ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「少女革命ウテナ」リアルな少女の革命の物語でありました

2018-12-08 07:28:07 | アニメ


最近こんなにワクワクしながら見たアニメはありませんでした。一人一人のキャラクター、ひとつひとつのエピソードに意味があり世界を物語っている。そんな作品でした。ちょうどこのアニメを見る前に考えていたことがありました。それはキャラクターとはなにか、主人公特にヒロインとはなにか、ということです。そしてキャラクターと物語の関連性はどのように関連していくか。そんなことを考えていた時に偶然見たのはどういう巡り合わせだったのでしょうか。この作品は私が問いかけた疑問の答えそのものだったのです。
 
ウテナとアンシー、そして登場するキャラクターたちの一人一人が私が考えていた物語とキャラクターの関連性についてはっきりと答えてくれました。すべてのキャラクターと彼らが表現するエピソードがつながることでタイトルが示す「少女革命」になる。しかもそれが生々しく描かれるのではなく魅力的な可愛らしい少女と華麗な青年たちの軽妙な喜劇として表現されています。絵柄の明るさ、正確なデッサンと自由奔放なデザインの楽しさも相まって夢中で全編を見続けました。当然ですがこういう惹きつける力というのも創作に必要なものですね。


以下、ネタバレになりますので、ご注意を。





そして「少女革命ウテナ」を見終えて思ったのは「これは決してファンタジーではない」ということでした。奇抜な発想が散りばめられていますがこれはリアルな物語でした。
現実をそのまま写し取った、といってもいいのです。
ウテナは憧れの存在として描かれていますが、実際にも彼女のような女性はいます。彼女たちはウテナと同じように男たちと戦い勝利します。そしてウテナと同じように男たちに翻弄され同じように最後の扉を開けることができないのです。

アニメではそれをカリカチュアして「剣による決闘」という表現としていますがそれは例えば様々な試験であったり、会社でのやりとりであったりするのです。
先日東京医科大学入試問題がありましたね。優秀な成績から入学させると女性ばかりになってしまう、という奇妙な理屈で女性が落とされ点数で負けたはずの男性が入学する。ウテナは決闘で勝つのですが、社会はウテナを受け入れないのです。最後の扉を女性は開けることはできないのです。

アンシーのような女性は例をあげるまでもなく数多くいると思えるでしょう。特に日本には多く存在しています。男性を一途に愛し尽くすことだけに人生を送っています。それが役目なのです。伴侶である男性が他の女性と付き合っていても微笑んで見守るのが貞節だと自分に言い聞かせています。
男性の気分で自分を求める時はそれに従い、男性が邪魔だと言えば友人でも排除してしまう。「目をつぶってしまいました」というセリフが悲しく感じられました。
アンシーはいつも目をつぶり、微笑む。彼女は自我を持ちません。
そして自ら望んで愛する男性のために自分を犠牲にして苦しみ続けるのだとその愛する男性から言われてしまう。男はより前進しようとするだけで愛するはずの女性アンシーが全身に剣をつきたてられていても見ようともしません。
家事・出産・育児・教育・舅姑の世話・看病・介護・夫の浮気に対する苦悩・諦め・夫からの暴力にも耐えてこその薔薇の花嫁だとアンシーは言われ続けるしかないのです。そしてアンシーはそれこそが愛情なのだと疑いもせず自分の全身に剣が突き立てられていても我慢しているのです。
アンシーがインド風のデザインになっているのは現在までのインドでの女性の地位をイメージしたことからでしょうか。(かつての因習とはいえ)ヒンドゥー教での夫の葬儀にはともに生きたまま火葬されるというイメージが反映されているように思えます。またアンシーの声が甲高い少女の声ではなく落ち着いた雰囲気でされているのもアンシーが単純な少女でないことを示唆しているようにも思えます。
アンシーを見るのは最初から最後まで辛いことでした。
彼女はウテナの友情で幾度となく本心を表し立ち直れるように思えて、結局簡単にはいかない。それほどアンシーの縛りは固いものなのです。自分を助けようとするウテナをアンシーは憎みさえします。軽蔑もするのです。「あなたに私を助けることができるの?」
「おまえは薔薇の花嫁」美しく思える言葉は男性が女性を奴隷として自分に仕えさせる呪文でしかありません。

男装をし、じぶんを「ぼく」と言い、気高い心を失わず成長したウテナは男性たちの欲望をかきたてもします。
ウテナのりりしさはまだ目覚めていない少女の処女性の表れでもあります。
男たちはその才能を賛美しながら「これからはその才能を使わなくてもいい。俺がお前を守ってやる」と言い「俺の女になるんだ」という言葉は女性に対しての誉め言葉としてウテナに向けられるのです。

王子様=男性の力を持つ、ことを目指して成長してきたウテナは大きく動揺していきます。

男と同じ能力を持つことを当然として学生時代を経たウテナたちは懸命に勉強し受験しますが、女性だからという理由で合格していてもふるい落とされます。
負けるもんかと努力して会社で働いても女性だからという理由で採用されず昇進できないウテナたちがいるのです。
そして結婚して子供を産むのが女の幸せじゃないか、とここにきて言われるのです。これからは俺が守ってやる、と言われるのです。(実際には守れないのですが)
長い間王子様を夢みていたウテナは動揺します。
思春期に異性に惹かれるのは当然です。
大人の男性の力強さは特に魅力的に思えます。未経験の少女に何が正しくて間違いか、それは体験しながら進むしかない。でも時として運命はとんでもない事態へと少女を導いてしまう。
暁生のような男性を好きになり体験をしてしまうことはウテナがしっかりしていなかったせいなのか。冬芽のような男性であればそれはひとつの経験でしかないけど、ウテナのような少女には取り返しのつかない事態となってしまうのです。

ウテナの女性への成長はアンシーを失望させます。それはウテナが本当に王子様だったら私を救ってくれるかもしれない、というアンシーの願いを裏切られた失望でした。
しかしそれは自分が依存する王子様を男性からウテナに変えただけのことであるのをアンシーはまだ気づいていません。
ほんとうにアンシー自身を救えるのはアンシー自身でしかないのです。

そうです。この物語のほんとうの意味は「少女革命アンシー」だったのですね。
皆がウテナのことを忘れ、暁生が「あいつは結局落ちこぼれだった。新しい革命者を探すか」と嘲笑うのをアンシーは「あなたは何も気づいていないのですね」と言い放ち颯爽と暁生の部屋を出ていく。

薔薇の花嫁のドレスを脱ぎ捨て髪を解き明るい色の衣服を身に着けて迷いなく前を見て進もうとするアンシー。
「こんどは私が行くから。どこにいても必ず見つけるから。待っててね、ウテナ」
今までずっとウテナ様としか言ってこなかったアンシーが「ウテナ」と名前を呼んだ時、不覚にも涙があふれてしまいました。
アンシーはもうウテナに依存するために彼女を見つけようとしているのではないと判ります。
今度は私があなたを助ける、とアンシーは思っているのです。
人は誰かに愛される時ではなく誰かを愛するときに本当に強くなり本当に幸せになれる。
アンシーはウテナから守られ愛されることだけではなく互い守り愛されることが大切なのだと、それが少女の革命なのだとこの時知ったのです。

OPはこの物語の全編をイメージしたものであるようです。OPのラスト近くでウテナだけではなくアンシーも騎士の姿で馬にまたがって戦う姿勢を見せています。
ウテナとアンシーが前後しながら駆けていく様子はすでにこの時点で二人の将来の姿を暗示していたのだと言えますね。
その後にウテナがひとりで眠っている絵になります。不安がよぎります。

でも、その続きは物語のラストの二人の言葉のやり取りで表現されているのです。
「いつか一緒に」
ふたりの手は結ばれています。



細かい話もいろいろとしたくなりますね。
男性が悪役で配置されている本作ですが、非常に魅力的であるのも少女の目から見ればやはり異性がどんなに少女の心を惹きつけるのかを表していますよね。特に暁生の男性的魅力は破壊的です。ぞくぞくする重々しいエキゾーストノートのスポーツカーが彼のイメージとはなんというかっこよさでしょうか。浅黒い肌に銀色の髪、魅惑的な眼差し、大人の色気、凛々しいウテナが落ちてしまうのも仕方ない気がします。世界の果て、という一見かっこよさげな異名が実は王子の成れの果て、という物凄い皮肉でした。

一方、一見イケメンの冬芽と西園寺は道化役でもあります。本作では男性は年若いほど理想の男性として描かれていますね。何でしょうか。性的欲望を持った途端に王子は王子ではなくなる、という気がします。
幹や石蕗のほうがよりしっかりした優しい男性のように思えるのですね。
 
影絵少女たちの活躍も圧巻でした。いろんな方法で物語の説明をして道しるべ的役割を果たしてくれました。「かしらかしら」

チュチュ。少女向けアニメに必ず登場する小動物の役割。可愛くてなごませてくれましたねー。最後、暁生がウテナの悪口を言う時、反抗するように背中を向けていたのが印象的でした。


リアルな物語でした、と書きました本作「少女革命ウテナ」が作られ放送されたのは20年も前ですが、現実の少女革命は行われたでしょうか。その時から少しでも進んだのでしょうか。
何度も書きますが大学入試問題・成績が上でも女性は落とす、事件を見ていると相変わらずウテナは扉を開けられないのだと思い知らされます。
痴漢というやつや婦女暴行などの事件が相変わらず多発し、伊東詩織さんの問題など、母子家庭の貧困さ、妊婦の受診料上乗せ、数限りなく女性を苦しめる日本の事態はますます悪化しているとしか思えません。
アンシーが旅立つ時は来るのかとすら思えます。
女性自身が強くなり戦わなければならないのですが、それを阻止する世界の果てたちが多すぎるのです。
どうか少女革命がほんとうになりますように。
ウテナとアンシーが再び手を握り合えますように。
全ての人に薔薇が届きますように。


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