ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

夫婦ということ

2018-11-26 05:44:10 | 評論・随筆
ノムさんの告白「沙知代よ、君がいない毎日は本当につまらなくて」


ありきたりの表現しかできないけど、思わず泣いてしまう文章でした。妻を亡くした夫の文章は悲しいものかもしれないけど、ノムさんの伴侶・野村沙知代さんの一連の出来事を覚えている人であれば、より涙を誘うものではないでしょうか。

正直言って沙知代さんは一般日本人の女性価値観からしたら「しとやかな日本撫子」のイメージではなかったでしょうし、はっきり嫌ってる人もいたでしょうし、面白おかしく見ていたりもしていたのではないでしょうか。私も「すげえな、この人」と思ってました。それ以上にそんな女性と離婚もせず暮らしているノムさんに感心していましたが。だって日本野球界で屈指のキャッチャーであり名監督であり超人気者だったノム氏の奥様がとんでもなくぶっとんだ(日本女性としては)女性だったのですからね。

そんな記憶がまだ薄れることもないのですが、このノムさんの文章を読んで本当に夫婦というのは不思議なものだと思えました。
昔と比べ、自分の意志で結婚でき、合わないと思えば離婚することも容易くなりました。結婚だけが人間の取るべき道行きではないかもしれないけど、人はまだ結婚という選択をする。いや、別に結婚という形式を指しているわけじゃなく、誰か特別な人を見つけ、寄り添い共に生きたいと願うのは時代が移り変わり結婚という形が様々に変化しても続いていくのではないでしょうか。
そうして長い時間を共にしていけばどんなに愛し合っていたとしても小さなすれ違いができ、関係が歪み軋んでいく。そんな中で見切りをつけ分かれるのか、それとも関係を修正し新たな道を見つけ出しながら進むのか、それはどちらが良いとかではなく、それぞれの人々の生き方でそこからまた私たちは様々な体験や思い出を自分の宝物もしくはデータと言ってもいいんですが、残していくことになるわけですね。

それだからこそ人は寄り添う相手には優秀な人・美男美女・優しい人・器用な人・健康な人・誠実な人・財産家・価値観が合う人、を求めていくのだと思います。そういう相手であれば長く添うのも楽だからと、誰もが思うものでしょう。よくよく見極めて相手を見つけないと損をするわよ、ということですね。そう、損をするのです。
でもノムさんは連れ添った沙知代さんがそういう人ではなかったと書いていますね。嘘をついていた、会話もあまりなかった、性格も考え方も正反対だった。温厚な自分でも何度も怒鳴りつけようと思ったか。不思議です。やってくれたのは仕事が下手だった時にはずばずば文句をつけられる。ほとんど褒めてくれない。
そんな女性がいなくなった時に(何もない人生)と思ってしまう。

もしかしたら、他の男性だったら「こんな女性と結婚して失敗だった」とかそもそも結婚しないよ、とも思うのかもしれない女性だった(のかもしれない)
そんな伴侶を失った時に人は何が本当の幸福だったのか、判るのかもしれません。


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