ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「ハゲの文化史」荒俣宏

2018-11-13 07:17:51 | 評論・随筆


タイトルは「ハゲ」だけど内容としてはむしろ「ハゲてない」話でありました。つまり毛髪のお話でした。なので本来ならば「毛髪の文化史」としてもいいはずなのに、何故「ハゲの文化史」になったのか?それはやはり「毛髪」というより「ハゲ」という方が人々の心にぐさりと突き刺さり「なんのことだ?治療法か?」などという興味を抱かせる狙いでありましょうか。
とりあえず冒頭「まえがき」は「ハゲ」に関した文章を29ページも書かれているのですが、本文に入ってからは「頭髪」及び「体毛」についての記述でありまして「ハゲ」がどーのこーのという部分は僅かです。なのでこれを読めば「ハゲ」が治る?もしくは「世界のハゲ」について網羅していると期待したらいけません。
とはいえ私は読んでいるうちに「ハゲ」のことなど忘れて読んでいましたけどね。ただし「ハゲ」について深く追求しようとして手に取ろうとしている方ははぐらかされるかもしれませんね。(ハゲらかされはしません)
「世界のハゲ」じゃなく「世界のケ」についてモウラされた本でありました。

まずは人間だけでなく動物でも♀のほうが「色を判別する」能力に長けている、というお話から始まります。「毛」の話のはずなのに「色」とはなにか?それも「毛」と関係してくるのでありました。
特に人間はコミュニケーションを密にするために顔の表情を見る必要があり、そのために顔から体毛が失われてしまうわけですね。顔色を伺うのが女性の方が得意であるとか、赤ちゃんの顔色を見て健康状態や機嫌を推し量るのも女性の役割だったから、という理由づけがあるわけです。

それとは別に私がとても面白かった記述があります。
『中国の古い分類学に「孔子家語」というのがあって、それは体の表皮がどうなっているかを基準としている。
「蟲」という言葉はいまでは「虫」を意味するが本当は「生き物」という意味であった。
曰く「鱗蟲」=魚のように鱗を持つグループ、「羽蟲」=羽があるグループ、「毛蟲(モウチュウ)」=書かれてないが毛のあるもののグループということだろうか、このグループの頂点に君臨するのが麒麟である、「甲蟲」=甲羅のあるグループ。この頂点が「神亀」、そして「裸蟲」=カエルやミミズなどのはだか虫のこと。ここに我らが人間が代表となっているのがありがたい』
いかがでしょうか。
今話題のハダカデバネズミもここに入れられるのでしょうか?
毛や羽や甲羅や鱗がない裸一族の中に我ら人間は分類されていたわけですね。「孔子家語」においては。


さてさてこういう感じでこの本には世界の歴史上の様々な「毛」に関する蘊蓄が収められています。
逐一追ってはいけないので自分の考えを交えながら書いてしまいます。

「毛髪」そして「体毛」について古今東西私たちは様々な意味合いを持ち、好んだリ嫌ったり悩んだりしてきました。
昔を思い出してちょっと不思議なのは70・80年代くらいのアイドルの少女たちは大体ショートヘアだったのですね。古今東西女性の長い髪は圧倒的な性的魅力を持っていて男性はその魅力に惹かれた、とこの本にも書かれていますし、日本でも平安時代の女性を思い出せば長い髪が魅力だったのは当然です。なのになぜあの頃の少女アイドルは髪が短かったのか。はっきり人気があるほどショートヘアで人気がない人のほうが髪が長かったりしてました。
それは多分髪が短いことで「この少女はまだ大人ではないんだよ。子供だから純粋なんだよ」ということを明確に見せてしかもそれが一般に了解されていたんでしょうね。その純潔さが老若男女に良しとされていたのだと思います。
今現在はそういった「少年のような純潔さ」を少女に求める気持ちが薄れたので髪が長い少女がアイドルとしているのだと思います。

また髪の毛には特別な力が宿っている、というのも東西問わずあるわけですね。女性の性的な魔力として、あるいはサムソンのように長い髪に腕力のエネルギーがある、振り乱した髪、が激しい怒りや狂気を意味する、などという考え方もあらゆる場所で共通しています。「HUNTER☓HUNTER」のゴンが怒りのあまりすべての力を出すことが髪が天まで届くほど伸びる、という表現は正しいわけですね。

特にマンガでは髪の形・色などでそのキャラクターを意味付けしていきます。アニメ「トリトン」で色で主人公トリトンの髪が緑色でそのことが彼を普通の人々から疎外されるという設定だったことに心惹かれました。
ブラックジャックは髪の色がツートンになっている、というのが強い印象です。彼の場合皮膚もツートンでより彼が大変な人生を歩んできたことを印象付けさせます。
アトムの髪形も印象的です。こういうことからも手塚治虫のキャラデザインの凄さは破格ですね。

小説でも「赤毛のアン」(これは邦題ではありますが)でアンが赤毛で悩む、という設定は多くの人が共感できることでしょう。赤毛でなくてもくせっ毛だとか毛じゃなくても色々な体の特徴がたとえ小さなことであっても本人は酷く気にしてしまう。
まあ、西洋の作品を見ているとほんとに赤毛はかなり悪く取られていて「小さなこと」ではないのかもしれませんが。なにしろ「赤毛連盟」なんていう小説が生まれてしまうくらいですから。

髪が長いほうが霊感がある。なんてのも興味のある話です。妖怪アンテナも髪でしたし。

さてこのへんでちょっと止めます。
お仕事の時間なので。
夜にまたもう少し、出なれば明朝また書くかもしれません。



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