絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

夢分析や箱庭療法

2006年03月31日 13時02分17秒 | Weblog
図説 ユング―自己実現と救いの心理学

河出書房新社

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わたしが学生の頃は、心理学といえばフロイトだった。
ユングも年はかなり下だがフロイトと同時代であり
フロイトをして「わが息子」「後継者」と言わせるような関係だった。
のちに決裂していくのだが、フロイトとユングを分かったものは
心理学における「女性性」「男性性」の考え方の相違であったと思う。

今の日本では、特にユングの方向性が抜群にマッチしているように思う。
(ユングでないと心理学じゃないような風潮…河合隼雄の影響力が大きい?)

寒い・・・(山間部かな?ここは)

2006年03月31日 09時51分35秒 | Weblog
う~~~、今朝も雪舞っていました
寒いよ…ここは山間部なのか???
もうとっくにタイヤ替えてしまったけど、週末穂高温泉に行くのです。
大丈夫なのかしらん、道は…心配だ~~

何年か前に、奥飛騨温泉郷というところに3月20日過ぎに
行ったことがありました。
それまでぽかぽか陽気だったのに、その日に限って豪雪!
駐車場の車は雪に埋もれて。。。
帰り道、坂道上れなくなり、
なんとか動いたけれども生きた心地しませんでしたわ。

なのに、なぜか、夫と子どもは「雪見」温泉が大好き
趣味合わんてば。。。

なごり雪

2006年03月30日 23時37分23秒 | 子ども
ほんまに寒い(ぶるぶる)。今日は昼間屋根には雪が積もりました。
3月も末になっての雪…「春の雪」というよりホンマもんと言ったほうがよい。
灯油もぐんぐん減っていく。。。また買いに行かなくちゃ…

学校も塾ももうすっかり次年度のことで頭がいっぱいだろう。
最近は少子化のせいなのか、塾なども4月始まりではなく
3月始まりのところが多くなってきた。
少しでも早く始めて、よそにお客さんをとられないように
するためなのだろう。

上の子のときと比べて、ほんとに子どもにお金がかかるようになって
きたと感じるが、違うのだろうか?
小学校も、子どもたちが他で習ってくるのを前提としているような
面もある。(スイミングスクールや書道など)
中学も、英語などがそうらしい。(なんでやねん)
むかしむかしの英語と違い、いきなり会話文から始まって
文法的な体系立ってはいない学習っちゅうのは
結構頭に入りにくいんじゃないかと心配する。
(ま、若いからいいのかな)

いづれにしろ、まだまだおちびがいるので先は長いのだが
学習をみてやるにも、こっちの頭がはやぼけて来てる
たかが小学生の乾電池の接続やら発芽の実験やらもう
面倒くさくて…これじゃ先が思いやられるわ…
まだ、算数のほうがさっぱりしてるって。。。
あ、そんなことないわ、和差算とかあったなぁ…

いつまでたっても「はじめての・・・」のタイトルに惹かれて

2006年03月30日 01時32分41秒 | きもの
はじめての私の着物

河出書房新社

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こういう普通の内容でも、最近は書籍になるのですね。
写真がたくさんあるので「へえ~、こういう組み合わせね」とか
いいながら見ても楽しい。明日こそ着物きるぞ~~(おフネちゃん)
がんばらないと、なかなか着れなくなって来た…

2月の寒さ

2006年03月29日 20時32分50秒 | Weblog
今日のお天気は、全然よくなかったです。
朝8時過ぎには、霙交じりの雨が降ってきました。
車の外気温表示がピーンと鳴って3℃を表しました。
これって、雪降る温度なので注意ということなのです。。。
う~~~、さむ…

明日はどうなんでしょうか???
また灯油買わないといけないのかなあ…
花粉もこんなに寒いのに症状はよくなりません。
ストレスかな?

お天気回復

2006年03月29日 07時24分49秒 | Weblog
昨日、すごい雷でした
車に乗っていたからよかったのですが
目の前で、ぴかっと光りすぐさまドッカーン!という轟きが
怖かったです。。。

今日はお天気良さそうで、元気でそうです
午後から子どもに付き合ってドラえもん観にいくので
午前中は家事がんばらねば
(今度5年なんだけど、いまだにドラえもんって…
友だちも誘ってあげたので、子どもはうれしそうです。
(私は耳栓欲しい。。。アニメってうるさいから寝にくい。。。)

三年前の3月末

2006年03月28日 14時01分01秒 | Weblog
三月末といって思い出されるのは、なんといっても、
今度4年生になる長男の大学入学のときのバタバタだ。


うちの坊主は、前期第一志望のK大を落っこちて
それまで「燃え尽き症候群」と言っていたのに、急にしゅんとなってしまい
予備校に次年度の選考資料をもらいに行ったりしていた。
K大受験の帰りには、ご丁寧に不動産やに下宿のパンフなど
もらって帰ってきていたので、ことさらショックが大きかっただろう。
体育会系の部活に入るつもりだったから、伝統のボート部や野球部など
夢は膨らんでいたのだったが…。

前期の入試が終わってから合否の発表まで、たしか10日程あったと思う。
しかし受かったつもりの坊主は浮かれて、もしものときの勉強を
ひとつもやっていなかった!本当に「青ざめた親を見よ」となってしまった。
もう、そこから先は、思い出しても心臓がどきどきする。。。
H大に後期の願書を提出しておいて救われた。
本人は後期の受験もしょうがなく出かけて、あまりの寒さに衝撃を受け
やっぱり、もう一年!とのたまっていたが、
インターネットで合格者に自分の番号を見つけたとき
もう、受験勉強を終わりにしたくなったのだろう。
北の国に行く決意をしたようだった。


後期合格のこどもは、下宿探しも時間がなく、親との挨拶もそこそこに
準備やらなにやらで、あわただしく入学となる。
あれから三年。それまで家族のだれも北海道に行った事がなく
親類縁者もまったくなしの地で、今までやったこともないラグビーを
自らはじめて、うまくもないが投げ出さずによくやってきたと思う。
最後の1年、就職という重大な選択をしなければならないときがきた。
入試のときのようなバタバタにならないことを、切に祈る。





曲の理解は・・・

2006年03月28日 01時13分14秒 | 一絃琴
「鴛鴦」にしろ「今様」にしろ
演奏する曲について、内容とか作曲された時代のことや
作者の心情などについては、結局自分自身で模索するしかないようだ。
しかし、実際にどのようなところから
曲の理解を深めていけばよいのだろうか…

一絃琴のCDなどは、ほとんどないので
もし、見かけることがあったら即買いしないと
次はどこで出会えるか到底わからない。
書籍についても同じことが言える。
ほとんどが自費出版なので、重版されることはまずないからだ。

ということで、数少ない音源や書かれた物などを読み込み
自分のイメージを膨らませていくようにしているが、
やっぱり、一番の深まりは練習の中から生まれてくるように思う。
お琴を何度も何度も弾いているうち、
あるとき、ふと、そのメロディが「いつか聞いたことのあるもの」に
変身する。。。
急にその曲が、自分の中から聞こえて来る感覚が…
そんな瞬間が訪れることがある。
それは、高校生の頃「蜻蛉日記」を読んでいたとき
突然すぐそばに作者が現れ、直に自分に話しているかのごとき錯角に
陥ったことと酷似している。(恥ずかしながら)

たとえば「鴛鴦」を練習していると(一絃琴に造詣の深い先輩諸氏が
「冬の寒い夜の情景」と解説しておられるが)
この曲の音律から滲み出てくるものは、決してそれだけではないと
言っているように私には聞こえてしまうのだ。
なぜなのか、それはわからない。
前に書いた記事には、理屈を載せたけれども、
それもある種の直感を頼りに、この曲に秘められたものを
手繰り寄せようとした、ひとつの仮説なのである。

でんでんむしの かなしみ

2006年03月27日 09時17分33秒 | Weblog
以前、対面朗読のボランテイアの方に教えていただいた作品に
「でんでんむしの かなしみ」というのがある。
皇后美智子様が、児童書についての講演で触れられたものだ。
(新美南吉 作)

いっぴきのでんでんむしが、ある日ふと自分の背中にしょっている殻の中に
かなしみがいっぱい詰まっているのに気づく。
そして、友だちのでんでんむしのところに行って、
こんなにいっぱいかなしみを背負っているからもう生きていられない、
と訴えるのである。
友だちはこう答える「わたしの背中にも、かなしみはぎっしり詰まっている」
でんでんむしは、他の友だちのでんでんむしを尋ねて、自分のつらさを訴える。
すると、その友だちもまた、前の友だちと同じことを答える。
…でんでんむしは、はたと気づく、かなしみは誰の背中にもあることを。


苦しみのない人生などあり得ないだろうが
漆黒の闇の中に、たまさかにきらめきの瞬間があれば
それを「幸せなとき」と呼ぶことにしよう。。。

ワンもバードウォッチング?

2006年03月25日 09時17分42秒 | Weblog
うちの地域は、竹林を切り開いて団地にしたようなところなので
すぐ近くにまだ自然が残っているせいか、
我が家の庭にもさまざまな鳥たちがやってくる。
鳩のつがい(年中)、ヒヨドリのつがい、春は鶯のつがい
あとメジロみたいなのとか、私の知らない鳥がいろいろ…
巣立ちの頃には、飛行に失敗したらしい鳥の死骸が
駐車場や庭に落ちているときもあり。。。
また、たまご(中身あり)やからっぽのが落ちてるときもある。

それはいいのだが、食の細いうちのワンの餌を食べにくるのが
こまりもの。
あるとき、外で「カンカンカン!」と音がするので
カーテンを開けてみてみると、なんと!
鳩がうちのワンのドッグフードをフェンスに打ち付けて
砕いているではないか(なんじゃこりゃ~~~
…うちのワンは?とみると、のんきにひなたぼっこ
あ~~~あ、これじゃあ、お隣に泥棒が入っても知らないはずだ。


芸術(芸能)におけるスタイル

2006年03月24日 14時29分16秒 | Weblog
前々から、あるひとつのことがずっと頭の片隅に引っかかっていた。

それは、芸能でも芸術でもなんでもいいのだが、
一つのことを窮めた人、あるいは窮めようとストイックなまでに
精進を重ね、かなりな水準に到達した人というのは、
同じことをなしても、他者と全く異なる、その人独自の型(スタイル)を
形成するのではないかということだ。
このことに気づいたのは、最初は「ピアノ演奏」次に「バイオリン」
そして「狂言」「二胡(中国のもの)」「ギター」「三味線」…他に朗読。
まだまだこれからももっとそのことを発見していくだろう。

たとえていえば、同じ曲を演奏していても、その奏者によって
まったく異なる曲に聴こえる、ということだ。
それは、音の長短や早い遅いや強弱という、目に見えた差異ではないのだ。
なんだろう?音の色が違うというか…
そして、ひとりの演奏家がどの曲もすばらしく均一にうまいかというと
そうでもなく、ある曲はAという演奏家がすばらしく
また、ある曲はむしろBのほうが胸に迫ってくるものがあるとか
そういう違いもあるのである。

音楽だけでなく、たとえば「狂言」でよく知られている
『萩大名』というのがあるが、これなどは同じような動作を演者は
しているのだけれども、やはり、その人のもつ味わいみたいなものが
違うように感じるのだ。

このスタイルの違いについて書いてある本を見つけた。
斎藤孝「スタイル間コミニュケーション論 生き方のスタイルを磨く」
太宰治の短編をとりあげて人間の「癖を技に変える生き方」について
書いており、なかなか興味深い。


今様

2006年03月24日 13時54分58秒 | 一絃琴
「今様」とは、当世風な、という意味で歌詞は七五調、
曲調は越天楽(平調)を基にしているようだ。
それぞれの時代の流行り歌を、越天楽の調べにのせて歌う
つまり替え歌のようにして、神社などで披露されていたのだろう。
本文は長いので、春の部分だけ書いておく。

春の弥生のあけぼのに 四方の山辺を見渡せば
花盛りかも白雲の かからぬ峰こそなかりけれ

この歌の旋律は、黒田節とほとんど違わない。
上の歌を、黒田節の「さあ~けえ~わ~、のお~めえ~のおめえ~」に
当て嵌めてみるとすぐわかる。
黒田節があって、今様になったのではなく
筑前地方の民謡として歌われた<筑前今様>が黒田節のルーツであり
そのようにして各地で当世風の歌が歌われていたということのようだ。

一絃琴の歌と演奏は、他の邦楽の伝統のように何百年と濃密に
引き継がれたものとはいいがたいが、
ルーツをさぐり、その変化の歴史をたどってみるのは結構楽しい。
演奏会などで、自分たちのへたな演奏を棚に上げ、
「一絃琴は他人に聴かせるものではなく、自らの心に向かうものである」
などと、解説しているのをきくとがっくりきてしまうが
基本的に、弾いて自らのこころの中を旅する、ということには異論はない。

庭先の梅

2006年03月23日 09時05分34秒 | Weblog
そろそろ梅は終わりみたいですね。
桜の開花がちらほらニュースで流れてます。
(今年は梅と桜が重なるのかしら?)
ワンの散歩道で毎年ふきのとうを見かけるんですが
昨日写真撮ろうと思ったら、もう、しっかり花みたいになっていて
風情もへったくれもありませんでしたわ・・・

夕べ、不調のプリンターが、たたいたら直ったので(ジョーダン)
会計報告書の提出に行ってきます。。。(めんどーだ~~~