絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

煮詰まってきた

2006年05月31日 13時56分15秒 | Weblog
あれやこれや、自分の力ではどうすることも出来ないもろもろの
ことが重なり、かなり煮詰まってしまった感あり

市の図書館の対面朗読の講座で、
この道40年の講師の方の発言のなかに
「健常者がふらっと図書館を訪れて、読みたいものを読む
その同じことが、視覚障害のかたにもできなければそれは差別なんです」
というのがあって、ずっと引っかかっていた。

ここの図書館は新しく、対面朗読室は10畳くらいの恵まれたもので
ボランテイアは、いま一人のお客さんに20人くらい待機しているような状態だ。
でも、現実には利用者はごくごく限られている。ほんと、一人か二人の人。。。
健常者のようにぶらっとなんて、図書館には来られないからだ。

このように恵まれた施設と、拙いながら何か手伝おうとする人が沢山いて
(もちろん無償で)
しかしながら、利用者は一人か二人。
外出ヘルパーが充実すれば、この利用も増えるかもしれないが・・・
現実には、この図書館と社会福祉協議会が連携することは
将来もないだろう。(なんだかんだと、保険のことをいっている)

一方、必ず使用される小・中学校の図書室の内容はどうなのだ?
市の図書館の方は、むこう30年予算が組まれており(保障)
毎週毎週、心置きなく、購入された新しい本が入ってくる。
(こんなのも買うの?という本もいっぱいある)

そんなに、どうでもいいような本(偏見)をこれでもかと
買うお金があるなら、何故絶対に必要な学校図書室の改善をしないのか??

講師の方がいうように、
もし、ぶらっときて本が読めないことが「差別」というなら
冊数も極端に少ない、毎年の本の購入金額が7,8万しかない(うちの小学校)
学校図書館の存在は「差別」である!
と、わたしはいいたい。
図書館も教育委員会管轄だろう、
こけら落とし(イベントホールもあり)のときに
うれしそうに挨拶していないで
学校図書館の現実を見て回ったらどうなのだ。
全国から視察の人が訪れるこの図書館だが、
同地域の学校図書館のお粗末も、是非見てから帰って欲しいものだ。
子どもが歩いて、または自転車でいける範囲に図書館はないのに~~~
(怒り爆発)*短気は損気です*


小学校の図書

2006年05月30日 14時45分23秒 | 子ども
午前中、小学校のサポーターの仕事の、準備の仕事にいきました。
スケジュール表の印刷や連絡網の印刷、それを子どもさんを通して
保護者の方に配布します。
また、これから学級文庫に本を購入しますが、昨年の本が
現在どうなっているのか、その現状を聞いたり、
今年学校で買った図書のリストも貰います。
(重複を避けるため)

実際の作業は大勢の人で行いますが、それまでの準備は一部の人が
用意する必要があります。しかし、やがて自分の子も卒業していくので
現在何人かでやっているこのようなことを、
次の引き継いでくれる気持ちのある人へ
すこしずつ、バトンタッチしていかなければいけません。
一方、この活動を単に市教委主導に従ったものに終わらせないためには
トップ(校長、教頭先生)がわずかな期間で転任していっても
子どもの卒業の有無に関わらず、この小学校のことを考え
実行してくれるサポーターの人たちが大きな役割を果たすように思います。
本読みも大切ではありますが、わたしはむしろ、図書の充実・環境の方に
サポーターの存在の重要性があると考えています。
(本読みは先生方がすると、もっと子どもは喜びますね)

いままではなんにしろ、中央集権がずっとなされていたわけですが
これからは地方の自立という名目で、各自治体の責任は非常に大きくなり、
教育も住んでいるところで全く違うものになっていく可能性があります。
(何もかも、自治体の自己責任となる時代がやがてくる・・・)

これまで、そんなことまで保護者がするのかとか
それらはみな、先生のする仕事だとか言っていた人も
現状を本当にその目で見たならば、また、この自治体の経済状況を
知ったならば、そんな絵に描いたもちは何時まで経っても食べられない
ことがわかり、そんなこといっている間に、
子どもたちは大きくなってしまうのがわかるでしょう。
あれこれ、文句だけを言っていても、前には一歩も進まない。
まず、自分にできることからはじめようと、今は思っています。
(まあ、先の見えないことではありますが・・・)


習い始めの頃

2006年05月30日 08時51分01秒 | 一絃琴
新しく入門された方のお話を聞いていて
ああ、自分も全くそうだったと思うことも多いです。
と同時に、習い始めの頃には気づかなかったことや
思い込んでいたことが、実はそうではなかったということが
もろもろあります。

録音の話の中で、その男性の方は歌の謡い方がわからないので
録音させてもらうか、五線譜にしてほしいとおっしゃったそうでした。
実際の琴の音や歌を五線譜にはめ込む、というのはなかなか
難しいと思います。
当てはまる音もあれば、ないのもあるというか
三味線や、笛の類も同じだと思うのですが、中間の音と言うか
ぴったりとはいかないからです。

実際に一絃琴の曲を五線譜にあらわした方がいらっしゃいますが
やはり、ある程度習った上でそれも参考にすればよい、というお考えです。
(橋本遊弦先生)

うちの会では、先生がどのように歌を弟子に教授するかといいますと
まず、琴の弦の音があり、その音を頼りに歌を謡う、というやり方です。
つまり、まず弦の音ありき(それが前でも後でも)でそれに歌がついてくる
というスタイルといいますか・・・。

思うに、ある程度曲の感じや歌が謡えるようになったら
琴を弾かずに、歌だけである程度練習してみると良いかと思います。
その歌の持つ雰囲気というのがわかってくるというか
どこをのばして、どこで息継ぎがくるのか、とかがわかって
歌の持つイメージを抱きやすくなるのではないかと思ったりします。
つまり琴の演奏につられて、そこは伸ばさないだろうと思われるところまで
無理にのばしてしまったりするのを防げるかもしれないからです。
また、琴に合わせてだけやっていると平板になってしまうところも
歌を切り離して練習してみると、歌に込められた作者の想いが
「言葉」を通して伝わってくることもあると思います。
それは、言葉の持つ響きですから、「理屈」ではたぶんないと思います。
言葉が持っている「音」なのだと思います。

これも自分の勝手なやりかたなのでいいかどうかわかりませんが
もともと一絃琴の指導法などというものは、確立されているわけ
じゃありませんので、習う側が工夫して練習していくしかないと思います。




とあるサイトで・・・

2006年05月29日 15時40分27秒 | Weblog
時々「一絃琴」で検索して新しい記事をチェックすることがあるのですが
もうずいぶん前の記事ですが、とあるサイトで一絃琴を習っているかたが
「鴛鴦」の曲のことを書いていらっしゃいました。

そこではその方はこの曲のことを「テンポの良い軽快な曲」というふうに
書いておられました。(年配の男性の方です)
今自分はそういうふうには思ってはいませんが、
明るい曲と感じ、そのように解釈して演奏しているお弟子さんも
いるのだと思うと、人の感じ方は千差万別、不思議な気がしました。
どちらが正しいとかいうことではないので、
その人には明るく聞こえ、私には暗く聞こえただけのことなのでしょう。
それはある意味、弾き手のこころの内である、ともいえるような気がします。

実際、わたしは先生にこの曲はどのように理解して弾けばいいですか?
などとお聞きしたこともないし、先生も、このような感情を込めて
などとおっしゃったこともありません。(どの曲もそうです)
ですから、自分がいまどのように思念して弾いているかは
全く自分の感じたまま弾いているに過ぎないです。
(なんか、こんなのでいいのかなあ・・・とよく思います

4,5月は

2006年05月29日 15時00分06秒 | ボランティア
毎年、この時期だけはなぜかあわただしい毎日です。
今日は午前中図書館の対面朗読でした。
いつもは読みっぱなしですが、今日は一部録音をしました。
字の説明をしながらいつも読んでいますが、この録音も
いつもと同じように読んでいるのをそのまま収録するのです。
ああ~~、ほんと、冷や汗たらたらです。。。
収録したあとで、ちゃんと入っているかどうか確かめるために皆で聞いて
恥ずかしいことといったら・・・。
(録音奉仕のベテランのかたたちはどうしたのでしょうか、
私たちよりもっと慣れているので聞きやすく読めたと思うのですが。)
以前は1,2ヶ月に1回くらいだったのが、今年になって
この対面朗読の依頼が結構入ってきて、1ヶ月に3回は読んでいます。
結構、忙しくなってきてしまいました。



琴の音が出るまで

2006年05月27日 12時48分05秒 | 一絃琴
うちの会に、新しく二人の方が入られて3ヶ月くらい経つのでしょうか?
そのお一人の方と少し話す機会がありました。
琴の練習はしないといけないか、どうか、という話になり
「ひとり楽しむものだから、べつに特別上手にならなくてもいいよね」と
いうようなことをおっしゃるので、
はじめの頃、私のお琴は全然いい音がでなかったので、半年くらいは
毎日3時間くらい練習しました、と言うとびっくりしていました。

琴の質もあるでしょうが、私のところに来た琴はあまりよくなかったのかも。
普通のものはそんなにやらなくても、響く音が出るように思います。
この新しい方の考えというのは、いま一絃琴を習っているほとんどの人の
考え方と同じように思います。
つまり、その雰囲気を楽しんでいればいい、ということですね。

また、もう一人の「録音」させてほしいと先生にお願いしている方は
わたしと同じく、ちょっとでも上手に弾けるようになりたい、
いい音を出したい、と考えておられるのでしょう。
練習しない生徒はうまくはなりませんが、先生からしてみれば
扱いやすい人であります。
一方、真剣に取り組んでくる生徒というのは、
やがてその先生のあり方そのものを問うてくる存在になりえるので
よほど度量のある先生でない限り、
そんな生徒は、普通の先生にとっては「かわいくない」のです。
いろいろと、考えさせられることが多いです。



「教える」側と「教わる」側

2006年05月27日 12時14分17秒 | Weblog
対面朗読のスキルアップ講座で、二人の先生に教わりましたが
このお二方が全く違うタイプだったので、
なかなか、興味深いものがありました。

技術的なことはともかく、誰かに何かを「教える」とき
どういうことを念頭においているかということですが
大抵の先生は「教わる」側の気持ちには立てず
「教える」ことばかりに気がいっているのではないでしょうか。

具体的にいうと、何か実習したときの指導で
「こういうところが良かった」とまず認め
受講者が安心して注意を受け入れる気持ちになったところで
「でも、こことここに気をつけていくともっと良い」
というような方法を意識する先生は少ないのではないでしょうか。
どちらかというと、悪いところだけ指摘して、ここを直しましょう!
という指導法が多いように思います。
(べつに受講者に媚びることはありませんが)

いろいろ自分の子育ては反省することばかりですが
(ときに懺悔もあり
子どもは常にこの「教わる」立場にいるのだと思うと
もっともっと良いところを見つけて、口に出して褒め、
充分に認められていることが
子ども自身にわかるようにしてあげないとなぁ
などと、思ったのでした。





スキルアップ

2006年05月26日 23時49分10秒 | ボランティア
木曜日の午後は対面朗読の講座がありました。
もう、スキルアップ講座が目白押しでうれしい悲鳴…

先生は昨年度も講義してくださった方で、この道40年だそうな。
大学生の時に視覚障害の人に朗読をはじめたとおっしゃっていました。

昨年は非常に高度な内容で、ただ単に文章を読むだけでなく
グラフや図表を読むのを説明して実演してもらいました。
このとき正直言って、自分には到底そんなふうにできないと
思いましたが、実際にそういうのを読む場面にでくわさなかったので
いまもボランテイアを続けられているような状態なのです。

今回は、もっと初歩的なことのまとめと、実際に読み手と聞き手に
なって(ロールプレイングですね)先生が用意してくださった
本を初見でみんなの前で読んで指導を受けるものでした。

最初のまとめのところで1時間くらいかかったのですが
午後のちょうど眠い時間帯で、私もなんとかがんばりましたが
うしろのほうの方は眠ってる方がいたようで、
先生がちょっと怒っていました。。。(何せ年配の人ばっかり)
そのあとの、実習ですから緊張するの何のって…

2列目なのでばっちりあたってしまい、冷や汗たらたら。。。
あがりはしないが、あせってしまう、そんな感じでした。
目に見えたものはすべて声にあげる、それが原則なので
これは読まなくていいや、というようなテキトーなことは許されないのです。
こういう研修きく度に「ああ~、もう自分にはできないや」と
ほんとに思います。

読み聞かせにしろ対面にしろ、その道のプロになろうと思っている
わけでは勿論ないし、聞きやすい本読みをしようとは思っても
「・・・・・してはいけない」とか「・・・・ねばならない」とか
いわれると、鬱々とした気持ちになってくるのでした。
こういうのをプレッシャーというのか???

学校図書館を考える会

2006年05月26日 15時29分13秒 | 子ども
この会は、全国にその支部があると思うが
うちの市にはない。
一昨年だったか、この隣の市の実践報告の会に参加した。
隣市の小学校では、全校図書室にパソコン配置し
貸し出し返却、図書の管理もみなパソコンでできるそうだった。
そのかわり、司書はいないので図書室は授業で使うときなど
限られたときしか開館しない。
地方自治体の財政状況によって
こういう子どもの本の状況も極端に異なるのだろう。
パソコン管理によって、図書室がごくわずかな時間しか
開かないのはどうかと思うが、電算化できるくらいなんだから
蔵書の量もうちの市とは格段の相違なのだろう。

子どもの小学校の図書室は本当に悲惨だ。
まず、絶対的に量がない。その上、その中身は昭和の本が
まだまだたくさんあり、新しい本は少ない。
それに、新しい本は「怪傑ゾロリ」シリーズなどの
エンタテーメント系が多い。。。
市の予算で毎年何十万かは買っているようだが…

学級文庫として、PTAの予算「図書充実費」から
図書を買ってもらうことにはなったが(昨年度から)
全13クラスで12万しかないので、焼け石に水、状態だ。
図書の寄贈も募れば本も集まるとは思うが、
こういうことをするにも、先生たちの手を煩わさないで行えるか?
ということをまず第一に考えないと先には進まない。
しかも、相談をしようとすることすら困惑気味なのだ。。。
(どーすりゃいいのよー)



情報

2006年05月26日 09時48分48秒 | Weblog
いろいろと難しい時代であり、
どこから情報が伝わるかわからないので
ブログに書き込む内容も何気には書けない。
記名していなくても、特定しようと思えばでき
また、それがどこから伝わっていくかもわからないからだ。
しかし、社会と関わらない日常でない限り、
自分の日常を書くということは、すなわち関わった他者の日常の一部を
書くことに違いない。
・・・ということは、他者のことを漏らすな、といえば
自分の日常も書くことはでき得ないのではないか。
(べつに批判でなくても)

「△」の音は

2006年05月26日 08時33分38秒 | 一絃琴
「一つ緒のみち」の演奏方法のところをもう一度読み返していたら
「△」の音は、「一」と「二」の中間を押さえるが、最近は
他の音を使う場合もある、とあった。
左手の芦管の押さえ方、力具合で音も微妙に上がったりするので
(それでも、半音もは上がらないと思うが)
ほんとに耳を良くするか、徹底的に教えてもらうかどっちかしないと
わたしは、ずっとこの「△」のある曲はひけないことになる。

譜面もそれを書いてから年月が経つと、その著者も当時のまま
弾いているとは限らない。いろいろと私にはわからないことだらけ。
「自分自身で探していく」などと偉そうに書いていたが
あっという間に次の出口のない迷路に入り込む。。。

友三郎

2006年05月25日 16時55分18秒 | Weblog
以前行った田舎のレストランに、
またまた田舎住まいの友だちを連れて行った。

ここのシェフは、元鳥羽のリゾートホテルの人だそうだ。
器もそのときによって、ちょっと違ったりする。

ここのウエートレスのお姉さんの声があまりにも良いので
つい、「すごくいいお声ですね、なにかやってみえたの?」と
聞くと、以前の勤め先で接客業だったので「聞きやすい話し方」の
トレーニングを受けたという。
やっぱり、ね。体が楽器のように響く声の出し方で
料理の説明が非常に耳に心地よく、おいしく聞こえるのだった。
声って、大事…

ウミガメがすき?

2006年05月23日 23時51分00秒 | 子ども
ウミガメの海岸

フレーベル館

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小五の子どもはなぜかウミガメが好きなんですね~~。
特別なにか体験があるというわけでもないのですが。
この本は「ウミガメ」で有名な名古屋港水族館の館長さんが
書かれたものです。(今も館長なのかわかりません)
この水族館に行ったとき小さなカメのぬいぐるみを買っていた
のを思い出しました。

屋久島にいったときも、子どもの興味は「杉」ではなく
「ウミガメの産卵地」の海岸に行ってみたいということでした。
(がっくり…)時間がなくていけませんでしたが。。。
とにかく、屋久島はもっとたっぷり時間をとっていかないと
だめでした。効率よく、とはいきません。

それにしても何故カメなのかなぁ。。。(わからない)

「友千鳥」も。。。

2006年05月22日 23時54分16秒 | 一絃琴
今日、あらためて表記が「△」の音の曲を見ていたら
結構たくさんありました。
「友千鳥」もその中の一つです。
「しばなく」というところで、2つずつ入ります。
(習っている人しかわからない話で恐縮ですが…)
「友千鳥」は、遠くから近くへと鳥の鳴き声が近寄ってくるような
また浜の波が寄せるような、そんな感じを受ける曲で、
この「△」がぴったりきたらいい曲になるのに…
今日は、この音がどの音ならぴったりくるのか
ピアノの音も拾いながら、調弦器とにらめっこしながら
探してみました。(今まで何故そうしなかったのかな?)
結果「一」の音の半音上げ(「一」はピアノで言えば
「ミ」の音に近いでしょうから)つまり「ファ」に近い音で
なんとなく納得しました。でも、こんなのでいいんだろうか?
(どうも教えてもらった音とは違うんだけどなぁ…

読み聞かせのスキル

2006年05月22日 01時16分03秒 | ボランティア
スクールサポーターに新しく入ってくれる人用の
読み聞かせのスキルについて書いているサイトを検索しようと
見てみたら、1年の間に滅茶苦茶沢山増えていて、
前見たのがどれかわからなくなりました。

ぱらぱらと見ていると、いろいろと読み聞かせの意義や
やり方などについて、含蓄のあるお言葉が並んでおります。
自分としては、そんなに堅苦しく考える必要はないと思っており、
基本的に子どもと接するのがすきで
本を読む楽しさを知っていて、みんなに聞こえる声で読めたら
それでオッケーと思っています。

この「子どもと接するのがすき」と「本を読む楽しさを知っている」の
ふたつは、どうしてもはずせないことだと思うのですが
意外に小学校の先生方のなかには、この「本を読む喜び」に無関心な方が
多いのでへこみます。。。子どもたちといっしょに聞いてもらい
「へえ~~、こんな絵本があるんだね…」とちょっとでも関心を持って
ほしいとかすかな希望を抱きつつ,3年目に…
初年度に比べたら、2年目は格段に反応が良かったようですが
今年は大半の先生が新しい先生方ですので、また一からです。
本好きのお母さんたちだけが頑張るのではなく
先生方自身が【目覚めて】くれる日はいつくるのでしょう。。。