風も吹かなきゃ無風の川や海で水浴びするのもどうかと思うので、今日はビデオ。
バットマン・ダークナイトを借りてきて見ましたが、ビギンズの時と同じ監督なので見ている間は目が離せない、
バットマンそのものは正しき心であり、ジョーカーは同じ心に常に潜む人間の危険な側面をそのまま象徴していていて、
映画をみている側はストーリとして展開される人の心の危うさと、それによりかき回される自分の心とをつき合わせつつ
常にYES、NOという判断を求められるのがこの映画で、自己観察という側面を頭に置きつつ見ていると非常に面白いのですね。
バットマンある限りジョーカーは常に存在し続け、バットマンはその気になればジョーカーの命を奪えるはずが、けしてそれをしようとはしない。
なぜならけして抹消する事が出来ない人のダーク(ジョーカー)部分があるが故のことで、
ジョーカーがいなくなるという事は、この映画そのものが“ひとりの人格”を失う事でもある。
映画はそれをフィルムとして描き出しているが故に、ジョーカーが死すことは映画そのものが死すという事になるのですね。
これは単にライバルがいなくなるというような単純なものではなくて、バットマンという存在はこの映画の中では単なる作業員でしかなく、
バットマンを取り巻く多くの人間達ががみせるさまざまな心の動き、そしてこの映画を見ていて自分の心に展開される
“自分のこころにひそむ思わぬ側面(人の持つ本能的残虐性や同じく本能的優しさなど)”を感じ取りつつ楽しむのがこの映画の面白さなのですが、
みなさんは心の中に何が湧き上がるでしょうか?
バットマン・ダークナイトを借りてきて見ましたが、ビギンズの時と同じ監督なので見ている間は目が離せない、
バットマンそのものは正しき心であり、ジョーカーは同じ心に常に潜む人間の危険な側面をそのまま象徴していていて、
映画をみている側はストーリとして展開される人の心の危うさと、それによりかき回される自分の心とをつき合わせつつ
常にYES、NOという判断を求められるのがこの映画で、自己観察という側面を頭に置きつつ見ていると非常に面白いのですね。
バットマンある限りジョーカーは常に存在し続け、バットマンはその気になればジョーカーの命を奪えるはずが、けしてそれをしようとはしない。
なぜならけして抹消する事が出来ない人のダーク(ジョーカー)部分があるが故のことで、
ジョーカーがいなくなるという事は、この映画そのものが“ひとりの人格”を失う事でもある。
映画はそれをフィルムとして描き出しているが故に、ジョーカーが死すことは映画そのものが死すという事になるのですね。
これは単にライバルがいなくなるというような単純なものではなくて、バットマンという存在はこの映画の中では単なる作業員でしかなく、
バットマンを取り巻く多くの人間達ががみせるさまざまな心の動き、そしてこの映画を見ていて自分の心に展開される
“自分のこころにひそむ思わぬ側面(人の持つ本能的残虐性や同じく本能的優しさなど)”を感じ取りつつ楽しむのがこの映画の面白さなのですが、
みなさんは心の中に何が湧き上がるでしょうか?