先日、たまたまイタリア・ウンブリア州東部のスポレート、トゥレーヴィなどを調べていて
ふと、イタリア中部地震の被災地はどうなっているのかが気になりました。
あれから3年半以上が経っています。
2016年8月24日未明。
寝静まるイタリア中部を突如襲った大地震。
ウンブリア州・マルケ州・ラツィオ州の州境が隣接する内陸部を震源とし
周辺地域では、その後、10月・翌年1月にも大きな地震が続きました。
ネットには地震後間もなく被災状況を写した写真や動画がアップされ始め
現場で間近から撮影されたものは、心を凍てつかせる凄味がありました。
しかし、街や集落全体が、どの程度の被害を受けたのか
多少の空撮はあったものの、今一つ状況が掴めませんでした。
そこで今回、Google Earthを使って被災地を辿ってみることにしました。
多大な被害を受けたのは、築ウン百年という石積みの民家や教会など。
耐震構造という言葉すら無かった時代の建物が傾斜地に密集していることが多く
倒壊が倒壊を呼ぶというようなことも多発したのではないかと思います。
まずは大雑把ですが、Google Map の画像を引用して被災地の位置を示します。
赤いバツ印が震源地です。
左下の方に首都ローマが見えます。
ローマから震源地までは100キロ強あります。
今回は、震源地の右下にあるアマトゥリーチェから、震源地の左上にあるノルチャを経て
ノルチャの20キロほど北までの9箇所を辿ってみます。
(C) Google
◆ アマトゥリーチェ Amatrice 旧市街(ラツィオ州) 2017年7月撮影
パスタ料理のレシピの一つ「アマトゥリチャーナ」発祥の地として世界的に有名で
旧市街の凄惨な被災状況は、街の知名度の高さもあって、日本でも盛んに報道されました。
震源地から南東に14キロほど離れています。
この写真の右下方向に新市街が続いていますが、そちらの被害は少なかったようです。
◆ アックーモリ Accumoli (ラツィオ州) 2017年7月撮影
アマトゥリーチェから北北西に8キロほど。
震源地からは7〜8キロ程度の、震源に最も近い集落の一つです。
さらに広範囲を表示させると下のような様子になります。
右下がアックーモリですが、左上に整然と並ぶ建物群があります。
ストリートビュー(地震前の2011年撮影)で確認すると、そこには林や畑しかありませんので
おそらく被災者のための仮設住宅ではないかと思われます。
◆ ペスカーラ・デル・トゥロント Pescara del Tronto(マルケ州) 2017年7月撮影
アックーモリから北北東に7キロほど。
イタリア中部地震の報道で最も目にしたのは、前述したアマトゥリーチェと、ここの惨状でした。
まさに壊滅的と言うしかなく、ネット上で見つかる地震直後の写真でも、ほぼ瓦礫の山という状況です。
この集落の少し南の平地にも、空き地に仮設住宅らしきものが建設されているのが確認できました。
◆ アルクァータ・デル・トゥロント Arquata del Tront(マルケ州) 2017年7月撮影
ペスカーラ・デル・トゥロントから北東に3キロほど。
右端にポツンと一軒家が倒壊しているのが見えますが、サンティッシモ・サルヴァトーレと言う教会だそうです。
◆ ノルチャ Norcia の中心部(ウンブリア州) 2017年6月撮影
ウンブリア州東端部の街ノルチャは、震源地より北西へ10キロほどの場所にあります。
過去の度重なる地震の教訓から耐震化工事に積極的であったため
今回の地震では集合住宅などには大きな被害は出なかったようで、犠牲者もありませんでした。
しかし、街の象徴とも言えるサン・ベネデット聖堂が、正面壁を除いてほぼ全壊。
この写真の中央付近にある広場の右に黒く見えている建物が聖堂です。
奇跡的に残った正面壁には修復用の足場が組まれているのが見えます。
◆ カステッルッチョ Castelluccio(ウンブリア州) 2017年7月撮影
ノルチャから東北東へ10キロほどで、震源地からは北北東に14キロほど。
大平原ピアーノ・グランデの北端に位置し、最寄りの集落まで6キロほども離れている孤高の村です。
数あるウンブリアの山村の中でも、独特の可愛らしさと美しさを持つ珠玉の村は、無残な姿に変わり果ててしまいました。
◆ カンピ Campi(ウンブリア州) 2018年9月撮影
ノルチャから北に7キロほどの小さな村です。
この集落から1キロほど離れた平地で、こういうものを見つけました。
すぐに、地震で倒壊したサン・サルヴァトーレ教会だとピンと来ました。
ニュースで倒壊した様子を見たからです。
しかし、この無機質な屋根は何なのでしょうか。
地上から写した写真がネットにありました。
修復のために大屋根がかけられていたのです。
倒壊前は、こういう姿をしていました。
入り口とバラ窓が2つ並ぶという特異な正面です。(向かって右側は増築されたもの)
右奥の山の斜面に、空撮写真の集落が見えます。
◆ サン・テウティツィオ修道院 Abbazia di Sant'Eutizio(ウンブリア州) 2018年9月撮影
この修道院は、カンピから北西に5キロほど離れたピエディヴァッレ Piedivalle という小さな集落の奥にあり
中世に外科学校が創設され、医学の発展に多大な貢献をしたことで名を馳せた修道院です。
建物のあちこちに倒壊防止の支柱や足場が取り付けられているのが見て取れますが
赤い丸印をつけた場所には、切り立った崖と、その上に建てられた鐘楼がありました。
下の写真は地震前の様子。
次の写真は、ほぼ同じアングルからの地震直後の様子です。
鐘楼が、土台の崖ごと崩れ去って消えています。
その直下にあった建物一棟も、巻き添えで倒壊しています。
さらに、その後の様子を。
倒壊防止用の補強が施され、修復作業が始まっています。
崩れた崖に残っていた巨大な岩が取り除かれています。
土台の崖を失った鐘楼は、どこに、どのように再建されるのでしょうか。
◆ プレーチ Preci(ウンブリア州) 2018年9月撮影
最後は、サン・テウティツィオ修道院から北西に3キロほどのプレーチ。
写真の右上に写っている道を右下の方へ進むと修道院に至ります。
震源地からは20キロほどで、今回ご紹介した場所の中では震源から最も遠い位置にあります。
この写真が撮られたのは修道院と同じ2018年9月とのことですが
どう見ても地震の痕跡が見当たりません。
伝え聞くところによると、何棟かの建物が倒壊したようなのですが
すでに建物の再建は終わったのでしょうか。
地震のすぐ後、プレーチの被災状況を確認しようとネットで画像を探したことがありましたし
この記事を書くにあたって、もう一度探してみましたが
プレーチの被災状況を写したものだと断定できる画像は、ついに見つかりませんでした。
これほど情報が少ないのは意外です。
もし、被害が少なかったので情報がない…のであれば不幸中の幸いですが。
これらの航空写真が撮られてから2年半〜1年半ほどが経過しています。
現在の復興状況は分かりませんが、新型コロナウイルスの蔓延が大きく影を落としていることでしょう。
今は、とても復興どころではないはずです。
被災地にとっては、まさに踏んだり蹴ったりです。
イタリア中部地震などの災害から復興を進めるためにも
それを支える世の中が普通の日常を保てている必要があります。
現在の異常な日常から普通の日常を取り戻すためには
何を置いても、まずは新型コロナウィルスを封じ込めなければなりません。
そのためには、私たち一人一人の自覚と行動が絶対条件となります。
すでに叫ばれ始めている医療崩壊をはじめ、現在起こっている全ての危機の最大の原因は
ウィルスにあるのではなく、私たち自身にあることを肝に銘じる必要があります。
「明けない夜はない」という言葉を、私も信じています。
------------- Ichiro Futatsugi.■
ふと、イタリア中部地震の被災地はどうなっているのかが気になりました。
あれから3年半以上が経っています。
2016年8月24日未明。
寝静まるイタリア中部を突如襲った大地震。
ウンブリア州・マルケ州・ラツィオ州の州境が隣接する内陸部を震源とし
周辺地域では、その後、10月・翌年1月にも大きな地震が続きました。
ネットには地震後間もなく被災状況を写した写真や動画がアップされ始め
現場で間近から撮影されたものは、心を凍てつかせる凄味がありました。
しかし、街や集落全体が、どの程度の被害を受けたのか
多少の空撮はあったものの、今一つ状況が掴めませんでした。
そこで今回、Google Earthを使って被災地を辿ってみることにしました。
多大な被害を受けたのは、築ウン百年という石積みの民家や教会など。
耐震構造という言葉すら無かった時代の建物が傾斜地に密集していることが多く
倒壊が倒壊を呼ぶというようなことも多発したのではないかと思います。
まずは大雑把ですが、Google Map の画像を引用して被災地の位置を示します。
赤いバツ印が震源地です。
左下の方に首都ローマが見えます。
ローマから震源地までは100キロ強あります。
今回は、震源地の右下にあるアマトゥリーチェから、震源地の左上にあるノルチャを経て
ノルチャの20キロほど北までの9箇所を辿ってみます。
(C) Google
◆ アマトゥリーチェ Amatrice 旧市街(ラツィオ州) 2017年7月撮影
パスタ料理のレシピの一つ「アマトゥリチャーナ」発祥の地として世界的に有名で
旧市街の凄惨な被災状況は、街の知名度の高さもあって、日本でも盛んに報道されました。
震源地から南東に14キロほど離れています。
この写真の右下方向に新市街が続いていますが、そちらの被害は少なかったようです。
◆ アックーモリ Accumoli (ラツィオ州) 2017年7月撮影
アマトゥリーチェから北北西に8キロほど。
震源地からは7〜8キロ程度の、震源に最も近い集落の一つです。
さらに広範囲を表示させると下のような様子になります。
右下がアックーモリですが、左上に整然と並ぶ建物群があります。
ストリートビュー(地震前の2011年撮影)で確認すると、そこには林や畑しかありませんので
おそらく被災者のための仮設住宅ではないかと思われます。
◆ ペスカーラ・デル・トゥロント Pescara del Tronto(マルケ州) 2017年7月撮影
アックーモリから北北東に7キロほど。
イタリア中部地震の報道で最も目にしたのは、前述したアマトゥリーチェと、ここの惨状でした。
まさに壊滅的と言うしかなく、ネット上で見つかる地震直後の写真でも、ほぼ瓦礫の山という状況です。
この集落の少し南の平地にも、空き地に仮設住宅らしきものが建設されているのが確認できました。
◆ アルクァータ・デル・トゥロント Arquata del Tront(マルケ州) 2017年7月撮影
ペスカーラ・デル・トゥロントから北東に3キロほど。
右端にポツンと一軒家が倒壊しているのが見えますが、サンティッシモ・サルヴァトーレと言う教会だそうです。
◆ ノルチャ Norcia の中心部(ウンブリア州) 2017年6月撮影
ウンブリア州東端部の街ノルチャは、震源地より北西へ10キロほどの場所にあります。
過去の度重なる地震の教訓から耐震化工事に積極的であったため
今回の地震では集合住宅などには大きな被害は出なかったようで、犠牲者もありませんでした。
しかし、街の象徴とも言えるサン・ベネデット聖堂が、正面壁を除いてほぼ全壊。
この写真の中央付近にある広場の右に黒く見えている建物が聖堂です。
奇跡的に残った正面壁には修復用の足場が組まれているのが見えます。
◆ カステッルッチョ Castelluccio(ウンブリア州) 2017年7月撮影
ノルチャから東北東へ10キロほどで、震源地からは北北東に14キロほど。
大平原ピアーノ・グランデの北端に位置し、最寄りの集落まで6キロほども離れている孤高の村です。
数あるウンブリアの山村の中でも、独特の可愛らしさと美しさを持つ珠玉の村は、無残な姿に変わり果ててしまいました。
◆ カンピ Campi(ウンブリア州) 2018年9月撮影
ノルチャから北に7キロほどの小さな村です。
この集落から1キロほど離れた平地で、こういうものを見つけました。
すぐに、地震で倒壊したサン・サルヴァトーレ教会だとピンと来ました。
ニュースで倒壊した様子を見たからです。
しかし、この無機質な屋根は何なのでしょうか。
地上から写した写真がネットにありました。
修復のために大屋根がかけられていたのです。
倒壊前は、こういう姿をしていました。
入り口とバラ窓が2つ並ぶという特異な正面です。(向かって右側は増築されたもの)
右奥の山の斜面に、空撮写真の集落が見えます。
◆ サン・テウティツィオ修道院 Abbazia di Sant'Eutizio(ウンブリア州) 2018年9月撮影
この修道院は、カンピから北西に5キロほど離れたピエディヴァッレ Piedivalle という小さな集落の奥にあり
中世に外科学校が創設され、医学の発展に多大な貢献をしたことで名を馳せた修道院です。
建物のあちこちに倒壊防止の支柱や足場が取り付けられているのが見て取れますが
赤い丸印をつけた場所には、切り立った崖と、その上に建てられた鐘楼がありました。
下の写真は地震前の様子。
次の写真は、ほぼ同じアングルからの地震直後の様子です。
鐘楼が、土台の崖ごと崩れ去って消えています。
その直下にあった建物一棟も、巻き添えで倒壊しています。
さらに、その後の様子を。
倒壊防止用の補強が施され、修復作業が始まっています。
崩れた崖に残っていた巨大な岩が取り除かれています。
土台の崖を失った鐘楼は、どこに、どのように再建されるのでしょうか。
◆ プレーチ Preci(ウンブリア州) 2018年9月撮影
最後は、サン・テウティツィオ修道院から北西に3キロほどのプレーチ。
写真の右上に写っている道を右下の方へ進むと修道院に至ります。
震源地からは20キロほどで、今回ご紹介した場所の中では震源から最も遠い位置にあります。
この写真が撮られたのは修道院と同じ2018年9月とのことですが
どう見ても地震の痕跡が見当たりません。
伝え聞くところによると、何棟かの建物が倒壊したようなのですが
すでに建物の再建は終わったのでしょうか。
地震のすぐ後、プレーチの被災状況を確認しようとネットで画像を探したことがありましたし
この記事を書くにあたって、もう一度探してみましたが
プレーチの被災状況を写したものだと断定できる画像は、ついに見つかりませんでした。
これほど情報が少ないのは意外です。
もし、被害が少なかったので情報がない…のであれば不幸中の幸いですが。
これらの航空写真が撮られてから2年半〜1年半ほどが経過しています。
現在の復興状況は分かりませんが、新型コロナウイルスの蔓延が大きく影を落としていることでしょう。
今は、とても復興どころではないはずです。
被災地にとっては、まさに踏んだり蹴ったりです。
イタリア中部地震などの災害から復興を進めるためにも
それを支える世の中が普通の日常を保てている必要があります。
現在の異常な日常から普通の日常を取り戻すためには
何を置いても、まずは新型コロナウィルスを封じ込めなければなりません。
そのためには、私たち一人一人の自覚と行動が絶対条件となります。
すでに叫ばれ始めている医療崩壊をはじめ、現在起こっている全ての危機の最大の原因は
ウィルスにあるのではなく、私たち自身にあることを肝に銘じる必要があります。
「明けない夜はない」という言葉を、私も信じています。
------------- Ichiro Futatsugi.■
やはりプレーチも住人は避難中ですか。
倒壊した家屋が見当たらなかったので奇跡的に無事かと思いましたが
やはり上空からは見えない被害があったのですね。
ストリートビューは地震前の画像しかありませんので分からないのです。
ヴィッソですか?
グーグルアースでは、2018年9月撮影の画像が出ていますが
瓦礫や倒壊した家屋の跡は、ほとんど見当たりません。
ただ、仮設住宅らしき真新しい家屋が整然と並ぶ場所がいくつも確認できます。
ついでにカステルサンタンジェロ・スル・ネーラ周辺を見てみましたら
撮影日は同じですが、こちらの方がまだ瓦礫が残っています。
コロナのために復興が止まっているのは仕方ないことですが
再び地震があったら…と思うとゾッとします。
それは日本にも言えますね。
避難所は、回避すべき密閉・密集・密接の典型のようなものですから。
コロナ禍の今だからこそ、自然災害のことも忘れないようにしないと!
ウンブリアの地震復興については、もう今の所は到底無理、と思い極め、諦めて調べる事もしておりませんでした。
が、こうして拝見すると、カンピ・ヴェッキオの様に教会修復のための屋根が掛けられていたり、サン・テウティツィオの様に瓦礫の片付けも始まったりしていたのですね。
ですが、今回のコロナヴィールス禍で、全部とどまっていると思います。 これはもうどうしようもないイタリアの復興、修復の経過で、
以前のアッシジのサン・フランチェスコ聖堂の修復は、サン・フランチェスコがイタリア国の守護聖人でもある事からたったの2年間で修復を終えましたが、
プレーチの奥のロッカノルフィでは地震から10年後の訪問で漸くに何とか修復され、という経過を見ていますので、
被災された方々も、その辺りは良くご存じで、頑張って耐えておられる事と思います。
第一、すでに長い事、被災地のニュースは出る事がありません。 今のイタリアはそれどころではないのですね。
カステルッチョは画像の様子よりも後の、瓦礫を片付けた様子を見ていて、今は本当にかっての村の面影が無くなっていますし、
プレーチは一見建物が無事に見えますし、崩壊した家が少ないので大丈夫なのかと思われるでしょうが、
家の形は保っていても、ひびが入り、住めない状態なのだそうで、今皆さんは遠方に避難されておられ、1年に一度村に戻り、再会を果たしておられる、というニュースを読んだ事があります。
シンボルとなったアマトゥリーチェも、今の状態では観光客が以前の様に戻るにはかなりかかるでしょうし、それが心配ですね。
と、マルケ州のヴィッソはどうなっているのか、ニュースを知りたいと思います。
あそこも町は閉められたままなのでしょうか?