暑中お見舞い申し上げます。
今から25年ほど前のこと。
玄関の方向から、何やら猫の鳴き声らしきものが聞こえてきました。
空耳かな?と思いながら玄関を開けてみると
3メートルほど離れて、一匹の猫が佇んでいました。
「ニャ~」
じっと私を見つめて、逃げる素振りもありません。
「あれ?お前、どこから来たの?」
「ニャ~」
「お前、ノラか?」
「ニャ~」
「…」
「ニャ~」
「入るか?」
「ニャ~」
私は猫語がわかりませんので、返事がイエスなのかノーなのか見当もつきません。
玄関で猫相手に見つめ合っていても仕方がないので、とりあえず中に入れることにしました。
のそりのそりと悠長な足取りで足も拭かずに部屋の中に入り込み、ドカッと腰を降ろします。
オドオドしたところは微塵もなく、ぐるりと部屋を眺め回して「ふ~ん」というような顔をしています。
私の方が不意の来客に少し畏まってしまって、何か食べ物はないか捜しながら猫の様子を窺います。
その猫は毛並みの良い、綺麗な肉球をした三毛猫で、おそらくどこかの飼い猫なのでしょう。
少しメタボがかった体型から、どうやら他に何軒かの家を渡り歩いているように見えました。
人間社会の中で巧妙に生き抜く知恵を備えた賢い猫だったようです。
万事ゆったりとした身のこなしで、少し虚ろな視線を送ってくることから
「ボヤっとした」という言葉の「ボヤ」を少しだけ変えて、我が家での名前は「ポヤ」になりました。
ポヤは何をするでもなく、ほとんど居眠りをして過ごしていました。
あまり動かないことをこれ幸いに、私はスケッチブックを取り出しました。
ポヤは最初畳の上で昼寝していましたが、一度私が胡坐をかいてポヤを中に入れたところ
それが病みつきになったらしく、私が胡坐をかくたびにノソっと入り込んで居眠りを始めるのです。
懐いてくれるのは嬉しいのですが、こうなると私は身動きがとれません。
ポヤは涼しい顔をして寝息を立てています。
しばらくすると、私の足が痺れてきます。
お尻も痛くなってきます。
トイレにも行きたくなってきます。
しかし、ポヤが気持ち良さそうに眠っています。
「どうしよう…」
せっかく懐いてくれた猫の機嫌を損なうことを何より恐れる小心者の私は
ポヤに遠慮して、そのままじっと胡坐をかき続けます。
「すみません、ポヤさん。ちょっとどいていただけますか?」
「…」
いよいよトイレが我慢できなくなると、そお~っとポヤを抱き上げて座布団の上に移します。
「すぐ戻りますので」
「ん …」
私はパッとトイレに行って、サッと戻って、また胡坐をかきます。
そして座布団の上でぼんやりしているポヤを抱き上げて、胡坐の中へ戻します。
「さあ、さあ、ポヤさん。どうぞ、どうぞ」
「お …」
ポヤは前足で座り心地を確かめてから、再び丸くなって目を閉じます。
ポヤを飼ったわけではありません。
フラリとやってきては、おやつを食べて昼寝をして帰っていく。
しばらくそんな状態が続きました。
しかし、当時暮らしていたアパートはペット禁止です。
他の住人の手前、このまま居ついてしまっても困ります。
私はポヤを部屋の中に入れないことに決めました。
「ニャ~」
いつものようにポヤの声が玄関の外から聞こえます。
「ニャ~」
「…」
やはりそれが何日か続きましたが、やがてポヤの声は聞こえなくなりました。
ポヤはいつも毛並みが整っていて綺麗でした。
本来の飼い主がいたはずですし、”別宅”が他にもあったでしょう。
賢いポヤのことですから、その後も上手く立ち回って穏やかに暮らしたのだと思います。
あれから25年経っていますので、ポヤはとっくに鬼籍に入ったはずです。
猫は20歳を過ぎると、尻尾の先が二つに割れ、人の心を読み、妖術を使えるようになるそうです。
それを「猫叉」と言うのだそうです。
もしポヤが今でも元気でいて猫叉になっているとしたら
人の心が読めるようになっているはずですから
ひょっとしたら日本語を話せるようにもなっているかもしれません。
私は相変わらず猫語はわかりませんので、喋れるようになったポヤに聞いてみたいものです。
「うちに通っていた頃は楽しかったか?」
果たしてポヤは何と答えるでしょう。
大の犬党、柴犬党の私ですが、猫も負けず劣らず大好きなのです。
私に懐いてくれた数少ない猫であるポヤとの日々は天国でした。
私の夢想の中で、ポヤの瞳が少女マンガの主人公のように輝き出します。
そのキラキラした瞳で、私をじっと見つめます。
私も白馬の騎士のような瞳になって、ポヤをじっと見つめ返します。
そしてポヤの一言を、期待に胸を膨らませながら待ちます。
「楽しかったかい?ポヤ」
「ん …」
あら?
-------------- Ichiro Futatsugi.■
今から25年ほど前のこと。
玄関の方向から、何やら猫の鳴き声らしきものが聞こえてきました。
空耳かな?と思いながら玄関を開けてみると
3メートルほど離れて、一匹の猫が佇んでいました。
「ニャ~」
じっと私を見つめて、逃げる素振りもありません。
「あれ?お前、どこから来たの?」
「ニャ~」
「お前、ノラか?」
「ニャ~」
「…」
「ニャ~」
「入るか?」
「ニャ~」
私は猫語がわかりませんので、返事がイエスなのかノーなのか見当もつきません。
玄関で猫相手に見つめ合っていても仕方がないので、とりあえず中に入れることにしました。
のそりのそりと悠長な足取りで足も拭かずに部屋の中に入り込み、ドカッと腰を降ろします。
オドオドしたところは微塵もなく、ぐるりと部屋を眺め回して「ふ~ん」というような顔をしています。
私の方が不意の来客に少し畏まってしまって、何か食べ物はないか捜しながら猫の様子を窺います。
その猫は毛並みの良い、綺麗な肉球をした三毛猫で、おそらくどこかの飼い猫なのでしょう。
少しメタボがかった体型から、どうやら他に何軒かの家を渡り歩いているように見えました。
人間社会の中で巧妙に生き抜く知恵を備えた賢い猫だったようです。
万事ゆったりとした身のこなしで、少し虚ろな視線を送ってくることから
「ボヤっとした」という言葉の「ボヤ」を少しだけ変えて、我が家での名前は「ポヤ」になりました。
ポヤは何をするでもなく、ほとんど居眠りをして過ごしていました。
あまり動かないことをこれ幸いに、私はスケッチブックを取り出しました。
ポヤは最初畳の上で昼寝していましたが、一度私が胡坐をかいてポヤを中に入れたところ
それが病みつきになったらしく、私が胡坐をかくたびにノソっと入り込んで居眠りを始めるのです。
懐いてくれるのは嬉しいのですが、こうなると私は身動きがとれません。
ポヤは涼しい顔をして寝息を立てています。
しばらくすると、私の足が痺れてきます。
お尻も痛くなってきます。
トイレにも行きたくなってきます。
しかし、ポヤが気持ち良さそうに眠っています。
「どうしよう…」
せっかく懐いてくれた猫の機嫌を損なうことを何より恐れる小心者の私は
ポヤに遠慮して、そのままじっと胡坐をかき続けます。
「すみません、ポヤさん。ちょっとどいていただけますか?」
「…」
いよいよトイレが我慢できなくなると、そお~っとポヤを抱き上げて座布団の上に移します。
「すぐ戻りますので」
「ん …」
私はパッとトイレに行って、サッと戻って、また胡坐をかきます。
そして座布団の上でぼんやりしているポヤを抱き上げて、胡坐の中へ戻します。
「さあ、さあ、ポヤさん。どうぞ、どうぞ」
「お …」
ポヤは前足で座り心地を確かめてから、再び丸くなって目を閉じます。
ポヤを飼ったわけではありません。
フラリとやってきては、おやつを食べて昼寝をして帰っていく。
しばらくそんな状態が続きました。
しかし、当時暮らしていたアパートはペット禁止です。
他の住人の手前、このまま居ついてしまっても困ります。
私はポヤを部屋の中に入れないことに決めました。
「ニャ~」
いつものようにポヤの声が玄関の外から聞こえます。
「ニャ~」
「…」
やはりそれが何日か続きましたが、やがてポヤの声は聞こえなくなりました。
ポヤはいつも毛並みが整っていて綺麗でした。
本来の飼い主がいたはずですし、”別宅”が他にもあったでしょう。
賢いポヤのことですから、その後も上手く立ち回って穏やかに暮らしたのだと思います。
あれから25年経っていますので、ポヤはとっくに鬼籍に入ったはずです。
猫は20歳を過ぎると、尻尾の先が二つに割れ、人の心を読み、妖術を使えるようになるそうです。
それを「猫叉」と言うのだそうです。
もしポヤが今でも元気でいて猫叉になっているとしたら
人の心が読めるようになっているはずですから
ひょっとしたら日本語を話せるようにもなっているかもしれません。
私は相変わらず猫語はわかりませんので、喋れるようになったポヤに聞いてみたいものです。
「うちに通っていた頃は楽しかったか?」
果たしてポヤは何と答えるでしょう。
大の犬党、柴犬党の私ですが、猫も負けず劣らず大好きなのです。
私に懐いてくれた数少ない猫であるポヤとの日々は天国でした。
私の夢想の中で、ポヤの瞳が少女マンガの主人公のように輝き出します。
そのキラキラした瞳で、私をじっと見つめます。
私も白馬の騎士のような瞳になって、ポヤをじっと見つめ返します。
そしてポヤの一言を、期待に胸を膨らませながら待ちます。
「楽しかったかい?ポヤ」
「ん …」
あら?
-------------- Ichiro Futatsugi.■