有るんですよね、本当に・・・・汗
今日は家の恥を晒すようで恥ずかしいのですが、似たような境遇の方が居られましたら、某かの参考になるのではないかと思って記させて頂きます。
*写真は 92になる母親が庭で育てている野菜の一部です。
ず~っと昔、 もう20年以上前になりますかね、 僕のお爺ちゃんが亡くなったすぐ後に、
遺産を巡って大きなトラブルになる事が有った。
遺産て、額にかかわらずに”そこそこ”にでも残っていると、親族間でそれに関する諍いが大きくなるもので、その際に親爺も母親も巻き込まれて大変なことになった。
以降、親爺は兄弟姉妹が居る処(お爺ちゃんの家の周り)から離れる為、当時住んでいた家を売って、
今のところに移り住み、現在に至っている。
その相続争いので相当大変な思いをしたことから、以降は自分の兄弟姉妹とは全くといって良いほど連絡を取らず、
89歳という年齢まで来てしまったわけです。
ただ、稀に電話は有る訳ですので全く途切れたという事ではないのですが、その内容の大半はお金の無心という有様。
その当時、兄弟姉妹同士で弁護士を立てて裁判やったりと、当然ですが弁護士にとってはこれほど美味しい物は無く、
そんなんで吸い尽くされた財産は大した額では無くなり、 また、中途半端な額を手にした事で、それにつけ込まれて騙されたりと、
結果として、皆散在した。
運良く???家の親父だけはお金に執着すること無く離れたのと、 お爺ちゃんが亡くなる前に自分の分だけはきちんと贈与してもらっていた事も有り、争いに加わるでもなく、まあ、逃げるようにして親族から離れたわけだが、
今となっては、正解だったのでは無いかと思う。
これはあくまで僕が自分に対してだけ持つ感覚だけど、
お金って、追いかければ追いかけるほど去って行き、それによって開いていく距離はどんどんと埋め難くなる。
やがて余りにも遠ざかると、焦った心は目を曇らせ、正常な判断が出来なってさらに悪くなる。
そういった物では無いかと思う。
実際に、そうやって兄弟姉妹で争って得た物は全て失われ、その後に来る現実だけが残ったわけですから。
そんなわけで、親爺とは殆ど付き合いの無かった兄弟姉妹だが、 1人だけ家と土地を持っていた妹がいて、
その妹は2年前の秋に亡くなった。
その時に、病院から連絡は来たけど、怨恨のあった母親が話を拒絶、そして親爺と供に葬儀にも呼ばれず、これまでそのままになっていたのだけど、 数ヶ月前に突然親爺の弟が実家に来て、 その妹の遺産が残っているので、分割したいという申し出があった。
ただ、何度も書くけど、 以前の記憶が鮮明に残っている母親は全く話を聞かず、 叔父は(内の親爺の弟)すっかり困り果てて、
事の次第を母親から聞いて知った僕が、改めて連絡を取ったことで、今日に結びついた訳です。
母親は、”またお金の無心か”と必然的に門前払い的な対応になるのは僕もよく判るし、まあ、親爺も兄弟姉妹が多い(かった)ので、
どこで、何時問題がややこしくなるか?油断も出来ないわけです。
完全シャットアウト状態の親に変わり、叔父の甥っ子でも有り、 良くしてもらった記憶が有る僕が代理となって話を聞くことになったわけですが、
叔父の話では、 遙か前の相続争いでバラバラになった兄弟姉妹も、残るは親爺の姉と親爺、叔父の3人だけとなり、ほかの皆亡くなったそうだ。
叔父もさすがに、自分の年齢がかなり来ていることも有って、妹も亡くなり、残った遺産を平等に分け、
この秋の三回忌までには”昔のことは全部精算して綺麗さっぱりとしたい”という話であった。
初めのコンタクトから始まって、その後に叔父とは何度も話をして、 その心内を理解する度に、親爺と母親にはその話をしてきた。
人のもめ事や、諍いの大半は、ほんの些細な行き違いや誤解が原因であることが大半で、家もやはり、そうした事がきっかけでも有った、
親爺と母親から、当時の話を含めて色々と話を聞いてきた僕でしたが、 叔父と話すに際しては、そうした事は一切絡めず、純粋な心であって話を聞いてきた。
叔父には叔父なりの理由なりが有り、 まあ、お爺ちゃん(親爺と叔父にとっては親爺)が亡くなった事によるショックやら何やらと、様々な要因が絡み合って、その当時は兄弟姉妹が互いに感情的になっていたのもあるかと思う。
長い年月を、兄弟姉妹がバラバラで過ごす内に、互いの事を色々と考えたのだろうけど.次第に事が判るようになってきて、
結果として、”幼き日々を過ごした兄弟の頃に戻りたい”という思いが沸いて来たのではないかと思う。
そんなわけで、 新たに生じた相続をきっかけにして、 久しぶりに親爺と顔を合わせた叔父だけど、
互いに笑顔で、 とても穏やかな時間が流れた一日だった。
僕からすれば、どんな些細なことでもまた修羅場になる可能性を排除するために、 とくに一番辛い目にあった母親には、一切口を出さない様に何度も説明して理解をしてもらい、 実際に母親の方もだまって親爺と叔父との話を聞いていた。
まあ、それなりの時間、揉めた物同士では有るけど、話はどうしても昔話になる。
展開として昔の諍いごとに近い話になるのは仕方の無いことだけど、 その時は叔父は僕の顔をみて、助けを求めるようにして話題を投げてくれたので、
僕の方では叔父の心置きを胸に起きつつ、時として説明交えて話がスムーズに行くように心がけた。
叔父も、難しいと思うことは親爺や母親にではなく、僕を通すことで間接的に自分の思いを伝えたわけだが、 叔父が僕に同席を強く求めていた理由も判らないではない。
最後には、親爺も叔父も笑顔となり、かなり年齢を重ねてしまった兄弟2人ではあるが、長年の蟠り幾分かは消え去ったのでは無いかと思う。
最後に3回忌の話になり、9月の初め頃に亡くなった妹(僕からすれば叔母)ですが、出来れば親爺に参加願いたいという話が叔父からあり、
まだ暑い盛りなので、親爺が無理しない範囲で参加することになった。
当然、僕も付き添うが、 出来れば親爺の姉も参加してくれれば良いと願うのだが、 施設で認知が少し出始めているらしいという話を叔父から聞いており、又、ホームからお墓までの距離がかなり有る事から、連れてくるのは難しいのではないかと思う。
そんなわけで、一段落付いたわけですが、親爺も大夫躯が弱くなって来てしまっているので、 その前に叔母(親爺の姉)と会わせてあげられたら良いなと、思う
翔です。