ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「A3」森達也・読了

2019-01-28 07:14:09 | 評論・随筆


先日紹介した森達也著「A3」読了しました。

無料公開ということでネットで紹介されていたものです。この機会がないと申し訳ないけど読んではいなかったかもしれないのですが、本当に読むことができてよかったです。森達也氏の「この本を読んで欲しい」という強い願いも感じられました。



私は1963年生まれですので地下鉄サリン事件が起きた当時(1995年)は32歳です。結婚もし、子供も産んでいました。そんな中でのオウムの一連の事件は恐怖でありました。とくに坂本弁護士一家殺害事件は赤ちゃんを含む殺害だったこともあり、とても許せるようなことではありませんでした。
それでもただただ恐ろしく、おぞましく今日に至るまでほとんど本に書かれたもので読んだのは村上春樹著「約束された場所で」くらいではないでしょうか。
すでにそれも遠い記憶になっています。ただ「約束された場所で」は悪いわけではなかったのですが、それほど私には深い印象を与えてくれなかったように記憶しています。とはいえそれは記憶の中のことなので今読み返してみればまた違った感想になるのかもしれません。
近々読み直してみたいとも思います。

と書くと私がオウム事件に興味が無いようですが、そういうわけでもないのです。当時を覚えている方ならその頃のTV報道がオウム一色だったのはご存知でしょう。私もそういう報道はかなり見ていました。あまりにも見ていたのでそれ以上本で読むほどではないと思ったのもありますし、本で改めて読むのにはある種嫌悪感がつきまとうのもありました。まさか読むことで自分が引き込まれてしまうという予防線を張ったわけではないのですが、自分が絶対にそういう宗教にはまったりはしないという自惚れを持つのもいけないのでは、とも思っています。
まあそんな気持ちもあってオウムについて書かれた本は敬遠してきました。

さてやっと本題です。
そういう私にとうとうページをめくらせた「A3」読んでいくうちに思ったのはこの本に書かれているのは報道されていた当時自分が感じていたことと全く同じだ、ということでした。

以下、ネタバレになります。




森達也氏の考えが自分が考えていたことと同じ、という言い方はおこがましいようですが、自分としてはあの頃TV報道を見ていた人は同じように考えているよね、と思っていました。

というのは膨大な報道を見て聞いていると「結局これは教団の誰もかれもがいろんな役割を分担して巨大な力を持って行動したために誰か一人が凶行を命令したのではなくみんなが一つの思いを供用して起こした事件と言うわけなのだ」としか自分は思えなかったのでした。そのために報道を見ていた人ならほぼ皆そう考えただろうとなんとなく思っていたのですが森氏によれば世間はそう考えていないし、自分の考えは異端のようだということで森氏の考えがほぼ自分と同じだったと感じた私はここにきてちょっと驚いています。

私が森氏の考えをきっちり受け止めているかはわかりませんが、自分が当時思っていたことをこの著書が一つ一つ裏付け調査してくれたような感覚で読み進めていました。
と言っても森氏は現場で直接色々な体験をしかも壮絶な体験をしてきたわけで、自分の考えと違った意見を持つ人たちとの軋轢には疲弊してしまうことでしょう。
特に裁判所内での麻原を詐病だと断言して何の処置もしようとしない(すでに、しなかった、ですが)ことは奇妙なことです。

「同じ考え方」と書きましたが、これから先は、森氏の表現で私も導かれていきます。氏が幾度となく念を押すように「文章には必ず主観が入る」わけです。

裁判中の麻原の奇行は詐病だとして死刑判決をし、そして死刑執行。しかも弟子を含め13人の死刑執行を急いだ、という現実は何を意味しているのでしょうか。
麻原の刑務所内での精神の破壊はほんとうに自然のことだったのでしょうか。そのことは誰にもわからない。いや、誰も知らないわけはないのです。
しかしそのことが公になるのはいつの事か。永遠に謎のままで終えることができるのでしょうか。

日本、という国は奇妙な感性をいくつも持っています。今ここでそれらを並べ立てはしませんが「悪い(と思われることは)きれいさっぱり消し去って何もなかったことにしてしまいたい」というのが一つです。
この一連の事件はオウムそして麻原という異常な悪の仕業でそれをさっぱり消し去ってしまえば日本は元通りの美しい国になる、と誰かが考えたのでしょうか。
でもそうではないことを皆薄々感じているのです。
そして森氏は強くそう感じたのでしょう。自著を無料公開してもその恐ろしい予想を多くの人にして欲しいと思ったのですね。

本作を読んでいるとオウム真理教の事件が極めて日本的なことだと思えます。
教えに対する熱心さ、まじめさゆえに師の心を忖度し少しでも物事が上手くはかどるように全身全霊で努力する。そのことだけに喜びを感じる。一つ一つの行動に金銭などの見返りを求めていない。もっと強欲であれば計画は破綻していたかもしれないのに。
麻原も含め上層部の一人一人が良い人だった。頭脳明晰だった、と言われる。
それでも麻原がいなければこんな事件は起きなかった?
これらの事件は起きなかったかもしれないけど、違う形での事件は起きたかもしれない。
というより今現在いろいろな形で起きているのではないのでしょうか。
私は現在の政府自体にも同じ恐怖を感じます。
また「ブラック企業と呼ばれる異常な労働環境」「相撲協会」「大学の様々な事件」「学校でのいじめなど」「セクハラや痴漢なども含む女性蔑視が一向になくならない」ことにも同じような気質を感じます。それらの中でも多くの死者や苦悩する人々が出ていても改善されないことはある意味オウム事件と同じ恐怖のはずですが、これらは日常化しないもののようにすら感じているのではないでしょうか。

オウムの麻原と信者に対してはとことんまで追求し分析し続けるべきだったはずなのに処刑することで何も無かったことにしてしまったのです。
麻原の精神破壊に関して将来何らかの公表があるのかもしれません。
ないかもしれません。それを知るすべもないでしょう。

そして日本という国はこれからも「悪いことは消してしまう」というやり方で進んでいくのでしょうか。
 
私は本当はそうではないと思いたいのです。
今までも少しずつ解決してきたこともあるはずです。
少しずつ物事を考えより良い方向へ向かって進んでいきたい。
そう願っています。


「A3」森達也

2019-01-25 07:08:42 | 評論・随筆



森達也「A3」


1995年オウム真理教によって地下鉄サリン事件が起きてからすべてが変わってしまった、ということをその時代に意識を持って生活していた者の多くは感じているのではないでしょうか。私自身は物凄くそう思っています。

しかしこの事件、そしてこの宗教について話すことは難しいというより先に恐怖が勝ってしまいます。

考えることにも距離を置いてしまっていたのですが、やはり知り、考えねばならないのだと思います。
まだ読み始めたばかりですが、多くの人にも知って欲しくこのブログでもリンクを貼らせていただきます。
同時に知ったYouTubeもリンクします。

『クラウド 増殖する悪意』森達也さんライブトーク@ふらっとすぽっと!




夫婦ということ

2018-11-26 05:44:10 | 評論・随筆
ノムさんの告白「沙知代よ、君がいない毎日は本当につまらなくて」


ありきたりの表現しかできないけど、思わず泣いてしまう文章でした。妻を亡くした夫の文章は悲しいものかもしれないけど、ノムさんの伴侶・野村沙知代さんの一連の出来事を覚えている人であれば、より涙を誘うものではないでしょうか。

正直言って沙知代さんは一般日本人の女性価値観からしたら「しとやかな日本撫子」のイメージではなかったでしょうし、はっきり嫌ってる人もいたでしょうし、面白おかしく見ていたりもしていたのではないでしょうか。私も「すげえな、この人」と思ってました。それ以上にそんな女性と離婚もせず暮らしているノムさんに感心していましたが。だって日本野球界で屈指のキャッチャーであり名監督であり超人気者だったノム氏の奥様がとんでもなくぶっとんだ(日本女性としては)女性だったのですからね。

そんな記憶がまだ薄れることもないのですが、このノムさんの文章を読んで本当に夫婦というのは不思議なものだと思えました。
昔と比べ、自分の意志で結婚でき、合わないと思えば離婚することも容易くなりました。結婚だけが人間の取るべき道行きではないかもしれないけど、人はまだ結婚という選択をする。いや、別に結婚という形式を指しているわけじゃなく、誰か特別な人を見つけ、寄り添い共に生きたいと願うのは時代が移り変わり結婚という形が様々に変化しても続いていくのではないでしょうか。
そうして長い時間を共にしていけばどんなに愛し合っていたとしても小さなすれ違いができ、関係が歪み軋んでいく。そんな中で見切りをつけ分かれるのか、それとも関係を修正し新たな道を見つけ出しながら進むのか、それはどちらが良いとかではなく、それぞれの人々の生き方でそこからまた私たちは様々な体験や思い出を自分の宝物もしくはデータと言ってもいいんですが、残していくことになるわけですね。

それだからこそ人は寄り添う相手には優秀な人・美男美女・優しい人・器用な人・健康な人・誠実な人・財産家・価値観が合う人、を求めていくのだと思います。そういう相手であれば長く添うのも楽だからと、誰もが思うものでしょう。よくよく見極めて相手を見つけないと損をするわよ、ということですね。そう、損をするのです。
でもノムさんは連れ添った沙知代さんがそういう人ではなかったと書いていますね。嘘をついていた、会話もあまりなかった、性格も考え方も正反対だった。温厚な自分でも何度も怒鳴りつけようと思ったか。不思議です。やってくれたのは仕事が下手だった時にはずばずば文句をつけられる。ほとんど褒めてくれない。
そんな女性がいなくなった時に(何もない人生)と思ってしまう。

もしかしたら、他の男性だったら「こんな女性と結婚して失敗だった」とかそもそも結婚しないよ、とも思うのかもしれない女性だった(のかもしれない)
そんな伴侶を失った時に人は何が本当の幸福だったのか、判るのかもしれません。


「わたしが正義について語るなら」やなせたかし

2018-11-14 05:42:21 | 評論・随筆


やなせたかしさんのお話をあちこち(ネットとか)で見聞きしてはいたけどちゃんと本で読んだのは(たぶん)初めてです。とてもわかりやすい文章で綴られていて読みやすいのが嬉しい。これもやなせたかしさんの特別な才能でありますね。
そして書かれている言葉が凄く共感できることばかりでした。

じつは「アンパンマン」はほとんど見たり読んだりしてなくて申し訳ないですが、あちこちで自然とキャラクターやお話は知ってしまうほどの人気作ですから主人公はもちろんばいきんまんだってしょくぱんまんだってメロンパンナちゃんだって知っています。

そうした人気キャラを生み出したやなせたかしさんは、みんなが知ってる歌を作詞し(たとえば「手のひらを太陽に」)手塚治虫アニメ「千夜一夜物語」のキャラデザをしたりした凄い人です。

他にも無名の時期にNHKでマンガの先生として出演してたり「詩とメルヘン」の編集長だったりいろんな舞台美術をしていたり、驚くばかりですが、ご自身は絵を描くのは好きだけど一番になるように上手くはないと謙遜されています。

マンガ家なのにマンガ雑誌に載ったことがなく、いろんな仕事をしていたけど「アンパンマン」が世に出て認められたのは50歳も過ぎてからでそれ以前は「残酷だ(頭を食べられるから)」とバッシングを受けるありさまだったというのが(噂に聞いてはいましたが)なんともおかしいです。

そんな風で、絵柄からしても優し気でかわいいものが大好きというかんじのやなせたかしさんが「正義について語る」というのはアンパンマンのキャラクターからも感じられることですが、ご本人が戦争に行かなければならなかったこと、弟さんを戦争で失ってしまったことが大きく影響しているのですね。
やなせたかしさんにとって「正義とは戦うことじゃなく、お腹が減った人にあんパンをあげること」というのにとても共感します。

今ネットを見ていても人の言動に対して酷い言葉を書くことが多すぎて恐ろしくもなり悲しくもなりぐったりもします。
なんとかして自分と違う他をおとしめよう、やっつけよう、こらしめようということを互いにやり合っている。確かに言いたいことを言ってもいいし、間違いだということを言って話し合うのは悪いことじゃない。むしろそれがコミュニケーションというものだけど。あまりにも行きすぎてしまった時は少し落ち着いて謝って握手するのもまた良いことであると思うのです。

気に入らない人たちを「来るな」というのではなく、あえて丁重に招き入れて自分たちの考えを落ち着いて話すという方法はないのかと思うのですよ。
人間はそれぞれが違う。でもその違いを話しあって少しでも分かり合う。それが交流というものではないでしょうか。


そしてやなせさんは「正義を行うことは褒められることはあまりない」ということも書いてます。つまり褒められたいのなら正義は行えない、ということだし、正義をやったら誉めてくれるどころか罵られ疎外される覚悟がいる、ということですね。
これも色々なことを思い出させます。(安田さんとか)
やなせさんは会社でなにもないのに残業している中で定時で帰る勇気とか、会社内の悪事を摘発する勇気について述べられているのですが、これらの「正義」も大変なことです。
例えばセクハラをされている人、痴漢をされている人を救う「正義」もあるわけで、そういうのを「自己責任」などと言うべきではないわけですよね。怖くて助けられなかった、というのならわかりますけどね。頑張って欲しいけど。

せめてお年寄りとか力のない人に重いドアを開けてあげるくらいの正義は持っていたいものです。

つまり正義とは嫌いな相手をやっつけることじゃなく(たとえ嫌いであっても)弱った人にあんぱんをあげること、重いものをもってあげて助けてあげること、なんですね。


「ハゲの文化史」荒俣宏

2018-11-13 07:17:51 | 評論・随筆


タイトルは「ハゲ」だけど内容としてはむしろ「ハゲてない」話でありました。つまり毛髪のお話でした。なので本来ならば「毛髪の文化史」としてもいいはずなのに、何故「ハゲの文化史」になったのか?それはやはり「毛髪」というより「ハゲ」という方が人々の心にぐさりと突き刺さり「なんのことだ?治療法か?」などという興味を抱かせる狙いでありましょうか。
とりあえず冒頭「まえがき」は「ハゲ」に関した文章を29ページも書かれているのですが、本文に入ってからは「頭髪」及び「体毛」についての記述でありまして「ハゲ」がどーのこーのという部分は僅かです。なのでこれを読めば「ハゲ」が治る?もしくは「世界のハゲ」について網羅していると期待したらいけません。
とはいえ私は読んでいるうちに「ハゲ」のことなど忘れて読んでいましたけどね。ただし「ハゲ」について深く追求しようとして手に取ろうとしている方ははぐらかされるかもしれませんね。(ハゲらかされはしません)
「世界のハゲ」じゃなく「世界のケ」についてモウラされた本でありました。

まずは人間だけでなく動物でも♀のほうが「色を判別する」能力に長けている、というお話から始まります。「毛」の話のはずなのに「色」とはなにか?それも「毛」と関係してくるのでありました。
特に人間はコミュニケーションを密にするために顔の表情を見る必要があり、そのために顔から体毛が失われてしまうわけですね。顔色を伺うのが女性の方が得意であるとか、赤ちゃんの顔色を見て健康状態や機嫌を推し量るのも女性の役割だったから、という理由づけがあるわけです。

それとは別に私がとても面白かった記述があります。
『中国の古い分類学に「孔子家語」というのがあって、それは体の表皮がどうなっているかを基準としている。
「蟲」という言葉はいまでは「虫」を意味するが本当は「生き物」という意味であった。
曰く「鱗蟲」=魚のように鱗を持つグループ、「羽蟲」=羽があるグループ、「毛蟲(モウチュウ)」=書かれてないが毛のあるもののグループということだろうか、このグループの頂点に君臨するのが麒麟である、「甲蟲」=甲羅のあるグループ。この頂点が「神亀」、そして「裸蟲」=カエルやミミズなどのはだか虫のこと。ここに我らが人間が代表となっているのがありがたい』
いかがでしょうか。
今話題のハダカデバネズミもここに入れられるのでしょうか?
毛や羽や甲羅や鱗がない裸一族の中に我ら人間は分類されていたわけですね。「孔子家語」においては。


さてさてこういう感じでこの本には世界の歴史上の様々な「毛」に関する蘊蓄が収められています。
逐一追ってはいけないので自分の考えを交えながら書いてしまいます。

「毛髪」そして「体毛」について古今東西私たちは様々な意味合いを持ち、好んだリ嫌ったり悩んだりしてきました。
昔を思い出してちょっと不思議なのは70・80年代くらいのアイドルの少女たちは大体ショートヘアだったのですね。古今東西女性の長い髪は圧倒的な性的魅力を持っていて男性はその魅力に惹かれた、とこの本にも書かれていますし、日本でも平安時代の女性を思い出せば長い髪が魅力だったのは当然です。なのになぜあの頃の少女アイドルは髪が短かったのか。はっきり人気があるほどショートヘアで人気がない人のほうが髪が長かったりしてました。
それは多分髪が短いことで「この少女はまだ大人ではないんだよ。子供だから純粋なんだよ」ということを明確に見せてしかもそれが一般に了解されていたんでしょうね。その純潔さが老若男女に良しとされていたのだと思います。
今現在はそういった「少年のような純潔さ」を少女に求める気持ちが薄れたので髪が長い少女がアイドルとしているのだと思います。

また髪の毛には特別な力が宿っている、というのも東西問わずあるわけですね。女性の性的な魔力として、あるいはサムソンのように長い髪に腕力のエネルギーがある、振り乱した髪、が激しい怒りや狂気を意味する、などという考え方もあらゆる場所で共通しています。「HUNTER☓HUNTER」のゴンが怒りのあまりすべての力を出すことが髪が天まで届くほど伸びる、という表現は正しいわけですね。

特にマンガでは髪の形・色などでそのキャラクターを意味付けしていきます。アニメ「トリトン」で色で主人公トリトンの髪が緑色でそのことが彼を普通の人々から疎外されるという設定だったことに心惹かれました。
ブラックジャックは髪の色がツートンになっている、というのが強い印象です。彼の場合皮膚もツートンでより彼が大変な人生を歩んできたことを印象付けさせます。
アトムの髪形も印象的です。こういうことからも手塚治虫のキャラデザインの凄さは破格ですね。

小説でも「赤毛のアン」(これは邦題ではありますが)でアンが赤毛で悩む、という設定は多くの人が共感できることでしょう。赤毛でなくてもくせっ毛だとか毛じゃなくても色々な体の特徴がたとえ小さなことであっても本人は酷く気にしてしまう。
まあ、西洋の作品を見ているとほんとに赤毛はかなり悪く取られていて「小さなこと」ではないのかもしれませんが。なにしろ「赤毛連盟」なんていう小説が生まれてしまうくらいですから。

髪が長いほうが霊感がある。なんてのも興味のある話です。妖怪アンテナも髪でしたし。

さてこのへんでちょっと止めます。
お仕事の時間なので。
夜にまたもう少し、出なれば明朝また書くかもしれません。