うるる@@おっか村

2006年2月乳がん手術、6月には腹式子宮全摘手術した、
ふうママの日々暮らしと趣味と健康のブログです!

そして・・・2

2006-12-21 | 家族のこと
父は最期1ヶ月お風呂に入れなかったので、
特別湯洗をしてもらった。
きれいになって、新しい着物で棺の中に。
お父さん、さっぱりしたね。気持ちよかったね。
食べられる時は、差し入れの和菓子やプリンやヨーグルト、
スイートポテトを美味しそうに食べていた。
左手の人差し指でトントンと机を叩いて、お代わりの催促をした。
お母さんが帰る時、悲しそうな目をして、服のすそを引っ張ってた。

やせこけた頬、骨と皮だけの手足。ラグビーで鍛えた身体はもうない。
そこには初老の父の姿。人間こんなに痩せられるものなんだ。
食べられなくなってから、衰弱は早かった。
ただ、ベットで寝ているだけの毎日。
楽しみはあったのかな
生きている実感はあったのかな
何を考えていたのかな
もっと生きて欲しかった。
でも、あの姿を見たら、頑張れとは言えない。
これで、よかったんだ。これで、やすらかに眠れるね。
お疲れさま。

6月1日お通夜の夜、ロビーに妹の娘と座ってたら、自動ドアが開いた。
誰もいない。誰?「お父さんだ」すぐわかった。
霊感の強い友達が「お父さんここにおられますよ」
賑やかなことが好きだった。寂しがりがりやの父。
夜中、お線香の様子を見る為、時々、棺の前に座った。

6月2日葬儀。
親戚や父の昔の友人がたくさん来てくれた。ロビーは賑やかだった。
妹はずっと泣いてる、私は喪主、母を支えて、最後まで泣けない。
これも、長女の宿命。泣かないと薄情に見えるかなとも思った。
お花であふれんばかりの棺、父の顔は穏やかだった。
棺に釘が打たれる、永遠にさよならの音だった。

出棺時、来ていただいた方にご挨拶。私の役目が終わった。
火葬場はとても、込んでいた。京都市内にはここしかないから。
今日はお父さん寂しくないよ。仲間がたくさんいるからね。
最後にそう話し掛けた。
「時々、思い出してあげること。それが供養になる」
住職が話してくれた。こうして父のことが書けたことも、
供養になるのかな。