ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「一分でわかる!ロジカルシンキング」小野田博一

2019-06-17 07:27:13 | 

まずは「ロジカルシンキング」が苦手とされるもしくはそれが大嫌いというより軽蔑している日本という国の中でそれを有効に用いることも難しいのだと思えますが、だからといって論理思考することをやめるわけにはいかない。これロジカルか否か。イロジカル。

 

ネタバレですのでご注意を。

 

 

 

単純な思考がロジカル=大事。

「広い視点」で考えることに意味はない=これ。この本で一番面白い箇所です。

「広い視点」で考える、というととても頭が良い人のように思えますが実は思考が混乱しているというのが面白い。ここを抜き出してしまうのはヤバいことかもしれません。

広い視点で考えてしまうと思考は混乱する。大切なのは「もっとも重要な点をとらえること」

つまり服を買う時、「こっちはデザインが良い。でもこっちは安い。どっちにしよう?」は思考の混乱。今重要なのは何を基準にするのかを決めるということ。

経済が問題なのか。デザインが問題なのか。

それをごちゃごちゃにして考えるのは論理的ではない。

 

人間はいつもこれをとっちらかしているわけですね。

一番大切なのは平和、とは言う。

しかし「でも、向こうが悪いところが多い」「向こうから謝るべき」とばかり言ってる。

一番平和が大切ならどうすればいいか、を考えていくべき。

あれもこれも、という限り論理思考はできない。

 

交渉はフェアであろう、という項目も顔を赤らめる人が多いでしょう。自分もそうです。100万円の価値がある、と考えたものに「80万円でいいですよ」と言われた時、「100万円支払います」と言えるか。これも難しい。

 

水平思考は論理的ではない=面白い。

 

質問に質問を返さない=これも日本人多いですよね。むしろ頭が良いと思って使ってる人が多いように思えます。

「お隣同志仲良くしたほうがいいとあなたは思わないのですか?」

「それがなにか?」

みたいな。

してやったり!と思ってる感が強いのですが、いつも頭悪いなあと思ってしまうのは当然だったわけですね。

 

冒頭で日本ではロジカルシンキングが成り立たない(ことが多い)ことを書きましたけど、やはり論理思考は大切です。

それは自分を強くすると思います。

なにが正しくて間違っているかを考えることは大切です。

 

論理的思考というと真っ先に思い出すのはスポックですが今彼のwikiを見に行ったら「日本人がモデル」と書いてありました。まじか!最も論理的でない人種がモデル?

イロジカルすぎる。嬉しいけど不可解。

 

そしてヤン・ウェンリー。

彼の論理性を聞いていると論理というのは平和的だと思います。

戦争は論理的ではない。その損失を考えると。

戦争によって急激に発展する、としても緩やかに発展していけばいいのではないでしょうか。

 

はっきりわかるように伝えよう=大切なことですね。難しい言葉ではなく誰もがわかる言葉でわかりやすく伝える。それができる人がもっとも素晴らしい。

 


「音楽が終わった夜に」辻仁成

2019-06-10 20:16:49 | 

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凄く良い本でした。

先日フレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアンラプソディ」を観たこともあって書かれていることが映像のように浮かんできました。

もちろんそれは筆者である辻仁成氏の文章が素晴らしいからに他ならないのでしょう。

ロックミュージシャンを目指してエコーズでデビューしZOOという名曲を作り活躍し、後に作家へと転向し美人女優と結婚離婚を繰り返し今は愛する息子とパリに住みながらもまだなお作家だけでなく様々なクリエイターとして名をはせるというちょっと出来すぎ以上の存在である辻氏。

でもなぜそういう人生を送れるのかは本著を読んでいると判るような気がしてくるのです。

恵まれたすらりとした容姿に加え音楽と文章の才能。そしていつも明るさをもちながら真摯に歩んでいこうとする気持ち、友情と別れの時の切ない思い。

 

実を言うと辻さんを知ったのは辻さんの音楽でなくてブルーハーツのヒロトが辻さんを慕っているということを本で知ったからでした。

私はブルハ好きでヒロトがそんなに慕う人ならもう絶対ステキな人なのだろうと思ったわけです。

その後辻仁成氏はあっという間に作家として有名になっていき、ロックミュージシャンだった人が小説家としても活躍できることに驚きました。

最近はツイッターでフォローしていてパリでの生活を読ませてもらってますが知れば知るほど好きになれる人でツイッターの文章だけでいかに辻氏がきらめく感覚を持った人物なのかがわかります。

「おやすみ日本。とんとんとん」というのが彼の決め言葉ですが、その一文でどんなに多くの人(特に女性?)の心が癒されているのか、と思うのです。

こんな才能を持つ人はそんなに多くはない、というか他には知りません。

 

さて本著、絶対映画化してほしい作品ですね。

今はもうこんなロックの時代ではない、と思うだけによけいにこの世界を映像として留めて欲しい。

良い話がいくつもありますが特に自分がマンガ好きなせいもあって辻さんが漫画家志望の青年と仲良くなり共作しようという話は心にせまってきます。

「凄い作品」が生まれるはずだった。

でも辻さんのほうが音楽に行かなければならなくなって共作が中座してしまう。

「いい加減な奴だな」と言われてしまった若き辻仁成。

もし時期が少しずれていたらほんとうに「凄い作品」が生まれるはずだったのかもしれない。

この本で辻氏はとてもロックを小説には書けない、という。

他のロック小説を読むと醒めてしまうという。

ロックをやっていたわけじゃないけどわかるような気がします。

あの熱い思いや音楽の鼓動を文章の中に封じ込めることはできないのでしょう。

 

と判りつつも映画という媒体なら少しだけでも近寄れるのじゃないかと思い、この世界を映像にして欲しいと願ってしまうのです。


「胎児のはなし」増﨑英明・最相葉月-後半の後半ー  母乳の認識をしましょうという話

2019-06-10 05:17:08 | 

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また昨日に戻りますが全編を通してもこの「疫学でがんを防止する」という話はこの本の最も重要な部分でしょう。

しかしその話は少し間違えば大変な事態になることも示唆しています。

 

昨日も書きましたが妊婦が、がんのキャリアであることを告げることで本人が自殺するかもしれない(自殺はなかったそうですが)夫やその家族が嫌って離婚することもある。これは実際あったそうです。現在であれば家族にも医師からの説明があった方が良いはずです。(これはどうなっているのかはわかりませんでした)

病気というのは隠せば隠すほど悪い方向へと行くように思えます。

オープンにして多くの理解を得ることでしか解決していかないのではないでしょうか。

 

そして増﨑医師は語ります。

こうしたがんキャリアの母乳を止めるという予防を30年間した結果長崎では激減するという結果が得られたのですが、逆に東京で増えている。

これは人口の移動であると。

 

最近ツイッターで「母乳神話」(に対する抗議)というツイートを見ました。もちろん、こういったウィルスがある危険性を言った話ではなかったのですね。

こうした母乳の危険性、という話は私自身この年齢になって初めて知ったことです。つまり自分の育児中というより妊娠中も知らなかった。しかも九州人であるのに。

長崎県以外では知られてなかったこと、というのでしょうか。

そして今東京のほうに増えているという事実。

ただし、増﨑医師の会話では7年前からどんな妊婦さんにも検査は行われていて母乳をやらないよう指導されている、となっています。

それでも国民がこうした事実を知らないのは、というよりこうした事実を知っておくべきだと思います。

 

付随して、たとえこのウィルスを含む母乳でもいったん冷凍そして解凍すればウィルスは死ぬそうです。

ただし最新式の高速冷凍はウィルスが生きたまま保存されます。

昔ながらのじわーっと凍らせる冷凍庫のほうがウィルスが死ぬそうです。

科学の力って負の方向にも作用する、という事ですね。注意しましょう。

 

さてやっと次章、第八章です。

といってもこの章で特に記しておきたいということもないのですね。

ART(生殖補助医療技術)昔は「試験管ベイビー」なんて呼ばれていました。

2015年のデータで国内では48万2627人生まれている。教室に一人か二人いると言われているそうです。

世界では約700万人。 

でも本人の多くはそのことを知らないと。

 

この本にも書かれていますが、長く生きて来た者として実感することがあります。

「妊娠出産は後でできる。今は医療も進んでいるので高年齢での出産も可能だ。女性も仕事に専念せよ」と言われていたのに実際そうしたばりばり働く女性たちが高年齢になった後で「やっぱり高年齢出産は様々な危険がある。卵子も老化し数も激減する。染色体異常も増える」と言い出したのですね。

言い出したのは誰なのか。

いつの間にかそうした風潮が生まれてしまっていた、としか言えません。

現実にどうなるか、やってみないと判らなかった、つまり人体実験されてしまった、ということなのかもしれません。

私自身は影響を受けてはいないのですが、そうした言葉を信じてバリバリ働いてきた女性たちは「もう産めないよ」と告げられて「生むにしても高リスクだよ」と言われてどんな思いだったのか。

実際事実として妊娠率が下がり染色体異常が増えることを証明させられたように思えてなりません。

結局、女性がいうちに働きながら妊娠出産し育児休暇を取ることができ、復職できる社会を形成するのが一番いいのです。伴侶である男性も同じく育児休暇をとって復職できる社会、ということですね。

そして同性愛カップルも代理出産や養子縁組という形を取りやすくできるようになる、そういう事の一つ一つが少子化を防ぐことになっていくのだと思います。

 

終章。

今回のブログ記事を書く前にアメリカのコメディアンの動画というのを見てしまいました。

それは「この国のほんとうの持ち主は未来永劫絶対に教育問題を改善させたくないのだ」という話でした。


奴等がほしいのは「従順な労働者」だ!- ジョージ・カーリンの警告

 

上に書いてきたこともこの動画のジョージ・カーリンの言葉で理解できます。

真実は知らされない、本当に大切なことは勉強できないのです。

バリバリ働いてきた女性たちは真実を知らされず年齢を重ねてしまいました。頭の良い人間だったはずなのにそれを知ることができなかったのです。

母乳神話を鵜呑みにして信じていれば病気になり医療が必要となります。

予防されてしまうよりそちらのほうが儲かるでしょう。

 

誰かが教えてくれるのを待っていては遅いのです。

もちろんすべてを知るなんて平凡な市民には無理ですが、それでも「支配者」たちに抗う行動はしていきたいのです。

本を読み、色々な人の意見を聞きましょう。たとえ、それはわずかであっても何も知らずにいるのはいやなのです。

政府を信じ切ってしまう恐怖を持っていたいのです。

この本一冊だけでも多くの事を知りました。

それがすべて真実なのか、は判りませんが記憶にとどめていく価値がありました。

インターネットではジョージ・カーリンを知ることができました。

世界中で同じように考えている人がいるのです。

私たちは考えなければいけないのです。


「胎児のはなし」増﨑英明・最相葉月-前半ー

2019-06-10 05:00:32 | 

全編、おもしろい興味深い話がいっぱいでした。

まずは表紙の軽やかな絵に安心して入っていけますね。この絵がマジだったりするとちょっと抵抗あるかもしれませんし、お二人の話自体が軽やかなのでこの絵がぴったりであると思います。

 

内容に触れていきます。

 

第一章では染色体について話されます。

人間には二十二対の常染色体と一対の性染色体があり、女性がXX、男性がXYです。これは知っていましたが,Xの中には物凄い数の染色体があって女性はそれを二つ持っているので一つ壊れてもは反対側が働けばいい。だけど男性はひとつしかないので早く死んでしまう、のだそうです。

じゃあ、Yってなんだというと女を男にする役目しかないというのです。Xは「生きますよ」「生きてますよ」という遺伝子があって女性は二つ持ってるのに男性はひとつのXがYに変わってしまったという、なんという不思議なことでしょうか。

男性はこういう話をやたらと「どちらが偉いか」みたいな話に持っていきがちですが、単に役割、ということではないのでしょうか。

 

そして続く話が「胎児についての研究」が怖ろしい犠牲の上に成り立っているという事でした。今ではとても認められない人権無視の行為がかつて行われたことで今の知識が存在するのです。

 

第二章は魚群探知機が妊婦の超音波診断に発展する、という言うお話から先生の生い立ち話、そして逆子体操の話になるのですが、実はこれ、私自身経験しております。

最初の子の妊娠中「逆子になっているので体操してください」と言われ、大きなおなかで苦しい体位をする体操をしなきゃいけないのですが、おかげさまで案外すんなり逆子治りましてほっとしましたが、増﨑医師は「赤ちゃんがいたい格好でいいんじゃない」というようになったそうですw増﨑さんの発言は万事こういう自然体なのがとても好感持てます。他には手でひっくり返すという技もあるとか。「外回転術」という保険診療だそうです。

  

第三章は胎児はまだまだ未知なるもの、という話でした。

十月十日ということばはまだ存在しているのでしょうか。実際の妊娠期間は40週間で一般では最終月経から割り出しているようですが(すみません。これに関しては私はまったく考えたことがないのですよ)増﨑医師はこの方法は違いがありすぎるとして超音波での計測で完璧と言います。赤ちゃんが30ミリで必ず10週目という事から計算していくと、この時期までは個体差がないのですね。

そして、女性の体の中になかった「羊水」というものがどうして妊娠した時に発生するのか。これも何も考えずにいたことですが、「どうして?なぜ?」を考えることが科学ですね。

羊水の初期はお母さんの血清といっしょで生まれる前の成分はおしっこといっしょになっている。つまり赤ちゃんはお母さんの血の中で育って自分の出すおしっこで満たされていくということになります。このおしっこ羊水は再び赤ちゃんが飲むので増えすぎることはないということです。

だけどうんちは生まれるまでずっとためていて生まれてから排出する。なのでうんちで羊水がよごれることはなく、もし汚れたらそれは赤ちゃんが具合が悪いということになるのです。

 

 第四章 胎児を救う!「人」として扱う医療を

難しい話になってきました。

中絶、という問題について語られていきます。

特にこの章において増﨑医師の考えが述べられています。

例えば病気を持って生まれてくる子供をどう考えるか、日本と欧州での考え方の相違。宗教による考え方の相違。

中絶の話し合いで夫のほうが強く主張するとき、増﨑医師はお母さんの意見を聞いているのです、と言うのだそうです。

中絶の手術をするのは辛い仕事なのです、と語られています。そのこと自体にも様々な考え方があるのでしょう。

この本ではレイプでの妊娠を掘り下げて語ることはされていません。それは別の場所で話し合われるべきで当然ですね。

避妊をしなかったための妊娠での中絶。優生保護法による中絶。なんという悲しいことか。

しかし医師としては仕事として割り切るしかないという事実。

産婦人科医の喜びと苦しみが語られます。

 

第五章

前の章が特に苦しい話だったためか、この章は柔らかい話になっています。

特に子宮の羊水の中にいる胎児、を「エヴァンゲリオン」のLCLに満たされる場面と重ねて話されたのが興味深かったです。

羊水の中の赤ちゃんはお母さんから酸素をもらっているので口や鼻で呼吸をしているわけじゃないのにあくびをする、というのもおもしろいです。

そしてしゃっくりも凄く多いという。

ここで増﨑医師はしゃっくりの止め方を最相さんに教えるのですが、私も知っているやりかたでした。ですが、最相さんは知らなかったのでちょっと驚きでした。

私も増﨑医師と同じ佐賀県生まれなのですが「水を入れたどんぶりの前後左右四か所から水を飲むとしゃっくりが止まる」というのは佐賀特有なのでしょうか。

あれはほんとうに止まります。最近しゃっくりでないのでここんとこ試してませんが。

とにかく胎児は呼吸をしなくていいのに呼吸をするような運動をいっぱい練習しているのだそうです。

こうして胎児はお母さんのおなかの中で生まれてくる準備をがんばっているのですね。


「ジャンヌ・ダルクの生涯」藤本ひとみーその2-

2019-06-08 21:15:48 | 

朝の続きです。

 

さて「エクスタシー」です。

 

本著第四章に「エクスタシィを感じるか」という項があります。ここで「神の声はどのように語るのか」という質問に対しジャンヌは自分を助けてくれるという声が聞こえてくること、これを聞くと非常な喜びを感じ恍惚の状態に入る、と答えている、と書かれています。

この時ジャンヌが顔を赤らめていたことからある研究家は彼女が神に祈りながら性的な陶酔を感じる少女であった、と読み取っているというのです。

藤本氏はこの説に疑問を感じています。

「恍惚という言葉をキリスト教的に説明すると脱魂という状態になる」それを捉えた有名な彫像が『聖女テレジアの法悦』とあります。どんなものでしょうか。

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確かに官能的な美しさでありますね。

さらに藤本氏は「脱魂」という極めてキリスト教的な言葉が官能とは何の関係もないように思えた、と書きながらも「脱魂」の原語を調べなんとそれが「エクスタシィ」だったのだ、と目から鱗だったとしています。

しかしそれでも「ではジャンヌは神と一体化したと信じエクスタシィを感じる少女だったのだろうか」となおもいぶかり、ジャンヌの回答が書かれている資料に書かれた言葉を探しあてたらそれは和訳の「恍惚」が当たる言葉は「exultait」であったことをつきとめこれは「大喜びする、有頂天になる」という意味であって性的なニュアンスは含まれていない、と確認したのでした。

入念な探求のすえ、顔を赤らめたというだけでジャンヌの告白を性的なものと考えるのはあまりにも勘繰りすぎだと藤本氏は結論付けます。

 

藤本氏の探求を否定するつもりはありませんし、私自身キリスト教徒ではないので憶測でしかありませんがキリスト教世界において神とのつながりをそれこそ恍惚と感じさせる描写は様々なところで見られるように思います。

まずはエクスタシーという言葉の意味を調べました。

 

エクスタシー【ecstasy】
〔原義は、霊魂が自分の身体の外に出る意〕
① 気持ちがよくてわれを忘れてしまう状態。恍惚こうこつ。忘我。法悦。 「 -に達する」
② 〘哲・宗〙 神と合一した神秘的境地。脱魂。法悦。フィロン・プロティノス・エックハルトなどの神秘主義思想で重要な概念。エクスタシス。シャーマニズムの脱魂。
③ 性交時における恍惚状態。

 

 多くは①と③をイメージしそうですが②にはちゃんと「神と合一した神秘的境地」「神秘主義思想で重要な概念」とあります。

 

別の辞書では

〘名〙 (ecstasy) 感情・官能が高まってわれを忘れ、うっとりとした状態になること。忘我の境。有頂天。恍惚(こうこつ)。

と「有頂天」も出てきます。

 

そしてここで私は映画「炎のランナー」で牧師さんが「走るとき私は神の栄光を感じるのだ」と言ってオリンピックに出場するのですがこの時の走る表情がまさしく「恍惚」とした「エクスタシー」になっていることがとてもエロチックだと感動しながらも不思議であったのですがジャンヌの逸話でなんとなく理解できたように思えます。

あの牧師さんと同じようにジャンヌもやはり神の声を聞く時にエクスタシーを感じた、とするのは間違いではないのかもしれません。その部分は敬虔なキリスト教徒になってみないと理屈だけではわからないように思えます。神の御声に官能を覚えることが性的に勘繰りすぎ、なのではないのかもしれません。

むしろそこにこそ特別な喜びがあるのかもしれないのです。