ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

ラオスを旅して、仕事や日本の貧困やチベット支援について考えてきました

2011年01月05日 | 徒然なるまま(日々雑事)
旅をしていろいろと考えてきました。

メコンを眺めながらいろいろを考えてきました。
仕事ではやはり、公共のために尽くす企業に入りたい と思った学生のころの思いを形にしたいなと思いました。

今日も職場で話したら、いくつかの施策のうちの一つとしてはありじゃないかと、おおむね好評だったのですが、人と人がつながるコミュニケーション を愚直にアプローチするような研究開発を重点の一つに置くことをしていきたいと思います

たとえば、TV電話が普及しないのは、顔写真をみるような平面的なものだからであって
母が娘に味噌汁の作り方を教えられるようなコミュニケーション、祖母が孫に折り紙の折り方を教えられるようなコミュニケーションが実現できるのだ というのをコンセプトとして示せないか?

離れて暮らす家族の身に心配があるときに、適切なセキュリティーとプライバシーコントロールがあった上で、家族が本当に心配なときに、警察に頼らずに部屋を見られるような通信もあっていいんじゃないか?

老人が悪徳商法に騙されないように、インターフォンや玄関のやり取りを、離れて暮らす子供たちが、リアルタイムや後から聞けるような仕組みがあってもいいんじゃないか?

病院の中に入院している人が、孤独を感じないようなコミュニケーションを実現できないか?
(それって装置の電波の問題なのか、それ以外の検診などの問題なのか、課題設定はまだわからないけど)

そんな風に、家族など、大切な人同士のコミュニケーションをもっと密にできることを取り組んでもいいんじゃないかと思います。

今年度は私が来る前に、完全な盲目の方の外出をサポートするACTシステムの試験研究があって、それに予算を数億円つけていたのですが、今年は、老化などによるハンディのような軽微なハンディをサポートしたい普通の家族が使えるようなアプローチを目指せないかとか、家族や人の孤独を和らげるようなコミュニケーションとか、愚直に取り組むことにも予算と人を割り振りたいと思いました

僕の裁量で、おそらく数億円は確保できるので、コミュニケーションの可能性というのを具現化するような営みを次の一年で実現できればと思いました。

その中では、他の企業の社会科学系の研究所や大学の先生方とも相談して、社会に対して自分たちの企業の技術が何が貢献できるのか、考えて形にしていけたらと思います
(マイミクさんにも期待しています 特に有識者の方)

一方で、やはりラオスという豊かではない国を旅すると、貧困という問題が頭から離れなくなります
余談ですが、たまたま、日本のラオス大使をされていた方とご一緒したのですが、ラオスでは共産主義では珍しく、汚職をすると大臣が更迭されるそうです。
そのあたりが、ラオスが日本共産党の友党になれない理由だろうなとも思いました(マルクスが唱えた民主集中制ではなく、ラオスはある程度民意を反映している)

それで、対して日本を思うと、外道日本共産党のせいで今年の派遣村がなくなったように、社会が「努力しても解決できない貧困」への抵抗力を弱めつつあるように思います
高校無償化など民主党の成果も極わずかにはありますが、やはり雇用は厳しいままですし、努力をする日本人に対して許されてはいけないレベルで困窮している人たちもまだまだいます。


そうした現実を踏まえると、
キリスト教徒として、神の代理として、地上に愛を示そうとなさったマザーテレサが、1981年4月に来日なさった際に、黒柳徹子氏に向かっておっしゃった


「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」

「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」。

「日本人は他国のことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」


とおっしゃる事に私は全面的に同意しますし、今、身をおいているチベット支援のコミュニティーへの違和感も感じます

僕は、チベット支援をしてきたのですが、日本の高校生の相応の割合の子供たちが、経済的な理由で中退をしている昨今において、そうした問題をさておいて、チベット人の大学教育などについて熱く語れることに、強い違和感を感じています。
http://www.youtube.com/watch?v=NsSYSAWG10k&feature=related

この国で保守論者というときに、私は、天皇陛下が貧困者への思いを述べられることに報いたいと思うような私達のような保守が、本来の日本の保守であって、
貧困者を切り捨てようとするようなネトウヨのような連中に保守は、日本共産党が偽りの格差是正論者であるのと同様に、保守の偽者であると確信しています。
「敵に塩を送る」という美徳や、同胞たちを愛さない連中が、中国や韓国や北朝鮮を敵だといったからといって、「保守」になれるわけでは断じてない

そんな風に感じる僕はチベット支援ではなくて、もやい やビッグイシューなどのように、イデオロギッシュな既存の外道日本共産党などとは違うアプローチで、同胞を救おうとする人たちに尽くすべきではないのかとも、いろいろと考えました。

おそらく、僕は、チベットについてmixi日記などで熱く言論を語るけど、日本の貧困について語ったことのない人、人権と声高に言うけど、中国国内の人権問題以外を語ったことのない人と一緒にいることが苦痛なのだと、率直に思います

もちろんそうでないチベット支援者の中もたくさんいて、実はそういう人と、リアルな世界では仲良くしているのですが、どうもネットでの言説をみると、自分の居場所ではない気がしてしまう。

そして、こちらの悩みついては答えが出ないまま帰国しました。

しかし、わずかながらも助力をしてきて、チベット人の方もそれに謝意を丁寧に示してくれた中で、彼らの期待を裏切るようなこともしたくない。

おそらく現実的にあるべき解は、日本の貧困者への支援と、チベットへの支援の両方を続けることなのだろうなと思いました。
しかし、仕事もハードになっていく一方でそれなりに厳しい道ではあります。

それでも、おそらく日本という先進国の貧困問題は日本人の手で解決するしかない。
先進国のわが国の貧困を他国が助けてくれることは無いでしょう

一方で、チベットの問題については、チベット人の手だけで解決する方法はない。
この地球に生み出されたマルクスの悪夢に対抗する正義があることを示すには他国が助けるしかないのでしょう。

僕は村上龍氏がいうように「他人に期待すべきではない」と基本的に思いますが、それでも、僕の身近なチベット支援者について期待したいことは、
「いきとしいけるものよ、幸せであれ」
という「仏陀の言葉・蛇の章」の言葉は、まず身近な家族や同胞に対してこそ向けられるべきことである という態度をぜひとも示して欲しいと思うし、それをマザーテレサだけでなく、ダライラマ法王という偉大な宗教的指導者の一人も望まれていると私は思いますし、そうであるなら、そのように互いに実践していきたいと私は思います。

そして、私たちが、イデオロギッシュではなく、真に社会の許せないものと対峙しているのだという示すことは、チベットやウイグルをはじめとする、多くの人々への人権救済への支援が、人々に支持されるために役立つと私は思います

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2 コメント

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Unknown (とおりすがり)
2011-01-06 02:02:09
TV電話が普及しないのは、コミュニケーションの動作としては不自然だからじゃないかな・・。人と人とのコミュニケーションでは、人と人だけが真正面から相対して話すって、喧嘩かお見合いか・・・いずれにしろ日常とはかい離した感じ。人と人以外に、雰囲気とか、場とか、空気とかも一緒になってある関係をつくっているのかな、と思う。五感で感じる雰囲気とか人の温かさ、っていうのを伝達するシステムってつくれないのかな?

たとえば、おばあちゃんのうちにいくときに、まずは仏壇の線香のにおいとか、何か独特の雰囲気があって、人との交わり以外(それ以上に)心が温まったり、落ち着いたりすることってあると思う。アロマがいいとかではなくて、“人のぬくもりを感じるにおい”というのかな。。。
客観的に把握できないニオイとか雰囲気とかある。で、それで孤独を感じない。自分の居場所を感じるというのかな。。。

テレビをつけっぱなしにしていても、内容が薄っぺらな番組だと、すごく空しいものを感じて、孤独感が募るのに、テレビ番組の内容がよくてそれを制作した人間の性格まで見えてくるような番組だと、励まされたりして、孤独を感じない。

一人じゃなくて一緒にいる人がいても、その人の心がそこになければ、孤独な感じがして、いてもたってもいられずその場から逃げて一人になったとき、孤独から解放された感じがするかもしれない。

人間の感情や、人間を超えた雰囲気とか、場とか客観化できないつながりを、客観化してシステムを作り出すことができると産業として面白いかも。

意味不明?? うーん、自分でも何を書いているかわかりませんが、なんとなく書きたくなった。

「孤独」とは何をもって孤独というのか?
「貧しい」とは何をもって貧しいというのか?

がはっきり定義できないと、解決方法もずれたりするのかも、とも思った。


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Unknown (とおりすごしさん)
2011-01-09 16:57:35
たぶん、おっしゃるような、言語化しにくい、人のつながり というのを、どうやったら取り戻していけるのか? という悩みなのだと思います。  テレビの番組でそれができるのなら、そういう方向もありだと思います

が、まだまだ、孤独も貧しいも 社会にあふれているように思います
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