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風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

州羽の海 5 本宮の表玄関

2010年11月16日 | 夢想の古代史


「州羽の海」は、自作の小説からの抜粋という形式で長野県諏訪市にある諏訪大社について書いています。

主人公である英嶋善也と相澤深那美の二人が、諏訪大社上社本宮の北参道から境内に入り、正面玄関である東参道にやってきました。
→予告編
→第1回 出雲から来た神
→第2回 境内へ
→第3回 湖畔の社
→第4回 片隅にある神楽殿




立派な門の前に出た。
門の脇には二番目の御柱「二之柱」が立っている。
ここが上社本宮の正面入口、つまり表玄関ということらしい。

「ほう、ここが本宮の正面入口なのか。風格があるね」
「新しい北参道とは対照的ですね」
「正面玄関というだけあって立派な門があるねぇ」
「いわゆる神門(しんもん)ってやつですね。入口御門という名前だそうです」


本宮の表玄関にある入口御門です。
右側の黄土色の柱が二番目の御柱「二之柱」です。
高さは5丈(約15m)で、5丈5尺(約17m)の「一之柱」より低くなっています。
二人は、この写真の右手からやってきました。



境内案内図で位置を示すと、このように境内の左端(東端)になります。
境内案内図の左端に小さな橋のあるのが判るでしょうか?
そこには銅葺きの鳥居が建っています。



この写真は、その橋から鳥居越しに入口御門を望んだところです。
橋と鳥居は入口御門より一段高い位置にあります。



門の東側、境内の入口には大鳥居が立ち、境外には参道が延びている。
俺は鳥居の下に立って外の参道を向いた。
北参道周辺よりずっと歴史を感じる佇まいだ。

「こちらの参道は東参道というんです。これが本宮の表参道ですね」
「昔ながらの面影を残しているね」
「北参道よりは門前町という雰囲気がありますよね」

(一部省略)

俺たちは、また門の前に戻った。

「入口御門か。お寺だったら山門とか仁王門があって普通だけど、神社にも門があるんだね」
「どこの神社にも必ずあるわけじゃないですけどね」
「門の先には…廊下のようなものが続いているな」
「あの廊下のようなものは布橋(ぬのばし)と言うんだそうです。かつては最高位の神職である大祝(おおほおり)が渡る時だけ布を敷いたんだそうです」


大祝(おおほおり)とは、生き神と言われる諏訪大社最高位の神職(明治維新の神社改革で廃止)の名称です。
神の御霊を大祝に降ろす、つまり憑依させることによって生き神となるのです。
御霊を降ろすのは諏訪大社ナンバー2の神職だけが成しうる業なのですが、それについては、また後日。



入口御門の先に延びる布橋。
手前の紋入りの垂れ幕がかかっているのは入口御門で、その先が布橋です。
因みに、垂れ幕に描かれているのは上社の御神紋で
「諏訪梶(かじ)」と言って、桑科の植物である梶の木を象ったものです。
下社の御神紋は、同じ梶でも根が5本ある「明神梶」というもので、微妙に異なります。



「布橋…。橋という名前がついているのか」
「神社によっては『神橋(しんきょう)』と呼ばれる橋が設けられていることがありますから、これもそれに相当するんでしょうね」
「しんきょう…。ああ、日光東照宮の前にある有名な赤い橋も神橋と言ったな」
「そうです。神のいる領域と人間の領域との橋渡しということですね」
「橋…か」
「まあ、これはどう見ても廊下ですけどね」
「陸上の石垣の上に造られているから、一般的な意味での橋じゃないよね」
「神橋は現実の橋じゃないですから」
「神橋であり、布を敷いたから布橋と名づけられた。…でも、それだけだろうか?」
「かつて諏訪湖が間近に迫っていたことに因んだ名前なんでしょうか」
「これが本当に橋と言えるようになるためにはどうなればいい?」
「橋は川や池の上に架かっているものですから…」
「そう。下に水があればいい。橋というものは水上を渡る道だからね」
「下に水があれば名実ともに橋と言えますね」
「真下に水がなくても、水面に映るような状況だったら橋だと名づけたくなるよね」
「ということは、布橋のすぐ脇に水面が…」

諏訪大社は湖畔の社だった。
だが、創建当時の湖畔がどの位置だったのかは明確になっていない。

「布橋を支えている石垣の下が湖畔だったんじゃないか?布橋は…諏訪湖に面していたかもしれない」
「ああ…なるほど」
「当時は布橋がギリギリ湖畔だったんじゃないかな」
「そうだったかもしれませんね」
「ここから北参道の方向へは下り斜面になっているだろう?今歩いてきたところだ」
「明らかに斜面でした」
「布橋の足下の地面は元々緩い斜面で、そこに盛り土をして布橋を造ったんじゃないか?それを補強するために石垣を築いたように見える」
「入口御門は正面玄関ですから間違いなく陸上だったはずですね。その先は下り斜面ですから、布橋の少なくとも後半部が湖に面していた可能性はありますよね」
「可能性は…あると思うね」

しかし、深那美は俺の意見に頷きながらも、布橋と、境内を取り囲んでいる玉垣(塀)の方向をしきりに見比べていた。
何か気がかりがあるようだ。



布橋の後端部(「一之柱」のすぐ近く)を下段から見上げた様子です。
上段(布橋の建っている地面)と下段(石垣の下)の高低差は、この位置で3mくらいあります。

布橋は神橋と言われる社殿の一種と解釈していいとは思いますが
他所の神社の神橋に比べて異例に長いのです。
本宮が湖畔の社だったことから、布橋が単なる形式的な神橋に留まらないのではないかと感じた英嶋は
布橋は諏訪湖の湖畔に面していたのではないかと推測しているのです。
つまり、この石垣の下に諏訪湖の波が押し寄せていたのではないかと…。


しかし、諏訪大社について下調べをしてきた深那美には、布橋に関して何か気がかりなことがあるようです。

では、第6回 「布橋を渡る」 に続きます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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州羽の海 4 片隅にある神楽殿

2010年10月31日 | 夢想の古代史


「州羽の海」は、自作の小説からの抜粋という形式で長野県諏訪市にある諏訪大社について書いています。

主人公である英嶋善也と相澤深那美の二人が、諏訪大社上社本宮の北参道から境内に入り
御柱「一之柱」の前から参拝順路に従って最初の大きな社殿「神楽殿」の前に来ました。
→予告編
→第1回 出雲から来た神
→第2回 境内へ
→第3回 湖畔の社




第2回「境内へ」にも掲載した写真です。
北参道の大鳥居から境内に入り、入ってすぐの場所に建っている御柱「一之柱」前から左手を望んだところです。
左手の樹木の奥に見えているのが神楽殿です。




神楽殿のアップ
舞台の高さは、小柄な人の背丈ほどもあります。



「これは…神楽殿か」
「ですね…」
「立派だねぇ。本宮に相応しい神楽殿じゃないか?」
「規模は相応しいんですが…」
「何か相応しくない点でもあるの?」
「場所です。建っている位置が…」
「位置?」
「ずいぶん隅の目立たない場所ですよ、ここは」
「そうか、まだ境内に入ったばかりだからな」
「神楽殿のすぐ後ろには玉垣(塀)があって、境内ギリギリなんですよ」
「神楽殿って、普通は拝殿の前に置かれるだろ?」
「そうですね。神に奉納する神楽を舞ったりするためのものですからね」
「ここからは拝殿がまともに見えないね」
「神楽を舞っても神様には見えないですよね」
「確かに妙な位置だな…」
「何だか、空いていた場所にとりあえず造ったというような印象ですね」


境内案内図で神楽殿の位置を示します。
神楽殿左上方の、一番大きく縦に細長い建物が拝殿です。
この図で一目瞭然のように、神楽殿は境内の隅っこにあります。



「諏訪大社にとって神楽殿は重要ではないということなのか…」
「神社にとって最も大切な社殿は本殿、そして拝殿ですからね。神楽殿は重要ではないと言ってしまえばそうですが…」
「でも、大抵の神社にあるよね」
「ありますが、古い神社には拝殿の近くにない場合が多いようですよ」
「へえ…」
「確か伊勢神宮でも出雲大社でも、本殿(伊勢神宮は正殿)の近くに神楽殿はなかったですね」
「両方とも古いよね?」
「どちらも最古級です」
「古い神社に神楽殿はなかったのかな」
「古代にはなかったのかもしれませんね。神楽殿が拝殿の前に置かれるようになるのは意外と新しいことなのかも…」
「それにしてもね…。ここしか場所がなかったってことか?」
「どこでもいい…とは思えませんけどね」
「ここに建てた理由があった?」
「好き勝手な場所に建てることはないでしょう。いくら目立たない場所でも、ここがいいと判断する根拠があったから建てたんじゃないですか?」
「ここがいい?そうかな…そんなにいい場所なのかな」
「その理由までは判りませんけど…」
「理由か…」

俺は釈然としなかった。それは深那美も同じだった。
こんなところに神楽殿を建てる意味が判らなかった。
どう見ても、仕方なくここに建てたという印象が拭えなかった。

俺たちは少しだけ後ろ髪を引かれる想いがあったが、とりあえず先へと進んだ。


神楽殿の先には細い石畳の道が横切り、境内の外に向かって続いている。
塀には出入口があって、変わった形の鳥居が建っていた。
ひっそりと目立たないこともあって、裏口か通用門のように思えた。


神楽殿の前から、これから進んでいく本宮正面入口の方向を見たところ。
手前に細い石畳の道があります。




上の写真の石畳の道に立ち、左手を望んだところ。
玉垣(塀)には門があって、すぐに境内の外へ出ることができます。
そこにはちょっと変わった形の鳥居が建っています。
境内案内図の神楽殿の左隣に描かれている鳥居です。




その変わった形の鳥居の前から後ろを振り返った様子です。
右手が神楽殿。
奥の一段高いところにある廊下のような細長い建物は「布橋(ぬのばし)」といい、これは次回説明します。



さて、二人が首を傾げたように、本宮の神楽殿は奇妙な位置にあります。
いくら神楽殿の登場時期が新しいとは言え
ここは境内の片隅であり、とても神楽殿に相応しい場所とは思えません。
二人は疑問に思いながらも、なお先へと進みます。

しばらく後に、この神楽殿の位置と、石畳の道と、変わった形の鳥居が重要なヒントを二人に与えてくれることになるのですが…。

では、次回は第5回 「本宮の表玄関」 です。


-------------- Ichiro Futatsugi.■


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州羽の海 3 湖畔の社

2010年10月23日 | 夢想の古代史


「州羽の海」は、自作の小説からの抜粋という形式で長野県諏訪市にある諏訪大社について書いています。

主人公である英嶋善也と相澤深那美の二人が、諏訪大社上社本宮の北参道から境内に入り、これから正面入口に向かうところです。
→予告編
→第1回 出雲から来た神
→第2回 境内へ


「何ですか?英嶋さん。さっきからキョロキョロ見回して」
「ここは…山沿いだね」
「そうですけど」
「山沿いの狭い範囲に無理して境内をまとめたような印象がないかい?」
「確かに山沿いにまとまっていますよね」
「なぜこんな狭い範囲に社殿を密集させたんだろうな」
「ここはすぐ山が迫っていて敷地が狭いですから、仕方なかったんじゃないですか?」
「だけど、今通ってきた北参道のあたりは広々としていたじゃないか」
「…」
「北参道は本宮の境内じゃないんだろう?」
「ええ…境内じゃありません」
「どうして北参道まで境内にしなかったんだろうね」
「…北参道は太平洋戦争中に新設されたんだそうです。それまではなかったんです」
「そうなのか…。でも、戦時中に新設できたくらいだから、最初から造ればよかったのにね」
「…」
「北参道の周辺はほとんど平らだったし、背後の山は見事だし、理想的な表参道になっただろう」
「…」
「北参道は大鳥居に向かって真っ直ぐ伸びていて、しかも結構な長さがあった。200メートルはあったんじゃないか?」
「…ありましたね」



本宮境内に比較して、北参道はこのくらいの長さがあります。
大鳥居から先の境内は、山の麓にあるため緩い傾斜地になっていますが
北参道とその周辺は、ほとんど真っ平らと言っていいほどの平地です。



「今では土産物屋などの民家が建ち並んでいるから境内を広げようとしたって無理だけど、創建当時は何もなかったんじゃないの?」
「民家は…ありませんでした」
「だろう?だったら、境内をもっと広く余裕を持って造れたはずだ」
「…」
「こんな山沿いに詰め込んだように造る必要なんかないじゃないか。穂高神社は安曇野のド真ん中にドーンとあるよ」
「…」
「拝殿と本殿は山際でいいと思うよ。だけど、他の社殿は北参道の後半に散らして、前半は参道だけにする。そんな感じでどう?」
「…」
「そうすれば、諏訪大社の社格や歴史に相応しい堂々とした境内が…」
「無理なんです」
「え?」
「無理だったんです。制約があったんですよ」
「そうかい?民家はなかったんだろう?」
「民家はないんですが、かつては障害物があったんです。どうにも避けようのないものが」
「あの平らな土地に?」
「湖ですよ」
「え?北参道には湖があったの?」
「諏訪湖です」
「諏訪湖?だって、ここから5キロも離れているんだよ」
「今はそうなんですが…古代の諏訪湖は広かったんです」
「広かった?」
「今よりずうっと」
「ほんとか?」
「そんな嘘言ってどうするんですか」
「君の考え?」
「まさか。私の考えたことじゃありませんよ。少し調べたら判ったんです」
「昔からあの大きさじゃないの?」
「諏訪湖は徐々に狭くなってきたんです」
「狭くなってきた…」
「古代、今の岡谷・諏訪の市街はほとんど湖でした。茅野市街まで広がっていたようです」
「茅野市街まで…。本当かい?」
「間違いないようです」
「それじゃあ、今の諏訪の平地はほとんど諏訪湖だったってことだよ」
「そうです」
「はぁ…信じられないな」
「ですよね」


左図が現代、右図が諏訪大社創建当時の諏訪湖の大きさを推定したものです。
正確とは言えませんが、だいたいこのような感じだったと思われます。


「諏訪湖が広かったって、どうして判ったの?」
「平地に遺跡がないんですよ」
「遺跡?」
「縄文時代や弥生時代の遺跡の分布を見ると、ほとんど全部が山沿いにあるんです。それも、標高800メートルくらいの等高線に沿うようにズラリと並んでいるんです」
「…」
「諏訪の地形が昔から今と同じだったのなら、これだけの平地があるんですからね。縄文人や弥生人は当然平地に住んだでしょう」
「そりゃ、そうだ…」
「なのに山沿いに住んでいたんです」
「…」
「平地に住みたくなかった。あるいは、住みたくても住めなかった。どちらかでしょ?」
「…」
「住みたくなかった可能性もありますが、理由の説明がつかないんです」
「…」
「住みたくても住めなかったのだったら、それはなぜか」
「湖だったから…。あるいは水が引いたばかりの湿地帯だったのかも」
「それで古代諏訪湖の輪郭が浮かび上がってきたんですよ」
「…」
「もちろん地質学的な裏付けも、ちゃんとあるんです」
「…」
「古代の諏訪湖は今よりずっと湖面が高かったんです。それはすでに定説だと言っていいですね」
「湖面が高かったのなら、当然今よりずっと広くなる…」
「釜口水門ってありますよね?」
「ああ、諏訪湖の唯一の水の出口だ。諏訪湖の北西の端にある。天竜川の始まるところだ」
「あの少し先あたりが決壊して湖面が下がっていったようなんです」
「へえ…昔の諏訪湖はこの辺まであったのか。それは…驚きだな」
「でしょう?今の状況からは想像もできませんよね」
「すると…諏訪大社は諏訪湖の畔に造られたってこと?」
「そういうことですね。上社も下社も湖畔の社だったんですね」
「湖畔の社か…。現在の地形だけから判断するのは誤りってことか」
「ええ。古代の諏訪を探る上で最初の落とし穴でしょうね」
「前提条件だな」
「そうです。それを忘れては的外れになってしまうかもしれませんね」
「じゃあ…このあたりは湖畔からいきなり山ってことだ」
「そうなんですよ」
「平地なんてほとんどない」
「ないですね。わずかな緩斜面だけですね」
「余裕がなかったんだな。広い境内を造りたくてもできなかったのか」
「そうなんです」
「現在の諏訪湖の湖面の標高は?」
「約760mです」
「今より40m高かったのか…」
「諏訪湖の水量は増減を繰り返していたらしいですから、当時の人たちは万が一に備えて湖畔より少し上に住んでいたとして、だいたい780mくらいが湖面の標高だったんじゃないでしょうか」
「じゃあ、20mくらい上か。それでも…」
「巨大な湖だったんですね、古代の諏訪湖は」

現代と古代とでは地形が違うことがある…。
これは日本ではよくある話で、海岸沿いばかりの話ではないのです。

二人は後に諏訪大社創建当時の状況について様々な推測に辿り着くことになります。
もし、古代の諏訪湖が広かったという事実を見落としていたら、それらの推測は出てこなかったはずです。
でも、それはまだしばらく先の話になります。

さて、次回は第4回 「片隅にある神楽殿」 という話です。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

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州羽の海 2 境内へ

2010年10月10日 | 夢想の古代史


「州羽の海」は、自作の小説からの抜粋という形式で長野県諏訪市にある諏訪大社について書いています。

主人公である英嶋善也と相澤深那美の二人が、これから諏訪大社上社本宮の北参道から境内に入るところです。
→予告編
→第1回 出雲から来た神


茶店や土産物屋などが建ち並ぶ北参道が徐々に短くなるにつれ、大鳥居だけがこちらに迫ってくるように錯覚した。
御影石造りの大鳥居は最近建てられたらしく、まだ新しかった。


北参道の大鳥居は、平成15年の建造。
この先が、本宮の境内。


大鳥居の先は玉砂利の広場。
正面には高さ三メートルくらいの石垣が横切っており、そこに広い階段が設えてある。
階段の上には回廊のような塀と門が見えている。

「石垣と階段がある。奥は地面が一段高くなっているようだな」
「境内は上下二段に分かれているんですね」

その階段の左に御柱が一本立っていた。
その脇には『一之柱』という立て札があった。


大鳥居を越えたところ。
真正面には広い階段。ここを登れば拝殿まですぐに到着するのですが…。
左手には御柱一之柱や手水舎などが。



御柱一之柱。
今年5月の連休中に建て替えられたばかり。
灰色に変色した古い柱を見慣れた目には、何とも新鮮かつ少々奇異。


「これが御柱かぁ。でかい…」

巨大なことは遠くからでも一目瞭然だが、根本から見上げてみると威圧感たっぷりで怖いくらいだった。
諏訪大社を守護する厳格な門番が立っているように思えた。

「高さは五丈五尺とありますから、約17メートルですね」
「これを遠くの山から引っ張って来るんだろう?」
「そうです。諏訪大社は四社ありますから、このレベルの柱が全部で16本あるわけですね」
「これが『一之柱』ということは、四本の内の最初の柱ということだな。…でもこれ一本しか見えないけど、他の柱はどこにあるんだ?」
「他の柱は…見えませんね。そこに境内案内図がありますから見てみましょう」


これが二人の見ている案内図です。
オレンジ色で四角く囲っているのが、二人の入ってきた「北参道」の位置。
黄色く光っているように見えるのが御柱。
赤い矢印は参拝順路です。


「…ああ、確かに四本立っているね」
「御柱で囲まれた範囲って、結構広いんですね」
「広いな。こんなに広いとはね。だから一箇所からは全部見えないんだな」
「でもこの図を見ると、四本の柱で囲まれた範囲は境内を完全に網羅しているわけじゃないんですね」
「そうだな。ということは、御柱の範囲が本宮として絶対欠かせない範囲ということなのかな」
「創建当時の範囲なんでしょうか?」
「かもしれないな。徐々に社殿が増え、敷地も拡大したんだろう。境内が広がっても御柱の位置は変えなかったんだろうな」
「私が調べた限りでも、途中で御柱の位置を変えたという話はありませんでしたね」
「こんな柱を…なぜ建てたんだろうな」
「どうですか?英嶋さんの意見は」
「う~ん…。柱を一本見ただけじゃ何とも言えない…」
「まあ、そうでしょうね…」
「本宮全部を見終わったら…何か浮かぶかもしれないが」
「まだ境内に入ったばかりですからね。まずは全部見ていきましょう」
「ん?」
「何ですか?」
「参拝順路の指示があるね」
「ああ…正面入口よりご参拝くださいってありますね」
「正面入口?ここが正面入口じゃないのか。裏口なのか?」
「裏口ってことはないでしょう」
「左へ行けって書いてある」
「左には…正面入口らしきものは見えませんが」
「緩い上り坂になって、奥は右にカーブしているから、あの先ってことだな」
「途中に社殿も幾つか見えていますね」


一之柱の前から、参拝順路に指定された左の方向を望んだ様子。
白い砂利道から樹が生えている様子は「白砂青松」という言葉を連想します。
砂でも黒松でも海辺でもありませんが、何となく『波打ち際の神社』という雰囲気を感じませんか?


「鳥居の真正面にある階段を登ればすぐに拝殿だよ。それじゃダメなのかな」
「ダメってことはないですが、正面入口に回るのが本筋でしょう?特に私たちは初めてなんですし」
「でもさ…神社って、こういうものだっけ?」
「こういうものって、どういう意味ですか?」
「社殿の配置だよ」
「配置?」
「普通、神社って参道から鳥居・神楽殿・拝殿・本殿と、だいたい一直線に並んでいなかったかな」
「そうですね。普通はだいたい一直線のような気がしますね」
「俺の故郷安曇野の穂高神社は、鳥居から神楽殿・拝殿・本殿と、ほぼ一直線に並んでいたと思うな」
「私の知っている神社も、そうでした」
「社殿の配置の決まり事・原則というものはないのかな」
「いやあ、そこまでは…」
「この参拝順路には、目の前の立派な階段を登らずに左へ曲がって少し先にある正面入口に回れとある」
「正面から入るのが正式ですからね」
「正面入口からは、拝殿の脇を一旦通り過ぎて、しばらく進んでからUターンするようにして拝殿に至るようだね」
「そうですね」
「ここからだと、S字状に折れ曲がって拝殿に行くことになるね」
「ここの境内は地形が上下二段になっているでしょ?ここは下段で、上段に拝殿があります。その関係でこういう社殿の配置になったんじゃないですか?」
「…」
「とにかく、まずは正面入口に回りましょうよ」


二人が通ってきた北参道は、三つある本宮の参道の中では一番参拝者の多い参道です。
初めて本宮を訪れた人は皆、神秘的な雰囲気を持つ裏山を背景にした北参道が正面入口だと思うことでしょう。
しかし、北参道は本宮の正面入口ではありませんでした。
それはなぜなのか。
次回は、諏訪湖の意外な過去を知ることになります。
それでは次回、第2回「湖畔の社」に続きます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■
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州羽の海 1 出雲から来た神

2010年10月05日 | 夢想の古代史


「州羽の海」は、自作の小説からの抜粋という形式で長野県諏訪市にある諏訪大社について書いています。
主人公である英嶋善也と相澤深那美の二人が諏訪大社を訪れます。
予告編に続いての第1回目ですので、今回は予備知識編といったところです。
→州羽の海 予告編



中央自動車道諏訪インターチェンジ。
ここは諏訪市の外れにあたり、まだ諏訪湖からは南に少し離れている。
ETCゲートが開いて車が加速し始めると、深那美は首を伸ばして窓の外を見回した。

「諏訪湖はどこですか?」
「まだだよ。まだ少し離れているんだ」
「ここはもう諏訪でしょ?」
「そうなんだけど、まだ諏訪市の外れなんだ。あと5キロくらいあるよ」
「5キロ…。じゃあ、ちょっといいですか?」
「ん?」
「諏訪湖の前に寄ってみたいところがあるんですけど…」
「ああ、いいよ。俺には何の予定もないから、君の行きたいところに行くよ」
「諏訪大社です」
「諏訪大社…」
「行ったことあります?」
「…ない」
「このすぐ近所なんですよ」

(一部省略)

諏訪大社は四社あるって知っていました?」
「四社?『上社(かみしゃ)』と『下社(しもしゃ)』なら知ってるよ。他にもあったっけ?」
「『上社』と『下社』が諏訪湖を挟んで南北に位置していますね。南に『上社』、北に『下社』です。で、それぞれが更に二つに分かれているんですよ」
「更に分かれる?」
「『上社』は『前宮(まえみや)』と『本宮(ほんみや)』に、『下社』は『春宮(はるみや)』と『秋宮(あきみや)』に分かれます」
「へえ…」


諏訪湖と諏訪大社の位置関係を示します。
大雑把な地図ですが、茶色の部分が山地、灰色が平地です。


「御柱祭はご存知なんですね?」
「そりゃ、もちろん。七年に一度だったかな。柱を建てる祭りだろ?」
「諏訪大社と言えば、まず御柱祭を連想しますものね」
「誰でも知ってるほどの一大イベントと言ってもいいな」
「正式には式年造営御柱大祭(しきねんぞうえい みはしらたいさい)と言います。式年とは決められた年ごと、つまりこの場合は七年ごとになります」
「日本三大奇祭の一つなんだってね」
「三大奇祭がどれとどれを指すのかは諸説あるんですが、御柱祭が洩れることは、まずありませんね。文句なしの奇祭ですよね。遠い山から、時には犠牲者まで出して大木を運んできて建てるんですからね。わざわざ急な坂から落としたり、冷たい川を渡したりして」
「坂から落とす『木落とし』なら知ってるよ。下社の木落とし坂なんか、まるっきり崖だよ」
「ダイナミックで派手な祭ですよね。地元の人たちの熱の入れ方も半端じゃないんですよ。観光客にも大人気ですし…」
「御柱祭って、いつから始まったの?」
「えーと、確か平安時代の…」

深那美は、おもむろにバッグからメモ帳を取り出した。事前に調べてきたらしい。

「一番古い記録は、平安初期の桓武天皇(781~806)の時代です。でも、それ以前から行われていたようです」
「諏訪大社以外でも御柱を建てる神社はあるの?」
「諏訪地方では道端の小さな祠に至るまで、すべて御柱が建てられているんですよ」
「全部が諏訪大社の系列じゃないんだろ?」
「違いますが、御柱に関しては諏訪全体が諏訪大社化すると言ってもいいくらいですね」
「それじゃあ、すごい本数になるんじゃないの?」
「でしょうね。それらも全部、御柱祭の年に建て替えるんですって」
「まあ、小さいものは簡単だろうけど…」
「でも、ちゃんと御柱の伝統作法に則って建てるんですよ」
「全国的にはどうなの?」
「諏訪神社などの系列社以外では聞きませんね」
「なぜ諏訪大社だけに御柱の伝統があるんだろう」
「それが究極の疑問なんですよ。謎なんです。」
「究極の疑問?理由は不明なの?」
「ええ。諸説あって定説と言えるものがないんです」
「なぜ建てるのか…理由が判らないのか」
「四本の柱で取り囲むということは、普通に考えれば神域を示しているんでしょうね」
「だろうね」
「なぜ七年ごとなのか。なぜ諏訪大社だけなのか。いつから始まったのか…。何も判っていないんです」
「すべて謎なのか…」
「謎の一つには、四本の柱の高さが同じじゃないというのがあります。四本全部高さが違うんです」
「自然の木を使っているんだから高さが違うのは不思議じゃないだろ?」
「高さがバラバラなら不思議じゃありません。時計回りに少しずつ低くするらしいんですよ」
「時計回りに低くする…」
「つまり、ただ適当に建てているわけじゃないってことですね」
「何らかの意図があるってことだな」
「でもね。諏訪大社の謎は御柱祭だけじゃないですから」
「御柱祭だけじゃない?」
「四社から成ることからして謎なんですから」
「ああ…そうか」
「まあ、そもそも神道自体の発祥からして謎ですしね。謎じゃないことなんて一つもないとも言えますね」
「それを言い出したらキリがないんじゃないか?」
「諏訪大社には他にも変わった神事や伝承があるんです」
「へえ、どんな?」
「追々説明します。実物を見ながら」
「もったいぶるなよ」
「一度に全部説明しても頭に入らないでしょ?」

(一部省略)

四社ある諏訪大社の内、上社の本宮は諏訪インターチェンジのすぐ近くに鎮座している。
俺は諏訪市博物館に隣接する本宮参拝者用の駐車場に車を入れた。
ここは本宮の参道の一つである北参道の入口に当たり、参道奥の突き当たりにそびえる山の裾には大きな鳥居が建っている。


本宮参拝者用の駐車場の前から眺めた、新緑の頃の北参道です。
鳥居のすぐ左に、接するように建っている茶色い柱が御柱の一本です。


「英嶋さん。あそこが二つある上社の内の本宮という社です」
「へえ…」
「何ですか?」
「社殿はまだ見えないけど…背後の山が神々しいね」
「ええ。良い雰囲気ですよね」
「いかにも神の領域という空気感が漂っている」
「神の御霊を宿していそうな古木が密生していますね」
「あの山は禁足地なのかな」
「どうでしょうね。でも、ほとんど手を入れてないんでしょうね」
「神秘的な雰囲気を醸し出しているな」
「只ならぬ気配さえ感じさせますね」
「ああ、何だか期待できそうだね」
「ここ本宮が諏訪大社の中心的存在と言える社なんです」
「諏訪大社の要か…」
「諏訪大社は数ある神社の中でも最古の部類に入るようですよ」

(一部省略)

「諏訪大社は日本でも最古の部類に入ると言いましたが、諏訪大社という名称自体は新しいんですよ」
「新しい?」
「延長五年(927年)に編纂された延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)という書物には、南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)という名前で載っています」
「昔から諏訪大社という名前じゃないの?」
「戦後になってからなんです。1948年(昭和二十三年)に諏訪大社と改称されたんです。意外でしょ?」
「戦後なんて、神社の歴史から見れば、つい最近じゃないか」
「で、諏訪大社は信濃国一之宮という位置づけなんです」
「信濃国一之宮…つまり長野県の筆頭神社?」
「ええ。延喜式神名帳によれば古くは名神大社という地位にあったそうです」
「それは…神社の格付ってこと?」
「名神大社って最高位なんですよ」
「ほう…」
「明治時代以降では1916年(大正五年)に官幣大社というランクに昇格しています。官幣大社も最高位なんです」
「ふーん」
「全国的にみても、一目置かれるほどの神社ってことなんですね」
「へえ…」
「諏訪大社の祭神は誰か知っていますか?」
「神道の神と言われても…アマテラスくらいしか知らないな」
建御名方命(タケミナカタノミコト)というんです。そして妃である八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)も一緒に祀られています」
「タケミナカタ…。ヤサカトメ…」
「この神はどこから来たか…当然知りませんよね?」
「神様なんだから…天国か?」
「もう…。子供の会話じゃないんですから」
「俺の知識は子供以下だよ」
「出雲出身なんですよ」
「イズモって、出雲大社の出雲?」
「ええ。建御名方命は大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供なんです」
「オオクニヌシ…因幡の白兎を助けたことで有名な?」
「それくらいは知っているんですね」
「出雲か。じゃあ諏訪大社って出雲大社から分かれたの?」
「違います。建御名方命の来た頃は、まだ出雲大社はありませんから」
「出雲大社はない?」
「因幡の白兎を知っているのなら、出雲の国譲り神話は?」
「いやあ、さっぱり…」
「大和王権が初めて日本を統一するにあたって、最大の懸念が出雲の存在でした。出雲は古くから強固な国を造って一大勢力として君臨していましたからね。出雲を従属させることができなければ統一なんて夢物語ですから」
「大和王権は出雲に従属しろと迫ったわけだ」
「出雲は古代日本の大国ですからね。簡単にはいきませんよね」
「そりゃそうだ。交渉は決裂したんだろうな」
「ところが統治者である大国主命は意外とあっさり承諾したんです」
「え?OKした?」
「自分はOKだが、まずは長男の事代主命(コトシロヌシノミコト)に聞けと言ったんです。そして国譲りの条件として出雲大社の建設を大和王権側に要求したんです」
「なるほど。出雲大社の創建は、それ以降か」
「そうです。ですから諏訪大社は出雲大社から分かれたわけではないんです」
「で、事代主命の返事は?」
「これもあっさり承諾するんです」
「へえ…ずいぶん潔いというのか、弱腰というのか…」
「自分はOKなのだが…」
「また?今度は誰に聞けって?長男の次は次男かい?」
「当たりです。次男の建御名方命に聞けと言うんです」
「建御名方命は大国主命の次男坊なのか」
「でも、建御名方命はOKしませんでした」
「そこで決裂か。結局、戦いに?」
「はい。建御名方命は建御雷命(タケミカヅチノミコト)率いる大和王権軍に最後まで抵抗したんですが…敗れたんです。そして諏訪に逃げたんです」
「逃げてきたのか…」
「一方、諏訪には大和王権成立以前から守矢氏という一族を中心とした先住民がいたんです。彼らには独自に信仰する神がいました」
「地元の氏神ってやつか?」
「まあ…そうですね。今の前宮に守矢氏の神が祀られていたようです」
「じゃあ、諏訪大社は建御名方命が来る前からあったんだ」
「いえ、神社という形態ではありませんね。まだ神社という概念はなかったはずですから。守矢氏の神の祭祀場があっただけでしょう」
「でも、先住民である守矢氏はあっさり受け入れたのかい?敗軍の将がよく祭神になれたね」
「そうはいきません。今度は建御名方命と守矢氏との戦いになりました」
「そこで建御名方命が勝ったのか?」
「ええ。建御名方命は守矢氏に勝ち、新たな諏訪の支配者となったんです」
「勝ってめでたく祭神になれたわけか」
「それで建御名方命を祭神として諏訪大社が造営されたと伝えられています」
「なるほど…」
「まあ、これはあくまで神話が伝える限りの諏訪大社造営物語ですけどね。とりあえず、これが諏訪大社の常識というところですか」
「常識か…。常識という言葉は必ずしも当てにならない」
「ですね」
「ところで、負けた守矢氏はどうなったの?」
「やっぱりそこが気になるでしょ?」
「何だよ、含み笑いなんかして…」
「戦争の敗者ですから抹殺されてもおかしくないですよね」
「まあ、昔はね…」
「でも、守矢氏は諏訪大社ナンバー2として生き残ったんです。子孫は現在まで続いています」
「ほう。建御名方命は寛大なんだな」
「強権で支配せず融和政策を採って守矢氏を厚遇した…。一般にはそう解釈されていますが…」
「含み笑いをしたところを見ると、何か言いたいんじゃないの?」
「ま、それは後のお楽しみにしましょう」


次回からは二人が境内に足を踏み入れて、実際に目にしたもの、感じたことを語り始めます。
できるだけ写真も増やして、二人と一緒に本宮を巡っているような構成にするつもりです。

それでは次回、第2回「境内へ」に続きます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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