2022年11月19日、山科の安祥寺が特別公開やってるらしいから見に行きたい、と嫁さんが言うので、その安祥寺を訪ねました。最寄りのJR山科駅で降りて、改札口を出て右、西側に進んでセブンイレブンの脇から線路沿いの細い通路を進みました。
安祥寺は、JR山科駅の北北西約200メートルに位置しますので、南にしか改札口が無い山科駅から行く場合は、西側の安祥寺川沿いの道へ回ってJRの高架下のトンネルをくぐるのが唯一のルートになります。
その西側の安祥寺川沿いの道が、JRの高架下のレンガ積みのトンネルをくぐって北へ抜けます。
このレンガのトンネルは、銘板によれば「安祥寺川橋梁」の下に作られています。下り線側が古くて大正十年の竣工であるそうです。そして太平洋戦争中の昭和十九年に上り線側が追加されたとあり、このときに複線化がなされたのでしょうか。
そのトンネルを北へ進みました。わあ、レトロなレンガ造りのトンネルですねー、とレンガの幾つかを右手で撫で、スマホで撮りまくる嫁さんでした。歴史的な建造物や近代工業遺産の類にも興味があるそうです。
トンネルを北へ抜けてそのまま登りました。この上図の登り坂が、安祥寺への参詣道でもありました。JR山科駅から徒歩で10分もかからない至近にある古刹ですが、普段は非公開なので観光スポットにはなり得ず、地元の山科区でもあまり知られていないと聞きます。
嫁さんも安祥寺の事は、先週に京都の秋の特別公開情報を調べていて初めて知ったそうです。一昨日の夕食時に「ねー、安祥寺って知ってます?」と、私なら多分知ってるだろう、というニュアンスを込めて聞いてきました。知ってるよ、と返すと「やっぱりねー」と笑っていました。
私に限らず、仏教美術史および仏像彫刻史を専攻する学徒なら、安祥寺の名は絶対に知っています。仏教美術史および仏像彫刻史の基本知識、基礎資料のなかでも重要度が高い古寺だからです。そして私は昭和63年に安祥寺を訪れて現在の下寺だけでなく、平安初期の 嘉祥元年(848)創建以来の上寺の遺跡にも登った事があります。
なので、この旧参道をたどるのも、昭和63年以来、34年ぶりのことでした。歩きながら当時の記憶を少し話すと、「大昔ですね、記憶もセピア色ですかー?」とおどけて答える嫁さんでした。彼女は平成4年生まれなので、私が初めて安祥寺を訪ねた日にはまだ存在していなかったわけです。大昔ですね、の言葉には実感がこもっていました。
その大昔から、この道はあんまり変わってない気がするな、と言うと、「ええー、それすごくない?」とスマホで撮影していました。
旧参道は、境内地の手前で第一疎水を渡りますが、その疎水沿いに見事な紅葉が望まれました。綺麗ですねえ、と御機嫌の嫁さんでした。
第一疎水にかかる橋を渡りました。銘板が見当たらないので橋の名前は分かりませんでしたが、安祥寺門前に位置するので、安祥寺の名が付いているかもしれません。安祥寺橋とか、安祥寺門前橋とか・・・。
琵琶湖から引かれる第一疎水のあおあおとした水面を見ました。
安祥寺の門前に貼ってあった、この秋の特別公開の案内です。2022年度は春と秋に、2021年度は春のみに行われましたが、そうした特別公開は2019年から始まったもので、それ以前は殆ど公開されていなかったと聞きました。
毎年の京都の非公開寺院特別公開が好評で多くの見学客を呼んでいるため、ここ数年は、これまで非公開だった古社寺が初公開に踏み切るケースが増えていますが、安祥寺もその例にもれなかったということでしょうか。 (続く)