ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

希望格差社会 1

2005年02月08日 | 就職・フリーター・ニート
最近更新をまったくしていませんでした。
見に来てくださった方々申し訳ございませんでした。

一応、ネタとしてはITのエンジニア育成とか、クルド人難民強制送還とか、書きたいことはたくさんあったのですが、今日は三週間ほど前に読んだ希望格差社会のレビューと感想です。

最近のニートやフリーター、そして晩婚化などの理由付けを分析していて、それには、普通に暮らしていけばよりよい未来が来るという希望の喪失と、夢という言い訳の下で問題を先送りして、不良債権化する若者や独身者について語っています。

分析自身には納得するのですが、結局のところ、現状では具体的出口がない問題を扱っているだけに最後のまとめは少々物足りないです。

また、希望格差を低学歴層などだけではなく、社会のあらゆる階層で起きているといっている点は、最近のメディアの扇動とは異なって、一定の評価ができる点です。
たとえば、最高の学歴である博士課程(後期)には、年間1万人の人が進学していますが、博士をとった人のポストは多く見積もっても年間3000人しかありません。
そうやってポスドクといわれる、職に就けない博士が毎年7000人量産されていき、その人たちには希望もなく、実際に40歳フリーター博士などが存在すると書いています。

また、この本の着眼点で、すごく納得できたのは、問題先送り戦略でした。
主に引用を用いたメモ
現代の日本は、「ゆとり教育」とか「受験競争悪者論」や「競争自身が良くない」という形で、苦労を否定し、友人や先生に気に入られるといった空しい苦労だけをさせる傾向が強まっていると筆者は考えている。そのために、子供は苦労に対する免疫をつけることなく成長してしまう傾向がある。また、親も子供を甘やかして育てている。
 そのような苦労の免疫のない若者が社会に出て少々の困難があったときに、苦労に耐えられなかったり、苦労を避けようとする傾向が出てくる。仕事に就いても、いやだと感じたり、自分の好きな仕事でないとという理由で、突然仕事をやめたりする。就職活動で「いやな思い」をしただけで、就職活動をやめてしまったりもする。
 そのように学校と親に甘やかされた世界と、現実の実社会のギャップが広がっており、そのギャップに耐えられない人は社会に出ることを先延ばしにする。
 理想の相手が見つかるまで結婚しないという人や、理想的な職につけるまでアルバイトをしていたほうがましだという意識が、フリーターや独身者を増加させている。
 しかし、彼らは理想的な結婚相手や仕事に向かって結びつく状況にはなく、その断絶に「夢」が入り込む。夢は現実を忘れるためにあり、その実現のために努力している人は少ない。
「理想的な結婚相手」「理想的な仕事」が見つかれば、現在の希望がない状況はチャラになる。だから、その日が来るまで、現状を放置して楽しいことをして待っているというのが彼らの戦略だ。だがそれはいつかは破綻する。


その結果として、「やりがいのあって、素晴らしい仕事」を求めるべきで、やりがいもたいしてなく、ただ、給料を貰う仕事につくことは、批判されるような傾向すらあります。
そうした扇動を行うインターネット就職屋やリクルート、転職斡旋業者などが人々を不安にしたあとに、その不安に付け込み夢を売る専門学校や資格取得スクール、留学斡旋屋などが跋扈するようになります。

でも、新卒で就職できない人が、留学したらもっと就職できなくなったりするわけですし、先日の日経にもあったように、ワーホリ帰りの人たちでは、行く前よりも正社員率も下がっていれば、月給も月に3万円も下がっていて、僕の半分以下しかもらっていません。

でも、そんなワーホリを素敵な経験として、夢を売る人たちは、人々に容赦なくマーケティングをかけてきますし、そうして、生涯年収が減る人たちが量産されていくわけです。

こうした夢を追う状況は日本独特のようで、他の先進諸国のように若者がいきなりホームレスになるような国ではもっともっと悲惨なようです。

親のすねをかじって、夢を妄想できているうちは幸せですが、きっとその人も、この国も将来は暗澹としたものだと思います。