風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

11月28日土曜日

2009年11月28日 | 仕事場
昨日、マイケル・ジャクソンの映画「THIS IS IT」の最終日だということを知って夜映画館に出かけたのですが、満席で見れませんでした。
残念でした…というようなことはどうでもよくて、また新たな制作が始まっています。



手前の作品は20号(72.7x50cm)で、イタリア・アッシジの坂道を描いています。
後の作品は40号(100x80cm)で、イタリア・フィレンツェのポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)です。
どちらもまだ下描きの途中です。

イタリア中部の丘陵都市はどこでも坂道ばかりですが、アッシジもその例に洩れず、道という道は坂道・坂道・坂道…なのです。


「サンタンドレアの小径」 50号 1996年

これは13年前の初個展の出品作です。
私がアッシジで一番好きな坂道で、サン・フランチェスコ聖堂のすぐ近所にあって、ビーコロ・サンタンドレア(サンタンドレア小路)という名前がついています。

今回描き始めた坂道はそれとは別の道で、アッシジのドゥオモ(中央教会)から街の頂上にある城砦ロッカ・マジョーレに登っていく途中の坂道です。
残念ながら名前は分かりません。
ここは、私がアッシジの坂道ベスト5を選ぶとしたら、必ず入れたい道の一つなのです。

この作品では、鉛筆と赤いパステル鉛筆を併用して下描きをしています。
赤い部分は花です。
石造りの街の古色蒼然とした壁には鉢植えの花や蔓バラのような壁に這わせた花がとてもよく映えるのです。
パステル鉛筆を下描きに使用するのは今回が初めてです。
普通の色鉛筆より消しやすく、修正が容易です。
鉛筆だけでは花がゴチャゴチャしてしまいそうですし、後々の彩色にも悪い影響はなさそうなので使用してみました。

ポンテ・ヴェッキオは、これで4~5点目のはずです。
フィレンツェの風景で私が描いたものは、今までのところ唯一ポンテ・ヴェッキオだけです。
私は水のある風景が好きなのです。
今まで描いたポンテ・ヴェッキオの中では、これが最大サイズになります。





これはつい最近仕上がったばかりの4号(33.3x22cm)で、左は下描き、右が仕上がりです。
途中で花の右側に葉を一枚追加しています。

この作品は試験的に版画にしてみようと考えています。
版画と言っても、リトグラフとかシルクスクリーンといった技法ではありません。
写真製版に近いのですが、それとも少々異なります。
それについては、また別の機会に。

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落款

2009年11月25日 | 仕事場
落款(らっかん)とは作品に書き入れる署名のことで、ハンコである印章と合わせて正確には落款・印章と言います。
日常的には落款・印章の両方を一緒にして、単に落款と呼んでしまうことが慣例になっているようです。


これが私の落款・印章です。

落款は墨を使うとは限らず、私はほとんどの場合金泥を使っています。
背景が明るくて金泥では目立たない場合のみ墨・黒朱などを使います。



私の印章をきちんと押すと、このようになります。
これは私が自分で彫ったもので、もう15年ほど使っています。
彫るためには専用の印刀というノミのような刃物がありますが
印章用の石は柔らかくて彫りやすいものが多いですから、学童用の彫刻刀でも充分です。


印章は一般的には印泥(いんでい・印肉のこと)を使用して押します。
正式な印泥は赤い鉱物顔料である朱(硫化水銀が成分)にヒマシ油とモグサ(お灸の材料)を混ぜて練り合わせたものです。
最近は朱以外の色や金・銀の印泥もあります。
しかし私は絵具を使って押します。
もちろん絵と同じくニカワで溶いて使います。
作品の色調に応じて、赤口朱(赤)・黄口朱(オレンジ色)・古代朱(茶色)・焼朱(焦茶)・黒朱(黒)などを使い分けます。
また、それらを混ぜ合わせることも、白を加えて薄めることもします。
さらには、赤系以外の色を使う場合もあります。
私はパーマネントグリーン(黄緑)をよく使います。
また、二色以上を重ねて押す場合もあります。

印章を絵具で押す方法は、単に印面に絵具を筆などで塗って押すだけです。
ただ、印面は石ですので印泥ほど付きは良くありません。
思ったように押すためには若干の慣れは必要です。
もし、初めて絵具を使って印章を押そうと思ったら、是非事前に練習してから押すことをお奨めします。


押印のサンプルです。
どれもムラがあって一見不完全な押し方に見えますが、これらが失敗だとは限らないのです。

印章は文字が判読できるようにキッチリ押さなければならない…ということはありません。
あまりキチンと押すと、書類に押した実印のように見えてしまうかもしれません。
作品の雰囲気に合わせる必要はありますが、多少擦れているくらいの方が味があって良いと思います。
私は50号でも3号でも同じ印章を押していますので、小品の場合に大き過ぎると感じた時には、わざとたくさん擦れさせて小さく見せています。
サンプル画像の下段左端や、下段右から二番目のように押すと小さく見えるでしょう?


油絵など洋画系の方は英語でサインを書き入れることが多いのですが
日本画では伝統的に日本語の落款を入れる人が多数です。
ただし、必ず書き入れなければならないということではなく、無落款という場合も少なくありません。
落款のみ(署名のみ)の人もいますし、印章のみの人もいます。
文字も漢字ではなく仮名を使う人もいますし、仮名の本名の人が漢字に変えている場合もあります。
印章の文字は一般的には篆書(てんしょ)という字体を使いますが、私の印章の文字は正式な篆書体ではありません。
彫る際に書体辞典で調べましたが、なかなか気に入る書体がなくて、自分流にアレンジしてデザインしてあります。

つまるところ、作品に押す印章は、篆書でも隷書(れいしょ)でも楷書でも、平仮名・片仮名でもアルファベットでも、あるいは絵文字でも、自由だと思います。
かつて素晴らしい印章を多数彫った北大路魯山人は、専門の篆刻家からは非難されていたそうです。
勝手に書体を改変しているから…というのが理由だそうです。
そんなに堅いことを言わなくてもいいのではないかという気がします。

要は、作品の雰囲気に合っていればいい…ということだろうと思います。

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11月23日月曜日

2009年11月23日 | 仕事場
前回の続きで、菊の彩色過程です。
完成までを一気に掲載します。



まずは画面全体に色を置きます。
岩絵具は最初から11番を使用していますので、一回目はかなりの色ムラになります。




さらに色を重ねていきます。
ここまでは菊であることを説明する描写を優先しています。
実物の花は優雅な曲線なのですが、やや直線的でゴツく捉えています。




刷毛によるボカシの開始です。
説明的な要素を抑え、たっぷりした感じを出すために行います。
刷毛を使うと、あっという間に細部は潰れてしまいます。




花が消えてしまいそうなので描き起し始めました。
左右両端に飛び出した花びらは花を必要以上に横長に感じさせてしまっているので、はっきり描き起さないことにしました。




花の描き起しは、白い色鉛筆で下描きした後に絵具を置いていきます。
描き起しては色をかけてボカシ、また描き起してはボカシ…を納得行くまで。




完成画面です。
最後は必要な部分を描き起すなど微調整をして終わりです。

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11月20日金曜日

2009年11月20日 | 仕事場
物を観察する基本は”比較”です。
別の言い方をすると”全体と部分を見比べる、そして部分と部分を見比べる”ということです。


これは花と葉の大雑把な量の比較です。
花と葉全部を比較して、どちらがどの程度大きいのかを見ています。


これは花と葉の傾き具合の比較です。
花も葉も水平についているとは限りません。


これは葉の両端から垂直線を伸ばした様子です。
葉に対して花はどういう位置にあるかを見ています。

最も簡単な例を挙げましたが、このようにモチーフの各部分の位置関係、大きさ、傾きなどを比較していきます。
さらには、色の比較、質感の比較などから、雰囲気や印象の比較というようなことも行っていきます。

こういうことを文章で説明すると、とても面倒なことのように聞こえますが
慣れてくると無意識でできるようになります。
”比較”できるかどうかが、観察力を養うための最大のポイントなのです。


さて、このあたりで菊の制作過程に戻ります。


前回は描き始めて30分くらいの状態を掲載しましたが、これは細部を描き始めています。

葉の下半分はまだ一枚一枚の区別が描かれておらず、葉の塊のように見えます。
上半分も最初はこういう状態でした。
初めは塊のような状態から、少しずつ細かく修整して行った方が狂いが少なくなります。

花びらも同様に描いていきますが、花びらは葉に比べて一見ゴチャゴチャしているように見えます。
牡丹の花などはより複雑に見えますが、実は構造自体は単純なのです。
花の基本構造を把握していれば、あとは手間隙をかけて描けば花らしくなります。


菊の花の構造を単純に示した図です。

どのような花でも、だいたいこのような感じです。
緑色の茎の先にある半球形の茶色い部分が花びらの生える場所、花の芯です。
花びらは、ここから放射状に(菊は上半分だけですが)四方に向けて生えています。
花の芯は花びらに隠れて実際には見えていませんが、その位置はすぐに見当がつくはずです。
そこから花びらが生えているのだということを忘れないで描いていけばグッと花らしくなってきます。


鉛筆の下描きが一応終了した状態です。


私は鉛筆の下描きの後、薄墨で調子をつけておくことがあります。
場合によっては水彩でざっと塗り分けておくこともあります。

それでは、次回は彩色の様子を完成まで一気に掲載する予定です。

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11月8日日曜日

2009年11月08日 | 仕事場
今日、久しぶりにホームページを更新しました。
このブログで制作過程を紹介してきた5点がようやく仕上がり撮影も済みました。
ご覧になりたい方は、右サイドバー最上部にある「ホームページ」から移動できます。
今回は、元々仕事が遅い私にしても少々時間がかかり過ぎました。
これから描きたいものがたくさん待っていますので、今後は少しペースを上げようと気を引き締めています。

さて、今回仕上がった作品の内、以前制作過程を紹介すると予告した「菊」を何回かに分けて紹介します。
この「菊」では、いつもより少し詳しく、特に絵を描き始めて間もない初心者の方に参考にしていただければと思い、各過程での作画上の注意点などもできるだけ折り込みたいと思っています。


これがモデルとなった菊です。

鉢植えですが、作品は地植えのような感じに変えます。
作品の大きさは6号(41cmx36cm)を予定しています。

●制作を始める以前に大切なこと

 ・いろいろなものに関心を寄せることができる”好奇心”を持つ
 ・絵を描く描かないに関係なく、身の回りの何気ないものに美しさを発見できるような気持ちの余裕を持つ。
 ・今一番描きたいものを最優先する。

私は今後描きたいものを常時20~30くらい準備しています。
いつか描きたいとぼんやり考えているものも含めると200くらいはあるでしょうか。
その中から、今すぐにでも描きたいものを優先して描いています。
絵は”技術”で描くものではなく”気持ち”で描くものです。
「どうしても今これが描きたい」と思えるものを見つけたら、とにかく描いてみることが肝心です。
描けるか描けないか考えていても始まりません。
絵は描いてみなければ、どんなものができるか判りません。
永年描いてきた私でも、仕上がりの状態はいつも予想外ばかりなのです。
絵は、人間の浅知恵を超えたところ、作者の思惑を超えたところで出来上がるものだと私は考えています。
ですから、躊躇している方がいらっしゃったら、とにかく描いてみることをお奨めします。

さて、一般的な日本画の制作過程では、最初に模造紙などで原寸大の下図を作り、それを本番用の紙(本紙)にカーボンペーパーなどで転写します。
私は原寸大の下図を作ることはほとんどなく、パネルに貼った本紙に直接鉛筆で下描きを始めます。


鉛筆の下描きを始めて30分くらいの状態です。

描き始めの段階では大きく修正する可能性がありますから、いつでも消せるように最初は鉛筆を寝かせて柔らかく描いています。
何事も出だしが肝心です。
制作中は最後まで絶えず修正を迫られるものですが、後々大きく修正しなくて済むように、彩色前の下描きでおおよその地盤固めはしておかなくてはなりません。

●描き始めで大切なこと

 ・画面にどのようにモチーフを配置(構図)するか考える。
 ・菊全体の高さと幅の割合をよく観る。
 ・花・葉・茎の割合を比較する。 
 ・最初から細かいところを描かず、大雑把に描いていく。

絵を描くための基本で最も大切なことは、対象であるモチーフをよく観察することです。
観察力こそが最大の武器になります。
物を観る目が養われれば、技術は自然と上達します。
極端なことを言えば、一切絵を描かなくても観察力さえ身につければ絵が描けるようになります。
思うように描けない原因の最大のものは観察力不足です。
観察することから、すべてが生まれてきます。

それでは観察力を身につけるために大切なことは何なのでしょうか。
それは”比較”です。
絵を描くことは”比較”に始まり”比較”に終わると言っても過言ではありません。

では、これ以上続けると長くなり過ぎますので今回はここまで。
次回は、”比較”とはどういうことかを中心に解説していきます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

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