批判者について
「もしも地域の人たちが、学会のことをわがらずに非難・中傷したいすることがあったとしても、決して恨んだりしてはいけません。相手を慈悲で包み込かようにして、粘り強く交流を深め、誠実の行動を通して、学会の理解を勝ち取っていくんです。そこに、仏道修行があるんです」(新・人間革命27巻)
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「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。 やられたらやり返せ 。 世間などなんだ! なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。 怒鳴っていけばいいんだ!(中略) 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ! 」 平成元年3月12日 埼玉指導
一人を大切に
一人一人の幸福こそが、広宣流布の「目的」だからである。「一人」の人間がもつ計り知れない可能性を信じ、その力に目覚めさせ、発揮させ、連帯を広げてきたのが、創価の民衆運動の歴史である。
全体があって、一人一人があるのではない。まず一人一人の人間があって、強く団結していくのである。この根本を間違えたら大変なことになる。権力者の発想をする人間が現れたら、それは学会を利用する極悪人である。
すべては、「一人」に帰着する。私どもは、もう一度、「一人を大切に」との原点を確認しあいたい。(平成18年1月6日 第56回本部幹部会)
苦労している同志のことを、いつも気遣い、励まし、勇気づけ、身を粉にして、奉仕していくことです。わが同志を守り抜くことが、私の精神だからです。(新・人間革命 第6巻)
私も、何か特別なことをしているわけではない。ただ。大切な仏子を不幸にさせてなるものか”。この人たちを幸せに導くチャンスは今しかない”との思いでいつも戦っている。(新・人間革命 第1巻)
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「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」昭和46年7月8日 社長会
「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって 目的のためなら皆な謀略じゃないか 。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 昭和51年6月1日 扶養研修所
「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。」 平成5年 1月25日
敵対心
私ども創価学会の平和運動は、まず、生命尊厳の仏法哲理を学び合うことから始まります。それは、本来、万人が等しく、尊極無上の仏の生命をもっているという思想です。
そして、互いが互いの幸福を願って、励まし合い、信頼、尊敬し合う人間の善の連帯を、家庭、地域、職場など、身の回りから広げていく運動が基調になっています。
戦争の根本要因は、相手を信じられないという相互不信、人間不信にあります。各人がそれを打ち破る人間革命の実践に励み、観念ではなく、現実の社会のなかに、人間共和の縮図をつくり上げ、それを、イデオロギー、民族、国境を超えて、世界に広げようというのが、私たちの運動です。(新・人間革命 第21巻)
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「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。 やられたらやり返せ 。 世間などなんだ! なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。 怒鳴っていけばいいんだ!(中略) 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ! 」 平成元年3月12日 埼玉指導
名誉・勲章について
( ※クーデンホーフ伯との対談で、〝ノーベル賞をもらえるでしょう〟 と激励され) そのような栄誉はほしくもありません。また、くださるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもよいでしょう」(昭和四十二年十月十三日の対談)
代表は全体に通じる。代表がもらったということは、自分がもらったことと同じだととらえ、喜べるようになることが大事だ。(新・人間革命 第9巻)
創価学会の幹部は、決して、名誉主義であってはならない。(中略) そんな感覚をもってしまえば、他の団体や会社などと同しことになる。学会は過去にとらわれた功績主義や名誉主義に絶対になってはならない。(新・人間革命 第5巻)
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「アルゼンチンから五月の大十字勲章をもらったが、これで七つ目である。これが妙法である。信心です。たった五ヵ月の間に三つの勲章(コロンビア、ブラジル)をもらった。(中略)五ヵ月間に世界の勲章を三つもらえる人は、これまで1人もいなかった。議員でも何でもない私なのにだ。」(平成二年五月三日)
権力について
人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。「自己中心」になっていくものです。すると、信心をもって、団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、結局は、この「自己中心」の心との戦いなんです。(新・人間革命 第9巻)
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「私が教わったのは帝王学だ。 私は最高権力者になる。そのときには 創価学会を解散してもいい 」『現代』 昭和45年7月号
常識について
みんなに無理をさせたり、非常識な行動はいっさい慎むべきです。(中略)もしも、皆さんに非常識な言動があれば、周囲は、それが学会の真実の姿であり、仏法であると思い込んでしまう。(新・人間革命 第6巻)
非常識な言動というものが、どれだけ学会に対する誤解を生んでいるか、計り知れません。周囲の人が見ても、〝学会の人は礼儀正しく、立派であるな〟と思えるようでなければ、本当の信仰の姿とはいえないと思います。(新・人間革命 第4巻)
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「全員が勝つと強く決めていけ!勝つか負けるか。 やられたらやり返せ 。 世間などなんだ! なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったりしてはいけない。 怒鳴っていけばいいんだ!(中略) 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ! 」 平成元年3月12日 埼玉指導
生涯第一線について
私も、牧囗先生のように、七十になろうが、八十になろうが、命ある限り、動きに動きます。語りに語ります。書きに書き、叫びに叫びます。足腰が立たなくなっても、正義を書きっづる手があります。手が動かなくなっても、仏法を語る囗があります。また、御本尊を見つめ、御書を拝する目があります。命の尽きる瞬間まで、這ってでも、戦って、戦って、戦って、戦い抜いてきます。私は、その決意です。見ていてください。そこに、仏道が、わが人生の完勝があるからです。(新・人間革命 第16巻)
八十歳になろうが、九十歳になろうが、命ある限り戦い、人びとを励まし続けるんです。「生涯青春」でいくんですよ。(新・人間革命 第25巻)
先日、草創期から、頑張り抜いてきた高齢の同志が亡くなりました。最後は癌で療養していましたが、見舞いに訪れる学会員に、学会活動ができることの喜びを教え、命を振り絞るようにして、激励し続けたそうです。やがて、臨終が近づいた時、薄れゆく意識のなかで、盛んに囗を動かしている。
家族が耳を近づけてみると、「きみ、も、信心、しようじゃ、ないか」と言っている。夢のなかでも、誰かを折伏していたんです。それから、しばらくして、うっすらと目を開け、また、囗を動かす。今度は、題目を唱えていたと言うんです。
息絶える瞬間まで、法を説き、唱題し抜こうとする様子を聞き、私は感動しました。仏を見る思いがしました。まさに、広宣流布に生き抜いた、荘厳な、美しい夕日のような、人生の終幕といえるでしょう。(新・人間革命 第25巻)
いよいよ、これからです。牧囗先生は七十歳にして、よく「われわれ青年は」と語られたといいます。
平均寿命も延びてきていますから、今の年から、マイナス三十歳があなたの年です。青年同士、戦いましょう!(新・人間革命 第26巻)
生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関紙の購読推進に、弘教に、地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。それ以外に信心はない。勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない。(新・人間革命 第23巻)
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8年前から、会員の前に姿見せず。SGI会長の職責を放棄。