ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「胎児のはなし」増﨑英明・最相葉月-後半の前半ー

2019-06-10 05:11:02 | 芸術

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さて「胎児のはなし」続き第六章から行きます。

その前に第五章の最後「膣を通るとき肺胞液を絞る」はとても映画的な説明です。それまで液体の中で酸素を得ていた胎児が生まれた途端に肺で呼吸をする。そのために肺がスポンジ状になっていて界面活性剤である肺胞液をつくってためている。

胎児はぎゅーっと狭い産道を通ることでスポンジ状の肺が絞られ肺胞液を鼻からジョジョジョーと出す。それでスポンジのような肺が絞られ外に出た途端パーンと肺が開いておぎゃあと泣く。初めて呼吸をするのですね。

この描写は感動的です。映像作家であれば映画にしてみたくなりませんか。ある場所で生きていたものが突如別世界に行って未知の感覚を知る、という話がとても好きなのです。人間は皆それを一度経験しているということになります。

 

さて第六章は出生前診断について語られていきます。

お母さんがRhマイナスで子供がプラスだった時が判るのは役に立つのですがそれ以外は何の意味があるのかと、増﨑医師は言います。ここが彼の一番の思想になるのです。

生選別も時に中絶につながります。

そしてNIPT胎児の染色体検査そこで陽性が出た場合には羊水検査を必ず受けることになります。現在の検査の対象は18トリソミー、13トリソミー、21トリソミー(ダウン症)の3つの疾患で遺伝子の異常まではほとんどわからないということですが、いずれわかるようになるでしょう、と増﨑医師は言います。

この検査を医師は提示するだけで決めるのは妊婦さん及びその家族ですが「提示するってことは勧めているってことですよ」と増﨑医師は言うのです。

そしてそれを「受けなかった」という人を「正しい選択です」といい「受ける」ことも「正しい選択です」という。

やったから正しい、しなかったから正しい、そういうのはすでに通り過ぎている、と言います。

現在出生前診断においての問題はここにあるのでしょうが、もしかしたら問題でもないのかもしれません。

日本では90%中絶になるそうです。ヨーロッパだとこれがけっこう産む、のだそうです。そこは宗教や福祉の違いなどがあるでしょう。

増﨑医師はこの話はしたくない、とまで言っていて、あるレビューではそのことを避けていたのでこの本は意義がない、と書いている人がいましたが読んでみると増﨑医師の考えははっきりしています。

今の妊娠出産に関する医療は検査が多すぎる。妊婦さんはもっと幸せでほんわかしていて欲しい、人生は色々なことが起きるもの、でも楽しむためのものだ、と。

そういう意見に関しても賛同する人と妊婦の事を考えてない、と感じる人がいるようです。それもまた当然のことなのかもしれません。

私自身は読んでいて確かに増﨑医師の言う通りだと感じました。

トリソミーに関する問題は悩ましいものです。あるいはわかるなら診断を受けてダウン症であれば中絶という選択をあたりまえにしてしまうこともあり、そのことも間違いとは言えないでしょう。

産む選択をする場合には周囲の理解や福祉がないと母親には大きな負担があるわけです。

とても気になることであり今まで幾つかのドキュメンタリーなどを観ましたがそこで語られることはほんとうの愛と幸せを知ることができた、ということでした。そしてそういう幸せを拒絶する社会に対して疑問を投げかけていく姿勢でした。

ただこういう選択を医師が妊婦に対して強制できないのが今の社会です。それはもちろん良いことなのです。

生きていくうえで様々なことがあり、そのたびごとにどうすればいいのか、何が大切なのかを考えていかねばなりません。自分にとって大事なもの、最も愛すべきもの、を考えることで人生が作られていくのだと思います。

 

そして次に二人の話はとても不思議な方向へいきます。

夫婦は他人ですが実は生物学的につながっている、という話です。

家族の中で夫婦と言うのは別々の男女であり血のつながりはないわけですが、DNAでつながっているというのです。

つまり胎児と母親はDNAを通じて情報交換をしているわけですが、もちろん胎児のDNAは半分父親が由来なわけで、父親って妊娠中は外にいて何も関係ないと思っていたが胎児を介して父親のDNAが母親に行っている、ということなのです。

夫婦と言うのは遺伝的つながりはまったくない、と思っていたがこどもができるとつながる、子供を介して父親のDNAが母親の体を巡る、というわけです。

ところが話は進んで妊娠はしなくてもセックスをするだけで男のDNAが女性に入っていく、という話になってきます。

セックスをするだけでも女性は男性のDNAを受け取る。こうして似た者夫婦が生まれる、という話になりますw

 

ところで今からの話はこの本の内容ではなくてネットで仕入れたものですが、恋人たちがキスをしますよね。

あれって何の意味があるのか?何の意味もなくべちゃべちゃしているだけじゃないのか、って思いますよね。

ところがあれって男性の持つ免疫を女性の体に入れ込むことによって女性がより強い免疫を持つ体になるのだそうです。

それでより安全な妊娠出産をするための重要な準備だというのですね。いきなり性交・妊娠・出産するより半年ほど(ここ適当ですが)時間をかけてたっぷりキスをすることで母体の免疫を高め、より強靭で健康な体を作って性交・妊娠・出産することが大切である、と。

本当なのかは知りませんが目からうろこでした。

人間は無駄なことはしていないと。

キスというのは愛情の表現ですね。

やはり愛のある妊娠・出産は素晴らしい、ということなのでしょう。

 

第七章

この章で一番の驚きだったのは「長崎県は母乳を遮断してがんを防いだ」という項です。増﨑医師は佐賀県伊万里市の出身でお隣長崎県で産婦人科医として活躍されていたのですが、その仕事のひとつに「長崎県ATL母子感染防止研究協力事業連絡協議会会長」として」白血病のプロジェクトに携わってこられたとのことです。

成人T細胞白血病(ATL)という病気があって母乳から赤ちゃんに感染する、30年前に長崎県にキャリアの妊婦さんが7パーセントいて全国でも多い地域だったのを「母乳を飲まさない」ことで0.8%にまで減らしたというのです。

がんを疫学で減らした、というのは世界で初めて、という事らしいです。長崎県は30年間それにお金を出した、そして30年前に基礎研究をやっていた先生方がそれを見つけたと増﨑医師は賛辞しています。

でも最初は出る母乳をやらないために母親にがんのキャリアであることを告げなければならない。この時妊婦さんにだけ告げて夫には黙っていたと言います。離婚話をおそれたそうです。

またもっとも自殺を恐れたけど30年間自殺はなかったそうです。しかし母乳をやらないことで姑にいびられたり、離婚はあったそうです。うわあ、となります。母乳をやらないためか、がんのキャリアであることを仕方なく告白したためなのか、どちらにしてもそれで離婚とは。もちろん別の理由からかもしれませんが。

この成人T細胞白血病の治療は十分なものがないそうです。それを疫学で減らした。すごいことですね。

 

今日はここまでにします。

後半の後半はまた後で。よろしく。


パリ・オペラ座バレエ団 4つの小品~フロロン~

2019-03-29 06:07:36 | 芸術

Lumière sur : Les coulisses de Frôlons de James Thierrée

 

FROLONS 振付:ジェームス・ティエレ 声:シャーロット・ランプリング ダンサー:アマンディーヌ・アルビッソン/ヴァランティーヌ・コラサンテ/エブ・グリンツテイン

wowowライブで鑑賞しました。(声は吹替でした)

パリ・オペラ座バレエ団「4つの小品」の一番目の作品「フロロン」振付はジェームス・ティエレ。チャーリー・チャップリンの孫で映画『ショコラ~君がいて、僕がいる~』などに出演した俳優でもある彼がパリ・オペラ座で繰り広げた体験型演劇、とのことです。

パリオペラ座公演会場のひとつであるガルニエ宮はそれだけでも美しさであります官能的で魅惑的な美しさでありますでが、そのガルニエ宮そのものを舞台としてバレエダンサーたちが際立った身体能力での運動はこの世のものではないような怖ろしささえ感じる不思議さに満ちています。

退廃美の衣装をまとったダンサーたちが人間ではない別の生物となってガルニエ宮を這いずり回る異世界を体験する観客たち。

「鉄則は歩き回ることです」と劇場の係員が叫ぶのに誰も聞きはしない。皆茫然立ちすくんでダンサーたち、というより不思議な生物たちに見惚れている。そしてなぜか皆奇妙な微笑みを浮かべているのです。恐怖から、でしょうか。

 

こんな異常な映像を見たことはない気がします。この場にいたら一体どんな気持ちになるのでしょう。

そういえばフランスでは人力で動く巨大なカラクリ人形の行進、というのもありましたね。あれを初めて(テレビでですが)観た時の感動に似ている気がします。

「フロロン」というのは「ぎりぎりで通ろう」という意味だそう。

始め静かに歩いているだけで驚きますが、そんなのは序の口です。説明する男の肩の上に乗っている奇妙な生物ダンサー。謎めいた怪物、階段を上り下りする虫のようなものたち。光る球を持ち、或いは背中にしょって、或いは手渡しをする。

多くの光球を頭に載せた歌姫に群がる生物たち。雅楽の音によって導かれ踊りは終わる。

 まさに悪夢を見ているかのよう。素晴らしい踊りでした。

 

 


引っ越しをしていますが未練たらしくまたここで記事をアップします。

はてなブログに引っ越ししましたのでもしまた読んでいただけるのでしたらそちらでもよろしくお願いします。

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ドラマ『MAGI-天正遣欧少年使節-』予告編

2019-01-20 07:07:43 | 芸術
ドラマ『MAGI-天正遣欧少年使節-』予告編



あんまりおもしろいのでここでもう一度宣伝を。

野村周平主演の歴史ドラマ『MAGI -天正遣欧少年使節-』が全世界180超の国と地域で配信へ 吉川晃司は10年ぶりの織田信長役で登場


私は見始めてまだ3話までですが、思った以上の力作だと感じます。ともに観ていきましょう!



アンディ・ウォーホル

2019-01-15 07:11:14 | 芸術


放送大学「西洋芸術の歴史と理論 第14回現代の芸術」観ました。授業なので受けました、というべきでしょうか。

私は絵画を好きなだけで特別に勉強したわけではないものですが、若い頃、存在する進行形のアーティストで最も有名だったのはアンディ・ウォーホルだったのではないでしょうか。
ですが、自分的には日本のTVコマーシャルにも出てるナウいアーティストさん、と認識していただけのようだった気がします。超有名な缶詰がいっぱい並んでる作品とかマリリン・モンローの顔だけが様々に彩飾されたのがやはりいっぱい並んでいる作品とか、今風であるなあと思うだけ、だった気がします。
 
放送大学で青山昌文氏の講義でアンディ・ウォーホルが取り上げられ、彼の説明を聞くことで初めて本当にウォーホルに興味を持ちました。
ウォーホルは先にも言ったように時代の寵児として持ち上げられ崇められている感があったことで逆に彼の作品を深く見せていなかったのかもしれません。
もちろん私に本質を観る目がなかっただけなのですが。

作品というのはそれが何であれ当時もてはやされることとその後長い時間に評価されていくことはどう結びつけられるのかはわからないものです。
時代によって感覚やモラルは変化していきます。その時に素晴らしいと思われたものが時間が経つと何故良しとされたのか理解できない、ということもあります。
また、まったく評価されなかった作者が死後認められ絶賛されることもあります。
この話はよく人々の話に取り上げられるものですね。
さらには当時も人気者でずっと賛辞され続ける作家もあります。
ウォーホルは1987年、58歳で亡くなったのでまだ30年と少ししか経ってはいないですが、それでも流行り廃りの早いアートの世界で今も有名であり続けているクリエイターであると感じますね。
自分的には今になってやっとすごい才能の人だったのだなと感じ入ってる次第な訳です。

キャンベルのスープ缶作品は今観ても新鮮でありますね。

ところでウィキを見たらウォーホルも20第は注文主の要望に応えイラストの修正に終われた、と書かれてます。今苦労しているイラストレイターさんたちと同じですね。お体大切に。