ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「娼年」三浦大輔

2019-04-03 07:30:08 | 映画

映画を観てから上の特集記事を見ると呆れてしまうのですが別の意味で「凄いものを見てしまったってことでしょ」と突っ込みたくなるのは致し方ありません。

性別偏見はしたくないのですが、原作作家も脚本・監督も男性で作った映画で女性向けの官能映画というのは今の日本男性の一般的見解からすればかなり無理があると思うし、見事そのまま「やはり無理だったかorz」という感想になってしまいます。

といっても原作が石田衣良というのは聞いていたのですが監督は知らないまま観ていてあまりの酷さに後で調べたら男性監督だったのを知った、ということであるのですが。

映画を観てから映画製作と上映時の原作者や映画監督の言葉を読んでいると女性性に対する彼らの考え方の酷さにげんなりしこういう思考を持って女性向けの官能映画ができるわけがないはずだと思いました。先に上のサイトなどの宣伝を見てしまってたら観る気持ちも失せたかもしれないので(逆に俄然挑戦してしまう気もしますが)なにも読まず観てよかったのでしょう。

 

さて原作者&監督は「この映画をカップルで観てホテルへ行ってください笑」とアピールしたそうですが逆に言って男性向け売春映画をカップルで観て女性がうっとりするかどうか考えてみればいいことです。

この二人は「売春」と「性愛」を同一だと思っている、ということなのですね。

この作品は「娼年」というタイトルが示す通り少年のように若い男性が年増女性を客にしていく話なのであり、そこに愛情はありません。

もし売春にも愛情はある、とこの製作者たちが考えているのなら「日本男性」のよくある妄想思考によって勘違いしているだけですし、しかもかなり迷惑な勘違いにしかすぎません。

この映画の中では色々なタイプの女性、ということでたぶん観る女性たちが「こ、こんなことが?」と思うだろう、と言いたげな様々な異常な状況の売春、というシチュエーションが出てくるのですが、今時こんなことに驚くような女性がいるのでしょうか。

言語障害の女の子、不能を装う夫婦、排尿を見せる女性、話をしている間に達してしまう老女、など、それらを羅列しているだけでありその段階を踏むことで主人公が成長していく過程がある、という工夫があるわけでもない。

しかも主人公男性の魅力というのが「普通の男の子」であることだというよくある安直さなのです。

この日本作品の定番ともいえる「どこにでもいる子だから一番良い(エロい)」という「普通の子最強伝説」には心底うんざりします。

しかもなぜか女性器にいきなり指を突っ込んで激しくかき回す、というのがこの普通男子の特技だというのが製作者男性たちの性戯知識を物語ってしまっているではありませんか。

「女性から激しく求めてくる」という演出上の言い訳が白々しいのです。

 

とってつけたような男性からのフェラチオシーンも興ざめで尻を顔の前に持ってこられたなら「なんでもするよ」という前に尻の穴でも舐めたらいかがでしょうか。

主人公男性に「痛みを感じるのがぼくの快感だから指を折って」という異常発言をさせるのは単に男性同士のセックス場面を回避するための下らぬ策にしか思えません。

「性描写に一切妥協せず」と監督が言うのなら、しかもゲイの男性を出したなら言葉通りゲイセックスをきっちり見せるべきでありましょう。

そして老女の場合も一人で勝手に快感を得てしまう、と逃げていますね。

 

ここまで内容が酷いと主人公の役者は誰であってもさほど変わらないと思いますが、客となる女性たちが皆痩せ型の綺麗な容貌なのも奇妙です。男性向けならこんな痩せ型のイケメン男性ばかりが客、という官能映画を観たくなるでしょうか。

太った人ごつい人、不細工な女性もいていいはずですが男性監督としては映す女性は例え中年老年であっても見栄えの良い女性でそろえたかったということでしょうか。

 

主人公のお母さんも売春婦だったのよ、というオチで売春を続けていく決意をする主人公。

根本的に間違っていることを気づいていないとしか思えません。

売春が間違っているから良い映画にならなかった、というだけではないんですよね。

売春はダメだけどこれを見たらそんなのどうでもよくなった、という世界に運ばれてしまうような感覚は微塵もなく単なる売春映画でした。

 

日本男性がいつまでたっても女性の性を勘違いしたままで「俺たち男性が女性に官能の世界を教えてあげよう」と言っているのはもうやめて欲しいです。

女性がどんな風に気持ち良くなるのか、何も知らないまま作った作品としか思えません。

作り直しですね。

 

女性向けの映画なら一人の男性が売春していく話ではなく、一人の女性がいろいろな男性と寝る話でしょ?

そこからもう男の感覚ずれているから。

男性向けならそう作りますよね。

 

女性向けのエロい映画作ったら売れるし有名になれるかも。原作は「娼年」にしよう。

年増女性向けの売春だから受けるだろ。←ここでもう間違ってる。

 

女性を気持ちよくさせたいならもっと勉強してください。石田衣良&三浦大輔。

 


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女性アスリートの心と体

2019-04-01 07:06:50 | 女性

半世紀以上生きて来たのに今頃になって気づくことがあります。というかそんなことばかりです。当たり前と言えば当たり前でもありますが。

 

とは言え本当にえっと驚くこともあるのです。

女性アスリートの話がそうでした。

私はまったくスポーツをしない女性のせいもあって女性アスリートが抱える悩みについてなど考えたことがなかったのです。といっても最近まで「女性アスリートに対しての誤った考え方」ばかりがまかり通っていたのですから私が運動選手であったとしても気づかなかったに違いありません。

「女性アスリートに対しての誤った考え方」と書きましたが私はまだやっとそういう考え方について気づいたばかりなので何がどう誤っているのかは判っていません。

いろいろなことを学びながら「女性の体や心理」についてこれから考えていきたいものです。

そしてそのことは女性の運動選手だけでなく一般の女性に関してもとても大切なことなのだと思います。

 

女性の運動選手はより運動能力を高めるためにダイエットをしている場合が多いと聞きます。例えばランナーなど速く走るためには少しでも体重が軽いほうがいいわけですね。他の運動選手も同じことが多いわけですが単純に食事制限をしてしまうと女性の場合無月経になってしまう。月経というのは正直言って面倒なものですしすぐに子供が欲しいというわけでもない女性にとっては無ければ楽ちんだとなってしまう。ましてや男性から指導を受けている場合などは特に月経に関しての正しい知識を教えてもらうことはないのだろうと推測されます。勿論女性の体や心理について勉強された男性指導者もいるでしょうし、女性だからといって正しい知識を持っているとは限らないわけですが。

私がえっと驚く話を聞いたのはまだそんな前の事ではなかったと思います。ある女性がスポーツに打ち込んでいたのですが頑張れば頑張るほど体の調子がおかしくなって

とうとうやめざるを得なくなった、今思うと食事療法が間違って生理が止まってしまっていたのだけど当時はそういう知識がまったくなかった。もしその知識さえあればスポーツを止めなくてもよかったはずなのに悔しい、とテレビで話していたのです。

その話はずっと記憶に残っていてそれから少しずつ女性アスリートについて知りたいと思い、情報も耳にするようになってきました。

先日「放送大学」で小笠原悦子教授の「女性アスリートの育成と支援、その課題」を観てますます女性アスリートについて学びたくなりました。

その中で教授は「女性は男性のミニチュア版ではありません」ということを話されていてなるほどと思いました。

今までの女性アスリートはどうしても男性のスポーツをそのまま受け入れ男性に比べ劣っているが少しでも男性に近づくように、というような考え方で進んできてしまったのではないでしょうか。

これは自分が好きな文学やマンガについて考えればとても納得がいきます。文学やマンガの世界も男性の世界であったわけですが、女性作家たちは「自分も男性に劣らない文学・マンガ創作をしたい」と頑張ってきたわけです。ところが女性には女性のやり方があってそれは男性とは違うわけです。男性のミニチュア版として創作するのではなく女性の創作をしていくべきなのですね。

文学・マンガはスポーツに比べるとやや早めにそういったことに気づき成長していったように思えます。

だけどもスポーツは文学よりもっと男性的と考えられてしまったせいもあるのかもしれません。女性には女性のスポーツの方法、そして体や心の育成法があるのではないでしょうか。

そしてこの考え方がより進歩できればそれは女性運動家だけの話ではなく女性全員に対して正しい心と体の育成法が学べていけるようになるはずです。

 

特に月経というのは男性にないものでしかも女性の心体に深く根差しているものです。それを「男と同じようになるため」に失くしてしまうのは女性の心体自体を殺してしまうことになるのでしょう。

私自身も若い時過激なダイエットをしてしまい無月経になった時期があります。その時「面倒なものがなくなった」と却って喜んでいた記憶があります。が、その時期が短かく回復したおかげで無事に2人の子供を持てましたがあのままおかしくなっていたらと今思うと怖くもなります。

スポーツをするにも月経はある意味やっかいなものでもあるでしょう。けど、女性である以上そのやっかいなものを上手くコントロールしながら生きていかねばならないのですね。

図書館で須永美歌子著「女性アスリートの教科書」を借りてきました。2018年発行で我が田舎図書館にはこれ以外に女性アスリート向けの本はなかったのです。

男性アスリート向けらしい本は数えきれないほどあるのですがたぶん女性アスリートも男性ミニチュア版としてそれらを読んできていたのではないでしょうか。

この本の前書きを読んでも上に述べたようなまだまだ女性アスリートへの指導はこれからだ、ということが書かれています。

女性が男性と同じようにスポーツに打ち込み始めてもう長い年月が経っているのにこうしたことが全く考えられてこなかった、という事実に驚きました。

「女性を捨てる」とか「女を越えろ」とかいうことではなく女性として心体を作っていくことが大切なのだということを今頃になって気づかされたように思います。

そしてそれはスポーツや文学だけでなく女性の生き方そのものに当てはまることなのです。

 


 


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