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帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

おっさんレンタル

2016年06月24日 | Weblog

なるものが、流行っているそうだ(笑)

僕が見たのは、たまたま付けたテレビの報道番組で、小特集として組まれていたもの。

レンタル+おっさん????? なんちゅ~発想が全く無かった僕には「そんなもの、需要があるんかいな?」と興味本位で見ていたけど、

まあ、それなりに面白かった。

うんちマン?とか、病気を背負った方とかが居て、そうなんだ・・・・・・・なんて思いつつだけど。

 

男の若い頃は、基本未完成であり、ともすると欠陥品だったりもする。

自分のキャピキャピ(←男にこれ使うっけ?笑)時代を振り返れば、その当時のやっていたことを自ら思い出す度にムカムカする。

反抗期を抜けてすぐの、高卒もしくは大学くらいの年齢は、とかく”糞生意気”でしかしながらその個性は画一化された教育と、社会的に優れているこの国の基本常識により、ある程度の統一製品みたいな感じで存在している。

 

有るのは、若さとそれが連れてくる容姿(自分には無縁だが)で、「それが魅力だろ!」と言われてしまうと元も子もないわけだけど、

この時分にレンタルという言葉を繋げると、あたかも綺麗に梱包されてはいるが、中身の無い箱の様でもあるかな。

そうそう、そんな中身の無い時に、すでに育てられていた家の息子と娘は、はなはだ迷惑だったであろうな~    あはははは

 

世に出て、働くやつと一部の働かない奴、そしてどんな職業を選んだか、また希望の仕事に付けたか?そうでないか? そこいら辺りから始まり、

日々を泣いたり笑ったりしつつ、生まれながらに備えられた個性や才能に磨きがかけられて、一人の男の姿になる。

 

学歴なんぞが看板として通用するのは数年、その後は”人生経験をどう積み重ねてきたか?” ”どう生きてきたか?”が歳を増すごとに問われ続け、そうした自分磨きの人生の中で、自ら地に落ちていく者もいれば、自分の意思とは無関係に突き落とされる人もいる。

 

ヤンチャが許されていたとか、やたらとスポーツで注目浴びたとか何とかいった”蜜の甘”さが忘れられず、自分で語る”過去の栄光”とやらに固執。

そうやって後ろばかり振り返って底辺をさ迷っているだけのがいるかと思えば、忍耐と我慢に耐え、小さな積み重ねを欠かさ無い結果として優れた人間性と魅力を持つ男もいる。

 

権力に執着して、その為の戦術と話術、ごまかしと詐術に長けて出世するのもいれば、真逆に地味で目立たないがその人物無くば組織が穏やかに廻らないという人格者もいる。

 

おっさんレンタル?という言葉を聞いてまず始めに思い浮かべたのは、その中にどの程度”善意”をもって登録しているだろうか?という事で、

まあ、番組を見ている限りでは、さほど悪い人は居ないように思えるが・・・

ある女性がこのおっさんレンタルをして、評価をネットにてアップしている女性がいるのは見ていて面白かった。

 

顔こそモザイクだったが、これをもってその女性が良い意味でレポートをあげているのか?それともおっさんレンタルという一つのシステムを利用して名前を売らんがなとしている、ただの売名目的で頭が満たされている女性で有るか?は判らないけど、

個々の人物とたかが数時間程度接するだけで、その評価を自分だけの規準をして価値判断する。

 

それをして、公?の場で”人間云々”を語れるほどの年齢か?(35才らしい)とも思えるが、紹介されていたのは顔写真が違うことが多いとか、人の話を聞かずに時分の話ばかりする等々、まあ、誰しも(男でも)が持ち得る外観的観察としての紹介ならそれも一つのレンタル商品の紹介だろうと思う。

 

レンタルする側が何を求めているか?というのは重要なファクターで、自分確認や人生比較を初めとして、相談や知恵袋的な期待を望んだりも有るだろうけど、ほとんどの人が毎日を過ごしている空間というのは割と狭いもの。

友達、職場、学校、大抵はあまり変化の無いメンツの中に皆浸っているわけで、そうした半閉鎖的空間を破く方法としてのレンタルというのは、ある意味お金を払うという優位性(安心)を買う方法でもあり、そうした意味では”女性”には良いのかもしれない。

 

ただ、”男”がおっさんレンタルするのは、「はたしていかがな物か?」と思えてしまうのは、 人の成長はその閉鎖されているようにみえる人間関係の中で、自分が接する人とどこまで摺り合わせが出来るか?という能力の研鑽であり、積み重ねで有るから。

好きだとか嫌いだとか、嫌な奴だとか良い奴だとか、そうした表面カバーを少しでも払うと、 相手の生の人となりが見え、それが自分にとって大変勉強になることが多い。

 

何にせよ、おっさんレンタルなる物が流行っているこの時代、そこに見えるは失われつつある人と人のつながりをレンタルという言葉に乗せることで、普段なら不要に接することが出来ない、人間同士が自然と構築する”見えないバリア”を取り去るという意味では大きな価値があるのかもしれない。

縁が無くば、簡単に接することが難しい、他人との接点をあえて創る、という意味でだけど・・・・・

 

しかし、案外とレンタルされる側も面白いかもしれないな~と思ってしまう自分もそこにいて、興味本位で登録してみるか?とも思ったりするが、

「いや、やめておこう!」 恥をさらすだけだろうし・・・・

最も、フリーレンタルならこのブログからメッセをくれればされるけど(気が向けば)、品質保証がまったく無いのでして

ぎゃははは!(薄っぺら人間)