絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

エゴの木

2006年05月21日 14時14分10秒 | Weblog
もう、満開に近くなってきました。
この画像では、どんな花なのかわからないですね。
白い小さな花が、さくらんぼのように咲いています。


理想の母親像

2006年05月20日 23時41分32秒 | 子ども
はなのすきなうし

岩波書店

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これは、見てのとおりずいぶん昔に出版された絵本ですが
わたしがこの本を知ったのは長男が生まれた頃、
いまから20年位前のことでした。
この本が2,3日前の日本経済新聞の夕刊のコラムに出ていました。
(小さい頃すきだった本のひとつとして)

本の題名のとおり「フェルディナンド」という名まえの主人公の牛は
闘牛用の牛としてはふさわしくない「ただ花の匂いをかいでいるのが好きな牛」
なのです。どんなにけしかけても、闘牛の役目を果たそうとはしません。
ついにみなはあきらめて「フェルディナンド」はすきなだけ花の匂いをかいで
おだやかに暮らせることになります。

はじめてこの本を読んだとき(正しくは子どもに読んであげたとき)
泣けてきました。涙するような劇的な内容ではないのですが。
「フェルディナンド」が闘牛場に連れて行かれてかわいそうだ、とか
平和に暮らせてよかったね、とかそういうことではなくて
途中この牛のお母さん牛が出てくるのですが、
たぶん、そのお母さん牛の「フェルディナンド」に対する深い愛情(慈愛)に
日頃の自分の親としてのあり方を反省させられたかなんかで
泣けてきたのでしょう。。。

子どもの牛が闘牛用として役に立たない性質であっても
「あの子はただ花の匂いをかいでいたいんです」と
子どものありのままの姿をまるごと受け入れ、愛し、支える母の姿勢は
当時の自分の気持ちに突き刺さりました。
子どもはまだ小さかったけれど、「こうあってほしい」みたいなことを
すでに子どもに対して思い始めていたからかもしれません。
そんなものは母の愛でもなんでもないのだと、この本は教えていました。
(そう自分には思えたのでした)

あれからずいぶんと時が経ちました。
子どもの本もどれくらいか数え切れないくらい読んだと思うのですが
この「はなのすきなうし」のことを忘れたことはありません。
たぶん、この本の中に、私にとっての理想の母親像があるからでしょう。
子どもの持って生まれた資質を、たとえそれがいかなるものであっても
大切にして愛していく姿勢というのは、自分にとってかなえることの出来ない
『悲願』のようにも思えます。

誤字脱字

2006年05月19日 18時13分38秒 | Weblog
ひとつ前の記事、『船弁慶(舟弁慶)』といれたつもりが
『橋弁慶』になっていました。
ぼんやり、なんか変だと思いながらそのままになっていて
「あれ?」橋って入れていた、と思って見てみたらやっぱり
間違っていましたわ。。。
こういうボケが頻繁になってきて、パソコンばっかりやっていると
字も書けなくなってくるようです。(勝手に変換してくれるから)

高砂

2006年05月19日 12時57分48秒 | 一絃琴
高砂といえば、よく昔の嫁入りの披露宴で披露されるあの唄を
思い浮かべるでしょう。
「住の江」はこれがもとになっている曲です。

一昨年だったか、名古屋の能楽堂で子ども向けの「能の世界」体験の
催しがあり、親子で出かけていきました。
大変すばらしい企画のもので、『舟弁慶』を観せてもらい
実際に子どもたちに「竜笛」「鼓」などを時間を区切って
演奏指導して下さり、親子そろって『高砂』を教えていただきました。
最後は、能舞台で演奏される囃し方の音にあわせて『高砂』を
みなで謡い、ほんとうに貴重な体験となったのでした。

ちんぷんかんぷんの私が言うのもなんですが、
「能」を観るとき「何を言っているんだかわからなくて眠くなる」方も
正直多いかと思います。しかし、実際には能楽師の方の発声は驚くほど
はっきりしていて、また、その音量もすごいです。
佐藤友彦さん(名古屋の能楽師の方)が狂言のさわりをやってくださるのを
まじかに聞いたことがありますが、本当に響く声です。

ひるがえって、一絃琴の歌のことを考えてみますと、
腹式呼吸に全然なっていない歌の人が多いように思います。
(マイクを使えば、そういう歌でも聞こえますが)
腹式呼吸でない歌は、音量が小さく聞き取れないし
また声が口の中でこもっている歌は、言葉自体が聞きにくくて
相手に何かを「伝える」まで至らないように思います。
(すなわち、自己満足)

一絃琴は人に聞かせるものではない、自分ひとりで弾くものだ、と
いわれればそれまでですが「独りよがりでない」演奏の指導を
一絃琴の伝承者と自負する先生方にはやっていただきたいと
強く思うのでした。(歌の指導ってしてくださるんでしょうか?)
現実には、琴の弾き方に終始して歌どころではない、というのが
大半なのかも。なんで~~~~???



音読指導

2006年05月18日 21時54分15秒 | ボランティア
今日のスキルアップ講座は「外郎売」(ういろう売り)のはじめの
ところで終わったので、自分がすらすら読めない早口言葉を
やらなかったのでなんとか切り抜けました…
でも、宿題として来月までにやっていくことになりました。。。

先回実際の指導のなかで、先生はほとんどの人に
「笑って」読んで下さい、と何度もおっしゃっていました。
「笑って、笑って」「笑ったままのお顔で読んで下さい」と
言われても、なかなかみなさん緊張してしまい、
恐い顔で読んでいる人が多かったと思います。
(たぶん、自分もそのひとり)
この「笑い顔で読む」というのはすなわち「口角を上げる」という
ことなのです。それによって、声が篭るのを防ぐことが出来る
…つまり、はっきりしたしゃべりになり、
すごく聞きやすくなるのですね。それを素人にもすぐわかり
実践できるよう指導して下さったわけなのです。

でも、なかにはこれを誤解する方もいて…
視覚障害の人に録音奉仕をする会の方で、10年以上されてて
もう自分の読みにプライドというか自信がおありなので
「深刻な題材も笑って読むんですか?」などと質問されました。
先生は優しく否定されていましたが、人を教えるというのは
なかなか難しいことなのです。
(みながみな、ありのまま受け取るわけではない)


しっくりこない音

2006年05月18日 14時49分27秒 | 一絃琴
稽古での先生の指導は終わっても、弾けてない曲は自分で練習を
続けています。それでも、なかなかうまくはいかない曲もあります。

わたしは、清虚洞新譜の記載でいうと「△」の音のある曲が
どうもうまく弾けません。というか「△」の音がどうしても
しっくりこないので、弾いていても曲にならないのです。
どうしてなのかな?教えていただいたように弾いているつもり
なのですが、それこそ「△」の音の録音がほしいです。

「清き渚」といういい曲があるのですが、このなかに出てくる
「△」の音がわからない。というか指導されたように弾いても
音がずれている気がして気持ち悪いのです。。。
他の社中ではこの曲を演奏会で弾く方も少なくないです、
みなさん、普通に楽しく弾いていらっしゃいますが…

洋楽ではないだろうと思うような「はずれ音」?が
たまに出てきますが、それともちょっと違うような気もします。
なんでしょう?自分がへんなとこ押さえているだけなのか
よくわからないです。


雨ばっかり

2006年05月18日 09時46分27秒 | Weblog
『はしり梅雨』なのか、このところ雨ばかり…

庭の木は喜んでいるけど人間はどうかな?

「外郎売」(歌舞伎十八番の一)は、早口言葉でも
紹介されたりする、滑舌良くするのにぴったりなものですが
舌かんでしまい、すごく難しいです。
これ、今日、一人ずつ指導を受けるのに、全然できていない

あれこれ、よそのことに文句つけてて、自分は
いろいろできてないことばかり。

忘れてました・・・

2006年05月17日 14時37分36秒 | ボランティア
明日、図書館の対面朗読のスキルアップ講座があるの
すっかり全く忘れてました。
…というか、それに宿題が出ているのを忘れてた。。。
『外郎売』を練習していくんでしたわ。
全然やってないのです…子どもの算数の問題を2次方程式を使わないで
やるやり方が説明できず悶々としているうちに時間も過ぎ…
来週の小学校のスクールサポーター向けの書類も印刷してないし
先生方向けの説明のプリント原稿もできていな~~~~い
れれれ、焦ってきましたわ。

昨日は、4時から家庭訪問でしたが次の人が遅い時間だったのか
先生、40分もお話されていて、大丈夫だったのかな???
うちの子のことは『元気なお子さん』くらいで
ほとんど、学校全体の話に終始致しました。
新任の先生なので、『応援してますので頑張ってください』としか
いいようがありません。
もう、校長教頭以外、ほとんどが自分より年の若い先生方です。
いまのフレッシュな気持ちを忘れず、まず子どもたちのことを
第一義に考えられる先生でいてほしいと切に願うわたしなのでした。。。

「住の江」

2006年05月17日 09時55分15秒 | 一絃琴
「千代の友」もきちんと弾けてないけれども次の曲に入りました。
これも良く分からない…
新しく入られた男性の方が、お稽古のとき先生の演奏を
録音したいとおっしゃったそうで(先生いわく)。
1ヶ月に2回、ただ聞くだけではなかなか頭に入らないので、と
いわれたそうです。もう実に同感です!
でも、文句言いのこのわたしですら
それはなかなか言いづらく、お願いしたことはありません。
演奏会のときも、録音したことはありません。
(録音されたくない、というようなことを以前話しておられたので)

録音されたものを参考にして練習すればきっと上達が早いと思います。
でも、録音された琴の音に気をとられると
自分の琴の響きに鈍感になってしまうようにも思い、
できれば、他のお稽古のように毎週見ていただくのが良いでしょうね。
せめてそれぐらい接してないと「伝承」と言いいがたいではないかと
思ったりします。

稽古日AND家庭訪問

2006年05月16日 08時20分00秒 | Weblog
今日は午前中一絃琴の稽古の日で、午後が小学校の家庭訪問!
気ぜわしいぞ===
…と言いながら、パソコンいじっているのは何故かな???

雨降りだし、意欲わきませ~~ん。
昨日は午前が図書館の視覚障害の方向けの対面朗読で
午後は、例の子どもの耳鼻科で長時間待って…
子どもの浸出性中耳炎は、ずっと通っていたにもかかわらず
悪化し、今週末にはチューブ挿入治療と言われている。。。
「急に悪くなったんでしょうか?」と聞くと
「病気なんてそんなものですよ」と迷医のたまう。
(だったら、通院してた意味ないんじゃないの?)

子どものことや学校のことなどいろいろあると
一絃琴が。。。て言ってられないのが現実です。

花の香り

2006年05月15日 22時31分06秒 | Weblog
安価な花とうちの庭のグリーンで
アレンジを…
玄関に花の香りが漂う…意外に「コバノランタナ」は
匂いがあります。
「ランタナ」は黄色やオレンジに変化しますが
「コバノランタナ」は紫一色のままです。

「千代の友」

2006年05月15日 09時04分10秒 | 一絃琴
ろくに練習も出来てないのに、明日お稽古の日です

この「千代の友」は、三弦の曲だそうで…
歌がそれこそ中心です。
う。。。なかなか難しいんですね。
三味線できるかたなら、瞬時に理解できるだろう事を、わたしの場合
あーでもない、こーでもないと、模索せねばならないわけでして。

筝の曲も少なくないですね、ならば、筝と三味線も習って
そして一弦琴をやった方が、話が早い気がします。
(正直なとこ)

前も書きましたが、一弦琴の曲はもともと非常に少なかったので
現存する曲の独自の歌い方なんて存在しなかったと思います。
みんな、筝曲や三味線の歌を取り入れたと思うのです。
でも、三味線を習うと三味線の歌になってしまってだめだ、
と先生から言われます。そんなわけないと思うけど。。。
(よくわかりませ~~ん。