新金谷駅前プラザロコの蒸気機関車の静態展示車輌は、1275形の他にもう1輌、上図のコッペルこと1号機関車があります。
シンプル過ぎる説明文。もう少し詳しく述べたっていいのではないか、と思ってしまいました。「いずも」って出雲のことでしょ、現在の島根県のことでしょ、一畑軽便鉄道って現在の一畑電鉄のことでしょ、つまりはバタデンでしょ、松江から出雲大社までを結ぶ私鉄でしょ・・・。島根県松江市に二年住んでいましたから、一畑電鉄にはよく乗りましたね。その線路を昔走っていたのが、この1号機関車なのですね。
この1号機関車は、大正十年(1921)にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で製造され、一畑軽便鉄道(現・一畑電鉄)が翌年に4両目の機関車として導入したものです。一畑軽便鉄道が電化されて一畑電気鉄道に社名変更した後の昭和四年(1929)に廃車となり、七尾セメント(現・住友大阪セメント七尾工場)に譲渡され、昭和三十四年(1959)まで専用線の貨物列車の入れ替えや牽引に使用されていました。
その後は倉庫に保管されていましたが、昭和五十二年(1977)に民間企業が購入して大井川鉄道に移され、動態保存機として復元されました。このときに一般公募によって「いずも1号」と改称されました。
そして平成元年まで、大井川鉄道の千頭~川根両国間の側線で「ミニSL列車」牽引機として活躍、側線廃止後は千頭駅構内で保存され、時折構内運転を行っていました。プラザロコの現在地に静態保存車輌として配置されたのは、平成九年のことであったそうです。
既に製造されてから100年余りを経ていますが、平成九年まで動態にて走っていただけあって、運転席の操作機器類もそんなに古いものには見えませんでした。復元整備が念入りに行われているのでしょうが、再度手入れすれば、すぐに動き出しそうな雰囲気がただよっていました。
こちらは、かつて井川線にて使用されていたミニ客車のスロフ1形です。2輌が連結された状態で展示されています。
例によってシンプル過ぎる説明文。これでは何も分からないので補足します。
スロフ1形は、井川線がかつて中部電力専用鉄道と呼ばれていた時代に製造された車両で、昭和二十八年(1953)に2両が製造され、来客用客車として使用されました。
しかし、定員が16名と少ないために次第に予備車として使用されるようになり、平成二年に廃車となりました。廃車後は2両とも新金谷駅前のプラザロコに収容され、現在に至っています。
運行区間の表示板も昔のままであるようです。
車内に入って座席に座ることも出来ます。現在の井川線の客車より立派に見えるのは気のせい・・・?
館内には上図のような、駅舎のレプリカらしきものもありました。昭和三十年から四十年代にかけての駅舎を再現したものであるそうです。横に、子供の頃に見た丹頂形電話ボックスがありました。
大井川鐡道の各駅の駅舎の模型が並べてありました。嫁さんはこういうのが大好きですから、連れてきても良かったのですが、あいにく彼女はアニメ聖地巡礼というものに興味が無いのだそうです。ガルパンの大洗へも、そしてゆるキャンの聖地巡礼にも何度か誘ったのですが、「一人で気儘に自由に回って楽しんできたらええですよー」と送り出されるのが常でした。
新金谷駅の模型もありましたが、よく見ると、現在の状況とちょっと違うような・・・。
鉄道会社のミュージアムギャラリー施設ですから、当然ながらこういう鉄道ジオラマはありますね。子供向け、子供寄せのための展示でしょう。
かつて大井川鉄道で活躍していたであろう、各種の蒸気機関車の模型も並んでいました。鉄道マニアが喜びそうな品々です。
新金谷駅内のカフェで提供されていたゆるキャン△ラテの案内ポスター。これは今回のスケジュールにおいては無理でしたので、次回の巡礼時に立ち寄っていただくことにしました。
今回の大井川鐡道ゆるキャンコラボキャンペーンの案内ポスター。開催期間が1ヵ月に満たないのでしたが、もう少し長くして欲しかった、と思ったのは私だけでしょうか。
上図のお知らせは、家山駅からタクシーを利用する方向けの内容でした。昨年の台風被害によって大井川本線が現時点で家山までの運行になっていて、家山から千頭へは代替バスに乗り換えるシステムでしたが、バスの本数も鉄道のそれに準じて少ないため、急ぎの方はタクシーを利用するしかないわけです。しかし、家山駅には常置のタクシーが無いため、予約が必要であるわけです。
家山駅からの公共交通は、他に島田市のコミニュティバスがありますが、路線は川根温泉を経て大井川本線とは別の方向、笹間川沿い方面に行くコースのみです。 (続く)