うるる@@おっか村

2006年2月乳がん手術、6月には腹式子宮全摘手術した、
ふうママの日々暮らしと趣味と健康のブログです!

今年最後の・・・

2006-12-31 | 趣味(パン・お菓子)


今年最後のパン作りをしました。
クリームパンを作りました。
そのあとはおにしめ作り。と言っても、家族の食べたいものだけ。
数の子、くりきんとん、筑前煮、黒豆、こんにゃくの煮物。
あとはロースハム、チーズの盛り合わせ、柿の種とお酒でほんのり。
つまみ系がみんな大好き!!

8月からブログをはじめて5ヶ月。「乳がん」の検索から始まりました。
みなさんのブログを覗かせてもらって、勉強の毎日。
まだまだ、未熟ですが、私の『生きる証』を残して行きたいと思います
まだまだ、自己満足ですが、ここに来て下さる皆さまとの
出会いを『大切』にしていきたいと思っていますので、
来年も、これからも末永くよろしくお願いします。

喪中につき新年のご挨拶は失礼させていただきますが
2007年が皆さんにとって、充実した素敵な1年になりますように
祈っています。


子宮筋腫、術後1

2006-12-31 | 子宮筋腫
家族に迎えられた病室。まだ、麻酔が覚めやらぬ・・・
子供たちが「お腹が空いた」と言い出したため家族は19時で帰った。
ちょっと寂しいけど、身体を休めたかったので、また会えるし。

今日は絶対安静。尿管も入ったまま、気持ち悪い。やだ。
背中には痛み止めを入れる針が留置されている、チューブの先は
白い筒状で、プッシュ式になっていて、押せば痛み止めが流れ、
また3時間ほどで押せる状態になる。白い筒は網状の袋に入れられ、
首から下げられるようになっている。寝てる時は胸の上に置いていた。
でも、寝てる間寝返りのたびに、よく身体の下敷きになって、痛かった。

足にはストレッチャー、血栓を防ぐ膝まで靴下とセット。
器械音がぶきみ。これも、少し動く度にはずれて、起き上がれないから、
自分でなおせない、看護師のお世話になることに。
電気毛布も掛けてある。
傷は痛み止めがあるので、さほど痛みは感じない。
でも、なんでか腰が痛い。メチャメチャ痛い。寝てられないほど痛い。
寝返りは、まだうてないからどーにもできない。
なんで、こんなに痛いの
術後、あまり頭を動かすと頭に麻酔薬が廻るから、
頭を動かさないように注意される。
まだ、水分はとれないから、うがいをさせてもらう。
恋しい水分、何でもいい飲みたい

看護師に腰の痛みのことを話すと、座薬を入れてくれた。
そして、それはずっと寝ているから痛いのではなく、手術を受けたことによる
痛みだと説明してくれた。体の中をいじっているので痛みがあり、
手術後の疼痛も腰の痛みとして出ることもあると教えてくれた。
案の定、熱も出てきた。38度、氷枕をもらう。
睡眠導入剤をもらうが寝れない。看護師の夜の見回りの時も起きていて、
「看護師さん腰が痛い、寝られない」と訴えて
「可愛そうに、痛いんか・・・」と慰められてた。
3時間ごとに痛み止めの器械を押してもらった。
看護師さん、ほんとにありがとう。
1時間置きに目が覚めて、ついに朝が来た。地獄の夜があけた。
でも、痛みはまだ続くのだった。


子宮筋腫、手術

2006-12-30 | 子宮筋腫
2006年6月28日手術日。
朝食と昼ご飯は絶食。おきまりの浣腸。手術着に着替えて、点滴。
O医師も朝来てくれた。お世話になります。
お昼頃、今日は子供たちも来てくれた。
午後1時、血栓防止の膝まで靴下を履いて、
紙パンツ《小さいよ》を履き、手術用の帽子をかぶる。
2階の手術室までは車椅子。手術室前、ここで家族とはお別れ。
「行ってきま~す」 部屋までは歩いて行く。
今日こそは麻酔が入っても、3秒以上は持ちこたえるぞ!と意気込んだ。
手術台に寝る。手術着を脱いで、緑の掛け物をされる。
右腕に血圧計を巻かれる《きついし痛い》
左手の指先に血液中の酸素の状態を計る器械。
胸の3つ心電図のシールを貼られる。手はおちないように固定。
全身麻酔の前に硬膜外にチューブを入れる。横向きになっておへそを見て、
両膝を抱え、背中を後ろに突き出すようにする、
はずが・・・あれまだ始まらないのK医師が来ないみたい。
緑の手術着を着たO医師が足早に近ずいて来た。
「ごめーん、ふうママさん、 K先生まだ、来てないんや。
 寒いやろう。連絡は取ったから、もうちょっと待ってて。
私はO医師の話を聞きながら《先生、今日はメガネをかけてるんだ、
 メガネかけてる先生もすてきだなあ》と見とれてました。
看護師さんも「寒くない?」と気を使ってくれた。
しばしの沈黙。音楽だけが流れる手術室。
30分後、K医師登場、「K先生来られました」看護師の声。
手術室が急に慌ただしくなった。
硬膜外にチューブを入れられ、「点滴から麻酔薬が入ります」
1,2,3、ダーあ~やっぱりもたなかった。
K医師の顔を見ることなく、記憶がなくなった。

3時間半後、名前を呼ばれ、目が覚めたら病室だった。
痰を出すように指示された。酸素マスクはまだ外せない。
無事、手術が終了。これから3日間、私が苦しむはめになるなんて、
このときは思いもしなかった。

雪が積もりました。

2006-12-29 | 日々の暮らし

昨日の午後から天気は荒れ模様。風は吹き荒れる~突風だ
夕飯が済んで、外を見ると雪が
子供達は大喜び明日は外で遊ぶて言うだろうなあ。

で、雷は鳴るで、 PCは早々におしまい。
以前、落雷でPC壊れちゃったので。
でも、全日本フィギュアスケートは見てました。

朝、起きたら、やっぱり雪景色~
風が強かったので、積雪は思ったより、少なかったです。
でも、今日もまだ、降りそうです。


今年もあと3日ですね、ブログを書き始めて5ヶ月。
訪問下さった皆様、カキコミをして下さった皆様。
ほんとに、ありがとうございます。
ブログを通じて、たくさんの人に出会えて、うれしかったです。

来年はもっともっと仲良くしたいです。
来年もまた、よろしくお願いします。

子宮筋腫、入院

2006-12-27 | 子宮筋腫
いよいよ、子宮筋腫の手術で、入院。
2006年6月27日
主人と一緒に10時MS病院。
子供達は学校に。主人の母が25日から来てくれている。
乳腺外来の待ち合い室で案内を待つ。
3階外科病棟。看護師さんが「あれ冬にも入院してたね。」
「はい、またお世話になります」何人かに声を掛けられた。
前より少し広い個室に案内される。窓の外にはロー○ンが見える。
O医師がやって来た。
「ふうママさん、なるべく個室にいられるように言ってあるからね。
 手術の説明は19時からK先生とするから、それまではのんびりしてて。」
私が精神的に弱いのを知っててくれているから、その配慮に感謝。

今回の担当はH看護師、『個人看護計画』の説明。
とても気さくな、頼りになる看護師さん。
そのあとに、手術室受け待ち看護師さんが
「手術室入室から退室までの流れ」の説明に来た。
病院食は夕方までは普通。特にすることもなく。
夕食後、下剤を渡される。

19時になった。そろそろ手術の説明があるはず。
でも、まだ呼ばれない19時30分O医師が病室に来た。
「ゴメン、K先生まだ来ないねん。とりあえず、説明するから部屋にきて。」
20時前、K医師登場「すいません。遅れまして、じゃあ説明しましょうか」
筋腫の位置と今回は子宮を取ってしまう事等の説明。
K医師「まあ。心配することはないです。
じゃあ、あとはO先生が説明しますから。
 明日もお産があるから、遅れるかも知れませんが、来ますから。では明日。」
それで説明終わり
O医師「えらいあっさりした先生やなァ、僕とは正反対やなあ」
『検査、処置、麻酔、手術 説明書』はO医師が書くことに。
「乳房の絵は得意なんやけど、子宮の絵は苦手やなあ」
そりゃそうでしょ、乳腺専門なんですから。
私がお願いしたばっかりに気の毒に・・・
O医師にはほんとに感謝しています。
明日はいよいよ手術だ。

クリスマスケーキ♪

2006-12-25 | 趣味(パン・お菓子)
       

すみません。またケーキの話題です
23日クリスマスケーキ作りました。
レシピは簡単に書くと、
☆卵3個 ☆砂糖112グラム 
☆薄力粉67グラム ☆アーモンドプードル22グラム
(合わせて振るっておく)
☆牛乳30グラム ☆バター22グラム
(牛乳の中にバターを入れ、一緒に温めておく)←とかしバター
◎シロップ10グラム(砂糖1:水3)
◎ポイップクリーム・・・生クリーム200グラム
            砂糖15グラム キルシュ5グラム 

1、卵をあわ立て、3回に分けて砂糖を入れる。
2、もったりしてきたら、粉を入れてさっくり混ぜる。
3、とかしバターを入れて手早く混ぜる。
4、スポンジは170度で25~30分焼く
5、焼きあがったら、厚いうちに型から外し、
  粗熱が取れたら、横半分に切り、シロップを塗る。
中の生クリームは刻んだ黄桃とイチゴ。
あとは生クリームをデコレーション。出来上がり

お昼はピザを作りました。トッピングは子供に任せました。
喜んでました。楽しんで美味しい、一石二鳥 
はァ~全力を出し切りました。

  

去年の今頃は。

2006-12-24 | 日々の暮らし

22日は子供のクリスマス会だったので、ケーキを作った。
ココア生地のロールケーキ。
ロールケーキはスポンジを薄くやくので、
多少の失敗はごまかせる。
スポンジ生地の中の生クリームはキルシュリキュール
を入れ、細かく切った栗が入っている。
クルクルと巻いて、1コ1コ、デコレーション。
上の画像は子供用、下の画像は私用。
クリスマス風に飾ってみました。美味しかったよ。


☆去年の12月は検査続きだった。
スケジュール帳が物語る。
そもそも、肝臓の血腫が、がんの疑いから始まった原発探し。
1日、肝臓のMRI。
5日、自分で左乳房にしこりを見つけてから、
 1ヶ月後、ようやく初めて乳腺外来に行った。
 初めてのマンモグラフィー、細胞針。
 (のちにセカンドでO医師に出会うのだ)
8日、胃カメラ。軽い胃炎あり。
13日耳鼻科、甲状腺腫瘍のエコー検査。
19日には乳房の細胞の結果がレベル3、グレーだった。
 なので、2回目の細胞針。結果は年明け。
 循環器科は高血圧症の定期検診。
 産婦人科は子宮筋腫のエコー。
22日産婦人科の子宮筋腫のMRI検査。
 耳鼻科、甲状腺腫瘍の細胞針。
28日には大腸ファイバー検査。大腸がんの検査。
前日に検査食なるものを食べる。
クリスマス、年末年始どころじゃなかったよ。

あれから1年。今年は風邪で咳が長引いたものの、
穏やかに暮らしている。

皆さんは今年のクリスマスイブはいかがお過ごしでしょうか?
思い出に残る素敵な一日が過ごせますように

子宮筋腫の話6

2006-12-22 | 子宮筋腫
実家から帰って、徐々に普段の生活が戻ってきた。
6月14日MS病院、リハビリ。
6月22日MS病院、10時半 乳腺外来。
今日は自己血の日。外来の椅子に座って待っていたら、
偶然、診察室に入るO医師が通りかかり
「今からやね。頑張って!」と声を掛けてくれた。
ひとりで不安だったから、嬉しかった。

処置室に案内され、薬剤師さんと看護師さんの見守る中、
始まった。ベットに横になり、針を刺す。 
針は太いらしい、寝てるから見えないけど、会話からわかる。
看護師さんが腕に駆血帯を巻く、けっこう痛い。
たっぷり消毒をして、チクッと針が入った。
針からチューブを伝って採血バックに血が溜まっていく。
針は太めなのは、細いとすぐ血が固まってしまうからだそうだ。
採血中は手をグーパーする。結構大変、20分位で終わる。
その後、15分位寝たまま。急に起き上がると危険だそうだ。
やっぱり起き上がったら、クラーッとした。
水分をたくさん取るように言われました。

その後、O医師の元に、
O医師「どうだった?」
私「無事すみました。終わってからクラーッときました。
 あのー先生、あの血は使わなかったら、どうするんですか
O医師「捨てるのも、もったいないし、また身体に戻すか
私「え~もどすんですか」(私の血ってドロドロなのに)
O医師「自分の血だから、なんの問題もないよ。
 入院は27日10時に、今日は手術前の検査して帰ってね。
 血液検査は前したから、今日はなしでいいよ。
 手術の説明は27日の19時にK先生とするから」
いよいよだ~~ドキドキしてきた。

受付で『入院のご案内』をもらう。2度目なんでなれたもん。
準備の物が少し違う。「売店で買って下さい」の紙をもらう。
・紙オムツ・腹帯・紙パンツ・T字帯
・ウロメーター(蓄尿の袋、ビニール製)
あと、バスタオルやナプキン大。
血栓予防用の膝までくつ下は前のがあるし、持って行こう。
やば、夏用にパジャマ買い換えないと!帰ったら準備しなきゃ。
写真は病院の売店。また、お世話になりま~す。

そして・・・2

2006-12-21 | 家族のこと
父は最期1ヶ月お風呂に入れなかったので、
特別湯洗をしてもらった。
きれいになって、新しい着物で棺の中に。
お父さん、さっぱりしたね。気持ちよかったね。
食べられる時は、差し入れの和菓子やプリンやヨーグルト、
スイートポテトを美味しそうに食べていた。
左手の人差し指でトントンと机を叩いて、お代わりの催促をした。
お母さんが帰る時、悲しそうな目をして、服のすそを引っ張ってた。

やせこけた頬、骨と皮だけの手足。ラグビーで鍛えた身体はもうない。
そこには初老の父の姿。人間こんなに痩せられるものなんだ。
食べられなくなってから、衰弱は早かった。
ただ、ベットで寝ているだけの毎日。
楽しみはあったのかな
生きている実感はあったのかな
何を考えていたのかな
もっと生きて欲しかった。
でも、あの姿を見たら、頑張れとは言えない。
これで、よかったんだ。これで、やすらかに眠れるね。
お疲れさま。

6月1日お通夜の夜、ロビーに妹の娘と座ってたら、自動ドアが開いた。
誰もいない。誰?「お父さんだ」すぐわかった。
霊感の強い友達が「お父さんここにおられますよ」
賑やかなことが好きだった。寂しがりがりやの父。
夜中、お線香の様子を見る為、時々、棺の前に座った。

6月2日葬儀。
親戚や父の昔の友人がたくさん来てくれた。ロビーは賑やかだった。
妹はずっと泣いてる、私は喪主、母を支えて、最後まで泣けない。
これも、長女の宿命。泣かないと薄情に見えるかなとも思った。
お花であふれんばかりの棺、父の顔は穏やかだった。
棺に釘が打たれる、永遠にさよならの音だった。

出棺時、来ていただいた方にご挨拶。私の役目が終わった。
火葬場はとても、込んでいた。京都市内にはここしかないから。
今日はお父さん寂しくないよ。仲間がたくさんいるからね。
最後にそう話し掛けた。
「時々、思い出してあげること。それが供養になる」
住職が話してくれた。こうして父のことが書けたことも、
供養になるのかな。

そして・・・1

2006-12-20 | 家族のこと
5月31日、2回目のリュープリンもすんで、
やれやれと思っていた。お父さんはどうなんだろう。

14時・・携帯が鳴った。妹からだ
「母とお見舞いにきてるんだけど、
容態が悪いから、帰る準備しておいて」主人と準備を始めた。
大変や 頭の中、混乱してる
そして、2度目のコール
「午後3時24分、父が他界した。涙止まらん。」
そっか、私だけ、間に合わなかったんだ。。

しばらくして、母から、電話がかかって来た。
母が「お父さんは自宅へは階段が急で運べないし、
 今日は会館で預かってもらうから。主治医がいなくて、
 届も書いてもらっうの遅くなったから、明日朝、市役所に行くわ。
 今日はもう、することないし、明日昼までに来て。
 葬儀の細かいこと決めなあかんし、それと、喪主してや。」
私「なんですとなんで私が喪主
母「私、挨拶なんかできないし、頼むで。」
私「え~~」

6月1日18時お通夜、2日10時、葬儀が決まった。

私たちは昼前に会館に着いた。

宗派は浄土真宗。なじみのお寺の住職が来てくれることに。
場所は実家近くのセレモニー会館。
お布施はいくら包むのか。供花やお供え物はどうするのか。
誰を呼ぶのか。通夜・葬儀の返礼品は何にするのか、
通夜振る舞い・精進落しは何人分注文するのか。
スタッフとの打ち合わせ、容赦なく聞いてくる。
決めることがいっぱい、薄情なようだけど、さけて通れない。
悲しんでいる暇はない。葬儀は待ってくれない。