ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

洗剤を買うために生きている

2018-08-30 20:39:54 | 思うこと
洗剤を買うために生きている・・・わけはないですが、最近の私の買い物はほぼ洗剤で占められてるのでは、と思ったわけです。
まずは衣服の洗剤。ポンと入れるだけのヤツと計れるヤツの2種類、そして柔らか洗いのヤツといい香りのヤツ。そしてたまに洗濯機用の洗剤、お風呂用の洗剤、トイレ用の洗剤、シャワーノズル用の洗剤、食洗器用洗剤、普通の食器用洗剤、クリームクレンザー、魚のにおい取り用ソープ、油落とし用洗剤、キッチンハイター、レンジ用洗剤、今度は人間用でシャンプーは各個人用、トリートメント、コンタクトレンズ用、化粧落とし用、マニキュアはしないのでそれ用のはない。

まあ、ほかにも綺麗にするためのいろいろなものがありますね。眼鏡とか靴とか。あー歯磨きもありました。
洋服などは全く買わないし、食べることは必然だけど、それを除けば買い物は「綺麗にするためのもの」ばかりです。

そういうものなのでしょうかねえ。


「甘い蜜の部屋」森茉莉

2018-08-30 06:58:01 | 小説


BL好きならば森茉莉、と言えば元祖というべき存在です。「恋人たちの森」で綴られる退廃した物語は森茉莉でなければ書けなかったと思える美麗な文章です。極まった美しさの男たちの絡みはおとぎの国の出来事のようで私自身の好みとは合わなかったのが残念なのですが、BLの教科書としてあるべき存在だと思っています。
特にタイトルが素晴らしいです。「ボッチチェリの扉」「恋人たちの森」「枯葉の寝床」そして私は最後の短編のタイトルがすごく好きでよく思い出してしまいます。「日曜日には僕は行かない」とてもイメージを動かしてくれるタイトルではないでしょうか。普通に使う言葉で印象的な効果を与えていますね。

むしろ彼女の他の著書である「甘い蜜の部屋」をそれこそ何度も読み返したものでした。


以下、その内容に触れますのでご注意を。





森茉莉と彼女の父・森鴎外を思わせるこの小説も類まれな美文で形作られていきます。実の父親と娘の濃厚な愛情は精神性だけのものではない、性交そのものはなくても性愛なのだと読むものに囁きます。
美しい少女モイラの魅力はしたたかでふてぶてしいものとして描かれ、父・林作はそんなモイラに溺愛していくのです。

モイラの屋敷の馬丁ドゥミトリのモイラの愛情も特別なものであり、モイラを愛しながらも忠実な下僕であろうとする姿が切なく、私はこの中で一番好きなキャラクターです。

森茉莉自身がピアノを習ったことを読んだことがあるので、ピアノ教師アレキサンドゥルの話はそこから来ているのでしょう。老いた男の幼女への偏愛を父・林作が心の中で嘲笑っている様子が面白い場面です。

16歳になったモイラは天上と結婚します。
モイラの意思はまったくない父親と天上の間の取り決めによる結婚です。この天上という男性の造形も森茉莉が実際結婚していて後に離婚する山田 珠樹氏と重なるように思えます。モイラの天上の嫌い方が実際の感情と重なっているようで残酷な面白みがあります。しかも小説の中で夫は惨めな死に方をするわけで、ここらは森茉莉自身の復讐さえ感じてしまうのです。

モイラの恋人として登場するピータアはロシア人となっているのはやはり日本男性では奔放なモイラにふさわしくないという配慮なのでしょうか。

この重厚で華美な物語を甘い蜜の中に苦い毒が含まれているかのようなモイラを映画にすることはとても適わないことでありましょうね。無理とは思いながらごく短い部分的なものでいいのでこの小説を映像で見てみたい気持ちになってしまうのです。
やはりヨーロッパの映画監督でなければとても作れない気もしますが。


森茉莉は幾つかの随筆集もありますが、同じように美しい文章で面白いものです。「私の美の世界」のなかの「貧乏サヴァラン」という一文でダイヤ氷という袋入りの氷を買って冷紅茶を作るのがとても綺麗で美味しそうなのです。こだわりのある貧乏暮らしという素晴らしい記述です。

「プラスチックごみ~使い捨てコンタクトレンズ」

2018-08-29 20:49:56 | TV
今朝「羽鳥慎一モーニングショー」で「プラスチックごみ」の脅威を報道していました。
ファストフード店などのプラスチック製ストローの廃止など、最近は様々な改革が行われているようですが、海に漂うあの膨大なプラスチックごみを見ると愕然とします。少しでも早く改善されていくことを望みますし、自分でもできることをしていきたいと思うわけですが、番組中にえっとなってしまったのが「使い捨てコンタクトレンズをトイレや洗面所に流す人がいる」という話でした。

これはたぶんアメリカの調査では、ということだったと思うのですが、使い捨てコンタクトレンズ使用者の5人に一人が捨てる際にトイレや洗面所で流してしまうのだ、というのです。流されても使い捨てコンタクトレンズはプラスチックですので、分解されることはなく、流れて細かく砕けていき、マイクロプラスチックのひとつとなって海を漂っていき汚染が進むでしまう結果になるのだそうです。アメリカだけでも排水に流されるコンタクトレンズの何十億枚ものになるということです。
自分も使い捨てコンタクトレンズを使用しているので特にひっかかりました。レンズを洗面所などで流そうとは思いもよらなかったのですが(ごみとして捨てています)そういった何気ない行為というのは他にもあるのかもしれません。
 
まー大変な問題はいろいろありすぎるくらいあるわけですが、できるだけのことはやらねばなーと思います。

「夏のおわりのト短調」大島弓子

2018-08-29 07:28:56 | マンガ


大島弓子のマンガはタイトルがとても印象的で素晴らしいのだけど、その中でも特に心に残る響きのタイトルではないでしょうか。

それでもって彼女の描くキャラクターは外見としてはほんとにこれでもかと少女で細くて可憐なのだけど、内面はどろりとしていたり反逆的であったりどん底まで苦悩してたり憤怒で叫んでいたりします。

この作品は特にそのギャップが激しくて、読む者は消えそうに細い線と柔らかに感じる光、画面上に舞う花・星に隠れているのがあまりはっきりと見たくない人間の本性なのです。

少女とはなんでしょう。
ヒロインのたもとちゃんの思考はよくできた大人から見ればあまりにも未熟で、その行動はとんでもない結果を導いてしまうのです。
それでも少女は秋の気配を感じ新たに人生を歩き始めていきます。

結構これってとんでもない物語なのではないでしょうか。
でもそれこそが少女なのかもしれません。

間違っているのかもしれないけど、だからこそ気になって読んでしまう。
繊細な絵の中に隠された恐ろしいものを見たくなってしまうのです。

「草原の記」司馬遼太郎

2018-08-29 06:02:44 | 評論・随筆


司馬氏の「モンゴル高原は天にちかい」という言葉から始まり、モンゴルの一女性であるツェベクマさんの物語が記されている一冊です。


以下、内容に触れます。




私はこのそんなに厚くはない本を読んですっかり天に近い草原とツェベクマさんに心惹かれてしまいましたが、まさか後にNHKのオンデマンド放送で彼女を見ることができるとは思いもよりませんでした。

NHKスペシャル「街道をゆく」第一シリーズの第二回「モンゴル紀行」で見たツェベクマさんは司馬氏が描いているとおり毅然とした女性でありました。驚いたのは現に映像でも彼女の話す日本語はくっきりと明晰でよどみもないことでした。
ツェベクマさんは少女の時に日本人の女性教師(高塚シゲ子先生)から日本語で教育を受けたのですが、その記憶だけでこんなにしっかりとした美しい日本語を後年までも話せるものなのでしょうか。大体においてモンゴルの方は日本語を訛りなく話せるのがいつも不思議なのですが(お相撲さんがそうですよね)どこか日本語と共通する言葉なのでしょうか。としか考えられない無学の私でありますが。
よく実際の人物を見てしまうとがっかりということがありますが、ツェベクマさんの映像はむしろ「草原の記」をより鮮明にしてくれたように感じました。

ツェベクマさんは過酷な人生を送ってこられた女性です。
そんな彼女に司馬氏は言う。

「ツェベクマさんの人生は、大きいですね」

「私のは、希望だけの人生です」

希望だけの人生、と言える女性とは、希望だけを胸に生きてきた人生とは、と考えてしまいます。