なんともはや、此処でどう書いたら良いのか分からない・・・・
助けることの出来ない命だからだ。
仕事時間の終わり頃、 ○○さんがやってきて、「お願いがあるんですが!?」と聞いてくる。
広い敷地を綺麗に刈り取ってくれる、契約の専門業者さんのなのですが、「どうしたんですか?」と聞き返すと、 なんでも大型の機械に子狸を巻き込んでしまったとのこと。
草刈をりしている時に 狸の親子が時々居るのが分かっていたので、 その辺りは低速で様子を見ながらやっていたらしいのですが・・・・
おそらく草に伏せていたのが、だんだんと近づく機械の音に耐えられなくなって”ダッ!”と親狸が逃げ出した。
同時に何匹か居た子狸がパニックになったらしく、うち一匹が機械の真下を通り抜けようとしたらしい。 
左右に一つずつ有る、でかいブレードハンマーは地面からある程度の高さを取って高速回転で回っていて、まともに動物の体へ接触するとバラバラになってしまうパワーがある。
「あっ!」と思ったとたんに、おかしな音がしたので慌てて機械を止めた業者さんが降りてみると、 耳が片方ちぎれているように見えて血は出ているけど、まだ息はしているとのこと。
さすがに気持ちがいたたまれなくなって機械を移動させ、 片付けに入りながら、 親狸が助けに来ていないか?と何回か確認しに行ったらしい。
しかし現れないし、子狸も動かないし、 そこで鳥とかを保護したりしているのを知っている僕のところに、「何とかなりませんか?」と・・・・ 
そこで車に乗って先導されて行くと、確かに 狸が横ばいに寝ていた。
大きさは、両手の平をつけて広げたくらい、まだオッパイ離れした直後くらいだろうか? 思わず孫の顔が浮かんでしまう・・・・・
その独特の体毛から子狸で有ることは間違いないのだけど、そのままにはしておけないので、早速様子を見てみる。
最初に体へ触れて反応を見るが、 まったく逃げようとしない、振り返りもしないし、鼾(イビキ)のような息を繰り返しぐったり・・・・・、 時々息が乱れる。
自分の額に汗がどんどんと出てきて、落ちた汗が地面に吸い込まれるけど、不思議とこうした時は暑さを感じないんです。
次に手足を触って反応を見るがこれも駄目。
噛まれる危険性がほぼ無い事が判ったので、 今度は血の出ている頭部分を持ち上げて傷口をみると、頭皮がさけて頭蓋骨がみえる。
手
と指を赤い血で染めながら裂傷部周辺の皮膚と頭蓋を触り、骨折が無いかを調べていくと、 前頭葉部分にブレードハンマーで打たれた事を判断できる平行傷が浅くあった。
この時点で 「ああ~もう駄目だろう」と思う
、おそらく頭部損傷による頭蓋(脳)内出血が99%起きている。
瞳孔反応を見てみると 真っ黒に見える目の中にある、もう一段黒い瞳に反応が殆ど無く、独特の呼吸は脳損傷による物であるのが分るし、 体に触って反応が無いのは 首の骨が折れている為と思われる。
運が悪かったね・・・
と声をかけると同時に半分涙目で、さらにこの後 「どうするか?」で激しく葛藤する僕。
駄目と分かっていながら保護するか? もし頭皮が裂傷しているだけで動けるのなら 少し可哀想だが 洗浄と消毒した後に傷口を縫って、後は栄養価の高いミルクを与えて体温保護することで、数日後には親元に戻すことが出来るだろうけど、明らかに迫っている死を前にして何も出来ない自分が悔しい。
「ひどい苦しさを感じているのだろうか?」
と考えるが、もしそうなら安楽死させてあげたいという思いが強くて、しかしながらそうした薬剤は無い。
注射器があれば血管内にエアを注入することで殆ど苦しまずに逝かしてあげる事ができるが、注射器自体が職場に無い。
C02ガスかフロンガスがあれば・・・・・とも思うけど、今日は手元に無いし、 だいたいにして”野生動物の死に人間が介在して良いのだろうか?”、”単なる思い上がりでは無いだろうか?”と問答するので余計苦しい。
しばらくは優しく体を撫でてあげ、もう一方で高速回転する頭。
結果、最終的に、 自然の成り行きに任せることにした。 それしかないだろう・・・・
カラスが見つけて餌としてしまう可能性も高いけど、 それより、後数時間しか持たないであろうこの子狸のもとへ親狸が戻ってくれば、最後は親が看取るであろうし、子狸にとってもその方が幸せでは無いだろうか?
さらに悲しい思いに包まれるが、どうにもならない物はどうにもならない。
生き物にせよ人間にせよ、 命のルールは至極簡単であり、 生を受けて生まれたら後は、「いつ死ぬか?」という事だ。
それが事故か、他殺(他の生き物に襲われる)か、 病気か、自然死か、それ意外には無いのだけど、一つだけ違うのは自殺。
これは、自然界の掟を含めてあらゆるルールに違反する諸行で、「何故 自殺はいけないのだ?」と聞かれると答えられない人が多いと思うけど、 生き物は自分の意思で生まれてきたわけでは無い、故に勝手に絶つことも許されない。
それは(命)はその人に至るまで、過去から延々と繋がってきた何十、いや何百世代の先人達の思いの積み重ねの結果として、今の自分が存在しているからだ。
どの時代にも我が子が生まれれば 親はひたすらその成長と幸せを願う、 そしてその子が大きくなり孫が生まれれば、 親は我が子と、孫の健康を願う。
さらにその孫が結婚する頃には、じきに訪れるであろう自然界のルールを受け入れつつ、子孫達が未来永劫 喜びで満ちあふれた物であることを願って人生の終わりを迎える。
そうした一人一人の深い思いが、今の自分の命の源になっているのである。
自殺はその何千人という祖先の思いを、ひどく粗末に扱う行為であり裏切りでもある。
DNAという鎖で繋がった、先人達の幸せを願う思いを無下にする事等、許されはしないのだ・・・・と悟らねばならない。
自分を不幸だとして、絶とうとするその命こそは、 数万人のご先祖様の温かい思いと願いの凝縮の基に得られた物で有るという事が解れば、 一人ぼっちの人間等、 どこを見てもいない事が分かる。
幸、不幸は 自分が決める物であり、 不幸だと思えばその時点から不幸になるのが人間。
しかしながら 躰を流れる血潮が脈打つ、その一つ一つの鼓動は 「生きろ!」という思いからくる、”励ましの声”であると思える心があるなら、そんな簡単に自殺することなど出来はしないはずだ。
手に付いた子狸の血を洗い流しつつ、親狸はどんな想いで我が子を見つめるであろうか?と考える僕。
明日の朝、カラスなどにやられずに、もしそのままであったなら、 桜の木の根元に そっと弔ってあげるつもりです。
7月24日 お昼に追記:
やっぱり死んでいました・・・・・ ただ、親らしき狸が来た痕跡はありましたので、最後は親に看取られたのだと思っています。
朝一番に、桜の木の根をツルハシで掘り、埋葬しました。 合掌!
