感じでした。それもそのはず、この門出駅は2020年11月に新設されたばかりの新駅です。

 

 上図は、門出駅に直結している観光施設の「KADODE OOIGAWA」の玄関です。門出駅のホームに繋がっています。無人駅なので改札口は無く、外からの出入りも連絡通路によって出来ますが、「KADODE OOIGAWA」からも駅ホームに出入り出来るようになっているため、待合室を兼ねた休憩ルームが玄関内に設けられています。

 

 「KADODE OOIGAWA」館内に入りました。観光物産品の販売コーナーや陳列棚などが並びます。いわゆる「道の駅」施設の一種であるようです。
 この「KADODE OOIGAWA」には他に農産物直売所やレストランなどが入っており、地元の島田市が新東名高速道路島田金谷インターチェンジ周辺の開発事業の一環として整備した「賑わい交流拠点」の中核施設として位置づけられています。そして拠点の一部として、隣接する大井川本線に新駅として門出駅が設置されたということです。

 

 館内には観光案内所もあり、その向かいの壁面には大きな黒板がかけられ、大井川流域の観光スポットの案内が書かれていました。その下のカードボックスには観光チラシというか観光カードのような形の案内資料が並んでいて、自由に貰えるようになっていました。

 

 施設の外へいっぺん出てみると、建物のちょうど真ん中のエントランス空間に上図の蒸気機関車が展示されていました。かつて大井川鐵道で動態保存されていたC11形312号機です。

 

 ということは、大井川鐡道が保有している蒸気機関車6輌のうちの1輌がここに静態展示となったわけですか。すると動態で大井川鐡道本線に居る蒸気機関車は5輌、これに2022年2月に兵庫県加東市から譲渡されてレストア中のC56形135号機が加わったのだから、全部で6輌・・・。6輌も動ける蒸気機関車を保有しているのか大井川鐡道・・・。

 現在、全国各地の鉄道路線で動態にて運行されている蒸気機関車の合計が約20輌である、と聞いたことがありますが、そのうちの6輌が大井川鐡道にあるわけです。すごいなあ、と改めて感心してしまいました。

 

 C11形312号機の説明板によれば、その最終運転日が平成19年だったということで、それから15年を経てここに展示されているわけです。

 

 次の写真の、2019年時点のボロボロの廃車同然の姿に、エエッと驚かされました。こんな状態になっていたのを、いま元通りにレストアして復元したのか・・・、部品とかどうやって調達したんだろう・・・。大井川鐡道の新金谷車両区の整備工場にストックとかあったのでしょうか・・・。

 

 あの写真のボロボロのスクラップが、いま立派に復元されて、元通りの姿をみせているわけです。すげえなあ、と本気で感心してしまいました。

 私のガルパン模型で仮に同じことを試みるならば、間違いなく大半は自分でプラ板をカットしたりしてのパーツ作りから始めますから、本物の蒸気機関車でそれを行なうことがいかに大変なことかがよく実感出来ました。

 

 C11形312号機の復元美をじっくり堪能した後、館内に戻ってゆるキャンコーナーはどこかと探しましたが、C11形312号機の後ろのすぐ横にありました。来る時に気付かずに横を通り過ぎてしまっていたのでした。

 

 ここにも原作者あfろ氏の描き下ろしパネルがありますね。犬と一緒にビーノに乗る志摩リン、ですか。なかなか凝った構図ですね。
 その左右にかけてあるヘッドマークは、昨年のコラボキャンペーン期間中に実際に使用されたものであるそうです。志摩リンと犬山あおいが普通列車のヘッドマークになっていたということは、あとの三人は・・・?

 

 ゆるキャンコーナーは観光案内所の一角にありました。

 

 こちらでも大井川鐡道オリジナルのコラボ商品のみを扱っていました。全てがあfろ氏の原画を使用しており、アニメグッズとしては貴重かつ贅沢な品揃えだと思います。

 

 ここではポストカード、トートバッグ、ほりにしスパイスゆるキャンラベル、の3点を買いました。

 

 こっ、これは、あのハンバーグではないですか・・・! 思わず買いかけましたが、生物であることを思い出して係りの人に「これは常温で売っているのですか」と聞きました。答えは「冷凍状態でお出ししますので、そのままお持ち帰りいただけますが・・・・」でした。

 これから家山や川根まで行く予定があるので、冷凍品を持って回るのは無理だと分かり、購入は諦めました。これをどこかのレストランでメニューに出してくれれば、食べに行くのになあ、と思いました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その7  新金谷駅から

2023年04月10日 | ゆるキャン△

 プラザロコでの見物を終えて外に出ました。向かいに建つ新金谷駅の駅舎に近寄って時計を見ると10時51分でした。これから乗る列車が11時2分発でしたので、10分程度の余裕がありました。駅舎の建物をざっと見てゆくことにしました。

 

 駅舎内には大井川鐡道の本社も入っています。入ってすぐの受付で大井川鐡道の資料などをいただき、先に見学したSl広場の蒸気機関車や転車台、ウニモグ装軌装輪併用車などについて教えていただきました。

 

 駅舎の建物は、平成三十年(2018)に国の有形文化財として文化財登録原簿に登録されました。そのことを示す文化庁の指定文化財プレートが貼ってありました。

 

 駅舎の建物は開業直後の大正十五年(1926)から昭和二年(1927)にかけて建設されたもので、戦前に建てられた地方鉄道の駅舎建築の様相を伝える洋風建築遺構として価値が高いとされています。さらに、大井川鐡道の駅では唯一の二階建てです。上図は駅舎の本社部分を見たところです。

 

 11時前に、ゆるキャン周遊フリー切符の1枚を使用して改札口を通り、ホームへと移動しました。

 

 資料や案内等は見当たらないものの、このホームの建物も駅舎と同時期のものであるそうです。戦前の建物ですから昭和の雰囲気もバッチリで、昭和生まれの身にはなんとなく懐かしい気分にもなります。子供の頃に乗った色々な鉄道の駅やホームがこんな感じの建物ばかりでしたから・・・。

 

 ホームの東側の駐機線にはなにか古そうな客車が繋がって停めてありました。鉄道マニアならば形式や型番もすぐ分かるのでしょうが、素人の私には「昭和の客車」という認識のみでした。

 

 こちらにも客車がありますが、車体色が異なります。客車のカラーは基本的に客車が構成する列車のカラーであると聞いたことがありますが、上図奥の茶色の客車は確かトーマス列車のそれだったかな、と思いました。

 

 上図の客車の一端が、開放式の展望デッキのような形に作られていました。何らかの特殊な車輌なのでしょうか。

 

 ホームの東西の客車を見ているうちに、ホームのベルが鳴りました。

 

 11時2分発の列車が来ました。これに乗りまして、次の目的地の門出駅まで移動しました。

 

 門出駅までの乗車時間は8分だけでしたので、車内のゆるキャン吊り下げイラストの観察、何種類があるかのカウントは次の乗車機会に試みることにしました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)大洗女子学園 ウサギさんチーム M3中戦車リー(劇場版仕様)

2023年04月09日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タコム (商品コードTKO2089

  制作期間   2019年9月14日~9月21日、10月7日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンにおける大洗女子学園のM3中戦車リーはテレビ版仕様と劇場版仕様とがあり、いずれの劇中車もアニメ独自の要素が多い。後者は実車準拠に近い形状にはなっているが、前期から後期までの諸特徴が混在する点は変わらない。メインは中期型であるため、公式キット、適応キットのいずれを用いるにも中期型のキットがベースとなるであろう。
 劇場版仕様を再現製作する場合、公式キットはいずれも元キットのタミヤ製品(下のキット一覧の9)の前期型仕様であるために大幅な改造が必須となる。適応キットのアカデミー製品(下のキット一覧の10)も同様である。それらよりは最近に発売されたタコム、ミニアートの製品群のうちの中期型キットをベースにして、これに後期型の要素を追加工作で再現するという流れが、劇中車再現の方法としては手っ取り早い。それで今回はタコムの中期型キット(下のキット一覧の13)を使用しての制作を試みた。この方法はミニアートの中期型キット(下のキット一覧の15および18)を用いる場合でも共通であるが、エンジンも含めたフルインテリアキットもあるので、内部構造を学び楽しみながら、ウサギさんチームの雰囲気にひたりつつ作りこんでみるのも良いだろう。

  公式および適応キット一覧(2023年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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継続高校 T-20コムソモーレツ(フェイズエリカ版) 作ります !!  その3

2023年04月08日 | ガルパン模型制作記

 ステップ4では起動輪および誘導輪、履帯などを組み立てます。

 

 ステップ4で組み立てる起動輪および誘導輪、上部転輪のパーツです。

 

 組み上がりました。これで車輪類は全て仕上がりました。

 

 戦闘車輌というよりトラクターみたいな雰囲気ですが、実際にトラクターでした。第二次大戦期にソ連軍が開発し運用した小型の装甲牽引車です。ガルパンの作中車はプラウダ高校ではなくて継続高校の所有になっていますが、これは史実の継続戦争などでフィンランド軍がソ連軍のコムソモーレツを180両余り鹵獲して使用していたことに因む設定でしょう。

 

 続いて履帯を組み立てました。今回は小型車のそれなのでパーツも細かく、繋ぐのも一苦労でした。

 

 今回のキットは小型であるため、履帯も小さくて細くて、塗装してからの組み付けが難しそうに思われました。そこで上図のように履帯も車輪に巻き付けて組み立てて接着してゆきました。

 

 巻き付けながら履帯パーツを一つ一つ付け足して繋いでゆきました。

 

 マスキングテープで形を支えつつ、接着固定しました。

 

 なんとか仕上がりました。連結式履帯にはなかなか慣れませんが、慎重に丁寧に進めたおかげで破損や瓦解などの失敗は回避出来ました。

 

 ステップ5では車体を組み立てます。車載機関銃のマウント部は選択出来ますので、図のK5ではなく、作中車と同じ後期型タイプのK4を取り付けます。

 

 ステップ5で組み立てる車体のパーツです。

 

 組み上がりました。

 

 この姿はまさにトラクターですね。農場に置いてあっても違和感がありません。

 

 ソ連軍では、多くの場合、砲および弾薬リンバーを直列で牽引するケースが多かったそうです。これを鹵獲したフィンランド軍も、同様の使い方をしたそうです。

 

 各部のパーツを組み付けます。車載機関銃のマウント部は、作中車と同じ後期型タイプのK4を取り付けます。前照灯のレンズパーツは、ウェーブのクリアパーツに変えてみたほうが良さそうに思われたので、後でパーツを交換します。

 

 組み上がりました。  (続く)

 

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大原秋景色2 大原の来迎院へ

2023年04月07日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 蓮成院を辞して、奥の来迎院に向かいました。その門前あたりの紅葉が、上図のように一段と鮮やかでした。嫁さんが大喜びでスマホで何枚も撮り、それでは物足りなくなったのか、私のデジカメでも色々撮っていました。聞けば、デジカメの方が画面が明るく見えてファインダーもあって撮りやすいから、だそうでした。

 

 平安時代以来の長い歴史を物語るかのような、苔むした境内外郭の石垣に沿って、南側の山門へと行きました。ここは風情ありますねー、比叡山の里の坊っていう雰囲気ありますねー、と感激めいた呟きを繰り返す嫁さんでした。彼女はこういった歴史的風情の濃い古社寺や遺跡名称などが大好きで、気持ちが安らぐのだそうです。

 

 来迎院もこの年の秋季非公開文化財特別公開の対象に含まれ、一般公開としては初めてとの案内ニュースのためか、呂川沿いの最奥地にあるにもかかわらず、観光客がけっこう来ていました。

 

 山門からは質素な庫裏が見えました。かつては勝林院と共に魚山大原寺と呼ばれ、寺域の上方を占めて上院とされた来迎院ですが、相次ぐ伽藍焼失によって多数の建物は殆ど失われ、いまは本堂と庫裏のみがひっそりと残ります。

 

 本堂は、平安時代いらい度々焼失しており、現存の建物は戦国期の天文二年(1533)の再建ですが、位置はずっと維持されていると聞きます。
 建物は、御覧のように母屋の周囲に広めの廻り縁を巡らせた形式です。声明(しょうみょう)と呼ばれる、仏教経文の歌誦の儀式に適した造りになっています。

 来迎院は、平安時代以来大原で伝承されてきた天台浄土教系の声明を伝える根本道場の体裁をいまも踏襲しており、毎年「天台声明」や「魚山声明」と呼ばれる比叡山仏教独特の声明が詠まれて山中に響き渡ります。

 私自身は長く奈良県に住んで、古代以来の奈良仏教の文化に深く親しんでいましたので、声明といえば東大寺や薬師寺に伝わる天平時代以来の奈良声明のほうに親しみがあります。シルクロードを経て中国や朝鮮に伝わり、そして遣唐使船で請来された、インドのバラモンの呪文歌謡もまじえた異国風の声明です。

 その奈良声明に対しての京都声明の中心がここ比叡山西麓の大原来迎院であるわけですが、その梵唄(ぼんばい)とも呼ばれる経文歌謡のスタイルは、平安時代の国風文化を色濃く反映して和風の、日本人の感覚での穏やかなそれになっています。

 

 その声明の話を嫁さんにすると「いまでいうと声楽隊みたいなものですかね」とかなり的確な理解を示しました。声明は上を向いて天に向かって謳うので、高い所で聴くと余韻が重なって荘厳な音色になる、と続けたら、「じゃあ、あの高い場所とかで聴いたらいいわけですね」と上図の祠のある高台を指さしました。

 

 その祠にもお詣りしましょう、と嫁さんが張り切って登ってゆくので、後に続きました。上図のように、斜面の一部を平らに削って約3メートル四方ぐらいの方形の壇が築かれ、その上に祠と五輪塔とが安置されています。神と仏が並ぶ、まさに神仏混交の形態がそのままとどめられています。ただ、祠はかなり後の時代のもののようで、中世にまで遡るかは疑問です。

 

 五輪塔のほうは、形状からみて鎌倉時代後期を下らない古い遺品です。火輪の基部が薄く造られ、軒の反りがやや強い点は、堂内や廟屋に安置される五輪塔のタイプに近いので、ここにある方形壇はもともとはお堂か廟屋の基壇であったものかもしれません。

 五輪塔のある位置は、来迎院境内地の最高所にあたり、背後は山林となって比叡山山頂まで続く斜面になっています。比叡山周辺の拠点寺院の多くは境内地に経塚を設けていましたから、その経塚の標識として五輪塔を建てたケースにあたるのかもしれませんが、確かなことは不明のままです。

 

 五輪塔の前から本堂を見下ろしました。大原に伝わる声明は、本堂の廻り縁で高らかに詠われるそうですので、ここからだと山中にこだまする余韻も伴って、ビブラート効果も伴った一種の多重奏の音色になって聴こえることでしょう。機会があったら、一度耳を傾けてみたいものです。

 

 本堂の内陣を外から拝みました。天台宗の主要拠点寺院では一般的であった、三尊同一本尊の安置形式を伝えています。左より、釈迦如来像、薬師如来像、阿弥陀如来像で、いずれも来迎院が中興された天仁二年(1109)頃またはそれより少し前の様式を示し、国の重要文化財に指定されています。

 嫁さんにそれぞれの仏像の見分け方、時代的特徴の見方を訊かれるままに説明しつつ、若い頃に初めてこの三像を拝した時のことをひそかに思い出しました。
 あの時は「この三像は12世紀に近い時期のものだが、もともと一具ではなかったみたいで作風に差がある。最も古いのは真ん中の薬師像で、これは11世紀代の作風に見える」と考えたものですが、20年余りを経た現在もその見立てはあまり変わりませんでした。
 ただ、最近の最新の研究成果に照らせば、三体とも制作時期をやや古くもっていくほうが適当かもしれません。

 

 本堂にお参りした後は、嫁さんが言うままに、本堂裏手の聖応太師良忍の廟所へ行きました。本堂の北東約50メートルの林間にあります。

 

 聖応太師良忍の廟所です。来迎院を天仁2年(1109)に中興した、実質上の開基とされる高僧で、融通念仏の祖ともされています。

 

 その墓標は石造三重塔の形式で造られた立派なものです。良忍は 天承二年(1132)に寂していますから、廟所および石造三重塔はそれ以降に建てられたものです。国の重要文化財に指定されており、文化庁の基礎台帳においては、鎌倉時代前期の遺品として登録されています。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その6  新金谷駅プラザロコのコッペルとミニ客車

2023年04月06日 | ゆるキャン△

 新金谷駅前プラザロコの蒸気機関車の静態展示車輌は、1275形の他にもう1輌、上図のコッペルこと1号機関車があります。

 

 シンプル過ぎる説明文。もう少し詳しく述べたっていいのではないか、と思ってしまいました。「いずも」って出雲のことでしょ、現在の島根県のことでしょ、一畑軽便鉄道って現在の一畑電鉄のことでしょ、つまりはバタデンでしょ、松江から出雲大社までを結ぶ私鉄でしょ・・・。島根県松江市に二年住んでいましたから、一畑電鉄にはよく乗りましたね。その線路を昔走っていたのが、この1号機関車なのですね。

 

 この1号機関車は、大正十年(1921)にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で製造され、一畑軽便鉄道(現・一畑電鉄)が翌年に4両目の機関車として導入したものです。一畑軽便鉄道が電化されて一畑電気鉄道に社名変更した後の昭和四年(1929)に廃車となり、七尾セメント(現・住友大阪セメント七尾工場)に譲渡され、昭和三十四年(1959)まで専用線の貨物列車の入れ替えや牽引に使用されていました。

 

 その後は倉庫に保管されていましたが、昭和五十二年(1977)に民間企業が購入して大井川鉄道に移され、動態保存機として復元されました。このときに一般公募によって「いずも1号」と改称されました。
 そして平成元年まで、大井川鉄道の千頭~川根両国間の側線で「ミニSL列車」牽引機として活躍、側線廃止後は千頭駅構内で保存され、時折構内運転を行っていました。プラザロコの現在地に静態保存車輌として配置されたのは、平成九年のことであったそうです。

 

 既に製造されてから100年余りを経ていますが、平成九年まで動態にて走っていただけあって、運転席の操作機器類もそんなに古いものには見えませんでした。復元整備が念入りに行われているのでしょうが、再度手入れすれば、すぐに動き出しそうな雰囲気がただよっていました。

 

 こちらは、かつて井川線にて使用されていたミニ客車のスロフ1形です。2輌が連結された状態で展示されています。

 

 例によってシンプル過ぎる説明文。これでは何も分からないので補足します。

 スロフ1形は、井川線がかつて中部電力専用鉄道と呼ばれていた時代に製造された車両で、昭和二十八年(1953)に2両が製造され、来客用客車として使用されました。
 しかし、定員が16名と少ないために次第に予備車として使用されるようになり、平成二年に廃車となりました。廃車後は2両とも新金谷駅前のプラザロコに収容され、現在に至っています。

 

 運行区間の表示板も昔のままであるようです。

 

 車内に入って座席に座ることも出来ます。現在の井川線の客車より立派に見えるのは気のせい・・・?

 

 館内には上図のような、駅舎のレプリカらしきものもありました。昭和三十年から四十年代にかけての駅舎を再現したものであるそうです。横に、子供の頃に見た丹頂形電話ボックスがありました。

 

 大井川鐡道の各駅の駅舎の模型が並べてありました。嫁さんはこういうのが大好きですから、連れてきても良かったのですが、あいにく彼女はアニメ聖地巡礼というものに興味が無いのだそうです。ガルパンの大洗へも、そしてゆるキャンの聖地巡礼にも何度か誘ったのですが、「一人で気儘に自由に回って楽しんできたらええですよー」と送り出されるのが常でした。

 

 新金谷駅の模型もありましたが、よく見ると、現在の状況とちょっと違うような・・・。

 

 鉄道会社のミュージアムギャラリー施設ですから、当然ながらこういう鉄道ジオラマはありますね。子供向け、子供寄せのための展示でしょう。

 

 かつて大井川鉄道で活躍していたであろう、各種の蒸気機関車の模型も並んでいました。鉄道マニアが喜びそうな品々です。

 

 新金谷駅内のカフェで提供されていたゆるキャン△ラテの案内ポスター。これは今回のスケジュールにおいては無理でしたので、次回の巡礼時に立ち寄っていただくことにしました。

 

 今回の大井川鐡道ゆるキャンコラボキャンペーンの案内ポスター。開催期間が1ヵ月に満たないのでしたが、もう少し長くして欲しかった、と思ったのは私だけでしょうか。

 

 上図のお知らせは、家山駅からタクシーを利用する方向けの内容でした。昨年の台風被害によって大井川本線が現時点で家山までの運行になっていて、家山から千頭へは代替バスに乗り換えるシステムでしたが、バスの本数も鉄道のそれに準じて少ないため、急ぎの方はタクシーを利用するしかないわけです。しかし、家山駅には常置のタクシーが無いため、予約が必要であるわけです。

 家山駅からの公共交通は、他に島田市のコミニュティバスがありますが、路線は川根温泉を経て大井川本線とは別の方向、笹間川沿い方面に行くコースのみです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その5  新金谷駅プラザロコの1275形蒸気機関車

2023年04月05日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン△周遊きっぷセットの限定販売カウンターに行きました。キャンペーンの2日目なのに閑散としていて、客は私の他に一人だけでした。1日目の昨日はファンが行列を作ったと聞いていたので、2日目のこの日も同様なのかと予想していたのですが、外れました。

 

 今回のコラボキャンペーンは、上図のポスターにある通り、「ゆるキャン△×大井川鐵道 聖地巡礼きてみて周遊キャンペーン」が正式名称で、期間は2023年1月10日から2月5日まででした。3月ぐらいまでやればいいのに、と思ったりもしましたが、3月以降はきかんしゃトーマスの運転イベントなどがあるそうで、それとの同時開催というのが難しいようです。

 

 購入した、 ゆるキャン△周遊きっぷセット。切符は2種類ありますが、両方を買っても両方に購入日の日付印が押されます。これに関して、一枚は後日に使いたいので無印のままに出来ないか、と訊ねたところ、切符本体は購入日の日付だけを押す決まりでして・・・、と申し訳なさそうに答えてきました。

 これは想定外でしたので驚き、ガッカリしました。ここで切符を2枚買っておいて、今回と10日後の2回目でそれぞれ使おうと目論んでいたからです。そういう決まりならば、そういう決まりだとあらかじめ告知してくれれば、と思いました。

 以前に利用した天竜浜名湖鉄道のゆるキャン△周遊きっぷも2種類ずつ2セットが販売されましたが、それらは切符をあらかじめ前売り券として買っておいて、使いたい日に改札口で日付印をもらう仕組みになっていました。行きたい日に自由に使えるので、おかげで天竜浜名湖鉄道のゆるキャン聖地巡礼は切符の数だけ楽しめました。
 そういうシステムを、大井川鐡道でも採ってくれれば、ファンの多くがゆるキャン△周遊きっぷセットを買うだけで大井川鐡道沿線の聖地巡礼や観光をしないままに帰る、という状況もいくらかは改善出来たかもしれません。

 

 次に、プラザロコの展示空間へと移動しました。売店や販売コーナー以外の区画は、上図のような古い蒸気機関車や駅舎を展示するロコミュージアムになっています。上図は1275形蒸気機関車です。

 

 説明文は、御覧のとおりのシンプルさでした。シンプル過ぎて、この機関車の本当の価値すら顧みられないままに終わってしまいそうです。こんなあっさりとした説明で済ませるには、この蒸気機関車の歴史的価値は大きく、そして深すぎました。

 この蒸気機関車は、大正十一年(1922)にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペルの工場にて3両が製造されたサイド・ウェルタンク式機関車の1号機にあたり、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道省に在籍しました。上図の説明文の日本ステンレス直江津工場専用線には、太平洋戦争中の昭和十八年(1943)から移り、昭和四十五年(1970)に廃車となりました。

 

 しかし、貴重な蒸気機関車であったため、廃車直後の昭和四十六年(1971)に大井川鉄道(現在の大井川鐵道)が購入して、新金谷車両区で動態復元工事を行ないました。そして千頭駅と川根両国駅の間の側線のミニSL列車牽引機として運用しました。

 

 このミニSL列車は平成元年(1989)11月に運行を終了しています。その後、この1275形蒸気機関車は新金谷車両区で全般検査を受け、同区で構内試運転などを行なってしばらくは動態のまま維持されていましたが、平成九年(1997)に静態保存が決まって、現在地のプラザロコへ移されました。

 

 この1275形蒸気機関車を含めた、日本向けに製造されたコッペルの規格型機関車は、全部で5両であったそうです。あとの4両はすでに廃車、解体されていますので、この大井川鐡道の現存機は、大正時代の鉄道省所管のコッペルとしては唯一の遺品であることになります。

 

 これこそ、近代産業遺産の一つですね。登録文化財に列せられてもおかしくはない程の価値があると思います。

 

 その運転席を外から見ました。薄暗い室内にあって運転席は陰に包まれるため、白色電灯を点けて明るくして見えるようにしてありました。

 

 大井川鐡道の公式サイトの同機関車の案内文には、「運転席に入ることができます。」とありますが、実際には閉鎖されていて入れませんでした。しかし、扉の外側のステップまでは上がれるので、扉ごしに運転席を見ることが出来ます。

 

 ほう、これがドイツ製の機関車の罐ですか。楕円形の銘板も打ってあります。その刻字を読んでみたかったのですが、近寄れませんでしたから不可能でした。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)大洗女子学園 あんこうチーム Ⅳ号戦車D型(リニューアル版)

2023年04月04日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/ドラゴン 公式キット (商品コードGP-14)

  制作期間   2018年12月5日~12月19日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンにおけるⅣ号戦車D型は、大洗女子学園あんこうチーム搭乗車の第一形態として知られる。史実の第二次大戦期のドイツ軍の主力戦車であり、人気があって適応キットも数多く出ている。大別すれば標準型とアフリカ戦線仕様とに分かれるが、ガルパンの劇中車は前者にあたる。
 最初の公式キットはドラゴン製品(下のキット一覧の9)を元にしているが、組み立ての難度が高いため、新たに金型を起こしてのリニューアル版が発売されている(下のキット一覧の2)。今回の作例はこのリニューアル版であるが、パーツ数がおさえられ、組み立て易さも考慮されているので、気軽に作って楽しむには適した好キットである。初心者クラスでも楽に作れるキットの一つであり、ガルパン劇中車製作の入門キットとしてもお勧めである。
 Ⅳ号戦車D型の適応キットは各メーカーから色々出ているが、下のキット一覧には劇中車と同じ標準型が再現出来る製品のみを列挙した。適応キットの代表格はタミヤ製品(下のキット一覧の7)だが、古い製品であり、かつモーターライズキットとして開発されたため、内部に電池やモーターなどの取り付け指示などが残り、寸法も僅かに大きい。出来は非常に良いため、40年余り経った現在でも販売されている。車外装備品などの細部パーツはモールドが甘く、ディティールアップ用のパーツセット「ドイツIV号戦車 車外装備品セット 品番35185」がタミヤから発売されているので交換して使用する場合が多い。

  公式および適応キット一覧(2023年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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継続高校 T-20コムソモーレツ(フェイズエリカ版) 作ります !!  その2

2023年04月03日 | ガルパン模型制作記

 ステップ1およびステップ2でサスペンションを組み立てます。ステップ3で車輪を車体に組み付けます。今回のキットはほぼ作中車に一致するので、基本的にストレート組みでゆきます。

 

 ステップ1で組み立てるサスペンションのパーツです。前方の2組の分です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ2で組み立てるサスペンションのパーツです。後方の2組の分です。

 

 組み上がりました。

 

 なんだか鉄道の台車みたいな形状、雰囲気です。

 

 ステップ3に進みました。車体の後端の誘導輪の軸部を組み立てます。

 

 車体の後端の誘導輪の軸部を組み上げました。

 

 その後に車輪を取り付けました。起動輪と誘導輪はまだ付けていません。  (続く)

 

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大原秋景色1 大原の蓮成院へ

2023年04月02日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2022年11月12日、久しぶりに大原の里へ行きました。嫁さんが「たまには大原の紅葉とか見たい」と希望していたのと、秋季特別公開の寺院が大原にも2ヶ所あるため、両方の見物を兼ねました。快晴の日を選んで朝早くに出発、市営地下鉄で国際会館駅まで行き、駅上のバスターミナルの4番乗り場で京都バス19系統に乗って、上図の大原バス停で降りました。

 

 大原バス停からは北側の横断歩道を渡って、呂川沿いの参詣道を15分ほど歩きますが、ずっと登り坂になるので、散歩気分で気軽には歩けないルートです。嫁さんも私も、山登りに準じたトレッキングシューズを履いてゆきました。

 

 呂川沿いの参詣道は、御覧の通りの登り坂です。これをひたすら登ります。平坦な道での15分はかなりの距離ですが、登り坂ともなれば、より距離感を感じてしまいます。大原の古刹霊場が比叡山の西裾の中腹の段丘上に連なるため、山登りに近い感覚で歩きます。

 

 大原バス停から13分で、上図の三千院参道への分岐点に着きました。この日は三千院にも行く予定でしたが、三千院は後で行くことになっていたので、さらに呂川沿いに先へと進みました。

 

 上図の来迎院の看板を見て、あと200メートル、約5分歩かないといけないのだと知りました。嫁さんは元気いっぱいで「来迎院が最も高い位置にあるんですね、チャチャッと登ってしまいましょう」、と楽しそうに両腕を振って歩速をゆるめずにドンドン先へ行くのでした。

 

 その来迎院と、その手前に位置する蓮成院が、この年の秋季非公開文化財特別公開の対象寺院でありました。いずれも一般公開は今回が初、ということでしたが、私自身は来迎院へは何らかの調査見学で二度ほど行った記憶がありました。

 

 途中で三千院の南門にあたる朱雀門の構えを左手に見ました。明治期に三千院が京都市梶井町の旧地よりここへ移転した際に、以前からここに在った往生極楽院を吸収する形で境内地に取り込みましたが、その往生極楽院の正門であったのがこの朱雀門です。

 

 朱雀門の前から、さらに奥へと続く参道を登りました。三千院の土塀の白壁と、そのうえに散りばめられた紅葉が綺麗なコントラストをなしていました。嫁さんが何度もスマホを構えて撮っていました。

 

 さらに進むと左手に上図の朱鳥居が建ちます。三千院境内の北端に接して鎮座する勝手神社への参道入口です。

 

 勝手神社朱鳥居を過ぎたところで左に来迎院境内への連絡道が分かれ、その奥に来迎院敷地の外郭線を成す石垣の連なりが見えました。嫁さんが「お城の石垣みたい」と言いましたが、中世戦国期には比叡山の僧兵兵力の一端を担った大原の寺院群であり、地形を利用して境内地の周囲を堅固に固めた歴史が、いまは自然の景色のなかに溶け込んでいます。

 

 参道が右に折れて呂川に架かる小橋を渡ったところで、上図の蓮成院の門前に着きました。

 

 蓮成院の山門です。蓮成院(れんじょういん)は来迎院の塔頭で、もとは平安時代後期に融通念仏(ゆうずうねんぶつ)の祖である聖応大師(しょうおうだいし)良忍(りょうにん)が創建したとも伝わりますが、はっきりした由来は不明です。かつては来迎院の境内地内にあったといいますが、大正十五年(1926)に現在の場所に移ったそうです。

 

 今回の特別公開の範囲となった、蓮成院の客殿を山門前から見上げました。蓮成院は山門からの建物や庭園での一切の撮影を禁じていたため、撮れるのは山門外から見える寺観と、境内地から見える外の景色だけでした。

 上図の客殿はかつて三千院の仮宸殿であった建物で、明治維新の頃に梶井宮最後の門主であった昌仁法親王の仮御殿として建てられたものです。昭和元年(1926)に三千院の宸殿が再建された折、こちらに移築されて現在に至ります。

 

 客殿内部に進み、まず左手に契心園と呼ばれる広い庭園を見ました。中央に池があり、奥に築山が見えました。客殿は三つの空間に分かれ、手前の下の間、奥の上の間、仏間となっていました。下の間の襖絵は西山翠嶂、廊下の突き当りは川村曼舟、上の間の襖絵は菊池契月の画でした。
 仏間には本尊の阿弥陀如来像、厨子入り毘沙門天像、その脇侍の吉祥天像と善膩師童子(ぜんにしどうじ)像が祀られていました。

 それらを案内人の説明に従って一通り拝した後、客殿の周囲の上図の落ち葉をなんとなく眺め、撮りました。

 

 最後に、客殿の窓から山門方向の景色を撮りました。この山門前の紅葉が特に鮮やかに見えたからでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その4  新金谷駅プラザロコのゆるキャンコーナー

2023年04月01日 | ゆるキャン△

 10時ちょうど、新金谷駅の向かいにあるプラザロコに行きました。大井川鐡道のミュージアム施設にあたるようですが、売店などの区画が広いため、実質的には商業施設であるのかもしれません。
 今回のゆるキャンコラボキャンペーン第2弾関連の品々は、まずプラザロコで前日の1月10日より先行販売がスタートし、その後は主要各駅の売店でも扱うということでした。それで、とりあえずは先に買っておこうと考えました。

 

 プラザロコの広い室内のほぼ半分ほどが物産販売コーナーですが、ゆるキャンコラボキャンペーン期間中は物産販売コーナーの七割ほどがゆるキャン関連商品にて占められていました。

 

 しかも、全てが大井川鐡道独自の品ばかりです。原作者あfろ氏の描き下ろしイラストを様々な形で商品化してありました。山梨県や長野県のゆるキャン聖地、静岡県の他のゆるキャン聖地では絶対に入手出来ない品々でした。

 

 いわゆるアニメグッズの基本的なアイテムは、大体揃っていたと思います。昨年の第1弾の期間の販売品も並んでいるようでした。

 

 あっ、これがあの老舗東海軒のトマすき弁当か、と立ち止まって、買おうか買うまいか、しばし悩みました。この日の予定では、昼食は門出駅に隣接する道の駅の食事処でいただくことに決めていたからです。

 

 結局、次の機会に買うことにしました。10日ほどずらして、もう一度こちらに来て千頭駅までの往復ルートを回る計画でしたので、その際にこのトマすき弁当を買って、お昼にどこかで食べよう、と決めました。

 

 なにげなく見ていて、包装紙イラストのデザインが数種類あるのに気付きました。中身のトマすき弁当も異なるのかと思い、売店の方に聞いてみましたら、中身は同じで包装紙が5種類あります、との事でした。

 

 5種類ともドンドン売れているようでした。残り数が最も少なかったのが上図左の志摩リンパッケージでした。やっぱり志摩リンは人気ナンバーワンのようですな・・・。

 

 さらに、上図のミニタオルを各務原なでしこデザインにて買いました。以前に制作した海洋堂のゆるキャンプラモケイの展示の敷物にどうだろうか、と思いついたからでした。

 

 そして上図右のステッカーも1枚買いました。

 

 最後に、上図下段のマグネット1個、ミニ色紙1枚を買いました。

 

 それからゆるキャンコラボキャンペーンの目玉である、4つの特典付きのゆるキャン△周遊きっぷセットを購入するべく、その販売カウンターへと向かいました。が、途中で左側に上図のゆるキャンキャラクターパネルを発見し、立ち止まって撮影しました。大井川鐡道オリジナルの、あfろ氏描き下ろし新デザインのパネルです。

 

 各務原なでしこ。

 

 志摩リン。

 

 斉藤恵那。

 

 犬山あおい。

 

 野クル部長、大垣千明。  (続く)

 

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