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sekiの徒然日記

旧布野村に週末帰農を始めて18年で遂に解散。今後は尾道からsekiの徒然日記として再スタート。

世界遺産シリーズ ① 壇上伽藍

2021-11-21 16:41:30 | 
 根本大塔(こんぽんだいとう)真言密教の根本道場のシンボルとして建てられ、高さ48.5mで日本で最初の多宝塔。
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   旧布野ダッシュ村日記です。

 ホントに久しぶり、多分3年ぶりのツァー参加だと思う、内容
は紀州半島の世界遺産を巡る3日間旅の旅だ。

 皆さんよくご存じの高野山・壇上伽藍、熊野本営大社、熊野
那須大社、那須の滝等を巡って最後に伊勢神宮にに参拝という
欲張りコースだ。

 全体的には天気もよく、この時期にしては暖かく良かったの
ですが、seki個人的には前日になって喉が腫れ、医者に行くと
PCR検査される大騒ぎの中スタート。

 しかも1日目から歩き主体の観光ですから参りました、それで
も医者から貰った抗生物質のおかげで、1日で蘇り2日目の470段
の石段上りも無事走破。

 弘法大師が棲んでいたとされるお堂、弘法大師の御影が祀られているので御影堂(みえどう)と呼ばれている。障子の窓から覗くことができる。

 今日から見てきた、紀伊半島の世界遺産をシリーズでアップし
ます、第1回目は高野山・壇上伽藍です。

 宗教にうといsekiは、壇上伽藍とは建物の名前と勝手に思って
いたら、弘法大師空海が高野山を開山し最初に開いた場所のこと
だったのですね。

 金堂(こんどう)伽藍の中央にあり高野山の総本堂。重要な行事のほとんどがここで執り行われる。

 その壇上伽藍、1200年前 空海が嵯峨天皇の勅許を得て開山し、
真っ先に造営した場所で、奥の院と共に高野山の2大聖地だそうだ。

六角経蔵(ろっかくきょうぞう)1159年鳥羽天皇の皇后であった美福門院得子が夫の菩提を弔うために建立。基壇の把手を押して一回りすると教経した功徳があるとされている。

 中門(なかもん)中門は一山の総門である大門に対し、壇上伽藍の正門として南側入り口に建っている。819年に創建され消失・再建を繰り返し、現在のものは2015年高野山開創1200年記念事業として再建された。


 

秋彩

2020-11-12 18:15:17 | 
 池の横の駐車場の上、良い感じなのですが池のフェンスとボンネットが写ってしまった。

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   旧布野ダッシュ村日記です。

 雲一つない秋空に誘われて、女房殿と紅葉見物に。

 まぁ女房殿の左手の痛みが早く引いていることと、昼食
を外で済ませようとのよこしまな考えもあって。

 選んだのは、幸せの雲の整体師さんがアップされていた
世羅町の今高野山。

 小さな池にかかる朱の橋。

 その池。

 その上側の龍華寺境内。

 18年も布野ダッシュ村に通い、何百回もこの山の下の184
号を通っていましたが、紅葉の名所と知らず一度も行ったこ
とが無かった。

 で、行ってみると10時40分に到着しても、中腹の駐車場に
入れず、平日にも関わらず朝から凄い人でした。

 散策道にかかる橋、左が展望台、右が散策道。

 境内。

 境内、アップすると。

 昼食を早めに食べて、午後再トライすると運よく駐車出来
、1時間半ほど秋彩を満喫すことができた。

 尾道からこ1時間で、こんな秋彩の名所があるとは・・・・

 驚きと発見でした。

 建物の区分名称が勉強不足で分かりません。

 境内。

 境内。

 境内。

 軽食等を売っていた後ろの見事ないけ花、オブジェ?

 沢山ありますが、このくらいで・・・

 

閑谷学校

2019-09-19 17:45:41 | 
 学問の殿堂 講堂。

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 湯郷温泉の帰りに寄ったのは、日本最古の庶民の
学校「閑谷学校」

 寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって、武士
ための藩校とは別に、儒学を庶民にまでいきわたらすよ
うと創建された。

 350年以上の時をへて、当時の偉容をそのまま伝える
日本最古の庶民教育の場。

 平成27年日本遺産第1号として認定された。

 まぁ、能書きをまとめればこんな感じでしょうが。

 ビックリするのは、池田公が350年以上も前 庶民の
教育のための学校を作ったこと。

 そしてその学校がほぼそまままの形で現在に残って
いることです。

 国宝である講堂に座って瞑想すると、そんな過去が
見える感じになって不思議です。

 ともかく静閑なところ、一度は行く価値十分あり。

 講堂の中。

 講堂続きにある飲室(休憩室)に切ってある囲炉裏、これで暖を取ったのでしょう・・・

 校門、屋根は備前焼 棟に鯱を載せた正門。

 校門から外側を望むと石橋へと続く。

 公門。校門の左側講堂の正面にある。

 石塀。学校を取り囲むようにめぐらせてある。

 閑谷神社。創始者 池田光政公を祀ってある。

 奉納所。

一瞬の夢

2019-08-20 18:21:11 | 
 世界遺産パムッカレ。

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 朝 新聞を見ているとトルコツァーの全面広告、そして
本日TVで放映とある。

 時間を見ると既に始まっているが、まだ見れると女房殿
と見た。

 関西空港発着、10日間、カッパドキア、トロイの遺跡、
パムッカレ等5つの世界遺産を巡り、5つ星ホテル グランド
ハイアットや洞窟ホテルに泊まって御一人17万円。

 等々の画面がテレビに出され、申し込みお待ちしてます
と煽り建てる。

 当分遠征してないし、今年は温泉もどこも行っていない
、行ってみるかーと女房殿と一刻盛り上がったが。

 10日間も家を空けられない、だいたいバァさんに何かあ
ったらどうやって帰って来るの? 、それにあんたメニエル
まだ完治してないでしょう・・・

 出るわ出るわ行けない理由、ただ今年100歳になるバァ
さん施設にいるが、万が一のことを言われると弱い。

 まぁトラベル保険をかけて置いて、途中から帰ることは
出来るが最短でも24時間はかかるだろうし・・・

 そんなことで、膨らんだ夢は一気にしぼんだ。

 村長は諦めてませんが・・・・・

大山祇神社

2018-12-05 19:25:16 | 
 拝殿 この奥が本殿。

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 鈍川温泉シリーズ 最後の紹介は大山祇神社。

 古来 神社の総元締とか、国宝の武具が日本一所蔵されている
とかで有名な神社、我々が行った小雨の日も観光バスが続々。

 その神社を入ったすぐ横に由来を書いた看板がある、その前文
を借りると。

 芸予海峡の中央に位置する大三島遨 に、日本最古の原始林
社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。御祭神は大山積大
神一座で天照大神の兄神に当たられる・・・だそうだ。

 最初の入口はこの総門。

 入ると右手にこの献灯、尾道人としては夢が広がる。

 広い境内に聳える天然記念物の楠。

 能書きはこれ、見てやって。

 更に進むと拝殿・本殿に入る神門に至る。

 そーゆー故事来歴はよく知らないが名の通った神社だ、境内が
広いこと・楠の古木が現存していたのは感心。

 しかし個人的には、総門を入った左手に灯篭が献灯されていて
見ると備後尾道の刻印、石工の町尾道からの寄進だ。

 尾道商人の寄進か、尾道石工に依頼した灯篭か分からない無い
が、北前船寄港地の片鱗が残っていたこと。

 残念なのは国宝の宝物殿を見ようと思ったら、鎧や刀でしょ
いいわ・・・と却下されたこと。

 最後は案内板、能書きはこれ見て・・・・

 趣味は色々のようです。

第59番札所金光山国分寺

2018-12-04 18:39:47 | 
金光山国分寺本殿。

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 少し間が空いてしまったが、先般の鈍川温泉の旅の続き

 四国と言えば四国八十八寺廻りのお遍路の旅。

 我々の旅はそんな大それたことは思ってないが、やはり
1寺くらいはお参りしようと。

 コース沿いにある第59番札所金光山国分寺にお参りした
、その名のとおり伊予の国府があったところ。

 駐車場から国分寺に至る階段。

 境内の石仏、願い事は1つ、あれもこれもお願いしないようにと注意している。

 こんな納経帳を持って回るのだそうだ。

 元の国分寺は東に150mのところにあり遺跡があるそう
だ、天平13年聖武天王の勅願により開創されたそうだ。

 まぁそんな難しいことはおいて、われわれミーハー軍団
はわぁーわぁーしゃべりながら拝んだ。

 ただ中に既に八十八寺を回った人がおり、願いを書く紙
や線香も準備され、一通りの作法どおりお参りし般若信教
を唱えた。

 本物?のお遍路さんも来られ長いこと唱えられていた、やは
り四国ですねー

 いつかは八十八カ寺回りたいもの。

 

東洋のマチュピチ別子銅山

2018-12-01 19:28:56 | 
 
 貯鉱庫を右から見る。

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 鈍川温泉で生前葬??をやった翌日は、東洋のマチュピチ別子銅山。

 東洋のマチュピチュは言い過ぎと思うが、実際に行ってみると凄い
勉強になり感激する、ただガイドさんがいないと無理だろう。

 別子銅山は江戸の昔から掘って、昭和48年まで掘っていた記憶に新
しい銅山、しかし1000mを超える山地に数千人の関係者住んでいたの
は驚きだ。

 我々が目指したマイントピア別子東平(とうなる)ゾーンは、大正5年
から昭和゜5年まで採鉱本部が置かれいていた場所。

 右側の稜線に沿って鉱石が分布採掘されたそうだ。

 貯鉱庫の一番上部、採掘した鉱石をここから入れて。

 下のこの出し口から出して砕き、更に下の貯鉱庫にいれ。

 これは 作業場の屋根を支えていた柱の遺構。

 一番下の庫の出し口から出し、中央のケーブルで下の基地に降ろしていたそうだ、ケーブルのパケットは鉱石の自重で下り、反対側から生活物資を上げたそうだ。

 そこには数千人の工夫とその家族・関係者が住み、小学校・中学校は
当然 劇場・映画館もあったそうで、地元新居浜より先に封切りされた
のだとか。

 子供たちのために山の頂上に運動場を作ったり、少し下側にはプール
を造ったり標高1000mの山頂で戦っていたようだ、冬場とても寒ぶかっ
たようだ。

 遺構は転々とはあるがメインは索道基地・貯鉱庫跡、重厚な花崗岩作
りの遺構が東洋のマチュピチュ称されている。

 この遺構を見るだけでは何も理解できないと思う、山裾のマイントピア
端出場ゾーンからバスを予約して乗車するとガイドさんが同乗し説明して
貰える。

 改めて全体を右から見るとこんな感じ。

 これは社宅跡、玉重野レンガの切れ目が入口だった、この社宅の一段下が沢で共同浴場があったそうだ。

 資料館にあった当時の写真、立派な設備でした。

 最後に上部左側からの貯鉱庫。

 2時間コースで1900円、危険な山道を自分で行くより安全しかもガイド
さん付きお勧めだ。

 ただ今シーズは昨日で終わった12月~3月までクローズだそうだ、春に
行く方はネットでよく確認してください。

 ともかく一見の価値十分でした。

今治城

2018-11-30 19:52:16 | 
 藤堂高虎像と今治城。

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 いやー今日もMさんと秋の叙勲を祝う会の印刷、昨日夕方
鈍川温泉から帰っての作業結構きつい。

 印刷と言っても角封筒の裏表、返信ハガキの裏表、案内文
の裏表と多種多様でかなりな手間。

 数時間頑張って終わらせましたがもう夜、ブログが遅れて
しまったが、鈍川温泉シリーズ第2回は今治城。

 内堀を渡るとすぐ大手門。

 そして広場に藤堂高虎像が現れ。

 奥には今治城、昭和55年に市制60周年を記念して再建されたそうだ。

 門を潜るとこんな感じ、大きな岩で築城されてます。

 天守から周囲を望むと、浮き城だったことがよく分かる、堀の向こうは瀬戸内海やはり村上水軍が活躍していたのでしょう・・・・

 そう、江戸期に築城の名手・藤堂高虎が築いた、全国的に
もまれな海岸平城、広島県で言えば三原の浮き城のイメージ。

 堀には海水を引き入れた海城だ、高松城、中津城と併せ日本
三大水城といわれるそうだ。

 現存する内堀は潮の満干で推移が変わり、淡水魚が泳いでい
るそうです。

 江戸初期の築城依頼、幾多の改築がされたようで城内にはそ
の絵図面が沢山展示されてました。

 決して大きな城ではありませんが、築城技術を十分感じさせ
るお城でした。

 

大山、三朝温泉、三徳山ツァー

2018-10-21 17:42:53 | 
 二ノ沢から望む大山、小雨が降ったり止んだりしてましたが、この時は雲が流れて。

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 大山、三朝温泉、三徳山ツァーを書きましたが、要は先般の
三朝温泉のこと。

 村長は風邪で大汗かいて、いい旅とは言えませんでしたが、そ
れでも予定していたコースはドライブ。

 まぁ、ざっと走ってみた・・・と言うのが実態でしょう。

 表題にアップした二の沢で撮った時は雲が無かったのですが、鍵掛峠ではご覧のとおり雲がかかって、紅葉はほんのりと・・・・の感じ後2週間位早いようでした。

 前後しますが大山についてすぐ大山蕎麦を食べた、うーん出雲系はあまり得意でないので・・・あんなもんでしょう。

 朝一番三徳山に行ったが、近場の駐車場は既に一杯、離れた駐車場にから投げ入れ堂が下から見れるという位置に行った。

 そのポイントで見たが、逆光で全く駄目肉眼ではなんからしきものが見えたが、写真の中央黒い山影の所 なんとなく白っぽいものあるでしょう??

 そして今回のサプライズ、帰りコースの一部に人形峠の旧道を通り人形峠原子力産業株式会社とか放射線等観測局舎を外から眺めた、こっちは原子力産業。

 こっちが放射線等観測局舎、写真のずーと後方に日本原子力機構人形峠環境技術センターがある、このセンターが廃止になることがつい最近決まった、もう村長が見ることはないだろう・・・

 温泉も入らず、写真も少ない旅でした・・・

三江線廃止駅の旅(2)

2018-06-21 18:58:50 | 

 ㉒天空の駅として有名だった宇都井駅、ここまでは島根県の駅 邑南郡邑南町宇都井。

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 昨日に続いての三江線廃止駅の旅は、⑦石見加越駅から順次
と言いたいのですが。

 実は⑧鹿賀駅、⑨因原駅(駅の近くを通過したのですが街中で
バス、トラックと離合のためパスした)そして⑩石見川本駅に
たどりついたら16時前。

 尾道までの帰る時間を逆算すると、あまり残された時間が無
いので今回の最後を「天空の駅」で有名な宇都井駅とし途中を
次回に廻すことに。

 で、40分かけて夕焼けに生える宇都井駅に、これを眺めての
帰路、川土手で工事中の立て看板、仕方なく迂回道を行くとナ
ント㉓伊賀和志駅が目の前に。

 ラッキーという以外無いが、これで丁度10の駅を今回廻ること
が出来た。

 残り25駅は次回ですが、済んだ駅、パスや不明で歯抜け状態で
の旅となるのでコース取りが厄介だ。

 まぁ暇人としては完遂させます。

 ⑦石見川越駅、道路沿いにあり分かりやすい 郵便局の横だ。

 駅舎は閉めてあり横から見ると改札を出ると階段が少しあってホームのようだ。

 反対側つまり三次側から見るとこんな感じ。

 ビックリしたのはこのブルーのライン、47水害の水深だ2.8m位か、ここも浸かっていたんですねー

 ⑧鹿賀駅 道路沿いだが10mばかり畑の中に引き込んだ形の駅、うっかりすると見落とす、更に看板が無いので駅名が確認づらい、今はビラがパイプにつるしてあった。

 このビラに鹿賀駅とある。

 三次方面を見るとこんな感じ、この駅は今でも周辺を綺麗にしてある、恐らく地元の人が草取りされているんでしょう・・・・

 ⑩石見川本駅、上下線の離合駅であり、この駅が始発・終点の列車があった、我々も3月にここで乗り換え、待ち時間を利用して近くのすし屋で昼食をとった。

 駅の待合室は開放されていて、改札口までは行けてホームが見れる。

 改札から覗くと案内板が残っていた。

 三次方面。

 江津方面。

 ㉒宇都井駅、地上20mの天空の駅、両サイドはトンネルだ。

 上って見たかったが、当然進入禁止。

 乗る人は このジグザグ階段を上ったのでしょうねー

 宇都井駅を出て三次方面に行くと5分くらいでこの鉄橋、名前は分かりませんが下側が送水管のようで上側が線路。

 偶然見つけた㉓伊賀和志駅、江の川沿いの道路でなく旧道イメージ道路の上にあった、ホーム全体を鉄アングルで支えている感じ、この駅から広島県 三次市作木町だ。

 駅舎はこのブロックの建物でしょうが階段のところで進入禁止。

 駅名確認は長いホームのフェンスに名札1枚残ってます。