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for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

見るな・聞くな・食べるな

2017年04月10日 10時10分04秒 | 発展のため

見るなの扉

 そんな題名だっただろうか、かなり怪しい。松谷みよ子さんの民話集で、ウグイスが登場する印象的な綺麗なお話として記憶されている。

 ひとつ、次にもうひとつと戸を開けると、娘さん見たさに、男の旅人が「見るなの扉」を開けてしまいました。

 

私の感覚には、鶯と聞くと、色の鶯色に繋がってしまう。

鳥を示した「ウグイス」でも、綺麗なさえずりは耳に届くのに、図鑑でしか姿を見たことのない、あの鳥にはつながらないでいる。

だから、お話の中でも鶯色したメジロを鶯妄想が結びついていて、きれいなお話に残っているのかもしれない。幸いともいえる。

 現に、つい春先の椿に蜜を吸いに来た鶯色の鳥でも、実のところ、彼女はメジロなのよね、と又、自分に告げている。

 さて、さきの「見るなの扉」は、日常の私たちの心理にもよく起きているのではないだろうか。

「過去を見ないでください・未来を見ないでください」    

と告げられると、初めての時は「ふ~ん」とそれを聞くけれど、何度も繰り返すと「まただね」と反発心が動くのではないだろうか。

それが毎回となると、「あああ」と心境も変わる。年齢不詳の人口知能ならどう反応するだろうか。

 禁止や否定の言葉に従順になれないのは、「そうはいっても、神様じゃないし、私はきちんと両目があるし、健全な心身もあるし・・・管理されているはずはないし」しまいには、

「まったくねえ」とでも吐いてしまいたくもなる心境になるかもしれない。同じことが繰り返されると、嫌気がさすのは心理にあるはずだ。私だけだろうか。

 民話のオチは、期待していた綺麗な娘さんがウグイスだったけれど、そそられ胸を膨らませ、夢を抱く気持ちになるのは、人間だからではないだろうか。

もし、旅人の男性が戸を開けずにいたら、どんな展開が彼にもたらされただろうか・、とは多様に動ける今日的な展開で、新しい民話ができそうだ。

 新しい学期に、新しい社会に飛び込んだなら、きっとリーダーは将来に夢を抱けるような文言を述べるだろうことを期待している。

 近しい親子・子弟なら、どれほど禁止をしないで、心を開かせ、添わせられるだろうか。

そうはいうものの、本当のところ、私にとっても悩ましい問題になりそうだ。

 

 


遠くにつれていって

2017年04月06日 10時46分56秒 | 日記

現実とかけ離れた距離の著作物・写真・音楽など、様々な芸能・視覚でも起こっていると感じる。

表現物によって、自分が運ばれて、心の状態が遊べ「遠くに行ってきて」多少の異空間を味わうだろう。

例えば、曲では、乗りの良いメロディーやテンポが続くと、心身が活性する。

絵や写真なら普段視線の行き届かない細部や、とうてい行けないだろう視界空間や、自分が体験するような映像を見れば気持ちが高揚するだろう。

ドローンのカメラは、正に私たちの不可能を可能にした視界を届けている。

歴史や映画ならばいったいどんな社会で、人々はどのような物を食べ、どのように日常の楽しみを見出しただろうかを知るだろう。

喪失感情の時、「どういう風にするのがいちばんいい?」と少しばかり支えてくれた女性がいて、私に尋ねた。

「なるべく遠くに行く」そう答えた。

アメリカの女性に聞くと、「食べるものを持ち寄って訪問する」と返った。

昨今では、ごく生活の身近に異なった国籍の人を見かけることが多い。「あなたの国では、どうですか?」

と聞いて教えてください。男性の場合ではどうなのかも知りたいものです。