GABACHOP〜あがんにゃな日々〜

趣味について、日記がてら。

地獄の季節in京都夜想

2012年09月30日 | 地獄の季節
昨日、京都夜想の地獄の季節ライブに行って来ました。

以前、中村義人さんのソロライブで一度だけ来た事があるハコ
なんですが、ライブハウスというよりはライブバーという趣きの
たたずまい。

段差のないフラットなステージは、赤を基調に飾られ、ミラー
ボールやクリスタルがキラキラ光る、妖し気な空気感を醸し
出しています。

広さは、30人くらいで満員になりそうなくらいの、良い感じの
こぢんまりさ。

義人さんのライブの時はテーブルやイスがありましたが、今回は
壁側に少しあるだけで、基本スタンディングでした。

今回、女性ファンの数が目を引きました。ほぼ満員のオーディ
エンスのうち、男性は俺を含め5人程度。そのうち3人は対バン
のメンバーらしかったので、実質95%は女性客だったんじゃ
ないでしょうか。

まるで、女性専用車両に迷い込んだ気分…。

さすがに、そこを掻き分けて前に行くなんてできなかったので、
後ろのカウンターのイスに座って、京都に降臨した地獄サウンド
を楽しみましたよ。

今回はサポートベースが参加して、いつもの打ち込みベースとは
違うイメージだったんですが、すごい良かったです。打ち込みも
嫌いじゃないんですけど、俺はこっちのが好きだなあ。←と、まだ
2回しかライブに行ってない奴が言ってます

世の中、レベルの高いバンドはたくさんいるんですが、「●●●という
バンドに雰囲気が似てるな」「●●●みたいでカッコいいな」そんな
感想に終止してしまう音楽性の物がほとんど。←それはそれで素晴ら
しいんですけど。

でも、地獄の季節のサウンドは、例えようがないというか、この
御三方が演奏する姿しか思い描けないというか。

ふとあのサウンドを味わいたいな、と思っても、代用が利かないん
ですよね。

とくにミズカミさんのパフォーマンスと顔力は誰にも絶対真似でき
ませんもんねー。

そんな唯一無二(←この表現も、音楽誌などに陳腐に扱われすぎて
いて、あまり使いたくないのだけど)の地獄の季節を、これからも
注目して行きたいと思います。


バイオハザードV

2012年09月17日 | 映画
映画『バイオハザードV・リトリビューション』を見てきました。

過去4作品で未登場だったゲーム版のキャラが、これでもかーこれでもか、これでもかーこれでもか、と登場して来る上に、各キャラともディテールの完成度が良い感じで、それを眺めているだけでもとても楽しめました。

ストーリーは、過去4作同様あってないような物ですが、そこに期待して劇場に足を運ぶ人は今更いないと思うので、問題ないでしょう。ていうか、今更練られたストーリーを持って来られても、こちらとしても全く受け入れ態勢ができてませんし。

今回舞台設定がかなり限定された空間のため、世界観はかなり閉鎖的に感じますが、それが3D効果には逆にプラスになっているような気がしました。広大な草原や砂漠より、障害物や建物が乱立する狭い空間の方が、奥行きがわかりやすいですしね。

ホラー映画的な怖さはほとんどないので、苦手な人でも大丈夫。ただ、びっくりシーンは頻繁に出てくるので、心臓が弱い方はちょっとピリピリしながら見る羽目になるかもしれません。

各パートが奇麗に分担されているので、あたかも遊園地のライド式お化け屋敷の感覚で楽しめるかと。

65点。

過去4作を見続けて来た方は、どうせ惰性で見るに決まってますし、あんまり点数に意味はないと思いますけどね。

あ、中島某のエンディング挿入歌は、とても聴けたもんじゃないので、エンドロールが始まったら即退出をオススメします。←本来はマナー違反ですが、それくらいブチ壊しな歌なので



今日のひとりごと

2012年09月09日 | 日記・コラム

星を見ててふと思ったんだけど、今見てる星は、何光年も向こうから届けられた光による昔の姿なわけで、つまり、遠くの星になればなるほど、その姿は過去の物だということですよね。

つーことは、どんどん地球から遠ざかって、もし宇宙の果てまで見ることができたら、終着点ではビッグバンが見える…のかなあ???

そんな疑問から、ネットを軽くあさってみたら、理論上はあながち間違いではなさそうだったものの、ビッグバンができてから38万年だかは、光が障害物やらなんやらに邪魔されて直進できない期間があって、つまりは人類が確認可能な宇宙の果ては、宇宙のはじまりから約38万年後の姿が限界なんだとか。←数ある説のうちのひとつです

他にも、宇宙をひたすらまっすぐ行くと元の場所に戻って来るという説や、宇宙の果ては4次元だか5次元の境目で、3次元に住む人類にはそもそも認識が不可能だとか、この宇宙のすべてが神様の空想の産物だとか、なんか、こう、色々面白かったです。

ビッグバンはともかく、宇宙の果ての、向こう側があるのかないのか分からない場所てのは、俺の存命中には行くことはおろか、見ることすらできないんだろうけど、そんな場所が、今自分が立っているこの場所と陸続き(宇宙続き?)なんだと想像すると、頭がクラクラしてしまいます。

そう言えば、こないだ見たプラネタリウムの映像解説によると、ビッグバンの際には2つの元素が生まれたのみで、他にはなにも存在しなかったのだとか。その2つの元素が、気が遠くなる程の色んなきっかけを繰り返し、くっつき、変化し、あらたな元素となり、物質を作り、生命となり、我々になったのだそうなのですよ。←半分寝ながら見てたので、内容の保証はしません

つまり、この肉体も、目の前にあるPCも、近所の猫も、領土問題で争っているあの国の皆さんも、俺がさっき飲んだ牛乳も、義人さんが吹いてる水も、俺の背中から1本だけ生えている長さ8cmの毛も、この世に存在する全てが、さかのぼれば元は同じ物質だったと言えるわけで、例えば俺が心酔しているロックバンド横道坊主の曲も、元は作曲者の今井さんの脳内で生まれた電気信号で、つまり電気という物質であり、物質であるという事は、つまり俺の肉体と同じルーツを持ち、曲解すればすなわち俺=横道坊主の曲、というわけで、さらに言えば、横道坊主の曲=みなさんであり、地球であり、宇宙なのです。←繰り返しますが、保証はしません

つまりは、明日からREC作業が始まるという、年内~年明け発売予定の横道坊主19枚目のNEWアルバムに、宇宙級の期待を込め、ビッグバンに揉まれて激しくぶつかり合う元素のごとく、震えて待とうじゃありませんか、そう言いたいわけなんですよ、僕ぁ。

…閑話休題。

そんなアホな空想が無軌道に暴走するのを放置しているうちに、この地球てのは、高度な次元の宇宙人が作った「養殖場」で、人類ごときでは認識すらできない長期間の移動の中継地点に置かれ、ほっといても餌や燃料となる有機物が育つように発明された「生態系」というシステムにより、運営・管理されており、ゆくゆくは我々人類をはじめとした地球上の生命体は、いずれ立ち寄るであろう作り主によって、刈り取られ、搾取される運命にあるという仮説に行き着いたわけなのです。

それを思えば「子孫を残す」という生命の大原則も、作り主(俺は無神論者です。念のため)のプログラミングによるもので、だってそれがないと、餌場がすぐ枯渇してしいますし、そして毎年のように沸き起こる「終末論」も、刈り取られる際の心の準備として事前インプットされたセーフティネットであり、これが過剰に作動してしまった例として、インカ帝国の滅亡などが挙げられるわけです。

前述の、宇宙の根源を想起した際のクラクラも、同じく宇宙の心理を解明される事がないように取り付けられた、作り主による防護壁によるものに違いありません!

つまりですよ、これらから導き出される結論はただ一つ!

今日俺は案外ヒマだったのだな!

無理してでもスキマノザラシライブ行けば良かったかなあ…。

http://youtu.be/9FlIzgotFAs