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風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

Google Earthで辿る、イタリア中部地震の爪痕

2020年04月18日 | 日常雑記
先日、たまたまイタリア・ウンブリア州東部のスポレート、トゥレーヴィなどを調べていて
ふと、イタリア中部地震の被災地はどうなっているのかが気になりました。
あれから3年半以上が経っています。

2016年8月24日未明。
寝静まるイタリア中部を突如襲った大地震。
ウンブリア州・マルケ州・ラツィオ州の州境が隣接する内陸部を震源とし
周辺地域では、その後、10月・翌年1月にも大きな地震が続きました。

ネットには地震後間もなく被災状況を写した写真や動画がアップされ始め
現場で間近から撮影されたものは、心を凍てつかせる凄味がありました。
しかし、街や集落全体が、どの程度の被害を受けたのか
多少の空撮はあったものの、今一つ状況が掴めませんでした。
そこで今回、Google Earthを使って被災地を辿ってみることにしました。

多大な被害を受けたのは、築ウン百年という石積みの民家や教会など。
耐震構造という言葉すら無かった時代の建物が傾斜地に密集していることが多く
倒壊が倒壊を呼ぶというようなことも多発したのではないかと思います。


まずは大雑把ですが、Google Map の画像を引用して被災地の位置を示します。
赤いバツ印が震源地です。
左下の方に首都ローマが見えます。
ローマから震源地までは100キロ強あります。

今回は、震源地の右下にあるアマトゥリーチェから、震源地の左上にあるノルチャを経て
ノルチャの20キロほど北までの9箇所を辿ってみます。


(C) Google





◆ アマトゥリーチェ Amatrice 旧市街(ラツィオ州) 2017年7月撮影



パスタ料理のレシピの一つ「アマトゥリチャーナ」発祥の地として世界的に有名で
旧市街の凄惨な被災状況は、街の知名度の高さもあって、日本でも盛んに報道されました。
震源地から南東に14キロほど離れています。
この写真の右下方向に新市街が続いていますが、そちらの被害は少なかったようです。





◆ アックーモリ Accumoli (ラツィオ州) 2017年7月撮影



アマトゥリーチェから北北西に8キロほど。
震源地からは7〜8キロ程度の、震源に最も近い集落の一つです。

さらに広範囲を表示させると下のような様子になります。



右下がアックーモリですが、左上に整然と並ぶ建物群があります。
ストリートビュー(地震前の2011年撮影)で確認すると、そこには林や畑しかありませんので
おそらく被災者のための仮設住宅ではないかと思われます。





◆ ペスカーラ・デル・トゥロント Pescara del Tronto(マルケ州) 2017年7月撮影



アックーモリから北北東に7キロほど。
イタリア中部地震の報道で最も目にしたのは、前述したアマトゥリーチェと、ここの惨状でした。
まさに壊滅的と言うしかなく、ネット上で見つかる地震直後の写真でも、ほぼ瓦礫の山という状況です。
この集落の少し南の平地にも、空き地に仮設住宅らしきものが建設されているのが確認できました。





◆ アルクァータ・デル・トゥロント Arquata del Tront(マルケ州) 2017年7月撮影



ペスカーラ・デル・トゥロントから北東に3キロほど。
右端にポツンと一軒家が倒壊しているのが見えますが、サンティッシモ・サルヴァトーレと言う教会だそうです。






◆ ノルチャ Norcia の中心部(ウンブリア州) 2017年6月撮影



ウンブリア州東端部の街ノルチャは、震源地より北西へ10キロほどの場所にあります。
過去の度重なる地震の教訓から耐震化工事に積極的であったため
今回の地震では集合住宅などには大きな被害は出なかったようで、犠牲者もありませんでした。

しかし、街の象徴とも言えるサン・ベネデット聖堂が、正面壁を除いてほぼ全壊。
この写真の中央付近にある広場の右に黒く見えている建物が聖堂です。
奇跡的に残った正面壁には修復用の足場が組まれているのが見えます。





◆ カステッルッチョ Castelluccio(ウンブリア州) 2017年7月撮影



ノルチャから東北東へ10キロほどで、震源地からは北北東に14キロほど。
大平原ピアーノ・グランデの北端に位置し、最寄りの集落まで6キロほども離れている孤高の村です。
数あるウンブリアの山村の中でも、独特の可愛らしさと美しさを持つ珠玉の村は、無残な姿に変わり果ててしまいました。





◆ カンピ Campi(ウンブリア州) 2018年9月撮影



ノルチャから北に7キロほどの小さな村です。


この集落から1キロほど離れた平地で、こういうものを見つけました。



すぐに、地震で倒壊したサン・サルヴァトーレ教会だとピンと来ました。
ニュースで倒壊した様子を見たからです。
しかし、この無機質な屋根は何なのでしょうか。

地上から写した写真がネットにありました。



修復のために大屋根がかけられていたのです。


倒壊前は、こういう姿をしていました。



入り口とバラ窓が2つ並ぶという特異な正面です。(向かって右側は増築されたもの)
右奥の山の斜面に、空撮写真の集落が見えます。





◆ サン・テウティツィオ修道院 Abbazia di Sant'Eutizio(ウンブリア州) 2018年9月撮影



この修道院は、カンピから北西に5キロほど離れたピエディヴァッレ Piedivalle という小さな集落の奥にあり
中世に外科学校が創設され、医学の発展に多大な貢献をしたことで名を馳せた修道院です。

建物のあちこちに倒壊防止の支柱や足場が取り付けられているのが見て取れますが
赤い丸印をつけた場所には、切り立った崖と、その上に建てられた鐘楼がありました。

下の写真は地震前の様子。




次の写真は、ほぼ同じアングルからの地震直後の様子です。
鐘楼が、土台の崖ごと崩れ去って消えています。
その直下にあった建物一棟も、巻き添えで倒壊しています。




さらに、その後の様子を。
倒壊防止用の補強が施され、修復作業が始まっています。

崩れた崖に残っていた巨大な岩が取り除かれています。
土台の崖を失った鐘楼は、どこに、どのように再建されるのでしょうか。








◆ プレーチ Preci(ウンブリア州) 2018年9月撮影



最後は、サン・テウティツィオ修道院から北西に3キロほどのプレーチ。
写真の右上に写っている道を右下の方へ進むと修道院に至ります。
震源地からは20キロほどで、今回ご紹介した場所の中では震源から最も遠い位置にあります。

この写真が撮られたのは修道院と同じ2018年9月とのことですが
どう見ても地震の痕跡が見当たりません。
伝え聞くところによると、何棟かの建物が倒壊したようなのですが
すでに建物の再建は終わったのでしょうか。

地震のすぐ後、プレーチの被災状況を確認しようとネットで画像を探したことがありましたし
この記事を書くにあたって、もう一度探してみましたが
プレーチの被災状況を写したものだと断定できる画像は、ついに見つかりませんでした。
これほど情報が少ないのは意外です。
もし、被害が少なかったので情報がない…のであれば不幸中の幸いですが。



これらの航空写真が撮られてから2年半〜1年半ほどが経過しています。
現在の復興状況は分かりませんが、新型コロナウイルスの蔓延が大きく影を落としていることでしょう。
今は、とても復興どころではないはずです。
被災地にとっては、まさに踏んだり蹴ったりです。

イタリア中部地震などの災害から復興を進めるためにも
それを支える世の中が普通の日常を保てている必要があります。
現在の異常な日常から普通の日常を取り戻すためには
何を置いても、まずは新型コロナウィルスを封じ込めなければなりません。
そのためには、私たち一人一人の自覚と行動が絶対条件となります。

すでに叫ばれ始めている医療崩壊をはじめ、現在起こっている全ての危機の最大の原因は
ウィルスにあるのではなく、私たち自身にあることを肝に銘じる必要があります。

「明けない夜はない」という言葉を、私も信じています。


------------- Ichiro Futatsugi.■

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空想のHoliday Album (追記あり)

2016年12月16日 | 日常雑記
本編に入る前に、まずはお知らせから。

ペンタトニックスの新しいミュージックヴィデオが15日に公開されました。
ホリデイ・アルバム「 A Pentatonix Christmas 」に収録されたカヴァー曲「 Up on The Housetop 」です。
原曲は1864年に作られたクリスマス・ソングで、ジャクソン5をはじめ多数のミュージシャンにカヴァーされています。

デンマークの世界的玩具メーカー「 レゴ LEGO 」とコラボしたもので、すべてアニメーション仕立て。
グーグルのストリート・ヴューのように360°見渡すことができます。

[OFFICIAL VIDEO] Up on The Housetop - Pentatonix (360 Version)



なお、11日に公開されたばかりの「 Coldest Winter 」は250万回突破。
約1ヶ月前に公開された「 God Rest Ye Merry Gentlemen 」は1100万回突破。
YouTube で100万回を超えるのは大変だと言われていますが、う〜ん、凄いねぇ!



(追記 12月21日)

また新しいミュージックヴィデオが20日に公開されました。
これも「 A Pentatonix Christmas 」に収録された賛美歌「 O Come, All Ye Faithful 」
日本では「 神の御子は今宵しも」という曲名で知られていますが、作者・制作時期などは不明のようです。

[OFFICIAL VIDEO] O Come, All Ye Faithful - Pentatonix






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今年も早や半月を残すばかりとなりました。
年を重ねるごとに時間の経過が早くなって行くようで、それは非常に困りものなのですが…
それはさておき、間もなくクリスマス ですねぇ、うひひ。

我が家の暦では、クリスマスとは年に1度の ”ケーキの日”
もっと正確に言えば、カットされていない丸ごとのケーキを、躊躇せずに買える唯一の日

え? イエス・キリストの誕生日?
知り合いにイエスさんという人はおりませんが… きゃはは!

私にとっては、誰かの誕生日とか記念日などとは全く格が違う ”甘党の神に身も心も捧げる神聖な日”
視点を変えて別の解釈をすれば ”甘党の悪魔に、尻尾を振って魂を売り渡す邪悪な日”
もっと簡潔な言葉で言い替えますと、ケーキを思う存分貪り食べる日なのです。
筋金入りの極甘党としましては、泣く子も黙るエキサイティング・ホリデイなのであります!

でも、口の回りを生クリームだらけにして、ただ単にケーキを貪り食べるだけでは大人げないというもの。
雰囲気を盛り上げてくれる、厳かな、軽やかな、素敵なBGMなど聴きながら貪り食べるのが大人というものですよねぇ。

そこで YouTube からピックアップして、私なりのホリデイ・アルバムもどきを編成してみました。
一応、ホリデイ・アルバムと銘打っていますので
もちろんクリスマス・ソングやクリスマス・キャロルも入ってはいますが
それだけでは月並みですので、選曲・アレンジに煌めくようなセンスを発揮している
アメリカの若きア・カペラグループ ペンタトニックスを見習って
クリスマスと関係ある・無しに拘らずに選んでみました。
選曲は難航し、結局17曲という長丁場になってしまいました。


それでは、父と子と精霊の御名において、ケーキを思う存分貪り食べましょう! アーメン。






◆ The Wexford Carol  Yo-Yo Ma + Alison Krauss

チェリストのヨー・ヨー・マ Yo-Yo Ma が多くのミュージシャンとコラボしたアルバム「 Songs of Joy & Peace 」の収録曲。
原曲はアイルランドの伝統的なクリスマス・キャロルで、いかにもケルティックな雰囲気を持っています。
ヴォーカルはアメリカのシンガーでフィドル(ヴァイオリン)奏者でもあるアリソン・クラウス Alison Krauss

Yo-Yo Ma, Alison Krauss - The Wexford Carol







◆ Milonga del Angel  Astor Piazzolla

アルゼンチンの作曲家・バンドネオン奏者アストル・ピアソラ Astor Piazzolla の曲「天使のミロンガ」
タンゴをベースに様々な音楽手法を取り込んだ曲の数々は、タンゴの枠を超えて豊かな表情を織り成していますが
「タンゴの破壊者」「踊れないタンゴ」などと、タンゴをよく知る人々には不評だったそうです。

Astor Piazzolla-Milonga del Ángel







◆ Hymn  Adiemus

Hymn とは賛美歌の意味ですが、日本盤では「静寂」という曲名がつけられています。
アディエマス Adiemus は男性2人組の音楽ユニットで
特徴的な女性ヴォーカルは、南アフリカ出身のミリアム・ストックリーが2000年まで参加していました。
デルタ航空のCMで使われた「Adiemus (聖なる海の歌声)」で一世を風靡。
意味を持たない架空の言葉による歌詞を使い、一種の民族音楽的な響きを持つ曲で知られています。

Adiemus-Hymn







◆ What's Going On Playing For Change

プレイング・フォー・チェンジ Playing For Change は、世界中の100人を超えるミュージシャンが参加し
複数のミュージシャンが各パートを受け持って演奏しているように編集して1曲を仕上げるという
アメリカの音楽プロデューサーであるマーク・ジョンソンが立ち上げたプロジェクト。
日本では大和証券グループのCMに使われた「 Sittin' On The Dock Of The Bay 」などで、ご存知の方も多いと思います。

この曲はアメリカのミュージシャン マーヴィン・ゲイ Marvin Gaye のヒット曲のカヴァー。

What's Going On | Playing For Change | Song Around The World







◆ Ave Maria ( Caccini ) Slava

俗に言うところの三大アヴェ・マリアは、バッハ/グノー、シューベルト、そしてカッチーニのものですが
この「カッチーニのアヴェ・マリア」は、実は16世紀イタリアの作曲家ジューリオ・カッチーニの作品ではなくて
本当は旧ソ連の作曲家ウラディーミル・ヴァヴィロフの作ったもの、というのが真相だそうです。
この曲は、カウンターテナーのスラヴァ Slava が取り上げたことで一般に広く知れ渡ったようです。

Caccini Ave Maria ( remix ) by Slava Kagan-Paley







◆ Nothing Can Come Between Us Sade

何とも妖艶でミステリアスなハスキーヴォイスがあまりにも印象的過ぎるせいか
シャーデー Sade はソロ・シンガーだと思い込んでいる人が多いようですが(かく言う私もそうでした)
イギリスの4人組のバンドで、ナイジェリア出身のヴォーカリスト シャーデー・アデュはメンバーの一員。

前作のアルバム「Soldier of Love 」から6年。
寡作なバンドではありますが、そろそろ新作を期待したいところです。

Sade - Nothing Can Come Between Us







◆ Shalion  河井英里

90年代にフジテレビで放映された情報番組「ワーズワースの冒険」のテーマ曲「シャ・リオン」
作曲家大島ミチルの作品で、ヴォーカルは惜しくも早世した河井英里

「無国籍なイメージ」を目指して作ったとは作者の弁ですが、何とも摩訶不思議な雰囲気を醸しています。
意味不明の歌詞は、イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワースの或る詩を逆読みしたものらしいです。

Shalion -- Kawai Eri







◆ Summer Wonderland  Ronan Keating 他

そうでした! 南半球では、クリスマスは夏なのでした。
これはニュージーランド航空が制作したCM用で、ミュージックヴィデオではありませんが
ちょっと一息入れるつもりで気楽にご覧下さい。
クリスマス・ソングの名曲「 Winter Wonderland 」をリミックスして行くストーリーになっています。
日本語字幕付き。

アイルランドのミュージシャン ロナン・キーティング Ronan Keating
ニュージーランドの俳優ジュリアン・デニソン Julian Dennison が出演。

【ニュージーランド航空】サマー・ワンダーランド







◆ The Long And Winding Road  Paul McCartney

ビートルズ最後のアルバム「 Let It Be 」収録ヴァージョンとは別ヴァージョンです。

この曲は、1991年にリリースされたポール・マッカートニー Paul McCartney 来日記念盤2枚組アルバム
「 Flowers In The Dirt - Special package」の収録曲で、そのために新たにレコーディングされたものだそう。
「 Let It Be 」収録ヴァージョンのアレンジが気に入らなかったポールでしたが
ビートルズ解散から年月を経て心境の変化があったのか、これはそれをベースとしたアレンジがなされています。

PAUL McCARTNEY - THE LONG AND WINDING ROAD (Special Version)







◆ L'appuntamento Ornella Vanoni

イタリアン・ポップスの代表的シンガーであるオルネッラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni 最大のヒット曲「逢い引き」。
BS日テレの番組「小さな村の物語 イタリア」のテーマ曲として知られています。

ヴィデオの冒頭に出てくる赤い車は、イタリア自動車史上屈指の名車ランボルギーニ・ミウラ。
タイトル画像を含めた映像のかなりの部分は、アマルフィ・ポジターノなどのあるアマルフィ海岸で撮られています。

Ornella Vanoni - L'appuntamento


余談ですが、1972年に放送されたイタリア・フランス・スペイン合作ドラマ「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」
そのテーマ曲「 Muovesi L'Amante 」を歌ったのもオルネッラです。
NHKで放送された当時、我を忘れるほど夢中で観ていただけに、今でもこの曲が強く心に焼きついています。
興味のある方は、YouTube でご覧下さい。(ヴィデオのタイトルは La Canzone di Leonardo となっています )
https://www.youtube.com/watch?v=XUEKuhSIQTA&index=2&list=RDQdB3Sil1CWQ

ドラマの中では、晩年のレオナルドがこの曲を口ずさむ場面も出てきます。
おそらくアフレコではなく、レオナルドを演じたフランスの俳優フィリップ・ルロワが実際に歌っているものと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=3Y2G-XKkspM






◆ Concierto De Aranjuez 冨田勲

冨田勲のシンセサイザーによるホアキン・ロドリーゴ Joaquín Rodrigo の「アランフェス協奏曲第2楽章アダージョ」
原曲はギター協奏曲で3楽章から成り、この第2楽章は様々にアレンジされて最もよく知られています。
この曲は第2楽章全曲ではなく、主要部分を取り出してアレンジされています。
アルバム「宇宙幻想」収録曲。

Isao Tomita - Concierto De Aranjuez







◆ The Essence of Asia by Yuna Yuna

マレーシア政府観光局が、観光キャンペーン「 Malaysia Truly Asia 」のために
2014年に制作した初のキャンペーンヴィデオの5分ヴァージョン。
ヴォーカルはマレーシア人のシンガー ユナ Yuna

アジアン・テイストというのか、エキゾチックというのか
幻想的でメランコリックな雰囲気が漂っています。

The Essence of Asia by Yuna (5mins)







◆ Black Is The Color Of My True Love's Hair Peter Hollens & Avi Kaplan

おそらく、このブログでこの曲を取り上げるのは3回目くらいになります。
元々はスコットランドの古い伝承歌のようですが、アメリカへの移民によって歌い継がれ
ニーナ・シモンをはじめ多くのミュージシャンによって様々にアレンジされています。

1人で多重録音して作るア・カペラを得意とするピーター・ホーレンズ Peter Hollens がアレンジし
ペンタトニックスのアヴィ・カプラン Avi Kaplan とコラボしたものです。

Black Is The Color Of My True Love's Hair - Peter Hollens & Avi Kaplan






◆ Dance of the Sugar Plum Fairy  GlassDuo

チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」の中の1曲。
ペンタトニックスのカヴァーが2度目(2年連続)のグラミー賞を受賞したのは今年2月のことでした。
これも様々なアレンジが存在しますが、今回はグラスデュオ GlassDuo という男女2人のユニットによるグラスハープを。

ヴィデオの解説文によると、イタリア・ボローニャのサント・ステーファノ聖堂の回廊での演奏だそうです。
「セッテ・キエーゼ(7つの教会)」と呼ばれる、教会の集合体として知られる古い聖堂です。

Sugar Plum Fairy by Tchaikovsky - Glass Harp LIVE (HD)







◆ Inspiration  Gypsy Kings

テレビドラマのエンディング・テーマ曲は、今までどれほどの数が作られたのか分かりませんが
ずっと強烈な印象として残り続けるものは、そう多くはないと思います。
これを時代劇「鬼平犯科帳」のエンディング・テーマに採用した慧眼には、いまだに感服するばかりです。

フランス・プロヴァンス地方出身のジプシー・キングス Gypsy Kings
親戚関係にある2組の家族によって構成される、フラメンコ・ラテン音楽系グループです。

Gypsy Kings - Inspiration [HD]







◆ Hallelujah Pentatonix

11月上旬に、この曲の作者であるカナダのシンガーソングライター・詩人 レナード・コーエン Leonard Cohen が他界しました。
このミュージック・ヴィデオの公開から間もなくのことで
ペンタトニックスはツイッターに哀悼のコメントを寄せていました。

YouTube 視聴回数は。約2ヶ月にして8000万回!

[OFFICIAL VIDEO] Hallelujah - Pentatonix







◆ We are the World USA For Africa

1985年、アフリカの飢餓救済キャンペーンのために45人のミュージシャンが集結して作られた曲。
作詞・作曲はライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソン。
参加者は、レイ・チャールズ、ボブ・ディラン、ダイアナ・ロス、スティービー・ワンダー、ウィリー・ネルソンなど多士済々。

かつてチャーリー・チャップリンが所有していたハリウッドのA&Mスタジオでレコーディングが行われ
この映像とは別に、レコーディングの様子を記録したメイキング・ヴィデオも撮影されて放送されました。

USA for Africa - We are the World







それでは皆さんに神のご加護がありますように!
ブォン・ナターレ!

そして、私には甘味の神の恵みが浴びるほどありますように!!
ブォナッペティート!!

色気より食い気!!
花より団子!!

ブォナッペティートォォォ〜〜!!


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号外! イタリア中部で大地震! (追記あり)

2016年08月26日 | 日常雑記
24日の昼過ぎ、何気なくネットのニュースサイトを見ましたら
「イタリア中部でM6.2の地震 建物倒壊…」という見出しが飛び込んできました。

第一報では、地震は現地時間24日午前3時半頃に発生、ウンブリア州ノルチャの南東10キロが震源地で、震源の深さは10キロ、規模はマグニチュード6.2
震源地から10キロほど離れたアマトゥリーチェという小さな街は壊滅状態らしい…ということでした。

ノルチャは、ペルージャ、アッシジなどがあるウンブリア州の東の端にあり
そこから10キロの震源地周辺は、ウンブリア・マルケ・ラツィオ・アブルッツォ各州の州境が集まる山間部です。

アマトゥリーチェという名前、どこかで聞いたことがある気がするなぁ…と思いましたら
パスタ料理のアマトゥリチャーナ・ソースの語源なのだそうです。
観光地でもあり、観光客も巻き込まれた可能性もあるとのこと。
この街は、今回だけではなく17世紀にも大地震に見舞われたことがあるのだそうです。

25日の報道では死者240人以上ということで、救助活動が困難な山間部であることもあって更に増える模様です。
テレビのニュースでは、ほぼ壊滅状態のペスカーラ・デル・トゥロント Pescara del Tronto という村が映し出されました。
ここは震源地に最も近いアックーモリ Accumoli の街から北東へ6キロほどの位置で
写真で見る限り、かなり古い家ばかりが建ち並んでいる村のようです。


今回の地震が起きた場所をGoogleマップを借用して示します。



赤いバツ印が震源地ラツィオ州アックーモリ付近

下の地図は震源地周辺の拡大です。



ここは本当に州境が寄り集まったような場所です。
震源地アックーモリとアマトゥリーチェはラツィオ州
被害の大きいペスカーラ・デル・トゥロントとアルクアータ・デル・トゥロントはマルケ州。
第一報で、震源地に近い大きな街として名前の出たノルチャはウンブリア州。
アマトゥリーチェから5キロも行けばアブルッツォ州に入ります。

甚大な被害の出ている被災地が複数の州に分かれていますので
それが救助活動に支障をきたすことがないように願っています!!



地震の詳細は、日本のメディアは記事が少ないので、日本語版のある2つの海外メディアを。

イギリスBBC日本版
http://www.bbc.com/japanese

アメリカのハフィントン・ポスト日本版
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/23/perugia-earthquake_n_11670054.html


日本語版はありませんが、やはり一番情報量の多いのは地元イタリアのメディアです。
国営イタリア放送協会 RAI のサイトはこちら。
http://www.rai.it/


そして、北イタリア在住の友人の画家 shinkai さんも
夏休みでブログ休載中にも拘らず速報記事をアップしておられます。
shinkai さんは今回の震源地から400キロほど離れたヴェネツィアの北の方にお住まいですし
記事をアップできたということはご無事のようです。
http://italiashio.exblog.jp/23432106/



被災された方々には、謹んでお見舞い申し上げます。




イタリアは日本と同様、地震大国なのはよく知られたところです。
特に中部では大きな地震が頻発しています。
今回の震源地から南東へ40キロほど離れたアブルッツォ州ラクイラでも
2009年に群発地震の後マグニチュード6.3の大地震が起きて300人以上が亡くなるなどの甚大な被害を受けています。

人的被害もさることながら、文化財の被害も気にかかります。
イタリアは国全体が博物館と言われるだけあって
こんなところに?!と驚くほどの地方の片田舎にも目を見張る文化財が点在しています。

1997年にはウンブリア州で起きた大地震によって、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂では
天井の壁画の一部が崩落し、その直撃を受けた修道士と観光客が亡くなっています。
次の画像はその様子で、ネットから借用したものです。




 サン・フランチェスコ聖堂の天井の一部が崩落した瞬間




 地震で崩落した天井の状態




一昨年に「マドンナ・デル・パルト 懐妊の聖母」という記事を4回に渡って書き
ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「マドンナ・デル・パルト」を取り上げましたが
主要部分しか現存していない、そもそもの原因が地震でした。
作品のあるトスカーナ州モンテルキの街が17世紀に大地震に見舞われ
地震当時ピエロは忘れ去られた画家だったこともあって、多少の損傷を受けたであろう「マドンナ」は
おそらく人為的に、主要部分を残して壊されてしまったのではないか?というのが私の推測でした。

「マドンナ・デル・パルト 懐妊の聖母」の記事はこちら。
地震を含む「マドンナ」の辿った歴史は第3回に書いてあります。
第1回  第2回  第3回  第4回




 ピエロ・デッラ・フランチェスカ 「マドンナ・デル・パルト Madonna del Parto」
 トスカーナ州モンテルキ マドンナ・デル・パルト美術館




今回の地震では約100キロ離れたローマでも揺れを感じたとのことですが
私の馴染みのある隣のウンブリア州各地はどうだったのでしょうか。
報道は震源地周辺に集中しているせいもあって、今のところは何も分かりません。
州都ペルージャまでは約80キロ、アッシジまでは約65キロありますから
揺れたでしょうが、おそらく被害は出ていないと思われます。

現在私は、ウンブリア州スポレート(震源地から約35キロ)の教会のレリーフと
同じくウンブリア州プレーチ(震源地から約25キロ)の街並みを描いています。
ペルージャやアッシジよりずっと震源地に近い両者に被害が出たのかどうか気になるところです。



で、そのスポレートとプレーチの絵はどうなったんだ?という声が聞こえてきましたが
はい、月末にはアップする予定にしております。
制作過程の写真も溜まってきていますので、先月末に更新できなかった分も掲載する予定で〜す!

ま、あくまで予定とは未定の範疇にあって、決定ではないのですけどねぇ、うひひ。


-------------- Ichiro Futatsugi.■
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へへへ … やってしまいましたぁ!!

2013年10月25日 | 日常雑記
まずは、新開志保展の御礼から。

イタリア在住の友人の画家 新開志保さんの個展は10月20日に終了いたしました。
9日間の会期は、おかげさまで大成功と言える結果を残して幕を閉じることができました。
お忙しい中をご来場いただきました皆様には、私からも、心より御礼申し上げます。





おそらく、2・3年後に再び新開さんは作品を携えて来日されることと思います。
その折には、是非とも、より多くの皆様のご来場を賜りますようにお願い申し上げます。

ありがとうございました!!




個展会場での新開さん。
右にいるのは、どこぞの馬の骨です。



---------------------------------------------



さて、新開さんは23日の午前11時15分成田空港発のオーストリア航空機で帰国されました。
ウィーンで乗り継ぎ、ヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港に降り、無事コネリアーノの自宅に戻られたのでした。
早々にご自分のブログで個展の報告記事をアップされているのですが…
ゲ、ゲェ~!! 成田空港で私がしでかした大ドジのことがバラされているではないですかぁ!!
あっちゃ~! バラしたなぁ!!
私も正直に告白しようと思っていたのに、先を越されたぁ!!
新開さんがご自分のブログで、私の予告通り、来日早々の成田空港での大ドジを告白されていますが
ついでに、道連れとばかりに私の大ドジをバラしてしまっているのです!

http://italiashio.exblog.jp/19871424/


では、その一部始終をご報告いたします。

私が車で新開さんを成田空港までお送りし、すぐに搭乗手続きを済ませました。
余裕を持って到着しましたので、出発までにはかなり時間がありました。

新開さん「へば、お茶すっか?」
私「へい!お姉様。ゴチになりやす」

私たちはスターバックスに入りました。
私は新開さんが持ち帰る2点の作品が入った包みを足元に滑り込ませました。
2人してカップッチーノを頼んだのですが…

私「スタバは他のカフェより高いけど美味しいんだよ」
新開さん「ぬぁにぃ~? これがぁ~?」

カップッチーノの本場イタリアに20年以上暮らされていて
血の半分がワインとオリーブオイルに変化してしまった人の批評は手厳しいのです。

私「展望デッキに行って飛行機を見ようよ」
新開さん「おう、よかとね!」

私は時々飛行機を見に成田に来るのですが、新開さんも飛行機がお好きだそうです。
私は作品の入った包みを提げて、2人してエスカレーターで上の階の展望デッキへ。
しばらく離着陸や駐機場の様子を眺めていたのですが、ふと私は異変に気付いたのです。

私「あれ?!」
新開さん「どうしたん?」
私「バッグがない!!」
新開さん「な、何じゃとぉ~~!!」

財布や運転免許証などが入ったショルダーバッグを肩にかけて…いないのです!!

私「スタバだ! スタバに忘れた!」
新開さん「行けぇ~! 走れぇ~! 飛んで行けぇ~、スタバにぃ~!!」

顔面蒼白、意識朦朧、前後不覚、支離滅裂。
行かなきゃ!行かなきゃ!スタバに行かなきゃ!お願いだから無事見つかってくれぇ~!!
ん? ところで、スタバってどこにあったっけ?
最近めっきり方向感覚と記憶力が鈍っている頭をフル回転させて、エスカレーターで上ってきたことを思い出し
近くのエスカレーターで下に降りたのですが、視界の範囲にスタバは見えず。
新開さんが、すかさず近くのテナントでスタバの位置を聞き出してくださり、私はその方向へ猛ダッシュ!

あった! あったぁ~!! バッグは私の座っていた椅子の下に転がっておりました。
中身も全部無事でしたぁ!! やったぁ!! ああ、良かった~!!

新開さん「良かった! 良かった! 無事に戻って良かったよぉ~!!」
私「うん、うん、ありがとう、ありがとう~!!」

私たちは抱き合って喜びました。
新開さんも嬉しそうに満面の笑顔をされています。

しかし…
その笑顔の裏にあるものを私は察知したのです。
新開さんの笑顔には2つの意味が込められていたのです。
もちろん、私のバッグが無事に戻ったことを喜んでくれているのですが、もう一つは…

『ひひひ、私のドジを散々笑ってくれたけど、所詮、君も同じ穴のムジナなんだよぉ~だ、ぎゃはは!』

常日頃から新開さんの数々のドジ話を聞いて笑い転げていた私でしたので
笑顔の奥から、そんな声が聞こえてきたような気がしてゾク~ッとしたのでした。


…以上が事の顛末なのですが、セリフなどには多少の脚色を加えていることをお断りしておきます。

来日早々に新開さんが大ドジ。
最終日には私が大ドジ。
しかも、場所も同じ成田空港で。
はい、私たちは、これほどまでに共通点の多い、気の合う仲良しなので~す。


成田空港には魔物が潜んでいますので、皆様、充分にご注意召されよ!
きっと、空港建設で住処を追われたタヌキかキツネが人間に復讐しているのです。
え? タヌキに化かされるようなヤツは、お前たちくらいのものですって?

 

では新開さんの個展成功を祝して、最後に、とっておきの一枚を!
諏訪大社上社本宮の参道での、私の会心のショットです。
掲載の許可はもらいましたよね?
かなり嫌がっていましたけど、ぎゃはは!



新開さん、トコロテン美味しいですか?
久しぶりの日本を満喫されましたか?


Sorellona shiho !  Ci vediamo ! !


-------------- Ichiro Futatsugi.■
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その瞬間

2012年03月11日 | 日常雑記
2011年3月11日午後2時46分過ぎ。
最初はゆっくりとした揺れでした。


私の暮らす千葉県北西部では震度3程度の地震は時々起こります。
その程度の揺れには慣れっこになっていますので
たいていは部屋の様子をじっと見つめるだけで、特に行動を起こすことはありません。
このあたりが震源地になる直下型地震もしばしばあり、その場合はドン!と揺れが始まります。
それでも、あの瞬間までは震度3~4程度で収まっていました。

また地震かぁ…。

今日はゆっくりと揺れ始めましたから震源は遠いようです。
震度が3を超えたかなと感じたあたりで
いつもするように本棚を支えるために立ち上がりました。
震源地は東北か新潟か、どちらかだろうと予想しながら本棚に手を添えました。


余裕があったのはここまででした。


次の瞬間!
本棚を押さえていた手が一瞬フワッと本棚から離れました。

え?

うしろから見えない何かに引っ張られたかように、体が浮いたように感じました。

あ…

声が出ませんでした。
後から振り返れば何とも情けない限りです。
悲しいことに、一言声を上げることさえできませんでした。

どうせ、また震度3程度で済むさ…。
そうタカをくくっていた私の儚い予想など、いとも簡単に踏み潰しながら
ウルトラマン級の巨人が建物を鷲掴みにして、なりふりかまわず揺さぶり始めたかのようでした。
部屋の中では、何台もの掘削機が一斉に動き始めたような凄まじい音が鳴り響きました。
ダダダダダダダ!!
襲いかかってきた激しく小刻みな振動に、心臓の鼓動が一気に高まり、背筋に冷たいものが流れました。
揺れのせいではなく足がガクガクと震えています。

これが現実だという感覚は少しもありませんでした。
激しい振動の中でテレビか映画の画面をボーっと見ているようでした。

目に映るものは…
激しく揺れる家具、本棚から落下する本、将棋倒しに倒れるパネルの束、崩れ落ちる収納ケース…。
耳に入るものは…
建物の軋む音、家具の踊る音、物が落下する音、陶器やガラスの割れる音…。
目と耳だけが、冷徹な実況中継のように部屋の様子を脳に伝えてくるだけです。
経験したことのない永く強い揺れのせいで、目と耳以外は人体機能を停止してしまったかのようでした。

とうとう来たか!!

繰り返し、繰り返し警告されてきた東海大地震がついに起こったのかと。
私もこれで終わりかと思いかけました。
倒壊した建物の瓦礫の中に埋もれていく自分の姿を少しだけ想像しました。

まずい!まずい!まずい!まずい!…
見事なまでに、私の頭の中には「まずい!」という単語しか浮かびませんでした。
まずいのなら、じゃあどうする?という思考は欠片もありませんでした。

とにかく、異様に永く強い揺れでした。


しかしその割りに、いつまでたっても建物が倒壊しそうな兆しはありません。
それでようやく少しだけ冷静になることができたのでした。
最初はゆっくりした揺れだったから、やはり震源は遠いはず…。
東京近郊を震源とする東海大地震ではなさそうだ…。
東北か新潟か…。
それとも、静岡か紀伊半島沖か…。
もしそうだとしても、ここがこれだけ揺れているのだから…。
ここ千葉県北西部でも震度5は間違いなく超えている気がしました。
おそらく震度6はあるのではないか…。
それなら震源地は震度7か、それ以上…。

想像したくもない想像が否応なく頭に浮かぶばかりです。
嫌な想像に、体温が一気に下がって意識が半分どこかへ行ってしまったかのようでした。
かろうじて身体を支えている足の力が抜けてしまいそうになったのは
強い揺れのせいだけではないようです。

震源地はどこ?
どうなっている?
テレビのスイッチを入れたのは、震度が2程度に収まってからでした。
携帯電話も固定電話も、すでに不通になっていました。

---------

その後の凄惨な被災状況は改めて書くまでもありませんし、書くこともできません。
筆舌に尽くし難いという言葉の意味を初めて実感した気がします。

幸いなことに私も家族も無事でした。
千葉県北西部は大きな被害を免れたようで
電気もガスも水道も無事でした。
揺れが収まって窓から外を眺めると
道路に飛び出した人が数人立ち話をしていたくらいで、他はいつもと変わらぬ街並みがありました。
何事もなかったかのように、嘘のように静かでした。

しかし、この街並みの遥か彼方の東北地方には
壊滅して荒れ果ててしまった風景が広がっていると思うと
この一見平和そうな風景は本当に現実なのか不安になってきます。
もしかしたら、この見慣れた風景の方が夢なのではないか…。
これが夢なら、夢を見ている私はどうなったのか…。
そんな想いさえ頭をよぎります。

今回、室内に多少の被害が出ただけで人的被害はありませんでしたが
これは、あくまでも、たまたま。
偶然の結果にしか過ぎません。
よくぞ、まあ、ご無事で…。

でも、次は…。

-------------- Ichiro Futatsugi.■



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