うるる@@おっか村

2006年2月乳がん手術、6月には腹式子宮全摘手術した、
ふうママの日々暮らしと趣味と健康のブログです!

京都に行って来ました。

2006-12-19 | オフ会
12月17日京都駅ビルでプチオフ会に参加してきました。
ブログで知り合った方々。
ホテルのラウンジの喫茶店で初顔合わせ。

☆ピュア姉さん、お話し上手で、面白いお姉さま。
☆マリモさん、キュートな感じのかわいい人。
☆更紗さん、ゴージャスで笑顔の素敵な楽しい人。
☆○州から1泊2日でお母様と旅行にこられたponzuさん、
 しっかりした感じで、きれいな人。
☆どこにでもいる普通の主婦、ふうママの5人。

限られた2時間だったけど、初めて会ったような気はしなくて、
すんなり、溶け込めました。
治療のこと、主治医のこと、話は盛り上がり、
あっという間の2時間、なごりおしかったです。
もっと、みんなさんのお話聞きたかったですゥ。

私は地元で、いろいろ用事があって、日帰りになったけど、
久々の京都を楽しんじゃいました。
京都駅ビルの巨大ツリーも見れたし、
デパ地下も少し楽しめた。
帰り道、ロームのイルミネーションも車から見学。
私が京都に居た時は、こんな大規模ではなかったよ。
すごーい、両側の木がきらきらだ~~人も車もいっぱい。
写真は車の中からなので、写り悪くて、すみません。
夕食にはステーキを食べて、 
帰り道の途中で、福○山温泉に入った。
福○山から加○町に向かう途中の与謝峠では、吹雪にも出会い。
こんなの普通の雪じゃない、前がみえないよ。
「あっ!まだ、スタットレスに履き替えてない。」
おまけに軽自動車だよ~(ガソリン代節約の為、軽で行った)
と、びびりながらも、運転得意な主人の運転で何とか乗り越えて、
無事、帰宅。 あ~楽しかった。
まだ、会ってないみなみなさま、いつかオフ会して、会いたいです。

子宮筋腫の話5

2006-12-15 | 子宮筋腫
父の病院から帰ってきて、4日ほどして電話がかかってきた。
MS病院から、「なんだろう
交換の人がO医師につなぐ、
「ごめーん ふうママさん、手術日変えてほしいんだけど、
たった今、市の主催の「乳がんのセミナー」の講師依頼の
手紙が来て、セミナーの講師の依頼は受けてたんだけど、
まさかこの日とは、一番初めのセミナーなんで、
僕としても行きたいんだけど。。
遠慮がちに先生が話す。 

私も父がまだ、危篤状態なんで、遅い方がいいかなと思い、
先生に父のことは話さずに、(そんな雰囲気でもないし)
私「いいですよ。大事なセミナーなんですね。
 じゃあ手術日はいつになるんですか??」
O医師「28日次の週に、K先生も了解してもらってるから。
 急にごめんね。」(いえいえ、この借りはいつか返してもらうから
と言うことで、6月28日に手術日、変更
自己血の日は6月22日変更になりました。
仕方ないよねすぐ、主人や母やお義母さんにも連絡した。
父がもし、私の手術日や入院中に亡くなったら、
最後のお見送りに行けない。
不安でいっぱいでした。
妹からメールで病状が届いてた。
ナースステーション横の個室に変わったと。回復の見込みはないそう。

5月30日K産婦人科。リュープリン2回目。
K医師に卵巣は取らないことを話した。
それと、「開放型病床」のことを聞く。
病院が診療所の医師に病床を開放するという制度です。
この制度を利用する場合は、
かかりつけ医(K医師)が病院の主治医(O医師)のいる病院に行って、
手術や入院中の患者を訪床した回数に応じて費用を負担する。
私の場合、K医師に1回1050円。O医師に660円負担になる。
別料金がいるわけです。ハイ。
その日に合意書にサインして、渡して帰りました。

写真のパンは「あんぱん」作りました。
しろあんに栗のつぶが入っている美味しいパンです。

入院中の父が・・・

2006-12-13 | 家族のこと
5月24日朝、母から電話がかかってきました。
「お父さんが危篤て病院から電話があった!」

主人がちょうど夜勤明けで帰ってくる日で、
急いで準備し、主人が帰って来て、子供たちを学校に迎えに行き、
ここから車で2時間半、父の病院に向かいました。

父の意識はなく、目はうつろで、呼吸も苦しそうでした。
「お父さん、頑張ってや!!」声をかけて手を握りました。
反応はなく。。視点も定まってない。。
危篤なのに、まだ、4人部屋でした。
血圧計や心電図とかもない・・・点滴されて、
ただ、寝かされてるだけのように見えました。
母がポツリと、「あと1週間位かな・・・」
確かにまた、元気になる、て思えるような様子ではなかった。
私たちは子供達の学校もあるので、ずっとここにいるわけにもいかず、
1泊して、一度帰ることにしました。

私の父は3年前、2003年5月1日脳梗塞で倒れました。
1週間、生死をさ迷っていました。
奇跡の生還、でも、右半身不随、言葉も失いました。
それから3ヶ月ごとの転院、転院の度に病院の質も悪くなり、
リハビリもしてもらえない病院もあって、
ついに寝たきりになりました。

倒れる何ヶ月か前、右目が見えにくくなくなってきて、
おかしいと思ったのか、K大病院に通い出だしました。
いろいろ検査の結果、首の後ろの血管に血腫があり、
手術で取らないと、いずれ脳梗塞になると言われてました。
手術も間近だったのに、入院当日、逃げ出してきました。
そして、やはり、倒れてしまったのです。
私はその時、すでに北部にいたので、あまり実家にも帰れず、
父の様子が心配でした。
もちろん、学校の休みの度には帰ってました。

そして、私の筋腫手術が決まった頃、
父は甲状腺がんと肺の腫瘍に侵されてました。
口から食べることも出来ず、熱も頻繁に出ていました。

妹に「何かあったら、すぐ連絡して!」と頼んで・・
泣く泣く、家に戻りました。


子宮筋腫の話4&乳腺外来

2006-12-12 | 子宮筋腫
5月11日MS病院。リハビリと乳腺外来。
傷口のチェックと術後3ヶ月後の指導。
まだ、痛々しい傷口。脇の部分が引きつりが気になる。
腕のしびれもとれない。肘までしびれてる。
痛み止めのロキソニンと胃薬セルベックス、
眠れないのでレンドルミンを処方してもらう。
自宅でリハビリを頑張るように言われる。

で、筋腫手術のお話へ。
O医師「K先生からメールが来て、6月21日で手術OKだそうだよ」
そうか、決定か。O医師に私が筋腫手術のことをネットで
いろいろ調べて知った自己血ことを話し、そのことを聞いた。
手術の時の出血に備えて、自分の血を輸血用に取って置く方法だ。
術前貯血式自己血輸血と言います。
この病院でもやってると言うことなので、お願いした。
看護師さんが自己血の時の注意を書いたパンプを貸してくれた。

O医師「400CCあれば大丈夫やろう。なら1回で済むし。
 手術1週間前の6月15日に来て、何回も来るの大変やろ。
 乳腺のほうは入院中に診察するから、予約は入れとかないよ。」
私「一度に400CCも取るんですかー貧血は大丈夫ですか
O医師「大丈夫だよ心配なし
 自己血するから、そのための採血して帰ってね」
笑顔でお見送りをしてもらった。

6月15日までに、5月22日MS病院でリハビリ、30日K産婦人科。
6月5日Y病院循環器科。13日耳鼻科、甲状腺腫瘍エコーと針正検。
14日MS病院リハビリ。うわァ~~病院てんこもりだ!!

写真は家の近くのワイナリーのぶどう畑。
地元の美味しいワインになります。

子宮筋腫の話3

2006-12-09 | 子宮筋腫
5月1日、ついに生理が来た~~
急いでK産婦人科に。
連休になるから、気が気でなかったし、よかった。
K医師が「ふうママさんは乳がんがあるんだよね。
 卵巣も取ったほうがいいか、O先生に聞いてきて」
いきなりの発言にビックリ 卵巣は取らないで欲しい。
O医師に相談してみよう。
さて、初めてのリュープリン注射、結構注射器大きい。
なになに、体重別で液の量が2種類あるんだ。
(もちろん、私は量の多い方)看護師さんが右腕にしてくれた。
「絶対、揉んではだめですよ!効きすぎるから。
一ヶ月かけて、液の中の薬のつぶが弾けて効いていきますから」とのこと。
これで生理が止まり、筋腫が小さくなってくれれば。。子宮残せるかも

注射を済ませ、O医師のいるMS病院へ。
予約はしてなかったんで、看護師さんに話したら、
診察室に案内してくれた。
私「リュープリン、K先生が自分の病院でするからって、今日注射してきました。」
O医師「そっかーあっちでするか」ちょっと残念そう。
私「それと、K先生から手術の日、決めるように言われてきました。」
私のメモを見て、カレンダー確認して、PC画面を見て、
O医師「僕も忙しいから、とりあえず今、日を決めておこうか」
で、6月21日に決定
O医師「それと、手術も入院もこの病院でいいよね。移動も大変だし。
 あっ!K先生には僕からメールしておくから」
私「先生、K先生が卵巣も取ったほうがいいんじゃないかと言うんですが、
 取らなくてもいいですよね」
O医師「取らなくても大丈夫だよ」よかった
手術日もあっさり決定。こんなもんなんか。
その日は小学校の下校当番、急いで帰りました。
そのあと、ホットフラッシュに悩まされました。
すごい汗噂には聞いてたけど、すごかった。

写真は長女が学校の料理クラブで作って来たおにぎり。
じゃこご飯で、おいしかったです。

子宮筋腫の話2

2006-12-08 | 子宮筋腫
4月21日K産婦人科。
病院は個人病院らしく、きれいな感じ。
このK産婦人科は人気の病院。
産科は全個室でお料理も美味しいと聞いていた。
私の友達がお産した時、一度来た事がある。
でも、K医師には初めて会う。
めがね掛けてて、ちょっとインテリっぽい感じ。
紹介状をみせた。読むと、はいはい~て感じで、
余計な私語はなく、診察台へ。
K医師「うわ~~大きいねー。よくここまでほっといたね。
 かなり血液を含んでいるようだから、このままでは切れないから、
 リュープリンで小さくしてから、手術しようか」
私「先生、子宮は残せるのですか?」
K医師「筋腫の位置を見てみないと判断できないけど、
 こんなに筋腫が大きいなら、取ることになると思うよ」
私「そうですか・・・あの~手術は7月下旬がいいんですけど」
K医師、カレンダーを見て「7.8月はお産で予定がいっぱいだから、
 無理だなあ。6月か9月ならまだ出来るかな。」
産婦人科医不足の波もここにも来てると、実感。。
早く決めないと、予約が取れにくくなると思い、
私「じゃあ6月でお願いします。」
リュープリンも1回1万5千円と聞いていた。9月まで待てないよ。
なにより、生理痛が辛い。
K医師「O医師の予定もあるだろうし、希望の日を何日かあげて」
何日か希望の日を上げたけど、K医師はこの病院でひとりだし、
MS病院に来てもらわないといけないから、
水曜の午後からしか手術はできない。母親教室もあるからと、
第一候補日 6月14日
第二候補日 6月21日、28日 
O医師の予定を聞いてから決定と言うことになりました。
K医師「O医師の予定聞いて来て下さいね。
 次、生理が来たら、早めに来て下さい。」
と言われ帰りました。
帰りの電車の中で、やっぱり子宮はあきらめないとダメか、
としんみり考えていました。子供は二人いるし、仕方ない。
またまた手術か~お義母さんに来てもらわなくちゃ。
また、忙しくなりそうや。

写真は庭のゴーヤと黄色いゴーヤの花です。
季節は夏です。季節あわなくてごめんなさい。

子宮筋腫の話1

2006-12-07 | 子宮筋腫
ここからは6月下旬に手術した子宮筋腫の話しを書きます。

2006年4月20日の乳腺外来の時に、
O医師に「子宮筋腫」のことを相談した。
もともと、筋腫の発見が先で、12月の時点で10cmになってて、
3月に手術予定だった。
でも、1月に乳がんが分かって、2月に乳がんを先に手術したから、
筋腫のことはしばらくほっといたから、気になっていた。

実は17日にかかりつけのY病院の産婦人科に行った。
でも、主治医の女医のK医師は転勤していた。
新しい医師は・・・(詳しく書けないけど)
この医師にお世話になるのは嫌だと思った。
その時の内診でもう、筋腫は11センチになっていた。
で、思い切ってO医師に相談した。
O医師の「ここで切れば?」のひと言で決めた。
産婦人科の開業医K医師がこの病院に来て、手術すると言う
システムがあることを聞いてここでの手術をお願いした。
その時に看護師さんもいろいろ調べて教えてくれた。
O医師「K医師のことは僕がよーく知ってるから、
 11cmになってるんだったら、たぶんリュープリン注射して、
 小さくしてから手術になると思うよ。ここでもリュープリン打てるから、
 どうするか聞いてきて、手術の日も相談しなきゃなあ」
私「先生も手術の時に入ってくれるのですか?」
O医師「執刀医はK先生だから、K先生がいいと言うなら、助手として入るよ。
 ここで手術して、入院はK先生の病院に転院してもいいし。」
それならと、さっそく紹介状を書いてもらい、
次の21日に予約を取り、K産婦人科に行きました。

写真は家の庭から見た夏前の風景。
田んぼの向こう側に自転車道があり、その先は海です。

期待しすぎはダメだね。

2006-12-04 | 病気のこと
風邪の続きです、読んでね。
11月24日家の近くのY病院。
今日は消化器科のY医師が総合内科の担当。
去年、肝臓の血腫でお世話になった先生。ちよっと苦手かも。
9時に行って、順番取ったら12時受診だって!!
消化器科の予約の人も入ってるから仕方ない。
クラークの人に一度帰っていいか聞いたら、1時間ほどで診てもらえるって
言ったから、待ってたのに、結局12時になった。うそつき~
抗議したら「それはわたしの読み違いです。すみません」
めんどくさそうな言い方。貴重な時間を無駄にしたわ。

途中、処置室で寝かせてもらった。咳のし過ぎで声が出ない。
胸も痛い。ようやく診察となり、レントゲンと血液検査。
結果は気管支炎。「肺炎まではいってないみたいだけど、
高熱が出たら入院です」と。    
咳がひどいので、リン酸ジヒドロコデインをだしてもらう。
あとで、聞いたんだけど、この薬すごく便秘になるらしい。
聞いてないよ~ 確かに便秘になった。
詳しい血液検査結果は30日、Y医師が「僕は消化器科ですけど、
呼吸器科で予約とりましょうか?僕でいいですか?」と聞かれ、
気弱な私は「嫌です。呼吸器科で」と言えず・・・「はい」
「僕のこと、知ってるからいいですね」だって。元患者だもんね。

で、30日病院に。2時の予約が結局3時過ぎ。
Y医師「風邪はどうですか?」
私「熱はないんですけど、咳がまだ辛くて、声がかれちゃいました。」
Y医師「僕とどっちがかすれてる?」
あっ、先生風邪ひいてる~ もしかしてうつった?
私「同じくらいかな?咳が出たら、心臓の動悸がするし、頭は痛いし、
喉のあたりに痰が溜まってるみたいで・・」
Y医師「それは仕方ないですね。薬飲んでたらそのうち治まるでしょう」
はァ??2週間も、おさまらないから病院に来とるんじゃ~
気を取り直して、私「それと胃が痛いんです。」
Y医師「抗生物質のせいやな。熱ないし、ムコダインとリン酸と胃薬出しとく
から、これで収まらないなら、僕には手に負えないから、呼吸器科に行って。」
触診なし!お話だけ。なんか相手にされてないな、て悲しくなった。
ちくしょうーこんなことなら、予約は呼吸器科にしとけばよかった!
それから、よく考えて、もうこの医師に期待するのはやめようと思った。
これから楽しいイベントが待っているのに
寝込んでなんかいられない。気合で治すぞ

なんでこんなに混んでるの?

2006-12-01 | 病気のこと
11月12日から、喉の痛みと軽い咳が出て、
風邪の引き始めかなと思ってた。
14日乳腺外来(内容はまた後日に)でした。
このときはまだ熱もなく、喉が痛かっただけでした。
16日主人がT病院の整形外科に通院するので、私は耳鼻科に。
「急性咽頭炎で入院した事がある」と言うと、
そのT医師は「もともと風邪って言うのは正式な呼び名じゃなくて、
咽頭炎か喉頭炎とか扁桃腺炎で、それをまとめて風邪言うんや」
て、風邪のお話を聞きにきたのじゃないんですけど・・・
微熱なので、効き目の弱い抗生物質フロモックスとムコダイン、
レフトーゼをもらい、吸入して帰りました。
週末の行事はなんとか参加できたが、やはり咳はつらい。

21日T病院の内科、循環器科の医師が初診の患者の担当医。
患者を診ながら、途中、心エコーとか検査に行くから、何度もいなくなる。
9時に行ったのに11時になっても診てもらえない。
私は16番、9番まで進んでいるのに!! 
しんどかったので、看護師に他の先生に見てもらえないか頼んだ。
内科はどこもいっぱいで、横は入りは無理。
総合内科なら、あと1時間で診てもらえる、と言うので移動。
12時にようやく受診。担当医は名誉院長。おじいちゃん先生でした。
かなり高齢、あれ~~しまった。内診もそこそこに、
抗生物質クラリシッドとムコダイン。
もう、あかん、3時間待ってこれじゃ・・・と。
私は風邪をひくと、なかなか完治しない。こじらせたのかな?

27日主人の通院とぷりんの小児科で、T病院。
で、主人が耳鼻科で診てもらえて言うので、私も耳鼻科に。
小児科F医師、「ぷりんちゃんの心臓の検査は、また動悸がするとか、
 胸が痛いとか言い出したら、また検査しましょうか。
 今日は扁桃腺が腫れてるから薬出しときます」
そんなんでいいんか??  
私の耳鼻科、2時間待った。私「咳のし過ぎで、喉が痛い」
鼻と喉の奥をファイバーで検査。鼻のレントゲン。副鼻腔炎ではない。
T医師「この間きたときよりも鼻も喉は良くなってるし、
 耳鼻科の領域じゃないな。内科に行って。」
結局、無駄足。なんでこんなに病院混んでるの~
総合病院じゃ、これが普通??