ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

キャラは作者そのものです

2018-11-30 07:11:46 | 思うこと
「キャラ」というものについてつらつら書いていきます。

「キャラ」=創作の登場人物というのは創作者が創造できる範囲でしか創造できないものです。当たり前のことのようですが、ここは凄く重要なのですね。

つまり創造者が「嫌な人」であれば「嫌なキャラ」しか創造できないし、創造者が「ステキな人」であれば「ステキなキャラ」が創造できるということです。言い換えると「ステキなキャラ」は「嫌な人」は創造できないということです。

そう言うと「そんな馬鹿な。嫌な人間であっても善良で思いやりのある人、というのを勝手に想像すればいいだけのことであって、本人が極悪人だから極悪人しか書けないわけはない」と言い返したくなりますね。でもキャラ、というのは結局設定ではないのです。設定で善良な人、としていても物語の中の言葉や行動にその人の考え方はにじみ出てきます。また物語そのものも作者の創造物である限り作者自身の思想が生み出していくのです。
ごく短いストーリーであればなんとか誤魔化せても(それでもにじみ出てくると思えますが)長くなればなるほど作者自身が投影されてくる。
例えば男主人公であれば、相手の女性の扱いをどう描いているか、敵をどう描いているか、主人公が何を好敵み嫌うか、何を優先するかすべてが創作者の知識と思想から生まれるしかないのですから作品は創作者そのものなのです。無論、その作品が巧妙に作られていて深い洞察力によってのみ見破られることもあります。

上の文章は極端な表現で書きました。人格がそう簡単に「嫌な人」「ステキな人」だけで割り切れるわけではないし、そういった嫌な人ステキな人も個人によってそこが魅力であったり興味を失ったりもするからです。だからです。キャラの特徴は細やかなもので言動の端々にそれは現れます。

例えば多くの人が二次創作をやりますね。ある作家が創造したキャラはその作家の人格です。それはとても魅力があります。技術を持ったファンはそのキャラを使ってパロディを描きます。キャラの特性が上手く利用されているほど二次創作の価値は上がります。ずれてしまうと価値は下がります。元キャラより良い人になればより良くなるわけではないのです。その絶妙さは元の創造主だけが持つ魅力です。そのキャラを創造できる人格は他には代えられないのです。
テクニックのあるファンは元の創造主より技術的には上だったりもします。それでも創造主を越えることはできません。創造主の人格で生まれたキャラは唯一無二だからです。
そして二次創作で人気を博すテクニシャンもオリジナル作品では輝きを失ってしまうのです。それはキャラというのが想像で作られたもののようで創造主の人格そのものだからでしょう。

よく学生のような若い作家志望者が「かっこいい(可愛い)キャラが作る秘訣はなんですか?」と問いかけ「本を読みなさい。人生経験を積みなさい」と答えられ不満そうなのを見ますが、結局はそれでしかないのですね。
人生経験や読書で本当にカッコいいものはどういうものか、可愛いというのはどういうことなのか、を自分の血肉で知らなければキャラを生むことはできないのです。
うわべだけそれなりに描けても本質の部分で「凄い作家」の描くキャラには負けてしまうのです。
なので二次創作が流行るのはそうした「凄い作家」が生んだ魅力的なキャラを自分が生み出すのは無理だと知っているからなのですね。

たまにごく若い作家が魅力的なキャラを生み出すこともあります。本当にそれは天才です。しかしその天才がずっと続くかどうかは別の話です。それもできる人もいるでしょうが、そんな特別を才能を求めても仕方ありません。


キャラクターについて考えようとして検索したらば、外見のことばかり書いてる人がいました。マンガであればそこに最初目が行くのは当然ですが結局読者は中身を読んでいるものです。体の形とか目や髪の色とか大体わかれば良いくらいの問題です。そこにだけ集中して描きたい人はそれはそれで勝手ですからいいんですが、読者はその人が何を考えているかどう話し行動するか、を見ているのですよね。

素晴らしい作品に感動して自分も同じような素晴らしいものを作ろうとしても絶対に違うものになって出来上がる。それが小説でもマンガ・アニメ・映画などでもその作品はその創造主そのものだからです。
誤魔化すことはできないのですね。

ヒーローとヴァージン~主人公造形について

2018-11-29 07:15:30 | 思うこと
「正義の心」を持つ主人公が好きだと前回の記事で書きました。これを書くために主人公というものは、と検索をしていて面白いものに巡り合えました。

新しい主人公の作り方 ─アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術


先に見つけたのはこちらですが

いま、求められている「新しい主人公」の作り方
――物語の語り方が変わってきている

【インタビューゲスト】キム・ハドソン、シカ・マッケンジー


これは創作をしている方は凄く面白いのではないでしょうか。
「ヒーローの物語」は男性的です。天命を受けた主人公が旅立ち敵と戦いすばらしいものを勝ち取る。天命は何かの目的であったり追放されたりもあるでしょう。敵も災害であったりドラゴンだったり恋のライバルだったりするわけです。そして成長だとか平和だとか美しいお姫様だったりを手に入れるわけですね。
一方「ヴァージンの物語」は内省的なものだというのです。女性的ではありますが男性の場合もあります。女性はどこかへ旅立つというより自分がいる場所で自分自身を見つめ成長していくわけですね。

上のインタビューから引用させていただきます。


「ヒーローの物語(英雄の旅)では、コミュニティーを守り、コミュニティー自体は変化しない。村を安全にするためにヒーローは出て行って悪者を阻止し、殺さなくてはならない。帰ってきて、村や人々は元のままである。平和でよかった、という感じですね。
でも、ヴァージンの物語では、人々もコミュニティーもともに成長していきます。人々はヴァージンを愛するためにしかるべき居場所を作り、彼らもまた変化するのです。これはヒーローと正反対です。また、ヒーローの物語を前に進めるためには、常に「危機」が必要なのですが、ヴァージンの物語は、キャラクターが「本当になりたい自分」や「愛」などを知って強くなっていき、話が進展していくところが最大の違いです。ですから、一難去ってまた一難という構造ではありません。北米の人々は、2つの違いを見分けるのに、とても長い時間がかかります。なかなか違いがわからない。」


これはアーシュラ・ル・グィン「ゲド戦記」(アニメは知らないのでそちらを想像しないでください。あくまでも小説のほうです)の1巻が「ヒーローの物語」2巻が「ヴァージンの物語」とそのまま当てはまると思います。ル・グィンはすでに考えていたのでしょうね。

「正義の心」は「ヒーローの物語」にも「ヴァージンの物語」にも通じるとは思うのですが、どうでしょうか。

ヒーローの旅が遠くへではなく一歩外へ出ることの場合もあるし、おじさんがヴァージンの如く自分を見つめ変化していく話もあるというのも考えられます。
というより今は男性こそ自分を見つめ変化することの必要性があるのではないかと思うのです。そういった物語は求められないのでしょうか。


主人公造形で一番大切なのは「正義の心」

2018-11-29 06:27:38 | 思うこと
「電脳コイル」が話は面白いのに登場人物に物凄い拒否反応があってそれは極端に悪いキャラではないはずなのに何故だろう、と思いめぐらせていました。
今日からアマゾンプライムで「少女革命ウテナ」を見始めてこれが実に面白いのですね。一見「電脳コイル」は本格的サイバーSF仕立てで「ウテナ」は(ウテナと打ったら台と出て来たよ。なるほど~)軽い少女マンガラブコメみたいに見えるのかもしれないけど、その内容の重さは「ウテナ」のほうが何倍もあると思います。まあそういう「何倍」とかいう比較をするべきではないのだけど物語の本質っていうのがどこにあるのかですね。

そして思っているのは創作作品に絶対的に重要なのはキャラクター造形、なんですね。アニメ・マンガだとその表面上の造形に目が行きがちでそれももちろん大切ですがその表面的造形と内面造形が組み合わせれてキャラクターになる、という当たり前のことなんですけどね。

私にとって主人公キャラクター造形の一番重要な部分は「正義の心」だと思ってます。「正義」というのは結構厄介な言葉ですね。人によって様々に解釈されてしまい場合によっては悪の方向へとも行ってしまうじゃないか、という批判をされてしまうものでもありますが、それも含めて「正義の心」は面白い、と思っています。そういう信念を持った主人公に惹かれますし、萌えます。
そういった一途さは最高にエモいのです。

これもあって正義の心の描写が薄い「コイル」の登場人物にはエモさを感じないし、「ウテナ」はコレ全開アニメなのでエモさも究極ということになるのですね。

実はそんなに好きじゃないけど「デスノート」の夜神 月も「正義の心」キャラなのでとても面白いです。作品としては好きじゃないんですがやっぱり面白いですね、正義の心は。
勿論正統派「正義の心」は大好きです。一途な正義の心は時に暴走し、時に自分や他人を苦しめてしまいますが、そういった葛藤もまた面白いのです。

「進撃の巨人」の面白さも主人公エレンの「駆逐してやる~」という「正義の心」の頑なさが必要でした。「どーでもいい~」みたいなのはつまらないのです。

人によっては「正義の心」とか気持ち悪い、軽いのが良い、という好みもあるでしょう。それを否定はしません。でも私自身は「正義の心」を愚直なまでに貫き通す主人公の末路を見たいと思うのですね。
それがどんな「正義」でどんな変革をもたらすか、自分自身をどう変えていくかが見たいのです。
「正義の心」を持っているけど体力はなくて苦しみ周囲の力に助けられて戦う、というのもいいじゃないですか。「血界戦線」の魅力はそこにあると思います。
「ヨルムンガンド」はヨナの「正義の心」で守られています。

アメリカ映画の一番のヒーローは誰か?という問いかけでアメリカン・フィルム・インスティチュート1位が「アラバマ物語」グレゴリー・ペックが演じた弁護士だったのが納得でした。2位インディ・ジョーンズ、3位ジェームズ・ボンドを抑えての弁護士さんです。さすが正義の国の1位ですなと感心しました。

「正義の心」イコールハッピーエンドではないし、イコール正しいでもないです。むしろ間違っていたり、狂ってしまいさえする。人々から石を投げられ嫌われ孤立しもする。そういう苛烈さを持ってしまうことを含めて主人公には「正義の心」をもっていて欲しいのです。

「電脳コイル」

2018-11-28 20:39:53 | アニメ


この作品を見て「主人公とはなにか?」と考えてしまいました。本作の場合、主人公だけじゃなく登場人物すべてにかかってくるのでもありますが。

地方都市を舞台にしたサイバー絡みの庶民的な物語という設定はとても好きなジャンルだしストーリーも良いと思うのですが、どうしても登場人物に好意が持てなかったのです。

登場人物と書いたのは主人公だけじゃなく、その周囲の友達親族みんながどうも好きになれない。キャラデザインという絵の問題だけじゃなく人格そのものに惹かれないのですね。これでは肝心の内容も評価しづらいものとなってしまいました。

特に一番嫌なのは主人公のヤサコでこの人の性格がどうしても馴染めません。優しいのヤサコということらしいですが、優しいのか?別に優しくなくてもいいけど、(逆に意地悪なヤサコだったら面白かったかもですが)奇妙に近づいてくる感じが気持ち悪かったです。
二番目に妹。汚言症で近づきたくない人物です。幼いからというのであれば大人になってからにして欲しい。
三番目にイサコ。勇ましいのイサコとのことですが、ただカリカリしてるだけに思えました。(逆に弱虫のイサコであれば以下略)
四番目に面倒なので他全員です。なんだかこのアニメの世界の住民たちとはお付き合いしたくない感じです。地味にじめーーっと陰湿な差別意識がありますし、それを意識してないのが怖ろしいです。
あちこちに入る恋愛要素も自分にとって気持ち悪いものでした。

やっぱり相性が悪い、ということはありますね。
SFの知識としてこういうアニメもあったというデータが増えたことでなんとか耐えられますが、それがなければ見たことを後悔するものです。
他の方のレビュー的には好きな人や凄い作品だと絶賛されているかたも多く見られるので完全に相性の問題だと思います。
ここまで嫌だと思うこともそんなにないですね。
どうしても好きにはなれませんでした。


「アメリカ“刑務所産業”」

2018-11-28 05:56:59 | ドキュメンタリー


「アメリカ“刑務所産業”」

このドキュメンタリー、本当に怖かったです。
アメリカって良いなと思う部分と恐ろしいと思う部分が極端です。

日本って駄目だな~と毎日言ってるようなところがあるんですが、アメリカの闇ってまじで怖い。ディストピアっていうのはアメリカの中にすでにあるのだと思わせられました。

「アフリカ系アメリカ人として、アカデミー賞で初めて監督賞を受賞したロジャー・ロス・ウイリアムズが手がける。刑期を繰り返した親友の死をきっかけに取材を始めた彼は、黒人を標的にする警察と差別的な判断を下す司法が“刑務所産業”を支えていると指摘。企業が群がる市場規模は9兆円に達し、“受刑者数を多く・刑期を長くする”傾向を生んでいるという。世界の公共放送が参加する「Why Slavery?」シリーズの5本目」

ドキュメンタリーを進めていくのは『ぼくと魔法の言葉たち』の監督ロジャー・ロス・ウィリアムズ。私は不勉強で彼を知りませんでした。なのでこのドキュメンタリーの中で自身も高校時代に友人と麻薬売買を行っていたという話を聞き、この人は何者だろうと思いました。
ロジャー(監督)は「この町にいたら自分はダメになってしまう」と考え町を飛び出すのですが、友人トミーはそのまま町にとどまり犯罪を続け「アメリカの刑務所システム」に飲み込まれてしまった、というのです。
「アメリカの刑務所システム」とは何なのでしょうか?

アメリカでは現在200万人以上の受刑者がいるそうです。その大規模な人数は儲かるビジネスを生み出しているのだというのです。刑務所内の電話は法外な価格をつけることができ、刑務所内独特の家具が製造販売がされて大きな利益となっています。また貧困層は高額な保釈金を払えず保釈金業者から借金することになりその返金支払いに苦しみます。
受刑者たちは刑務所の運営を自分たちで行いますが、その労働に対して一般の最低賃金以下どころか1ドル以下のの給料しかもらえないか、ただ働きの場所もあるのです。
しかも受刑のための費用がかかるとして多額の借金を背負うのですが、この賃金では到底返すことはできず借金を抱えたまま出所しますが、無論働き口はたやすく見つからず再び犯罪に走るか、収入を得られなければ借金の返済日を過ぎた時点で再び逮捕されるのです。州外に逃れることはできません。

このどちらにしても刑務所に送り返されてしまう、という無限のループからは逃れることはできないとロジャーは語ります。
この刑務所システムに組み込まれてしまうのは貧困層であり、その多くが黒人です。

アメリカは奴隷制度を廃止しましたが、この刑務所システムという奴隷制度からは逃れられないのです。

本来ならば・・・と番組は問いかけます。
この刑務所システムにかかる費用を犯罪者を更正することに使えるはずではないのか?と

だけども「金が儲かる」という呪文はあらゆる不正を歪ませてしまいます。
貧しい人々の人権を踏みにじったとしても「犯罪に対する当然の報いだ」という言葉で正当化してしまうのでしょう。
それを改善していくという道はあえて見つけたくないのです。そこに利益はないからですね。

ディストピアは怖い、と思っていましたが実はもう私たちはその中にいるのかもしれません。



このドキュメンタリーで思った別のこと。

この放送のディレクターであるロジャーは幼いころから自分がゲイであることを自覚していたと言います。それを許さない田舎町では自分を隠さねばならず、そのためもあって町を出ていったと。
ゲイである、という「人と違う特徴」が自分を救ってくれた、とロジャーは語りました。

友人だったトミーは自殺し、ゲイであることに悩んだロジャーは町から逃げ出して映画監督となり友の死でアメリカの闇を知る。

人生はどうなっていくのかわからないものです。