ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「輪廻の少年」

2019-03-06 07:08:09 | ドキュメンタリー


「輪廻の少年」Becoming Who I Was
テレビで観るのも二回目なのですが何度も繰り返して観てしまいます。

チベット仏教の法王ダライ・ラマは輪廻(生まれ変わり)によって決まるという仕組みは有名ですが他の高僧も同じように生まれ変わりとして認められた者がなるということは今まで知りませんでした。
このドキュメンタリーの主人公となる少年アンドゥはその生まれ変わりの高僧=リンポチェとして認められた方なのです。ほんとうに不思議なことです。
チベット仏教徒でない者にとってこの話はどう聞こえるでしょうか。勝手な思い込み、いかさま、幻想、無知、でも彼らにとってはそれが真実なのです。そしてそれが真実でないかどうか、どうして他のものにわかるでしょうか。
ただこのドキュメンタリーの意義は輪廻の有無や是非を問うものではありません。
ここに描かれるのは生まれ変わりの高僧=リンポチェとなった少年と彼に仕え、まだ幼いリンポチェを教え導いていく一人の初老の僧の関係なのです。

初老の僧は言います「無名で平凡な一人の僧にすぎない私がリンポチェに仕えることになるとは思いもよりませんでしたが、これも業(カルマ)なのです」

このリンポチェ・アンドゥの生まれはチベットではなくインドのラダックなのです。ラダックはヒンズーが主体となるインドの北部に位置するのですが、そこにはヒンズー教徒はいなくてイスラム教徒と仏教徒が生活しているのだそうです。
山岳地帯であり普通のインドのイメージとはまったく異なる風景です。


リンポチェと認められた少年はチベット・カムの僧院から迎えが来るのだそうですが、チベットは中国の政策のために出入国が困難なのです。そのため少年を迎える使者は現れずラダックの僧院はリンポチェである彼を追放するのでした。

リンポチェに仕える(あるいは養う、ですが)老僧は悩みます。「落ち込むリンポチェを見るのは辛い。彼をチベットのカムへ連れていければいいのだが中国は僧侶たちを迫害し虐殺していることを聞くと怖ろしい。またそのための費用も必要だ」
老僧は働いて旅費を得たようです。といってもそれは食費などのぎりぎりのものでしょう。そして異国への旅は小柄な老僧と子供にとってどんなにか不安で心細いものでしょうか。

検索してみたらインド・ラダックは小さなチベットと呼ばれチベットよりもチベットらしい、と言われているとのこと。面白いですね。地図も引っ張り出してみたのですがインド・ラダックからチベットへ行くというのは想像もつかない遥かな道のりのようです。勿論現在のことなのですべて徒歩ではなくヒッチハイクをしながらですが、行先方向の車が捕まえなければ歩きになるわけです。老人と子供の徒歩での旅、気が遠くなるようです。

ふたりのチベットへの旅が始まりました。チベットに入れるかどうかは判らないままです。二人の旅はある時は楽しく、ある時は苦しいものでした。
好奇の目にさらされることもあります。
リンポチェは英語やヒンズー語を勉強していますが老僧は無学でそのことをからかうリンポチェと怒りながら笑ってしまう老僧のやりとりがおかしいです。
「私をからかうなんて。このことはずっと忘れないからな」
老僧は今後きっとこのことを何度も思い出し賢いリンポチェを誇りに思うのではないのでしょうか。

厳寒の中、震えながら歩くふたり、途中の店で手袋を買いますが、鮮やかな色合いだったのが印象的です。お菓子をねだるリンポチェ。甘いものが食べたいですよね。お金がないので我慢をするように老僧が言います。
ふいに画面が変わって二人が温かいお茶をご馳走になっています。お店の人だったのでしょうか。チベットが故郷だという女性でした。(太った猫がいましたよ。可愛がられているようです)そしてここで女性からカムへ入るのは無理だろうと告げられます。
でもふたりの旅は続きます。深い雪の中で冷たくなったリンポチェの足を手で温めてあげる老僧の場面、振り続ける雪の山道を互いに助け合いながら歩いていく姿、カムの僧院に届くようにとほら貝を吹くリンポチェ。

でも二人がチベット・カムに入ることはかないませんでした。
リンポチェ・アンドゥは国境近くの僧院で高等教育を受けることになりました。

それはずっと生活を共にしてきた老僧との別れになるのです。

もう少し一緒にいたいというリンポチェ。それはできないという老僧。二人で架空の雪合戦をするうちに今度は老僧が泣き始めます。
「お前と過ごしたこの数年間はとても楽しかった」

泣き出す二人を見て一緒に涙があふれました。
「将来立派なリンポチェになれば自分の僧院に出会えるよ」

これは父と子の物語だったのですね。

リンポチェは老僧に約束します。
「15年もすれば僕はすべての勉強をやり終えるよ」
「その頃には私はよぼよぼの年寄りだ」
「僕がお世話をするよ」
「ほんとうに?」
「一番幸せな日になるだろうな」

その日は来るのでしょうか。

おそらくは来ないのかもしれません。

でも老僧はこの日その夢までも受け取ることができたのだと思います。




素晴らしい映像と共に心に残るドキュメンタリーでした。



いったいどこの作品なのかと思いました。BBCとか?と思って見たら韓国2017年 SonamuFilm とありました。
なんと韓国制作だったのですね。

確かに美しい映像は韓国のものらしい品質ですし、父と子の結びつき、子供を教育し恩返しにお世話をします、という内容は韓国らしいものでありました。
凄く泣けてしまうのも韓国の特技、必殺技ですね。
映画も韓国の躍進は物凄いですが(というとおこがましいですが)ドキュメンタリーも素晴らしいのだなと思いました。

他国の物語をこんなに美しく描けることにも感じ入ります。

「宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~」2

2019-02-11 20:54:03 | ドキュメンタリー


「宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~」がまだ心を離れないのです。

と言ってもこの番組を調べていたらこれが初めての放送ではなく、さらに今回の放送は短縮版で本来はもっと長いものだったようですね。
残念ですが、この放送に出会えただけでも幸運だったと思うしかありません。

最期に制作関係者の名前が物凄い速度で流れていってしまうので一時停止しながら確かめました。ディレクター今野勉という名前を見つけ検索しました。
そしたらなんと長野オリンピック 開会式・閉会式の演出をされている、というのをみつけました。あの閉会式は今でもよく思い出します。情緒にあふれていて感動しました。

そして何よりこの方が『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』という本を書かれているのです。そして蓮如賞を受賞されています。

 
この本は気になりますね。読みたい・・・・。

やはりこれは読まねばならないのでは。


ETV特集「宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~」

2019-02-11 07:28:48 | ドキュメンタリー


宮沢賢治と友人・保阪嘉内に焦点を当てたドキュメンタリーです。

保坂嘉内との友情であり恋情でもあるような宮沢賢治の思いは「宮沢賢治の青春―“ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって (角川文庫)」菅原 千恵子著で読んではいたのですが、ドキュメンタリー映像となって観ることができるとは思いもよらない幸せでした。

ドキュメンタリー内容も過度な演出ではない、でも賢治への尊敬と思い入れが感じられるようでとても素晴らしいものでありました。

「友情」という言葉とその意味が今よりも深く激しいものだった時代の二人の関係です。宮沢賢治と保阪嘉内の関係はそういう深い友情だったのだとしてもそれはそれでもいいのだと思います。
このドキュメンタリーを見ていても賢治自身保阪嘉内の精神性に強く惹かれたのであろうと感じられます。
「トルストイのように自分の財産をすべて人々に分け与え百姓をしたいのだ」という若き保阪嘉内の心の美しさを見た宮沢賢治はどんなに感激したのでしょうか。


その思いはそのまま賢治の小説「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラに重ね合わされます。
自己犠牲を厭わず身を投げたカムパネルラとどこまでも一緒に歩いていこうねと願ったジョバンニ。若き頃、岩手山で共に星空を見上げた賢治と嘉内の時間はそのまま賢治の心に写し取られたのでしょう。


その後、嘉内は彼が書いた文章が不敬罪だとして学校から退学を命じられてしまいます。その後、賢治は嘉内に手紙を70通以上書いています。
が、時は経ち、嘉内と賢治は別々の道を歩むことになってしまいます。
しかし嘉内は亡くなった時、賢治の手紙をまとめ傍に置いていたそうです。

だけども嘉内は言葉通り百姓をし、子供にも恵まれ後進の指導に熱心だったということがなにか肯けるようにも思えます。彼は賢治が思った通りに美しい人だったのでしょう。

賢治は37歳の若さで亡くなりますが、嘉内も41歳で病死されています。

wikを見て目が留まった記述があります。
「1992年に発見された小惑星14447は、hosakakanaiと命名された(発見者は渡辺和郎と円舘金)。これは嘉内が残したハレー彗星のスケッチが天文学上の貴重な資料と認められたことに由来する」


賢治の嘉内への思いは賢治が恋愛について考えた最良のものだったのです。

賢治が嘉内と再会するエピソードは狂おしい気がします。
切り離されてしまった親友に再び会うことができたこの機会を最後に二人は会うこともなくなり文通も途絶えてしまうのです。

カムパネルラが散ってしまったのはこの時だったのですね。

それでも賢治は自身も百姓になることを試みます。
でも賢治の体はその労働に耐えきれませんでした。

賢治は思いを小説に写し取りました。
ジョバンニとカムパネルラに。
チュンセ童子とポウセ童子に。

ドキュメンタリーの最後
「春と修羅」の朗読と共に映像が胸に迫ります。

「再出発の町 少年と町の人たちの8か月」「輪るピングドラム」のあとで

2018-12-17 06:30:32 | ドキュメンタリー
BS1スペシャル「再出発の町 少年と町の人たちの8か月」

ほぼ想像通りの内容でした。と言うと申し訳ないですが、親からの虐待を受けていた子供が非行し少年院に入った後、更生しようと頑張るドキュメンタリーはどうしてもこういう形になってしまうんですよね。人々の愛情に触れたらたちまち良い子になってしまいました、というのでは嘘になってしまうし、少しも愛情に感謝しない、という形では空しいので少し可能性がある子供に焦点をあてて優しいご婦人との触れ合いで更生しようと誓うけど再犯してしまい更に再び更生を誓う、という脚本になってしまうのだと思うのです。それが制作者の願いでもあるわけで。


後半「輪るピングドラム」のネタバレもあります。ご注意を。



気になるのは主人公の子にピアスを勧めていただけでなく態度が悪いことで少年院に送り返された少年です。顔出しはないのですが、作業の説明をしていた人に反抗したということでした。その子は「自分には自分の考えがある。それを押さえつけられたくない。自分を曲げたくないんだ」ということを話していて、そういった「自分を曲げる」ことへの屈辱感をそれは屈辱じゃないんだよ、といった教え方が一番難しいんだなと思います。
「教える」なんて言う言葉を使えばまたそれが屈辱になるのだろうし。
その子はその子なりの人生から色々なことを学んで自分を作り上げてきたわけでそれをまた否定されるのは苦痛なのだと思うのです。
そういった考え方は生まれた時から少しずつ学んでいくこと、そして人生をかけて学んでいくことなので、まだ少年のうちにそういったしこりが取れてしまえばいいのだろうけど、年を取ればとるほど難しくなっていく。とは言っても人生において遅すぎる、ということはないのだとも思います。
なにかの拍子にぱらっと変わってしまえることもあるはずです。
でもそうした「なにかの拍子」が難しい。
それはなにかとんでもない人に出会ったとか、出来事にぶつかったとか、凄いエネルギーを与えられなくてはならない気がします。

でもそういう奇跡のような出会いが訪れるかどうかはまた判らない。

でもそういう出会いを一番待ち望んでいるのは本人ではないのかとも思うのです。

「自分をこんなにしたのは人のせいだと思ってるのではないか」という質問に「自分がこんなになったのは自分のせいであって、人のせいだとか思っていない」と優し気な話し方だった主人公がやや語気を荒げて答えていた。その話し方が切なく思えたのですよね。

昨日まで「輪るピングドラム」見ていて感じたことと重なるドキュメンタリーでした。
「お前が生まれたせいで」「お前なんか生まれなかったらよかった」と母親に言われ泣きながら「ごめんなさい、生まれてしまってごめんなさい」と謝ったという少年。
「選ばれなかった子供」という言葉を思い出す。
体に残る虐待の傷跡。そして見えない心の傷跡。
物語はピングドラムを割って少年に渡してくれたけど、現実にはピングドラムを分け与えてくれる人はいるんだろうか。
子供ブロイラーに送られ透明になってしまう子供たち。
「何者にもなれないお前たち」
「生存戦略しましょうか」と叫んでくれる少女は現れるんでしょうか?

北海道の田舎町。心優しい住民たち。透明になってしまいそうな子供たちを懸命に励まし続けてくれる。
少年たちも頑張って自分を取り戻そうとするけど、その姿のなんという危うさ。

可能性は僅かで心細いけど、あちこちに転がっている。
それをつかむのは本人でしかない。

勉強して大学に行って自分と同じような境遇の子供たちを助けたい。
製作者の願いの言葉だと思う。



「とらわれの日々からの脱出」現在日本の奴隷制度を思う

2018-12-10 05:47:32 | ドキュメンタリー


「とらわれの日々からの脱出」

怖ろしいドキュメンタリーだった。現在の世界でこのようなことがあちこちで起こっている。信じられない事実。自分の身に或いは周囲でこのようなことが起きたら、考えずにはいられないはずです。

番組内容に

世界の奴隷労働や人身売買の問題に迫る大型プロジェクトの6本目。とある東欧の国で暮らすマリッシュは、ある家庭で“囚われの家政婦”となり、外出が許されるのは近隣の工場での清掃業務のみ。携帯電話も許されず、わずかな食事で日々をしのいできた。ある日、彼女の心に変化が…「もう我慢できない」と、電車で逃亡を図る。極私的な世界を印象的なカメラワークで表現し、欧州で権威ある映画祭にノミネートされた作品。

とあります。

とはいえ、外国の事、とまたもや思ってしまうかもしれません。でも、現在日本奴隷と検索すれば色々な記事が出てきます。世界から見れば日本は奴隷が存在する国の上位に挙がってくるのですね。
それは検索しなくても今問題になっている日本への移民問題・外国人研修技能見習い制度の実態のニュースを見ればこの事態を奴隷と言わないわけにはいかないと気づきます。そして多くの外国人が夢を持ってしかも借金を背負って来日し、与えられたのは奴隷の生活だったことに気づかされ違う職を求めることを逃亡と称され、或いはどうすることもできず自殺へと追い込まれていく。精神を病み、体を負傷する人もいます。しかも多くの私を含む日本人はこういうことに気づくこともなく暮らしているのです。日本には奴隷なんかいないと思い込んで。
勿論、ブラック企業と称される会社に入った人の生活もまた奴隷というべきものでしょう。恐ろしいのは日本人であってもそこから抜け出すのが困難だということです。いつまで経っても残業という仕組みを壊すことができない、男女差別を取り外せない、それもまた奴隷制度の一部だと思います。

戦後日本は、という話に必ずなります。がむしゃらに頑張って復興しました。幸福な家庭が築けるよう努力をしてきました。様々な弊害もありながらもとにかく経済的に豊かになるべく邁進したのですね。
しかしやはり様々な弊害というものがここにきて噴出してきているように思えます。
働きすぎをどうしても改善できない、男女不平等がどうしてもなくならない、アジア諸国との関係性の改善がうまくできない、日本はグローバリズムどころかますます孤立していっているように思えます。社会が戦前に戻ってきている、というより鎖国している方が楽しかったなあと思ってる気さえします。
政府は明治時代を理想としているようですから鎖国まではいかないつもりなのかもしれませんが今の日本人が明治時代人になれるわけもなくなっても仕方ないですよね。世界はどんどん進んでいくのに一国だけ昔に戻るわけにはいかない。戻りたいなら鎖国するしかないでしょうが、それをできるわけはありません。空しい論理です。

話が横滑りしていますが、そんなかつての繁栄を取り戻すためには体面を保ちながら奴隷制度を取り入れたいと政府は思うわけでしょうか。
低賃金で長時間酷使して数年経てば国外へ追い出す、を繰り返せば問題は起きない、と思っているわけですかね。それをかつての徴用工と言って今も問題視されていて「そんな事実はない」と政府は言っているわけですが、今回の徴用工の過程は皆覚えているでしょうね。数年後数十年後、どんな問題が起きるでしょうか。
安倍首相が名前だけ変えても歴史は変えられません。


森鴎外「山椒大夫」の結末、安寿と厨子王を奴隷としていた山椒大夫が奴隷制度を廃止して労働者に対し賃金を払い安定した生活を送れるようにしたら却って繁栄することになった、ということを現実に行うことは無理なのでしょうかね。
誰もが幸せである世界を目指さなければ人間の存在する意味などないと思います。