うるる@@おっか村

2006年2月乳がん手術、6月には腹式子宮全摘手術した、
ふうママの日々暮らしと趣味と健康のブログです!

術後3

2006-10-31 | 乳がん
2006年3月28日乳腺外来。
今日も傷口の消毒。
そろそろ、傷も落ち着いてきたので、 
防水ガーゼははずしてた。
O医師が私が張りなおしたガーゼの形を見て、
O医師くすくす笑ってる。
「うわ~器用な事してるなぁー」
私の傷口は乳頭の左半分にあるから、
ガーゼが乳頭にかぶさらないように、
乳頭に沿って、ガーゼを丸く切って張っていた。
私「だって、全部張ると、乳頭が痛いから・・」
変かな?いい方法だと思ったんだけど。
これほど、うけるとは 実はお笑い好き?

O医師「ごめーん。僕はおおざっぱだから、
 それは思いつかなかったわ。
 だいぶ、リンパ液も落ち着いてきたね。
 次はいつ来れる?」
私「今日はこれから、実家に帰るので、主人の実家にも
 帰るから、4月5日でもいいですか?」
O医師「じゃあ、その日にまた、来てください」

28日診察受けてそのまま京都に→1泊して自宅に。
→30日友達のお別れ会。
31日USJに遊びに行った。
→主人の実家に1泊して→4月3日自宅に。
→4日ぷりんのお友達来る。
予定いっぱいの春休みでした。

術後2

2006-10-25 | 乳がん
2006年3月23日またまた病院。
やはり、まだ液が少しずつ漏れていた。
ガーゼが汚れていたので、自分でカーゼ交換して病院に。
私が診察室に入るとO医師が「おっは~○○さん、元気か?!」
そのセリフは・・・『しんごママ??』古いんですけど、
いつもお茶目な先生です。
で、傷口を消毒して、ガーゼを重ねて、その上からやっぱり、
おっきい防水ガーゼを張ってくれた。(左乳房が隠れるくらい)
これでシャワーOK!
処置中、O医師と雑談してて、子供の話になった。
私「今度、次女が小学校に入るんです」
O医師「おっ!ピカピカの1年生やな。真新しいランドセル
 背負って、入学式楽しみやなあ」
私「長女は4年生なんです。先生んとこは?」
O医師「4年生と2年生、近いなあ。家族は○○にいるんやけど。
 僕はここで頑張るんや」
単身赴任のO医師、家族の話をしたら、
ちょっと寂しそうに見えた。
私「身体に気をつけて頑張って下さいね」

3月25日、またまた病院。
午前中は子供の習い事があったので、
3時に救急外来へ。この日は第4土曜日で病院休みだけど、
救急室は使えるから来てと言われてた。
病院について、受付でO医師に連絡してもらい、
廊下のイスに座って待っていたら、白衣を羽織ながら、
外のドアからO医師登場~
O医師「ごめん、ごめん、お待たせ、診察しょうか」
この病院の救急室は初めて、病院フェチの私、興味津津、
中の様子をキョロキョロ。
診察台が高い。上がるの大変だ!
O医師「赤みはだいぶ引いたね。やっぱり、なんらかの炎症は
あったみたいやね。でも、中の液にばい菌はいなかったよ」
やはり、傷口を消毒して、ガーゼを重ねて、
おっきい防水ガーゼを張って、終了~。
まだまだ、病院通いは続く・・・

術後1

2006-10-19 | 乳がん
2006年3月22日
主人がお休みだったので、病院に。今日午前中はリハビリ。
終わったら、ランチでもしょうということになってました。
乳腺外来は次は5月になりました。
車で1時間、やっと病院について、
車から降りて、リハビリ室に向かって歩いていたら、
あれれ~~なんだか冷たい、服が濡れてる
何が起きたんや。胸の下を見ると、
服が薄茶色っぽい液体でびっしょり。
『まさか・・これってリンパ液』
もれてる程度じゃない。あふれ出たようです。
顔面蒼白、冷や汗が出てきて、
足がガタガタ震えてきた。  
すぐ、車に戻って、主人に状況を告げ、
リハビリ室にも行き事情を話し、左胸を押さえながら、
乳腺外来に飛んで行った。
ドアをノックして、看護師さんに説明。
かなり焦ってる私。看護師さんは冷静に、
「大丈夫だから、ちょっと待っててください。」
待つこと10分。隣の診察室に案内された。
上着を検査着に着替えて待ってた。
O医師が来た「先生、こんななっちゃった~」
O医師「あっ、ここの傷口が開いてる。こんなん、はじめて見た。
 リンパ液、吸収悪るかったんかな」
私「そういえば、胸が張ったり、熱が出たりしてましたけど」
O医師「この辺(左乳房の傷口)少し赤いなあ、
 大丈夫と思うけど、念のためばい菌入ってないか、検査するわ」
針でチクリ。
O医師「また開いたら困るし、ホッチキスで止めておくし」
えっ 縫わないの 麻酔なしなん
なかなか止める場所がきまらないのか、乳房の傷口を
かなり近い位置で覗き込んでいて、四苦八苦、その姿が
おかしくて、ひそかに笑っていました。
ここでもない、これでもないと独り言を言いながら、
ようやく3箇所止まりました。
そして、ひと言「中の脂肪が燃焼したのかな?」
『なんですと~それって太ってるからて言いたいの??
そして、大きなガーゼをバーンと張って、
O医師「ゴメン、このサイズしかなんや。
服の着替えとか持ってきてないよね」
ブラはパットを入れていたから、なんとかセーフ、
パットのかわりに、ガーゼを沢山もらって押し込みました。
私「大丈夫です。上着があるから羽織ります」
O医師「悪いけど、また明日来てくれる」
しばらく通院することになりました。



その後2

2006-10-17 | 乳がん
2006年3月
私は幼稚園の年長集会、クラスの親睦会、
パン教室2回と、相変わらず、忙しくしていた。
4日に長女つぶあんの喘息がひどく病院に。
次女ぷりんも風邪を引き、病院通いは続く。

7日私の耳鼻科受診日。甲状腺腫瘍の針生検。
エコーで画像を診ながら喉の近くに針を刺すのだけれど、
めっちゃ怖いし、痛い 
「血が吹き出るかもしれないから、3分は押さえててください」
うそ~~吹き出るの~~もう、必死で押さえてました。
それにしても、左乳房が腫れた感じがして痛い。
まだ術後そんなにたってないし、痛いのは仕方がないのかな。
乳房を見たら、あれなんだか赤くなってる・・・
その後、熱も出始めて・・私も風邪?!

15日耳鼻科に腫瘍の結果を聞きに行く、2cm2個あり。
良性腫瘍レベル1。よかった。
13日は循環器受診。血圧測定、お薬をもらう。
ブロプレスとアテレック←利尿作用があり、トイレが近い。
外出時は困ります。動悸やめまいもあるし。
今月も医療費、いっぱい使っちゃいました

17日幼稚園の卒園式、ぷりんの風邪はなんとか回復し、
無事!出席出来ました。     
謝恩会に出席、私はなんだか熱っぽく、体がだるい感じで、
でも、子供の笑顔を見たいたら、頑張れました。

無事、ぷりんが卒園してくれて、やれやれです。
4月からは小学生。少しは楽になるかな。。






その後1

2006-10-14 | 乳がん
2006年3月9日
まだ、傷口が一箇所治ってないので、通院。
ちょっと、じゅくじゅくしてて、O医師も気になる様子。
リハビリ・・・左腕はなかなか、もとのように上がらない。
ひきつれた感じも残る。2週間ごとの通院になりました。

退院から、ほぼ1ヶ月。振り返ってみた。
私の子供たちもずいぶん我慢したと思う。
入院中はお義母さんが仕事を休んで来てくれていた。
2月10日退院して、次の日、次女ぷりんの目が
真っ赤になってる事に気がつき、救急外来に。
私退院したばっかりなのに 勘弁してよ~
「急性結膜炎」毎日朝夕目薬。
咳もひどくなり2月15日再受診。今度は風邪。
2月17日長女つぶあんは喘息の持病があるので、
この日は喘息外来に。少し咳が出始めたかな。
2月24日幼稚園の茶道のご招待。
(園で年長から茶道を習う)1年間の成果を見られる日。
ぷりんがお茶をたてて、飲ませてくれた。
小学校の新1年生体験があった日は同じ小学校に行く
友達のお母さんに連れて行ってもらった。
私も2月中にパン教室が2回。
幼稚園の地区委員をしていたので、役員会+慰労会にも出た。
家で静養なんてしてられなかった。
私が入院することで、幼稚園のバス停に送り迎えが
できなくなるので、(車で5分かかる)2月末まで、
臨時に家の前のお店の駐車場にバスを止めてくれた。
朝はお義母さんが徒歩で連れて行ってくれた。
帰りは時間的にバスがここまで来れないので、
お友達に頼んで迎えに行ってもらった。
家族や友達のみんなの協力があったから、入院が出来た。
今でもすご~く感謝している。ありがとう。

治療のこと

2006-10-10 | 乳がん
2006年2月23日、リハビリをすませ。
乳腺外来へ。今日も主人と一緒。
今日はホルモン治療をどうするかの返事をする日。
そんなにすぐには決められない、かと言って、
先延ばしにするのも・・

私には他に「若年性高血圧症」という持病ある。
薬は毎朝1錠ずつ。
・ブロプレス錠8 (副作用・・発疹、かゆみ、日光皮膚炎等の
          過敏症状、喉のはれや発熱、筋肉痛)
・アテレック錠10(副作用・・発疹、かゆみ、頭痛やほてり、
          降圧作用によるめまい)この薬は結構強い。
          めまいはよく起こる。
・薬代70日分・・・6210円
 この薬は一生飲まなければならないと思う。
 
 私の母も実母からの遺伝性の高血圧症で、今、軽い糖尿病、
 加齢による白内障のある。
 私も母からの遺伝であるから、いずれ母と同じようになるのは
 目に見えている。これはこれで怖い。。
 
 それに肝臓のことも気になる。
 脂肪肝→肝硬変→肝臓がん・・・循環器の先生は油断してると、
                すぐですよ!と脅かされている。 
 
 これ以上、脂肪肝が進行するのは怖い。
 ホルモン治療の薬の副作用に脂肪肝や肝機能障害もある。
 
 O医師は常に患者のQOLを重視し、考えてくれる。
 なので、ホルモン治療は、ひとまずしないことにした。
 「○○さんの場合、治療してもしなくても再発率は一緒だから。」
  それって、励ましてるのかな
 「また、悪いところがあれば、その時は取ればいいから。」
  また、取るのか・・それはしかたないね
 「そのかわり3ヶ月ごとの検診はきちんと来てくださいね。」
  了解!先生にしっかり診てもらいます
 『先生に命は預けた、どこまでもついて行くから、
  最後まで見て下さいね。』

調べてみた。

2006-10-05 | 乳がん
自分の乳がんについて調べてみた。
まったくの知識がなかったから。

★非浸潤性乳がん(DCIS)
 ・がん細胞が乳管、小葉の中にとどまり、
  基底膜を破って周囲の組織への浸潤がないもの。
  (乳管、腺房内にとどまり周囲への広がりがない場合)

★非浸潤性乳管がんの治療について、
 原則的に以下から選択されています。
 選択肢は多く、どのような治療を選択するかは患者さんの
 価値観や生き方も考慮して決定することが望ましい。
 ・全乳房切除術
 ・全乳房切除術+ホルモン療法
 ・皮下全乳腺切除術+同時再建
 ・皮下全乳腺切除術+同時再建+ホルモン療法
 ・乳房温存手術+放射線療法
 ・乳房温存手術+放射線療法+ホルモン療法

 術後に放射線照射を行いますが、
 病理結果や医師や患者さん自身の考え方により
 省略される場合もある。
 温存手術の場合、10~20%に局所再発が見られ、
 半数が浸潤がんとして再発。
 残した乳腺に局所再発を来たす可能性がある為、
 補助療法を推奨されることがあります。
 補助療法はタモキシフェン(抗エストロゲン剤)による
 ホルモン療法が第一選択肢。
 
 乳がんのHPはいろいろあって、書いてある事も違う。
 『純粋な意味での早期乳がんで、理論的には転移はない。
 適切な治療が行われれば、完治できる。再発予防の為
 放射線療法と薬が必要。
 経口ホルモン剤(抗エストロゲン)を2年間』
 と書いてあるところもある。

私にとってよい結果だったが、すなおに喜べない。
いずれにせよ。乳がんとはまだまだこれから長いおつきあいなのだ。

病理診断結果の日

2006-10-03 | 乳がん
2006年2月16日 退院から6日目。
今日病理診断検査の結果を聞く。主人も一緒だ。
先にリハビリを済ませ、乳腺外来に。
心臓が飛び出しそうなくらいドキドキが止まらない。
 ★手術直後の説明
  ・腫瘍・・MRI→3cm弱 ・エコー→2.3cm 
  ・腫瘍切除した部分・・・3cm×1.5cm
  ・センチネルリンパ節生検
  ・腋窩リンパ節郭清 レベルⅠ 
   17個のうち3個に転移の疑い有 
  ・最悪 ステージT2 ⅡB
  ・温存すると、抗がん剤療法の後、放射線療法、ホルモン療法。

名前を呼ばれ、診察室に入った。私は足が震えてた。
O主治医が笑顔だった。今だに、その時の話はよく覚えてない。
頭がボーっとしてた。え??なに?そんながんてあるの??
「○○さん、奇跡に近いよ!僕もビックリした。いや~~
まさかの結果だよ。こんな結果はめったにでないことだよ。」
 
  ・非浸潤性乳がん(DCIS)
   (がん細胞が乳管や小葉の中にとどまっているもの)
  ・リンパ節転移なし  
  ・切除断端 陽性
  ・ホルモン感受性 ER(+)28.2% PgR(+)94.2%
           HER2(-)陰性

「抗がん剤療法なし。放射線療法は省略できるよ。
 ホルモン療法はどうする?ホルモン感受性は強いなあ。
 ・ノルバデックス(タモキシフェン) 毎日経口5年。
 副作用としては食欲増進、脂肪肝、肝機能障害、子宮体がん、
 ホットフラッシュがあります。」
主人「その治療は副作用が強く出た時は、
1年とかでやめることが出来るのですか?」
O主治医「1年でやめるなら、最初からやらないで下さい。
5年間きっちり続けて下さい。確かに高いお薬ですから、
経済的にも負担はかかると思います。
いつ始めてもいいので、よく話し合って、また返事下さい。」
また、一週間後に治療をどうするかを返事することにした。 
『はじめて聞いたがんの名前、帰ってから調べてみよう』と思ってた。
この結果はくつがえらないよね。