風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

2月29日金曜日

2008年02月29日 | 仕事場
今日は4年に一度しかやってこない貴重な閏年の2月29日。
「仕事場」の記事を書くのは久しぶりです。

先月下旬から10日ほど全く絵を描けない日が続きました。
何が原因なのか…自分でも判りませんが、時々訳もなく集中力が途切れてしまうことがあります。
そういう時にありがたいのは良き友です。
高校の同期生のソプラノ歌手に励ましてもらって、ぼつぼつ仕事を再開しています。
音楽と美術、ジャンルは違いますが、同じ表現者として日頃の「産みの苦しみ」は共感できるのです。




この作品は、そんなわけで先月の下旬からずっと停滞していたものです。
鉛筆の下描きで中断していたものに、昨日から彩色を始めました。
昨日の夜、仕事を終えた段階の様子です。
大きさは65cm四方の正方形。
今回は、いつもより荒っぽく、雑に描き進めようとしています。
一回目の下塗りですから、色はまだ浅く厚みもありません。
さて、これは何を描いているのでしょう?

夕日?

誰が見ても夕日か朝日以外の何物でもありません。
それは半分正解です。
下の方に見える黒いものは山ですし、その上には空があり、雲が浮いています。
これは夕方から夜にかけての風景です。
でも、一番肝心なものをまだ描いてありません。
これらは言わば背景なのです。

今回はほとんど鉛筆の下描きをしていません。
普段、教会や花などを描く時はカッチリとデッサンするのですが、今回は意図的に省いてみました。
山の輪郭くらいで、雲や空は大雑把な配置しか描いていません。
彩色しながら気分で形を創っています。
ほとんど即興なのですが、実際の夕方の情景を良く観て頭に入れ、しかも多くの参考資料の助けを借りないと描けないものです。
雲は刻々と姿を変え、形があってないようなものなので、いつもそんな描き方をしています。
このように山とか建物などと組合せれば適当に描いても雲に見えるものです。
雲だけだったら少々厄介でしょうね。

まだ描き入れていない主役の”何物”かは、雲以上に形があってないようなものです。
刹那的で長時間存在することのできない、儚くも華麗なものを描こうとしています。
何を描こうとしているのか、次回には判明すると思います。

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蕎麦粉100%のすすめ

2008年02月21日 | 日常雑記
一昨日の夜、実家から電話があった。
母「明日、蕎麦を打つんだけど来れる?」
私「蕎麦粉はあるの?」
母「この間打った余りがあるから」

毎年、年越し蕎麦は実家で打つのが恒例になっている。
”つなぎ”なしの蕎麦粉100%である。
昨年末には、ついに蕎麦をこねる”こね鉢”を買ってきた。
”のし棒”と”のし板”、それに”蕎麦切り包丁”は以前から揃っていたのだが”鉢”がなかった。
それまではアルミ製の大きなボウルを代用してこねていたが、軽すぎて動きやすい上に狭くて手が当たって痛いのが気になっていた。
毎年打つのだから…と、ホームセンターで”鉢”を探したのだが、やはり格段に使いやすくて楽になった。

年越し蕎麦は、私がこねて、父親が伸ばし、母親が切ったのだが、はっきり言ってイマイチだった。
1月半ば、両親が長野から蕎麦粉を調達して再び打った。
これは年越し蕎麦より出来は良かった。
その時の余った粉があるからまた打つという。
ここ二ヶ月ほどでもう三度目である。
やはり”こね鉢”を買ったのが功を奏したのだろうか。

蕎麦は、昔は米が食べられなかった貧しい農民の食料だった。
痩せた土地でも手間いらずで育つからだ。
飢えをしのぐ目的だけの蕎麦なら打つのは簡単だ。
しかし、本当においしい蕎麦を打とうとしたら、なかなかに厄介な代物なのだ。



蕎麦は何より水加減が難しい。
蕎麦らしさを出す決め手になる最大の要素は水加減なのだ。
水を加えて団子になるまで母が担当。
その後を継いで、私が300回こねた。
これが結構キツイ。
翌々日には確実に筋肉痛になる。(翌日ではないのが歳取った証拠)



水分が少なすぎると、伸ばしている内に裂けてくることがよくある。
綺麗に伸ばすのも至難の業である。
大抵は巨大なアメーバのような形になってしまう。



かくして親子三人による共同作業は終わった。
自宅に持ち帰って茹でてみると、前回と同じ程度のまずまずの出来だった。

素人の打った100%の蕎麦のことだから、最長でも10cmほどしかない。
「ズルッ、ズルズルズル~」…とはいかない。
「ズッ」で口の中に納まってしまう。
2cm程度の端切れがたくさんあるから、箸よりフォークで食べた方が早いし楽なくらいだ。
難しいけれど、やっぱり蕎麦粉100%の手打ち蕎麦はいい。
蕎麦粉さえ良ければ、素人が打っても市販の麺とは比べ物にならないものができるからだ。

長野県諏訪市で月一回やっている日本画教室に行く途中で必ず寄る蕎麦屋がある。
残念ながら1・2月は教室が休みだから、12月の初めに行ったきりで3月末まで行く機会がない。
蕎麦を食べるためだけにそこまで行くという贅沢を一度やってみたいのだが
通過する関越自動車道は休日は渋滞しやすい。
それに高速代にガソリン代等々…諸経費が結構かかるのである。
一杯1000円の蕎麦がいくらになるんだろう?

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縄文人のゴミ捨て場

2008年02月18日 | 日常雑記
昨日、茨城県土浦市にある上高津貝塚に行ってきました。

行き先を決めずに、ひたすら国道6号線(水戸街道)を水戸方面に向けて走っていて、偶然に看板を見つけたという成り行きでした。
思えば、16年前に初めて車を買ってすぐに千葉市近くの加曽利貝塚に出かけています。
車が新しくなると貝塚に行く…という行動パターンは何なのでしょうか。

上高津貝塚は縄文後期~晩期(3~4000年前)に栄えた集落です。
遺跡や古墳が点在するこの地域でも有数の規模とのことで、国の史跡に指定されているほどです。
私が暮らす千葉県東葛地区にも貝塚はたくさんあるので何か縁を感じてしまいます。
しかし、貝塚という言葉は綺麗なのですが、所詮は古代人のゴミ捨て場なのです。
貝塚の発掘調査とは、言わば”ゴミ箱漁り”と本質的に同じです。
そして”ゴミ箱漁り”の戦利品を見に来る私や考古学ファンはどういう人種なんでしょうねぇ。



これは考古資料館二階の展望室からの眺め。
中央やや右手の平たい蒲鉾型の建物は貝層断面展示施設で、その向こうの広場の奥に竪穴式住居が3棟復元されています。





【超お奨め特選住宅】
藁葺きワンルーム一戸建て 間取り:土間一間(約6畳)
築約3000年(復元後約13年) 電気・ガス・水道なし 食料は自給自足
目の前にはサッカーができる広場あり 屈葬式墓地付きの大サービス
究極のエコライフにいかがですか?




白く見えている粒は、小石ではなくて貝殻です。
これを砕いて粉末にすれば胡粉(ごふん)という白の絵具になります。
通常は牡蠣の殻を風化させて作りますが、これでも立派な胡粉になります。
名前をつけるなら、さしずめ「古代胡粉」とか「貝塚胡粉」というところでしょうか。




考古資料館には縄文の衣装が復元されてあり、それを試着できます。
麻の服が5着くらいに縄文ポシェットやネックレスなどが用意されているので、私も着てみました。
私は弥生人の直系を自認していますが、いずれにしても古代人顔なので、この服装のままタイムマシンに乗って3000年前に飛んで行けば、少しの違和感もなく縄文人たちに仲良くしてもらえることでしょう。

上高津貝塚ふるさと歴史の広場ホームページ

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続・プチ雪国

2008年02月03日 | 日常雑記
関東では2年ぶりの大雪だそうです。
雪が降りしきる中、昼から2時間ほど周辺を散策してきました。



うっかりすると迷子になりそうです。
見慣れた景色が一変しているからです。
長野の田舎にいるような錯覚に陥ります。



近所の顔見知りの犬は小屋に引っ込んで出てきませんが
子供たちは早速雪だるまを作ってはしゃいでいます。



我が家から10分も歩くと田舎のような景色になります。
昔からの農家があり、畑が広がっています。



今日は思わぬ贈り物をもらった気がします。
居ながらにして小旅行をした気分になりました。

しかし、怖いのはこれからです。
今日の雪は水分の多い牡丹雪でした。
道路は雪と水とで殊の外ぬかるんでいますし、夕方になって気温は0℃近くまで下がってきています。
明日、雪に慣れていない都会の人たちは戦々恐々とした朝を迎えることでしょう。

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プチ雪国

2008年02月03日 | 日常雑記
今朝8時30分頃。
カーテンを開けたら、そこは雪国であった。



昨夜の天気予報は雪になるかもしれないと告げていましたが、半信半疑で迎えた朝でした。
今日が初雪ではありませんが、これだけ本格的な雪景色は久しぶりです。
すぐ近くの幹線道路では、車たちが恐る恐る走っています。
時折タイヤチェーンの音がジャラジャラ響いてきます。
私にとってチェーンの音は典型的な冬の音です。

石油ストーブの上でカタカタと鳴る沸騰したやかんの蓋。
通り過ぎる車のチェーン。
時々屋根からドサッと落ちる雪の塊。
それ以外は何も聞こえてきません。
これらは安曇野の実家で聞いていた冬の音です。
耳で感じる冬の風物詩なのです。
冬であることを、しみじみ実感します。

最近ちょっと仕事が停滞しているので、大好きな雪景色は良い気分転換になりそうです。
故郷長野のように目も覚めるような雪景色こそ見られませんが
雪のように白い気持ちで眺めれば、それなりの発見ができそうです。

これから散歩に出て、束の間の雪を満喫しようと思っています。

-------------- Ichiro Futatsugi.■



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