絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

ひさびさに

2009年01月23日 12時00分45秒 | 一絃琴
日曜日に六華苑で邦楽の新春発表会のようなものがあり
一絃琴も出演があるということで、同じくお稽古を休んでいる人と
演奏を聴きに行った。
筝や三弦、津軽三味線、あと舞踊もありで
当日このせまい建物の中はお着物の女性でいっぱい。
先生と御弟子さんで4曲くらいしか演奏されなかったが
なにか懐かしかった(おいおい)。
5月には毎年ここで発表会をするのだが
「5月は出られますか?」と聞かれてもなかなか「まだまだぜんぜん」と
いうしかない自分だった。。。

ちなみに三重県ではこの先生のほかに南部に1人指導する方が
いらっしゃる。いまだその演奏を聞く機会はないのだが
3月の雛祭のころに発表会のようなものをされるようだ。
本願寺というお寺で、お雛祭として、宵祭り、本祭りと
2回に渡って演奏があるとお聞きしたので
是非伺おうと思っている。(こちらは女性の先生)

「漁火」の間奏部分(一絃琴)

2008年09月18日 23時19分46秒 | 一絃琴
全然お稽古も復活していないが、練習くらいはしたほうがいいかもと
少しずつ練習再開。
「漁火」とか「須磨の昔」とか「浮世草」とか
好きな曲ばっかり。。。
しかし、全く忘れている部分あり。。。

「漁火」も奏者によって違う雰囲気の曲になっているのが
面白いといえば面白いが…
このゆっくりな曲の最後のほう、琴だけの間奏部分がある。
ここにきて琴が急にリズミカルになってくるのが不思議だ~。
それまでのぼんやりとした(と言ったら失礼だが)感じから
何か明け方になって目が冴えてきたかのような?変化あり。。。

ああ、そうだった、すっかり歌詞の中身を忘れていたが
夜明けも夜明け、夜更けの次くらいの夜明けの修行の鐘の音に
「無明の夢や 醒めぬらん」だから
徐々に暗い夜が明けていくようすだったんだ。
漆黒の闇の中にうかぶきらきらした明かりは「漁火」か
はたまた月明かりが波に踊る様子なのか…
夜明け近くなって、苦悩に満ちた夜が終わるとき
煩悩の消滅を願う希望の光がひとすじ射して来る…そんな気持ちで
琴も軽やかな旋律を奏でるのだろうか?
それならば、それまでの「おもいっきりゆっくり」は
そこで返上しないといけないのではないか?
そして最後はまた落ち着いた平常心へと戻っていく。。。

解釈は人それぞれかもしれないが、この間奏部分のリズムというか調子は
さざなみが寄せては返す様子のようでもあり
また漁火が海面にちらちらと揺れているようでもあり…
いろいろと情景が思い浮かんできて、なかなか面白い。
リズミカルでありながら、お琴が【泣いている】ようにも聞こえて興味深い。

邦楽の歌

2007年01月21日 13時51分55秒 | 一絃琴
邦楽ってどんなもの

演劇出版社出版事業部

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この本の前に「邦楽ってどんなもの(楽器編)」を読み
結構面白かったので、歌編にあたるこれも読みました。
いま三味線などやっておられる方は(清元、新内、常磐津やら)
これを読むと何がどう違うのかがすごくよくわかるのだろうなあ、と
(三味線はやっていない)わたしは思うのでした。
明治以降、学校教育では日本国の音楽は教えては来なかったのに
いまだ途絶えることのない邦楽の底力とはなにか?
専門書ではないので、比較的わかりやすい内容だと思います。

井手の花、考

2007年01月17日 13時07分39秒 | 一絃琴
この前聞きに行った演奏発表会でこの曲が演奏されました。

井手へとは 思ふものから 道遠み
植ゑてわが見る 山吹の花 折りかざす 春の暮

《井手は有名な山吹(花)の名所、京都の井手町》

山吹の花で有名な井手(の玉川)に、花を見に行きたいと思うけれど
井手は遠く(思いはかなわない)、せめて自分の庭に植えた山吹の花を愛で
その花の一枝を折り取り、髪にかざしてみたことだ。
山吹の咲き乱れるこの晩春の夕暮れに。

まあ、こんな感じの意味だと思いますが
この曲は、いったい何を思って歌ったものなのでしょう?
ただただ山吹の名所にいきたい、ということでしょうか?
あるいは、一度行ったことがあり、ふたたびそこへ行きたいのだ
というようなことでしょうか?

今もこの井手は山吹の名所らしくて
川の土手に沿って山吹の花が咲き乱れる、というような
感じらしいですね。(何年か前に行った人の話でなんですが)

この言葉だけのものにメロディがつきますと
いっきに感じが変わります。
私にはこの曲がなんといいますか、すごくアンニュイ?で
過ぎ去った井手の山吹の思い出に浸っているような、
そんな感じに聞こえるのです。

【以下、独断と偏見の解釈です】
もう初夏がすぐそこまできているようなそんな季節、
夕暮れに庭に出てみると、山吹が咲き乱れている。
その花をみるとかつて訪れた井手のことが思い出されて懐かしく
(あるいはそこで出会った人のことが思い出され)
遠い井手へは行けないけれど、せめて花を折り取って髪にかざしてみる
のだった。。。

このように考えますと、ただ名所に行きたいなあという解釈とでは
おのずとこの曲の歌い方も変わってくるのではないかと思ったりします。






講釈が多すぎる

2007年01月15日 14時32分22秒 | 一絃琴
一絃琴について言えば、その伝説的要素や寓話的要素
(琴として神話などに登場する)が拡大解釈されて
現実に演奏されるものとの距離がありすぎる気がします。
たった3年でなにがわかるといわれればそれまでですが
どんなに講釈をたれても、実際の演奏が聞く人にそうだと思われる
ような質の良いものでなければ、
自分たちだけで悦に入っていると言われても致し方ないですね。
そこのところ、指導者の先生方はなにも思われないのかしら?
まあ、趣味でやってるだけで特にどうということもないのでしょうね。
こんなふうに考える人間のほうが珍しい、珍種であるということかも


あと少しで全曲終了

2007年01月11日 00時18分41秒 | 一絃琴
そうだ、今日はこれが一番の報告だったのだった。
(悪乗り記事で忘れそうになりました
ちなみに、うちの一番でかいストーブ壊れました!!!
(またまた関係ない!?)
まだ、4年も経っていないのに。。。ひどい


今日はお稽古の日でした。
いま「土佐の海」ですが、先生いわくもうあと少しで
「泊仙操」まで行くとのこと、うれしい~~
って、全然よく弾けてないのですが、このごろ全く目標と言うものを
見失っていたので、あと少しで全曲網羅(実際はまだあるのだが)
ということがものすご~~くうれしいのです。。。わかります?
わからないでしょうね~~~(???)


お弟子さんの稽古

2007年01月09日 16時23分29秒 | 一絃琴
三味線のほうのお弟子さんの稽古の様子を
横の部屋で聞いていて
地歌三味線といういわば古典を大切にするものを演奏する
のではあるけれども、やはり現代に生きる自分たちが現代の人に
聞いてもらえるような演奏をめざすのであって
昔の人の全くの再現ということではない、という先生のお考えに
いたく感心した。

一弦琴にも同様のことが言えると思うし
また中国から渡ってきて、そのままの有り様を呈しているような楽器でも
同じことがいえるのではないかと思ったりした。

結局昔のコピーのままでは、たとえ伝承があったとしても
やがて消え去っていくことを阻むことは出来ない、ということ
なのかもしれない。

他の邦楽からみた一弦琴

2007年01月08日 13時56分00秒 | 一絃琴
以前の記事にも書いたかもしれませんが
邦楽の世界からみた一弦琴の存在というのは
非常に低いものであると思います。
現実に職業化されていない状態なので
彼らからしたら、いわば愛好家のなかで弾かれているに過ぎない
ものであり、語るほどのものではない、というのが本心なのでしょう。

土曜日にお会いした先生のところに、三味線のお弟子さんが
お稽古に来られていて、その方と少し話す時間がありました。
その方も以前一弦琴をやったことがあるけれども
民話語りに使えるかも、と思って始めただけで
筝曲や三味線の素晴らしさに比べたら全然だめだ、
というようなことを話されていました。

たしかにそうかもしれない、と思うと同時に
このちいさなお琴で表現できる世界を充分に表現するところまで
実は到達していないのではないかと思ったりしました。

霧が晴れる

2007年01月08日 00時34分16秒 | 一絃琴
一絃琴を習い始めて3年が過ぎました。
2年過ぎたくらいから、自分のなかにいろいろと課題が生まれ
なかなかそれが解決しませんでした。
邦楽の一音曲であるはずなのに、基本的なことが全然なっていないような
気がするけれども、自分自身その勉強をしたこともないので
それに対する答えも持ち合わせていないのでした。
いろいろとその答えを見つけるべく、他の演奏会を聞きに行ったり
能や狂言も見に行ったりしましたが、やはり、わかりませんでした。

もうおとといになりますが、土曜日、ある筝曲・地歌演奏家の方に
いま自分が悩んでいることについて、お話を伺いアドバイスを
いただく機会がありました。
いろいろと、邦楽全般や筝曲、地歌三味線について
また一弦琴、二絃琴についても説明してくださり
他の楽器との共通点や唄の有り様やら
私がもっとも悩む唄について、
非常にわかりやすく、かつ具体的に話してくださいました。
そのお話には、自分が今まで抱いていた疑問に対しての
すべての答えが存在していたと言っても過言ではありません。
それは「霧が晴れるように」と言う表現がぴったりな
感覚でありました。

以前ある先生から、「一弦琴を深めるためには、他の邦楽を勉強して
そこから類推して演奏に生かすしかない」というようなことを
お聞きしたことがあり、やはり一弦琴だけを習っていても深まらない
ということは気づいていましたが、結局そういうことなのでした。

また、あらためて自分自身のへたさ加減にがっくり来るとともに
これからの目標がはっきりしてきたので、まじめに?頑張れるような
そんな気がしてきました。

「○○さんは、どんな演奏をなさりたいのですか?」
と問われて、
自分は一弦琴には他の邦楽楽器のような華やかさや重層さはないが
なにかしら聞く人の精神的なものに迫るような、そんな特性を
持っているように思うのだけれども、いまの奏者の方たちは
どちらかというと聞く人への気持ちより、自分たちの気持ち優先
なので、もっと聞く人の共感を呼ぶようなそんな演奏をしてみたい
というようなことをおこがましくも述べたのでありました。。。
(まあ、それは夢ではありますが・・・)

聞く人に共感されるような演奏、というのは実に難しいことで
それはいわば「プロ」ということであります。
いや、お金をとってる人でも難しいかもしれない。
いまのような、趣味の世界でいいんだもん、みたいなことでは
すでに「廃れた」と邦楽の本に書かれているようなこの琴だから
どのみち消えていくのかもしれません。
まず、聞いている人に何を歌っているのかわからないもごもご歌や
かそけき音色をやめて、そういう「風情」だけの演奏が
本来のものなどという思い込みを捨てることから
はじめないといけないのではないかと思います。
つまり、はっきりした邦楽的発声と弦楽器の基本的演奏方法
ということです。(言うは易し、行うは難し)

だからなんなのだ、といわれても返す言葉はありませんが
まあ、一弦琴の持つ本来の性質、というようなものが
いまこの現代に蘇ってほしい、そんな気持ちでいるわけですね。
それは何も江戸時代の武士の気持ちが蘇ってほしい、ということではなく
日本人のもつ優れた感性、日本的な感受性、
そういうものが、一弦琴の唄と演奏で表現できたらいいなあ、と
思うだけのことなのです。

土佐の海、突入

2006年12月20日 18時08分21秒 | 一絃琴
『後の月』それほどてこずらず、『土佐の海』に突入
波を連想させる芦管を滑らす弾き方がちょっといままでに
ないやり方かな、と思うけど今までのほうがずっと難しかったです。
(慣れてきたのかな?)
この曲はよくよく弾かれる曲なので、なじみがあります。
あと『伊勢の海』も。感情移入できるかどうかはまた別な問題ですが。

今日は練習が終わった後、ひとしきり一絃琴の辿ってきた道について
先生と雑談。戦後、この琴は復興したかにみえたけれども
これからどうなっていくかによって、ふたたび廃れていくかもしれない
などとふと思いました。
真鍋豊平が何百人も弟子を擁していたのは、やはり、抜群の腕前だったからと
想像します。その豊平に指導されて、また、聞く人の心を打つ演奏のできる
奏者が生まれていき、一世を風靡したということなのでしょうね。



デジカメ

2006年12月19日 08時34分21秒 | 一絃琴
動画で一絃琴の演奏をとるべく何度もトライするも
(貼り付けられるのは1、2分程度?)
音がどうしても「ビンビン」した音になってしまう。
糸を張り替えたり、芦管をこすったりしてみたけど
やっぱり同じ、どうしてかな?
カセットなどでは普通の音なのに、、、ナゾだ
どこかに傷でもあるのだろうか。

あれこれごたくを述べているまに
「後の月」練習不十分のまま稽古の日がきてしまった
ひとつひとつの音に集中しようとすると
わたしの場合すごく姿勢が悪くなってしまう。。。
良い姿勢のままで弾けないのだ、、、(琴の上に傾斜してしまう)
なんとかしないと。。。
あれこれ課題ばっかり、進歩がないゾ~~~


そういえば、今日は午後から小学校の個人懇談がある。
何を話せばいいのかな?
いやいや、それはむこうが考えることなのだ。
今までこういうのが2回あったけど
子どもの様子って、「元気なお子さん」としか聞いていない。
何を話すつもりなのか。。。?
前の、リレー決定の際の話が出るのか?
(そしたらまた怒り蘇り、胃が痛くなる)

作品理解

2006年12月18日 08時20分38秒 | 一絃琴
子どもの本の読み聞かせや、朗読でもいえることでしょうが
一絃琴も演奏する人がその作品をどのように理解して演奏しているか
ということが、非常に大切なことだと思います。

そんなこと、いまさら言うまでもないこととは思いますが
やっぱり、演奏を聞いた人が何かしらを「感受」できる
何かしらを「思い描ける」、そんな演奏が自分としては理想ではあります。
実際今はできてはいないけれども、そういうことを念頭に置いて
練習も重ねていかないと、、、とは思っているのです。
(怠惰なわたくしですが)

一方、この楽器の特性として、ホールなどでの演奏に
不向きであることと、少人数の座敷などでまじかに聞いてこそ
その真性を知ることが出来るということがあり
ある意味で「聴衆を持たない」楽器と言えないこともないです。
ただ、だからといって、自分ひとり合点がいけばいいみたいな考えには
向かうべきではないと思います。
自分自身の真実に向き合うということは
そのまま自分以外の人の内奥にも通ずることでしょうから。

先達の皆々様が、ひとつひとつの作品をどんなふうに解釈して
演奏しているのか聞いてみたいものです。
(どんなふうに思って弾いているのかな~~~

調弦について

2006年12月13日 00時04分56秒 | 一絃琴
うちの社中では、開放弦を「D♯」で合わせているけれども
そうでない社中もあるかと思います。
このことは前にも書いたことがあります。
(「D」で合わせておられる先生もみえます。)

習い始めの頃、この音で「三」以下の音を歌うのが
めちゃめちゃしんどい!?(苦痛な)ことでした。
とにかくわたしには低すぎて、もう、唸っているようにしか
聞こえないような状態でした。
ごくごく初期に「須磨」をやるので、この曲は初心者が入門した
途端に弾くには難しいのではないかと思ったりしました。
特に歌いだしの部分が出にくく、「三」からいきなりは出られないので
「わくらば」の「わ」を「二~三」(わ~)というふうに
歌って、やっとこさ歌い出せた記憶があります。

開放弦の音を何にするのか、というのは
たとえば社中全員で合奏するとか、何人かでアンサンブルのように
弾くとか、そういうことがあるので必要なのかもしれませんが
一絃琴の有りようからすれば、弾く人の声にあわせればいいのであって
何でなければならない、というのはナンセンスな気がします。

また、譜面をみて思うのは「譜面に縛られないようにしよう」
ということです。いま、目の前にある譜面は覚え書きのひとつである
と思うようにしています。これはたぶん邦楽の基本なのではないかと
いまでは思います。
何故って、「確実なる伝承」というのは実は存在せず
むしろ、断絶した琴を戦後60年近くかけて諸先生方が再興して
こられたと思うからです。
では、何を根拠にすればいいのか?ということですが
譜面どおりに教えてもらった後に、自分の解釈が生まれるまで
練習を重ねる、ということしかないのではないかと思います。

いろいろと考えてもどうしようもないのですが
邦楽を深く知る、あるいは体得することが、
すなわち一絃琴を知ることに繋がることではないかと
今は考えています。




後の月

2006年12月12日 19時49分27秒 | 一絃琴
稽古始めて、3年が過ぎました。
今日「後の月」に入りました。「初秋の月」よりはわかりやすい、難しくないです。
でも「初秋の月」と「後の月」でひとつの曲のような感じです。

最近またいろいろと考えるようになってきてしまいました。
(考えることは良くないことなのか!?)
こんな調子で最後まで全う出来るんだろうか?とか、だんだん不安になってきました。
いや、たとえ最後まで履修?できたとしても、これでほんとうに全曲習ったといえるのだろうか?
その辺のところがものすごい不安です。また、最初から稽古してくれるような
感じもありませんし、好きな曲とか得意な曲とかに限定して
習うのでしょうか。そんなんだと、ちゃんと習ったことにならないんじゃないかと
思ったりするけど、そんな細かいこと言うのは私だけなのかしらん。
よその会では、きちんとパーフェクトに履修するのかしら?
(どこら辺でパーフェクトというのかも難しいことだが)

今日も稽古に行く前に「漁火」を弾いてみました。
他の曲はそうでもないのですが、この曲と「須磨」「須磨の昔」は
ときどき弾き歌いのなかで「うう・・・」みたいに
急になるときがあります。(わたしの場合)
「須磨」は、発表会のときに来てくれた姉の友人から
聞いていて『涙が出そうになった』と言われたので
やっぱり、そういう面を持った曲といえるのでしょう。
「漁火」も、中盤の軽やかな琴の演奏に対比して、
最後の『無明の夢や 覚めぬらん』がしみじみと胸に迫る曲です。


初秋の月

2006年11月30日 13時45分30秒 | 一絃琴
「初秋の月」に入りました。
「漁火」の間奏部分、なんとか弾けるようになりましたが
これを作曲した人の気持ちにまではとてもとても辿りつけない・・・

「手事」というのか「合いの手」というのか、一絃琴のみの演奏部分が
邦楽の基礎的なもの?というのか、その素地が自分にないため
曲のリズムや雰囲気がいまいちわからない。。。
わからなくても悩まず弾いてればいいんだか、、、

一絃琴が流行った頃、曲作りに影響を及ぼした音楽はなんだったのでしょう?
三味線や筝ですよね。どんなジャンルのものでしょうか?
幕末の京阪神が中心ですから、上方の邦楽ですね。
三味線ならば、地唄でしょうか?

一絃琴の曲で、ここは三味線ならすらすら弾けるだろう、とか
筝でなら美しい旋律になるだろう、とか予測はしても確信がない。
筝や三味線を本格的には知らないから。
邦楽の基礎的なものをなにか習えば、また一絃琴についても
新しい発見があるかもしれません。
小唄や長唄習ったら、その唄い方になってしまい
一絃琴らしさが損なわれる、と先生から言われていますが
いま自分はそんなふうには考えられない、むしろ、知ったほうが
この琴の流行した頃の有り様に近づくように思うのでした。