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我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

錬金術とその管理

2011年12月05日 16時12分47秒 | ニュースを読んで

Yukasseニュースとかいうのがあって、さる政党の敷地の納入額について書いてあった。億単位が未納になっているそうです。

ラジオからも少しばかり耳にしたけれど、ええっとたまげてしまった。 正直言って、ばからしくなってしまいます。

次に興味深かったのかが宝くじかロトに当たったニュースで、その後の対処法が書かれていました。

当選者はひと月は一円も使わずに、冷静でいるのを課したそうです。つきあっている女性に何か欲しい物を聞いた時に、

「今までどおりにいよう」と答えた日常がなんともあっさりして、幸せだ。東北にも一部、寄付をしたそうです。

 災難に遭わないように祈っています。

当たりの確率は都民人口のうち、二人ぐらいだとある作品から知ったのがもとで、一時期プレゼントで購入したけれど、すっかりご無沙汰しております。

本当におめでとうございます。

 


メディアにおける個人の尊厳

2011年10月25日 19時51分22秒 | ニュースを読んで

NHKが放送視聴料を値下げすると発表。先週、街頭で署名を行ったときに、NHKの不満を一緒に話していた。

http://blogs.yahoo.co.jp/g7152g55s/8843977.html

洋服の色など、詫びにはなりません。邪だよ、チェックカントリーなどと、一方的なコミュニティ基準にしかすぎないでしょう。 サブリミナル ? サブミナナリウル!

昨日も、夜の番組で、不愉快な言動が投げかけられていた。 一般視聴者は、何を示唆しているか、わかっている。

その場限りの言動とはいえ、過去の一時点の「か」の喪にある個人的心情など、10年経って変わりうるのに、そのまま登場者の声を使って放送関係者が責任の所在を回避すべく番組が音声で返していた。

まるで、蔑みやらけんか腰だ。それが、画面から届けられているのが、視聴者には伝わってしまうのだ。

さて、民放で、勝手に放った、身勝手な放送行為は? 

視聴者・近親、さえ心理加担になるともなりかねない問題を配慮しただろうか、かつて伝えたこともあった、放送側の身勝手さによる影響を。

放送倫理に欠如が見られるから、街頭の一般人間の声にさえ上がるのです。

それに並んだ民放は、どのように・・・・

勝手にしていて、共通項番組を作ってあげたから見てくれと身内おねだりされたり、詫びもみてくれとおねだりされ、ばかばかしいにもほどがある。

と、不愉快な面だけを連ねた。 1000万はどうしたか!いったいだれが何の権限があってあのように放ったのだろう。本当に横暴だ。コマーシャルやらオコネでも回っているのかしらん。

因みに、私が当時服用した薬 抗鬱薬は、攻撃性に影響あると判明し、入院した場合に保障が適用されるようだと後になって判明しました。

文字の中でも今とは違った精神状態の一片もあるのは、確かです。

曲解したり、AGAIN?・読者を変えて巧みに個人的問題回避を策略していたようにも思えます。それが、メディアにおける優位性だと胃竹田家らしいようにも感じる一面も多いに見受けられます。

だから、「情報操作にまどわされるな」となるのです。私たち庶民は、どれだけの真実を知りうるのでしょう。本当に本当の問題は、言わないようですね。

 ノーベル平和賞が実は、xxだったとか、後になって伝えられました。それもメディアから。 目が疲れるので、いろいろと購読は、好き勝手にしています。

まあるくなりましょう! でも、病だったら無理だから、仕方ないでしょう。 応援したのにという発意だったら、お詫びします。

心づもりはあったけれど、記事を読むと、その必要がないのだとわかりました。

 

 


いけずなときが本当に多い あさいち

2011年10月19日 09時14分34秒 | ニュースを読んで

だけれど、sexに向き合い、画期的だと思う。この分野に向き合うのは、自分の人間性に向き合うことでもあり、とかく同性や年長者は大抵が

不謹慎な声を発しがちにある。他人の性にたいして、異性でも同性でもがとかく蔑んでしまう話題でもあり、公然ととりあげるのは、救いの話題だと思う。

「か」を書くためにいろいろと読んでわかったのは、執筆家や文豪でも、初婚を遂げた人はあまりいないと、感心したことでした。

独身シングルや既婚者女性が他人の性のトラブルを卑下することのないような社会になってほしいですね。

講演会を聞き、山本直英さんの本を読んだことがあります。

「どうしてこんなことをしているの・・」とさぐる本の内容に、結婚してお互いを愛するのをさりげなく書いていたように思いだします。

それまで文字で育てられた絵空事ばかりではない、本質に迫った話題でした。

番組名が利用されて被害があったらしいのは、軽いと感じさせる面を対象年代がはらんでいるのではないでしょうか。親密性やらさわやかさ、8時台では、なんともかんとも。

けれど、年代では、子供の教育費もかかえた更年期(男女とも個人差はあるものの、若返ったり、落ち込んだりします)が始まる頃かもしれないから、十分メディアが支えてあげるといいでしょう。経験しないとわかりません。(陣痛の方がまだ短くて楽だったわねえ。) 

http://blogs.yahoo.co.jp/g7152g55s/3488125.html

学校の先生でも、同じように能力が落ちます。子供たちは大人の生物的変化を知りようがありません。それでいろいろなところでぶつかったり、不満も起きるでしょう。不完全な部分を受け止めあいましょうよね。

更年期には、夫婦でも、それをお互いに受け止めるのが難しい時期にさしかかります。自分の変化を受け止められないのだから、仕方がありませんよね、幸年季ととなえつつ。

初潮はお赤飯があったけれど、閉経には、いったい、誰が何を祝ってくれるでしょうか。教育費もあるけれど・・・・・

ああ、そうね、ファッション プリティ ラブリー トリップ作戦がいいのかもしれません。 鬱の谷が消えた頃、そう思えればいいわねえ。あちこちお出かけもいいわね。

 

 

 


アラビアのロレンス と ムバラクさん辞任

2011年02月14日 18時04分36秒 | ニュースを読んで

先週、何回かにかけて「アラビアのロレンス」を見ました。ピーター・オトウールさんの瞳は澄んだブルーで、ハンサムです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9

http://en.wikipedia.org/wiki/T._E._Lawrence

実在本人と役者さんは、似ていますね。

映像の美しかったこと。それに惹かれて見ていたのも、ひとつの理由にあります。砂漠を原野として暮らしている人々は、いったいどのように

自らの大地を受け止めているのでしょう。「サハラ」にしても、外国の人が抱く砂の芸術に惹かれる映像が焼きつきます。

キッチンのガラスのコップには、ウッディラムの赤い砂の上にローズクォーツ(ペトラ頂上に続く道中にあった石で、ラピスラズリも見かけられます)が載っています。

ペトラの山間でアクセサリーを路上で並べていた現地の女性に声をかけると、「アカバ」と返ってきました。映画のシーンでも、「アカバ」は出てきました。

本によると、ロレンスはあまり大きな人ではなかったようです。が、砂漠を駆け抜ける役者の姿、成し遂げた映画製作の熱意に思いを巡らせていました。

ロレンスのセリフに 「民族の自由」とテロップが流れ、数回に分けて見終わった映画に重なるのが、同じ週のエジプトの政変です。

家族といっしょにエジプトに出かけた時、バスに護衛として警官が入っていました。日本人観光客のバスで事件があったからです。

ガイドによると、エジプトでは2つ仕事を持つのは、当たり前だと聞きました。4時ごろに仕事が終わるのだそうです。ひとつの仕事から得る

報酬が低いのでしょう。

新聞の記事に、女性が兵士に花を差し出したスナップがありました。広場に集った人々の気慨を見たような思いがしました。