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for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

華夷思想

2015年01月11日 20時51分00秒 | 

耳慣れない言葉で、山川出版のリブレットだけれど、少しずつ読んでいった。 有難いかな、脳裏には歴ドラが

浮かぶ。そういえば、兵士が忠誠を誓うのに、文字を当てて奮起を高めていたが、中国の皇帝から忠の字を受けた王様

がひきつづいたのには、両国の力関係が影響したようだ。華夷とは、どうやら、孔子の記述と考え方を起点にした国の思想のようでもあるらしいと、自分なりのざっと読み解釈。

ソウルで遺産建築物を見学した時に儀式で執り行われる時に、位はいのような物がたくさんあったが、読みながら妙に脳裏に浮かんだ。リブレットに描かれた過去からの偉人君子なのだろうか・・・

中国と韓国ではそれらが、違うようだ。 

ただ言えるのは、映画や映像の一場面から、本に記述された部分を自分なりに結びつけている。 ドラマから始まる歴史との繋がりがあり、

文字だけの著述より受け止めやすい。( 海州、ああ、聞いたことがある。呼び名は今は違うけれども)

過去の歴史上の思想。 王朝の政権下でもドラマのように、二枚舌的権力誘導は政変で登場し、(現代でもまかりとおているだろう、人間だから。)

これは、スマートに言えば、ダブルスタンダードとか、女性の性質を現すなら発砲美人的ともいえようか。男性ならば、はたまたわからん。

(自分を守る方法なのだと思う。よく、泣きながら訴えているよね、ドラマで)

歴史学など学んだこともないすさみ。 外交題材背景にもなり得てしまいそうな文化事情を覗いたのだろうか、とひとり突っ込む。

 

 


大モンゴルの時代

2014年12月30日 10時05分46秒 | 

カーリエ博物館に描かれていた東ローマビザンチン帝国 時代のデスピナが親の和平工作により嫁いだイル汗国 都をタブリズ(現イラン)とする国とは?

新しいことを知るのは無知故の楽しみでもあり、「大モンゴルの時代」を読み進めていくと、集史の説明があったり、モンゴルの火を大切にするシャーマニズムの話しがあったりする。

ロシアの東洋学者 バルトリドの研究を本文中で著者 杉山正明氏は、言語比較を展開する

博士   音読み  ハカセ  ハクシ

サンスクリット バクス 

モンゴル帝国時代 ウイグル文字で書記をバフシと呼ぶ。

イスラム化した チャガタイハン国 チムール朝では、バフシは書記を意味する。

ムガール帝国ではバフシを部隊の状況を知り、俸給を払う高官を意味する。バーブルによると、モンゴル人は医師をバフシと呼んでいるそうだ。

イランでは書記を意味する。(1295年に仏教の僧侶がイランから追放されたのち)

バルトリドと呼ばれるロシア学者、バーソルド(ドイツのアメリカ東洋学者)なんとも、表記や音は違うものの、同じ名前ではないかと、バーソルドがロシアにいたことをも思い出して

混乱した。

イル汗国の フラグ ウルスに継いで息子のアバカが国の統治を進めるころ、近隣のビザンチン諸国は、和平融和策で娘をモンゴル帝国に嫁がせている。

ビザンチン帝国 タブリズは西アジア交易品をイタリアへ繋ぐ恩恵を受けていた。

アバカは当時のキリスト教に造詣が深く、父 フラグ ウルスのシャーマニズムを嫌っていたそうだ。

ローマ教皇との書簡もあり、ヨーロッパに進行してきたマムルーク朝に対して遣いを送っている。ビザンチン帝国の皇女デスピナと父フラグは、婚姻による同盟を結んだ。

フラグに嫁ぐはずだったデスピナは時間に合わずフラグが死去したため、アバカに嫁ぐことになった。

歴代の統治者が最後を迎えたように、深酒の習慣を記すとともに、毒殺の疑いもあったようで、アバカは幻視症状をおこし、家来に伝え、突然亡くなったらしい。

悲運の妻デスピナは、モスク建造や救済支援をしたそうで、モンゴルのマリアと呼ばれだ。    

旧ロシア政権下のトルコ及びアジア接近の近郊諸国の歴史影響を知り、新たな感心へと繋がってくる。

遊牧民のモンゴル民族は地を駆け巡りつつ、宗教には寛容だったそうだ。そうでなければ進み、納められないのでしょう。   私のまとめ

悲惨な事件、ニュースはうれしいニュースで覆われるようにと祈る。

どうでもない、ささやかな発見をすることこそ、世界人類共通の幸せの原点となりますように。

それにしても、モンゴル文化をもっていただろうイル汗国がイスラム化し、現イランへの原型になるのだろうか考えると、その変化が興味深い。

 


グローバルヒストリー入門

2014年10月17日 15時30分34秒 | 

世界史 リブレット    

人が物を輸送・伝播するに従い、世界という広域間でお互いの商業が経済状況に変化、影響しあい、発展していく。

描かれた絵画や調度品ですら、その影響を示している。

表紙絵にあるシャー ジャハンに何故ポルトガル商人が描かれているのだろうか?という問いに答えるかのように、

アートでさえ、北斎の影響が西洋で見られたようにも、このグローバルヒソトリーという広域・広い時間空間で歴史が描かれ記述されれば、分かりやすく、楽しめるだろう。

人や家畜の病気でさえ、当たり前のように、自分の国だけの問題にはならないと、現代を見ても分かる。

欄外の資料は世界の国との対比で示され、絵画は小さいながら興味深い。検索すればはっきりと見えるだろう。

 

美術館・博物館の展示物に、こうした影響関係が示してあると、「なるほど」と見ていたこと事体に満足できそうだ。

学芸員の諸先生方は、歴史を知らなくても暮らしていける庶民・小中学生照準で解説を作成されると、海外の訪問者にもわかりやすいのでは・・・・

(博物館では、海外向けの螺鈿細工調度品が展示コーナーの一角にあった。)

ルーター貸しだしが整うと多言語でも対応できるし、サロンでくつろぎ、指を滑らすだろうから、ご商売にもなるとは思うけれど・・・


錬金術   吉田光邦

2014年09月10日 16時39分37秒 | 

錬金術あるいは錬金・練丹製法の歴史。

絵本の「錬金術」で部屋に水があふれる作品を思いだし、錬金術は、子供のための教訓的なお話と受け止めていた。

が、侮るわけにはいかない。 確かに私たちは錬金術に挑んでいたのが、本著からうかがえる。

「シ」で知ったtheriacは、本著でテリアカと表され, 解毒を意味していた。翻訳当時、げっぷとしか意味がなかった。それではまずいと、別の言葉を当てた。

今でもAbu Mansur Muwaffaqという人がわからないのに、原作者はどのような

経過でこの人に行き当たったのだろうかと、練丹を読みながら好奇心がわき起こった。

エメラルド タブレットはエメラルド表 だろうと、改めて関心がわく。J.Ruskaという人より知る。時間が経つと、情報も上がってくるだろう。

 「医心方」(日本の医書)他を初め、古今東西の錬金・練丹・使用にまつわる人の話。

著者 <地球は、宇宙から見ればほんの星クズでしかない。科学をとてつもない巨視的な、あるいは微視的な世界が開発され始めた時、

科学は再び神秘を備えた門外漢の理解をこえたものとなってきた。>と、1963年に記している。

スペースロケットの中では生物の実験もなされ、宇宙にも予約して飛行できるようになっている。

が、医科学で、 未だ、全ての症例・病の薬はできていない。

癌が発生し、このタブレットをどうぞ、と処方され、完治される日はいつだろうか。今のところ、日常のメインテナンスが処方なのかもしれない。

航空宇宙工学と、医学、果たして双方が関連し、どのように役に立ち、発展するのだろう。

 


アラブ史教科書 中学生でもわかる

2014年07月30日 16時35分48秒 | 

日本人のための中東世界入門と題されたかなり古い イザヤ・ベンダサン 山本七平 とあり、借りて読んだものの、

私にはなじみが薄い、よくわからない紛争の種になっている地域について書かれている。 民族・宗教etc  今夏、ガザへの攻撃が激化し、ニュースで伝えられている。和平策も動いているそうだが。

@オスマントルコの改宗・教育が記されていた。 非イスラム教徒の子供を税金として徴発 → 改宗→ 両親と関係を断つ→ 養育・訓練→

厳格な試験制度で優秀な者を登用→イエニチェリへの編成  宰相・大臣・知事もこれに添う  スルタンが所有  モスクで育てたのでしょうか?

スレイマンⅠも彼のvizier宰相 イブラヒムも幼いころに売られたり、連れてこられた境遇の後、教育され宰相、国を統治するまでになったのには、驚きます。

ソコルル ムハンマッド パシャ(1506~1579)の霊廟

どのような教育だったのでしょう。文理・軍事・論理学などのようです。年長者からは、彼らに人目を惹く何かがあったのかもしれません。モスクに付随したあるいはそばに設置したメドレッセ高等教育機関という寄進による運営施設で教育。当時の陸続きの統治覇権は、拡大していくのに現代と何が違うでしょう。リーダーは、人資源による教育こそが財力になると分かっていたに違いありません。

 

ユダヤ人と日本人のブームを起こした執筆品 代表作品を一度ざっと読んだだけではわからない。 それは、単一民族という日本の置かれた理由があるかもしれない。報道関係者が指し示す言葉の定義にも問題があると、何度となく著者は語っている。確かに大陸の繋がっているヨーロッパ人種が見るアラブとアジアの日本が見るのは違うのかもしれない。

トルコは、宗教を分離したアタチュルクの方針が成長を推進させたのだろう。アタチュルクだからできたことと、認めているようだ。お子さんと海岸で遊んでいる映像も公開されています。

<エディルネの古いモスク 色彩でわかります>

  旅が学ぶ機会にもなるのは、確か。見聞が広がるとは、こういうきっかけを言うのだろう。