風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

適材適所

2007年11月20日 | 仕事場


ここに二本の刷毛があります。
両方とも同じ三寸幅のものですが毛の長さが違います。
右のものは比較的最近のもので、左のは私が大学に入ってすぐに買った30年前のものです。

左のも、当初は右と同じ長さがあったのです。
長さが短くなっただけではなく、毛先側半分くらいは厚みも磨り減って櫛のようにスカスカになりかけています。
ですから、これで彩色すると明瞭に刷毛目が出てしまい、新しい刷毛のように平らに塗ることはできません。
刷毛としてはもう寿命がきているのでしょうか。

ところがどっこい、これは今でも立派に現役で活躍してくれています。
現在では「ぼかし」専門に活路を見出しています。
新しい刷毛で画面をぼかすと絵具が動き過ぎることがあります。
画面を撫でるように慎重に刷毛を動かしても、絵具が動き過ぎてしまうことがあります。
この刷毛ですと、毛がまばらですから、刷毛目が残りやすいことに注意すれば絵具が少しずつ動いてくれます。

こんなみすぼらしい姿でも、私には新品以上に大切な一本なのです。
むしろ新しい刷毛よりも愛おしいくらいです。
永年苦楽を共にした戦友のような愛着もあります。
新しい刷毛はいつでも画材店で買うことができますが、こういう刷毛はいくらお金を積んでも手に入りません。



一番左の平筆は二番目の平筆と比較するための新しいものです。
二番目のは、まるでブラシです。
特殊な使い方をしたために比較的短時間でここまで磨り減ってしまいました。
それでもまだ現役です。
微量の絵具を擦り込むような塗り方に使っています。

右の5本の筆たちも10年以上使っているものですが、まだ使い道があります。
私は印を押す時印肉を使わず絵具を使っています。
印に絵具を塗る時には、これで充分です。
古い筆は毛先が丸いですから、点描にも適しています。


私は今まで使い古した筆を捨てたという記憶がほとんどありません。
古い磨り減った筆には、それなりに用途があるものです。
それでなくてはできない表現もあるのです。
新しい筆の方が、場合によっては返って使いにくい場合があります。

絵は、何色を塗ったか…ではなく、どのように塗ったかということが重要です。
同じ色でも、塗り方によって絵具の表情が驚くほど異なります。
そのためには筆の使い方を工夫する必要があります。
筆使いの工夫の中には、新しい筆がいいのか、古い筆がいいのかの選択も含まれるのです。


どうしても用途の見つからない古い筆は、絵具のニカワ抜きに使えます。
皿に溶いた絵具はニカワを取り除けば元の粉末に戻ります。
熱湯を注ぎ、かき混ぜて、しばらく待って絵具が底に沈んだら上澄みのお湯を捨てる。
これを二度も繰り返せばニカワは取り除けます。
熱湯を注いだ皿をかき混ぜるのに指を使えば火傷しますから、ここで不要な筆の登場となります。

それでも、どうしても用途が見つからないのならば
絵以外の用途を考えてみるのもいいのではないでしょうか。
使い古した歯ブラシだって、いろいろ用途があるものです。

資源は大切に使いましょう。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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大の苦手「シール」書き

2007年11月16日 | 仕事場
昔、日本画を軸装に仕立てることが主流だった頃。
画題は桐箱の蓋の表に、落款は蓋の裏に書いていました。

で、額装が主流となった現在はどうしているかというと
額の裏側に画題・落款を書いた「シール」というものを添付することが慣習になっています。
慣習であって義務ではないですから添付していない場合もあります。
シールは通常、画家本人が書きます。




額縁の裏側に、こんな具合に貼ってあります。
これはシールを直接糊付けしているのではなく
透明フィルムを上に被せ、フィルムだけを裏面に接着しているのです。
ですからシールは透明フィルムの窓に入っているだけです。

シール用の紙は画材店で入手できますが、どのようなものでも構いません。
普通は鳥の子紙のような厚手の紙で、枠や罫線が印刷してあります。


私は「シール」を書くのが大の苦手なのです。
1枚書くのに実働時間一分ほどで済むのですが、絵を描く時の百倍は緊張します。
今日も、最近仕上がった9点のシール書きをしました。
墨で文字を書く間、息詰まるような時間が流れます。
1枚でも相当のプレッシャーがかかりますから、これだけ書くとダイエットにいいかもしれません。
字が下手なのは構わないのですが、書き間違えたり、あまりにも形が醜かったりすると書き直します。
今日は幸いにも書き直さずに済みました。




私のシール用紙は既製品ではなくて自分で選んだものです。
表具材料専門店で襖の上張り用の紙を買ってきて自分で作ります。
地模様が漉かれていたり、截金(きりがね:金属箔を細く裁断したもの)が少し散らしてあるものもあります。
普段あまり人目に触れないですし、あってもなくてもいいものなのですが
少しはオリジナルの味を…と、つい考えてしまいます。

私は絵に押す印章には印肉を使わず絵具を使いますが
シールの落款に押す場合は、オーソドックスに印肉を使います。
印章は自分で彫ったものを使っています。
それについてはまた改めてお話しようと思っています。

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11月15日木曜日

2007年11月15日 | 仕事場
今日もいい天気です。
月曜日からずっと好天が続いています。

午後、となり町の画材店に行ってきました。
歩くと汗が噴き出します。
11月も半ばだというのに、最高気温は20度を超えました。
日本には四季があると言いますが、本当なのかと疑いたくなります。
夏→ちょっと秋→冬→ちょっと春→夏という繰り返しに感じられて仕方がありません。




やっと人物の彩色に入りました。
最初は、墨を磨って水で薄めた薄墨で描いていきます。
線描きだけですと錯覚を起こして適正な判断ができないことがあるので、私はこの方法をよく使います。

手前にあるのはイタリアの風景です。
アッシジのサンタ・キアラ聖堂の前庭から眺めた街並みです。
アッシジで、私が一番好きな景色の一つです。
これは雪景色になります。




これは長野県にある桜の名所、高遠(たかとう)城址公園の夜桜です。
難しくて、なかなか進まず手を焼いていましたが
今日の新聞の折込広告に、ヒントを与えてくれる写真が載っていました。
それは夜桜ではなく、クリスマスデコレーションの写真でした。
一目見た瞬間にピンとくるものがありました。
やっと長いトンネルの出口が見えてきそうです。

問題を解決するヒントは、どこに転がっているか分かりません。
高遠を描いているのだから高遠のことだけ考えていればいい…というものではないのです。
思わぬところで助っ人と出会うことがあります。
ですから、絵を描いていてもいなくても、いかなる状況であっても
常に心のアンテナを高感度に保っておくことは大事なんですね。


そろそろクリスマスの広告が載る時期になってしまいました。
「今年も早かったなぁ。」
この歳になると、毎年判で押したようにそう思います。

「今年は永かったなぁ」
そう思うことは、私の人生にはもうないのでしょうか。

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11月12日月曜日

2007年11月12日 | 仕事場
今日はいい天気です。

昨日は、日本画教室の講師→買い物→帰宅・遅い昼食・休憩→買い物→夕食→テレビ→少し仕事、という経過。
日本画教室の講師以外の仕事は、買ってきた筆の使い勝手を試しただけ。
いろいろあって、昨日は少し疲れました。

昨日・一昨日とは打って変わって今日はいい天気です。
朝一番で洗濯を済ませてから仕事です。
晴天で良いことは、画面の乾きが早いこと。
悪いことは、午前中に直射日光が入ること。


本日の仕事場の一隅。


現在制作中の10点の内の一部です。
たまにはこんな具合に仕事場の様子を掲載します。
ただし、都合の悪いものはお見せできませんので検閲の上です。
こうして仕事場を晒すことは恥を晒すようなものなのですが
次に掲載する時に作品の進行状況が全く変わっていない…なんてことがないように
怠け者の自分に鞭打つためでもあるのです。

奥に立てかけた2点の内、右側はイタリアの教会で20号です。
これで6割程の完成度でしょうか。
しかし、一日かけて手を入れても5~4割まで下がってしまうこともあり
チョコチョコッと描き足しただけで一気に8~9割まで上がることもあります。
絵は作者の予想を超えたところで出来上がるのです。
絵とは不思議なものです。

左の人物は10号で、まだ鉛筆による下描きの途中です。
描き始めてから3ヶ月ほど経っているというのに、まだこんな状態です。
私の人物画第2作目です。

人物の手前にある小さな絵は、イタリアの街の路地を描いたもので4号です。
これは最近仕上がったばかりで落款も入っています。

手前の寝かせてある絵は、安曇野の田園風景で8号です。
これはすでに額縁に入れるためのパネルに貼り込んであります。
それでもまだ気に入らないところがあって手を入れ続けています。



我が有能なるアシスタント。

我が家の扇風機は、これで何台目でしょうか。
絵を乾かすプロフェッショナルです。
水を大量に使う私のために、季節を問わず働いてもらっています。
一日中回りっぱなしなんてこともしばしばです。
それによって部屋の空気が淀まないのが利点。
冬場は私に風が当たらないように気をつけないと風邪をひいてしまいます。
今年もすでに二度ほど風邪をひきかけています。

こうして改めて眺めてみると、結構可愛らしく見えたりします。
頭が大きい、子供のようなプロポーションです。
私には大切なアシスタントなのですが、徹底的に無口なヤツです。
もし扇風機が喋ったら、風に声が撹乱されて騒々しく聞き取りにくい言葉になるんでしょうね。
それなら今まで通り無口な方がいいか。
これからも頑張ってね。

ずっと昼間一人きりでの仕事を続けていると、精神に変調をきたすのでしょうか。
もし万が一扇風機とお話しするようになったら、すぐに病院に行ってきます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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筆がなくなる!

2007年11月07日 | 仕事場
筆は絵描きの大事な商売道具の一つ。
使い心地が制作中の気分を大きく左右するものです。
絵を描くということは、画面に絵具を置いていくという行為ですから
それを一手に担う筆の役割には重大なものがあります。

弘法は筆を選ばなかったようですが、お大師様とは程遠い私は筆を選ばざるを得ません。
若い頃はあまり頓着しませんでしたが、自分の技法が固まってくるにつれて
使いやすい筆と、そうではないものの区別が明快になってきました。
しかし、道具の選定は一筋縄ではいかないものです。
いい筆というのは万人の共通事項ではないのです。
名人の作った高級品だからといって自分にとって使いやすいとは限りません。
人によっては100円の筆が理想的な使い心地である可能性もあるのです。
自分に合った筆に出会うこと。
それは意外に難しいものなのです。

私は丸筆には特にこだわりはないのですが、多用する平筆と刷毛にはあります。
モノを創る人の中には、制作のための道具まで自分で作ってしまう人がたくさんいます。
使いやすい道具がないのなら自分で作る…というのは自然な結論です。
しかし、一から筆を作るのは専門的過ぎて一朝一夕にはできません。
絵描きは自分の使い易いように、自分で筆を改造することはあります。
しかし素人が改造するのですから、いつも成功するとは限りません。
専門の職人さんが作ったものの中から吟味した方が安心・確実です。
理想を言えば、希望を伝えて作ってもらうのが一番です。


数年前、他の画家が注文して作った平筆を、たまたま筆屋さんから試しに購入したことがありました。
使ってみたところ、その中の一本が大当たり。
私の技法にピッタリの使い勝手でした。
そこで試作として筆屋さんに同じような筆を何種類か特注で作ってもらいました。
しばらく使って改良点を見つけてから、本格的に作ってもらうつもりでした。
そして昨年、その内の一本を見本に添えて注文を出したのです。

ところが…。

間もなく見本の筆が手紙を添えて送り返されてきました。
「この筆を作った職人さんはリタイアしてしまい、申し訳ありませんが作れません。」

茫然自失とは正にこのことです。
筆は使っていけば毛が磨り減ってしまう運命にあります。
平筆は丸筆より永く使えますが、それでも必ず寿命があります。
今手元にあるこの筆は5本しかありません。
これが使えなくなったら…。


  
  愛用の平筆たち。

  見た目は普通の平筆と変わらないのですが
  画面に筆を置いた時、絵具が画面に降り過ぎないように
  長さの違う毛を組み合わせて、全体にやや長目で薄手に作られています。  



伝統技術の衰退が様々な分野で危惧されています。
画材の世界も同様です。
和紙・筆・絵具・ニカワ…。
どれをとっても専門の伝統技術がものをいう世界です。
しかし、それらの伝統技術が順調に継承・発展しているかと言えば
必ずしもそうとは言えないのが現状です。
それは製品を使う側、つまり私にも責任の一端があるのです。
時には使う側の意見や希望を伝えることが、作る側の奮起を促すことにもなるのです。
ご他聞にもれず、私も伝統技術の危機を知識としては理解していましたが
日常ではすっかり呑気に構えていました。
それまでは、このような危機に直面しないで過ごすことができたからです。

今まで対岸の火事を眺めていた私の頭上に
火の粉は、ついに川を飛び越えて降りかかってきたのでした。
ついに来て欲しくないものが来てしまった。

筆がなくなる!

せっかく素晴らしい筆に巡り合うことができたのに
このままでは、私の蜜月は束の間の夢で終わってしまいそうです。

筆屋さん!
これからは必ず後継者に技術の伝承をお願いしますね!

-------------- Ichiro Futatsugi.■

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