当方はアニメと声優が好きなのであって、アイドルのファンではない。しかし、現在は2ちゃんねるでAKB48の掲示板を“一般人”の立場で“傍観”しており、それが趣味化してしまった。掲示板はファンで無くとも見る価値はある。AKB界隈で起こる出来事と、それに対するネット上のファンの反応はとても興味深い。アイドル界の抱える様々な問題が見えてくるのだ。
中でもスキャンダルの問題は解決の糸口が見えない。人気メンバーの熱愛やジャニーズとの繋がり、SNSの裏アカウント流出など、ファンは何度も心に傷を負ってきた。傍観を始めて5年以上になるが、これらのスキャンダルはAKBグループだけでも毎月のように発生し、アイドルとしての自覚が足りないメンバーの多さには驚かされる。
そして、とうとう大事件は起きた。2017年6月17日に開催された『第9回AKB48選抜総選挙』で、週刊誌記者から熱愛報道の予告を受けていた須藤(すとう)凛々花というメンバーが、それに先手を打つ形で、壇上で結婚宣言をしてしまったのである。名前を見ただけで「ああ、NMB48の“りりぽん”だな」と思うくらいに当方は詳しくなってしまっていた。本人やファンには申し訳ないが、20位のスピーチで結婚を発表し、他のNMBのメンバーたちが「イヤイヤイヤ」と突っ込み、徳光和夫が動揺しながら「今ご自身何を話しているか分かる?」と問いかける一連の流れはコント番組と見間違うレベルだった。5年間傍観し続けて良かったとさえ思った。肩の力を抜いて彼女たちを見ればショックを受けず、むしろ面白い存在だと思えるのだ。
アイドルのスキャンダルはいつ訪れるか分からない。もしそれに恐怖を覚えるのであれば、当方は“声優”のファンになることを強くお勧めする。近年は表舞台で顔を出し、歌って踊るアイドルのような声優も増えている為、「アイドルと声優がボーダーレス化している?」と思う人も居るかもしれないが、両者には明確な違いがあると言いたい。
個人の見解であることを先に述べておくが、まず声優にはオタク気質な人が多い。アニメ好きな人が多いのは言うまでも無いが、加えて学生時代“ぼっち”だったり、ネット配信の主だったり、漫画を描くのが好きだったり……そんなインドアな人たちが多いように思う。
また、歌手活動を兼ねる声優はアイドルみたいなものと思うかもしれないが、あくまでも歌唱力があるから歌手活動をしており、それがたまたま最近増えてきただけである。口パクで歌っても成立するアイドルとは一緒にしないで欲しい。
ここまで読めば、声優なら安全だと思える人も居るだろう。正直、全く無いとは言えないが、確率はかなり低いことを保証したいし、実際AKBグループに比べれば発生件数が極端に少ないのは確かである。
さあ、おいで。希望はすぐそこにある。
(#22:1164字)
当方は洋画をあまり観ない。日本でも有名な名作という名作をほとんど知らない。派手なアクションやグロいホラーよりもこのような恋愛に重点を置いた作品のほうが当方には合うようである。
まず「ミュージカル映画」としての感想を書く。ミュージカル映画というものを実写では初めて体験した。座席の位置が良かったのか、視界のほぼ100%がスクリーンで、俳優が本当に居るかのように感じた。それだけでも大迫力なのに、歌って踊るシーンをIMAX2Dの鮮明な映像と臨場感あるサウンドで鑑賞することで、まるで舞台で観劇しているかのような感激を覚えた。
表題の「la la land」を和訳すると作品舞台の「ロサンゼルス」となるが、「現実離れした世界」「現実から遊離した精神状態」という意味でもある。ミュージカルは舞台・映画を問わず現実離れした「非現実的な演出」である。歌う必要の無い日常生活の中で突然歌声を響かせ、赤の他人が息を揃えて踊っているのだ。現実世界で起こるわけが無い。それでも突っ込まずに観ていられるのは、ミュージカルはそれが演出の範囲であることを観る側が理解しているからだ。
(以下ネタバレ有)
次に肝心の内容について。ハッピーエンドに見せかけてからの残念な結末を持ってくるという「無慈悲な現実」を描いた作品だったが、非現実的な演出の中での現実というギャップがとても良かった。夢を追い続けた男女は、諦められない故に別れ、一方は夢を叶えるも孤独、他方は現実を選び違う男と結婚。もしセブが夢を捨てていればミアと結ばれることは可能だったわけで、そのifルートが作中に妄想として長めに描かれていた。現実世界はセブの店にミアの考案した「SEB’S」の看板を掲げていたりと、彼女のことを諦め切れないセブが切なく見える。
カップルで観に行ったリア充たちはどう思っただろうか。多くがハッピーエンドを望んでいただろうし、観終わった後の淀んだ空気を立て直すのに必死だったかもしれない。それでも音楽面は冒頭の高速道路でのダンスに始まり、タップダンスやプラネタリウムでのキス、オーディションでの涙をこらえての歌唱など、その全てが完璧と言いたいので、そちらで満足出来る人が多いと信じたい。
当方は間違いなく感動した。
(#21:928字)
『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』など、邦画の名作が矢継ぎ早に生まれた2016年。この勢いはまだ続くかも、否続いてほしいという想いから、2017年は映画、特に邦画のレビューも積極的に書いていきたい。既に『ひるね姫』を公開初日に鑑賞済みだが訳あって執筆が進まず、本日は実写映画『3月のライオン(前編)』を鑑賞し、こちらは即書けそうな気がしたので先に書くことにする。
高校生にして将棋のプロ棋士・桐山零が彼を取り巻く人間たちとの関わりを通し、棋士として、人として成長していく物語。特に「人間模様」の描写が壮絶すぎて、将棋に詳しくなくてもそちらのほうにハマった人も多いはず。
アニメ版は未視聴なので触れないが、実写版の前編を観た限りでは、話の順序や細部を変えてきてはいるが、ほぼ原作通りに進んだと言って良いだろう。しかし、映画という尺の都合上、肝心の人間模様の描写の一部がカットされ、分かりづらい部分もあった。その一つが「零と香子の複雑な関係」である。
9年前に妹と両親を亡くした零は、父親の友人である棋士・幸田に内弟子として引き取られ、幸田の長女・長男と共にプロの棋士を目指していた。その長女が香子、つまり零にとって義理の姉ということになる。未経験から将棋を始めた零は当初、香子に馬鹿にされるほどの実力だったがやがて逆転する。奨励会退会を余儀なくされた香子の怒りは増幅し零への暴力にまで発展するほど二人の関係は悪化し、零は家を出て行き一人暮らしを始めたのだ。ちなみに香子、実写版こそ有村架純の奇跡の美貌のお陰で緩和されているが、原作ではもっと怖い顔をしている。
一方で香子は妻子を持つ後藤九段との不倫関係にあり、それを良く思わない零が後藤に噛み付き、殴られてしまう場面も原作をほぼなぞっている。零は幸田と香子という真の親子関係を修復して欲しい願いもあって家を出たわけで、後藤に噛み付いたのも同じ理由から。本当は義姉想いの優しい人間なのだ。
しかし、実写版だけでは不可解なのが、香子が零の背中から抱擁し「怖い」と本心を吐露するシーン。そして零のモノローグ
「姉も僕も――こうして 何も変わらないまま 変えられないまま…姉弟にも 他人にもなりきれないまま……」(原作4巻より、実写版でも使用)
この一文もかなり深い。実は原作には、零は幸田家に居る間に香子と最低一度は肉体関係にあったことを示唆する描写があり、しかもそれは零が「恋」というワードに対し連想された一コマなのだ。
これは一例に過ぎず、他にも原作を併せて読むことで実写版の描写の理解が深まるシーンは複数ある。もちろん実写版だけでも話の大筋は理解できるようになっているが、メディアミックス戦略が当たり前になった現代、実写版だけ観て終わりにするのは勿体無いと言える。この話は次回になるであろう『ひるね姫』のレビューでも詳しく説明したい。
(#20:1193字)
今回もアニメ『けものフレンズ』についてである。正直、ここまでのメガヒットは深夜アニメとしては数年に一度レベルではないだろうか。元々は思考回路を停止し「わーい」「すごーい」「たーのしー」と思いながら視聴できる「ゆるーい癒しアニメ」として人気を博していた訳だが、回を重ねる毎に実は人類の居ない荒廃した世界であることが明かされていき、多くの視聴者がネット上で考察を捗らせている「考察型アニメ」としての側面も持つ。
しかし、全ての考察型アニメがヒットするわけでは無い。結果を残した一例として『魔法少女まどか☆マギカ』『結城友奈は勇者である』を挙げ、これに『けもフレ』を加えた3作品の共通点からヒットの秘密を探る。
(1)原作の無いオリジナル作品
(2)前例の無いフォーマット
(3)最低2回の盛り上がり
当方は以上を3作品の共通点だと思っている。まず(1)は当然の話で、原作で既に先の展開が語られているアニメは考察のしようが無い。原作未読組が予想して盛り上がるだけではオリジナルに比べるとどうしても弱い。ちなみに『けもフレ』はアプリゲーム版と漫画版が先行して公開されたが、アニメ版のストーリーはそれらとほとんど異なっている。
(2)は『新世紀エヴァンゲリオン』を例に挙げると分かりやすい。それまで戦闘をメインに描いていたロボットアニメ(ロボットではないが)でここまで内面の心理描写を大きく描いた作品は前例が無かった。『まどマギ』は良くある魔法少女ものと見せかけて、実は人が死ぬ残酷な戦闘アニメであることが衝撃だった。『結城友奈』は放送前にキービジュアルから徹底して日常アニメと誤解させたのが異例であり、『けもフレ』も荒廃した世界の中で動物たちの言動に癒される「陰と陽の共存」は、それまでの動物アニメとは一線を画すものである。
最後に(3)だが、たった一度の衝撃を3話までに見せる手法は数多くあるものの、その後失速する作品も少なくない。『まどマギ』は3話の「マミる」と6話の「魔法少女は最初から死んでいる」で2度も衝撃を与え、『結城友奈』は1話の開始わずか9分で「日常アニメ」が「バーテックスとの戦い」に豹変、8話で前日譚『鷲尾須美は勇者である』の主人公が突如登場し勇者システムの秘密が語られ、ネットは2度も沸いた。そして『けもフレ』も前半で「癒しアニメ」、後半で「考察型アニメ」としての盛り上がりを見せている。
これらの共通点を全て満たすアニメは相当限られ、メガヒットが出にくい要因にもなっている。特に(2)はヒットの予測が立てられずリスクも高い。『エヴァ』の後にエヴァっぽい作品が続出し、『まどマギ』の後に3話で誰かが死ぬフォーマットが続出するなど、大体は過去のデータを参考に鉄板の作品を作らざるを得ない現場の事情がある。それでも我々は、斬新で見たことの無いフォーマットによるメガヒットのおかわりを待っているのです。
(#19:1197字)
アニメ『けものフレンズ』がジワジワと人気を獲得している。Googleトレンドのデータを見ても(画像参照)、放送開始の2017年1月10日の時点ではそれほど検索されていなかったが、4話が放送された1月31日以降からの検索数が急上昇していることが伺える(実際は3話でネット上の評価は上がっている)。
既に7話まで放送されているが、2月23日、岡田斗司夫が初めて1話を視聴し、Twitter上で批判したことが話題になっている。その一部を抜粋すると、
>見てください!とあまりに依頼されるから、「けものフレンズ」これから観てみる
↓
>胸だけ大きいという、なんか言い訳しようのないアレなキャラが追いかけっこしてる..
↓
>開幕5分で幼女ふたりしか出てこない。すでに退屈。
↓
>フレンズ、という設定に謎があるっぽいけど、その謎に興味を抱かせる演出ができていない。
↓
>あ、そうか。どっちの主観も描いてないから「視聴者は見物してるだけ」なんだ。そりゃ退屈だよね。
↓
>はい、終了。面白くなかったので、2話以降は見ません。
とまあ、この御方には合わない作品のようだったのだが、特筆すべきは、この「面白くなかった」という結論が“1月10日の1話放送時にネット上で多く見られた反応”なのである。実際、現在ハマっている視聴者の中には1話で視聴を切ったのにも関わらず、その後SNSで話題になっているのを嗅ぎつけ、再び観始めると「実は面白い」と掌を返した人も多く含まれている。しかし岡田は、
>1話がつまらないのは、論外でしょう。だったら1話をボツにして、面白くなる部分からスタートすればいいだけ。連載マンガもみんな、そういう試練をくぐってるのにね
と、多くの視聴者が通過してきた“3話まで我慢して観てから判断する”試練をくぐるつもりは無いようである。だがそれも、
>世の中には面白いこともいっぱいあるし、もう60も近いから残り少ない寿命もムダにしたくないので、1話で面白くないアニメは以後、見ません。
という補足を読むと、反論は出来なくなる。
確かに3話で衝撃展開を持ってきて話題をかっさらったアニメは『魔法少女まどか☆マギカ』『ラブライブ!』など挙げればキリが無いが、1話でいきなり驚かせる連載漫画的手法も『涼宮ハルヒの憂鬱』『琴浦さん』『一週間フレンズ。』『結城友奈は勇者である』『がっこうぐらし!』、そして岡田も絶賛した『おそ松さん』など、やはり多く存在するのだ。それぞれに一長一短があり、『けものフレンズ』は後者を諦め、1・2話で世界観をじっくり説明する手法をとったまでのこと。岡田のように1話で視聴を切る人が現れることは至極当然なのであり、リプライにて反論する行為はいただけない。
ちなみに当方は当然面白いと思っている。平穏に見える物語の処々に垣間見える“闇”の要素が今後どのように解明されていくのか、期待は高まるばかりである。
(#18:1193字)
2017年冬クールのアニメで良くも悪くも話題になっている作品として『バンドリ!』を挙げずにはいられない。ライブハウスで女子たちのバンド演奏に感銘を受けた高校1年生の主人公・戸山香澄が未経験のエレキギターに挑戦し、校内で他のメンバーも集めてバンドを結成する物語である。
ガールズバンドがテーマのアニメと言えば8年前に放送され社会現象となった『けいおん!』が記憶に新しいが、この作品はそれとは明らかに異なる点が3つある。
(1)王道展開
(2)リアルとのリンク
(3)上達の過程を丁寧に描写
まず(1)だが、主人公が「バンドやろう」と言い出しメンバーを集め、練習してライブを行う。これは同一クールで放送中の『風夏』にも同様の展開が見られるし、『ラブライブ!』もバンドをスクールアイドルに置き換えただけでフォーマットは似たようなものである。まさに王道の展開と言っても過言ではないだろう。
(2)は公式が売りにしている要素である。『けいおん!』も出演声優によるライブを開催したが、アニメとのリンクの度合いは薄かった。
それに対し『バンドリ!』は、声優が“PVのCGアニメと同じように演奏”することが前提となっており(ラブライブ方式)、既に6回も開催された単独ライブは大盛況で評価も高い。なんと日本武道館での公演も決まったという。
(3)は当方が最も言いたいことである。
放課後にお茶ばかり飲んでいたらいつの間にか上達していた『けいおん!』に対し、
『バンドリ!』はギターのチューニングから弦の押さえ方、ピックの持ち方まで丁寧な解説の描写が入り、香澄が少しずつ成長していく過程をじっくり見ることができる。
そしてバンド名すら決まっていない彼女たちは5話のラスト、観客が身内数名のみとはいえ初めてのライブを決行する。細かな練習の描写の数々が、全てこの本番のシーンに結びつくのだ。楽曲自体も心に響くクオリティーとなっており、5話のライブシーンで感動した人は当方だけではないと思いたい。
ここまで読むと単なる王道のガールズバンド物語にしか見えないのだが、残念ながらネット上では批判の声も多い。その最たる理由は『3話』である。
ちゃんとした理由はあったにせよ、ライブハウスで香澄が勝手にステージに上がり『きらきら星』をアカペラで熱唱、それを3回以上も繰り返すのだ。ライブハウスが神聖な場であることを作中で説明したのにも関わらず、3話で早くも汚してしまった。しかも、オープニング曲をカットしてまでこのシーンに相当な時間を費やしたのだ。物語の構造としても、香澄がギターを上達させる過程においてアカペラで歌うシーンなど不要である。
多くの視聴者が視聴継続か断念かを3話で判断するというのに、その大事な3話でやらかしてしまったのだ。こればかりは当方も擁護できず、本当に勿体無い。今後あるであろう5人揃っての演奏シーンで更に感動させて欲しいところである。
(#17:1199字)
2016年の『第67回NHK紅白歌合戦』は、司会進行のgdgdや謎の紅組優勝など、どうも批判している人が多いようである。
しかし当方は過去最高とは言わないまでも、面白かったし満足だったと言いたい。名場面は最低でも5つあり、それらが汚点を掻き消せるほど素晴らしかったからだ。
その5つを以下に挙げる。批判をする全ての人へ、これを読んで「そういや良いところもあったな」と気付いてもらえれば幸いである。
<5位:AKB48の紅白総選挙>
毎年6月に開票される「選抜総選挙」が一人の太オタによる大量投票が可能なのに対し、今回の「紅白総選挙」はアプリやデータ放送など、一人で入れられる投票数が限られ、公共放送のNHKが票の不正操作をするわけも無いことから「実人気に近いガチのランキング」になったことがファンの間で好評となり、本家の「選抜総選挙」の存在意義が問われる事態にまで発展した。
山本彩の1位は、国民的アイドルグループの歴史が動いた瞬間だった。
<4位:SMAPから嵐に引き継がれる?演出>
大トリ・嵐のメドレーで、最後の曲『One Love』に切り替わると、セットも大きな木とたくさんの花にチェンジ。
そして、記憶に新しい『SMAP×SMAP』最終回で5人が披露した最後の曲『世界に一つだけの花』のセットも「半円に囲んだ花畑」という点で一致している。
しかもこの日をもってSMAPは解散。
NHKとフジテレビが示し合わせるはずもなく、この酷似は無論偶然なのだが、結果的に国民的アイドルグループの座がSMAPから嵐にバトンタッチされる歴史的瞬間を象徴する演出となった。
そして彼等は誓う、「百年先も愛を」。
<3位:タモリ×マツコ>
これには「意図が分からない」「SMAP辞退でこうなった」と批判も多いが、良く考えて欲しい。
『ミュージックステーション』で毎週のように歌手の歌声を聴いているタモリが今更紅白のステージを生で観たいと思うだろうか。
ラストの「面白かった。絶対経験できないよ」という台詞からも、セットの裏側などを見ているほうが楽しいのではないかと当方は感じた。
当初の予定と異なっていたにしても結果オーライである。司会者がちゃんと突っ込んでいれば完璧だった。
<2位:恋ダンスを照れながら踊る新垣結衣>
星野源の『恋』は多くの人の期待に反し、ステージ上はいつもの女性バックダンサーと踊るだけという地味な画になった。
せめて審査員のガッキーが隣に居れば……と思っていた矢先、カメラがガッキーを撮るや否や、彼女は座ったまま両手を動かす。
その時の照れている表情だけでも紅白を観て良かったと心から思う。
<1位:『シン・ゴジラ』新規映像>
文句無しの1位。紅白の為だけに新たに撮った映像に感動した。
例年、子供向けのキャラクターショーや朝ドラ特別編などを行っていた企画枠を撤廃し、リソースを全てゴジラに注ぎ込んだNHKの本気に拍手を送りたい。
(#16:1198字)
もっとも6話までの完成度は高かった。“アイドル”と“町民”が密に繋がることで輝ける「新たなスクールアイドルの形」をテーマとして体現していたからである。例えば3話のファーストライブは「町の人たちの善意があっての成功」であり、その善意は6話のPV撮影において大きく活かされることとなる。
「皆さんに協力してほしいことがあります!」
高海千歌の台詞にイントロが重なり、PVがスタート。生徒たちや千歌の姉の協力により250個以上のランタンを集め、夜に町民が総出で「Aqours」の人文字を描き、灯したランタンを一斉に飛ばす。この壮大な映像を実現させた町民の力は半端なものではないし、それらを咄嗟の思いつきで纏め上げた千歌のリーダー力は先代の高坂穂乃果にも引けをとらないのではないか。
しかし、物語前半で積み上げてきたそのテーマは8話で崩れる。東京のアイドルイベントで「観客の支持0票」という初めての挫折。それでも千歌は「ゼロを1に出来るかもしれない」ことを理由に活動存続を決意する。本当はあのPVを完成させた時点で凄いのだが、ラブライブ本選は東京の観客の支持に左右されるので、その意味ではゼロということになる。考えを改めたAqoursは11話の予備予選を町民の助けを借りずに突破し、12話の海岸で「ゼロから1へ、Aqoursサンシャイン!!」と叫ぶ9人はそれだけで輝きに満ちていた。
この経緯により物語後半のメインテーマとなりつつある「ゼロから1へ」だが、肝心の最終話で矛盾が発生する。東海地区予選では4分以上にも及ぶ過剰な演技の芝居を経て曲を披露するミュージカル形式をとってしまった。しかも劇中「入学希望者はゼロ」と明言したことが同情を誘っているようにも捉えられ、楽曲のパフォーマンスのみで輝こうとしない逃げの姿勢には幻滅した。そして問題は廃校阻止を願う生徒たちと千歌の家族が総出で応援していたこと。
「私たちはこの町とこの学校とこの仲間と一緒に私たちだけの道を歩こう」
劇中にこの台詞が使われたことで、結局町民の温情なしには輝けないことを認めてしまう。8話から12話まで積み上げてきたものは何だったのか。このままではラブライブ本選に出場できたとしても、東京の観客の支持を得られるかは疑問である。
全編にわたり「アイドルと町民の密な繋がり」を一貫して描写すれば無印『ラブライブ!』との差別化にも成功したはずなのに、8話以降のブレにより中途半端な感じになってしまったのがとても勿体無い。もし2期が実現できたら町民の温情をより一層強調し名誉挽回していただきたい。
(#15:1195字)
当方は原作未読なのでこの映画を100%理解したとは言い切れないが、それでも大いに感動したことは事実だし、3つの点において正面から向き合ったことを賞賛したい。
(以下ネタバレあり)
1点目は「いじめ問題」である。この手のものを取り扱った作品は『ライフ』など数多くあるが、『聲の形』はその本質に向き合った稀有な作品であると言いたい。中学時代にいじめられていた当方が今になって思うのは、確かに悪いのは加害者だが、被害者もいじめの原因を客観的に考え、改善しないことにはいつまで経っても成長できず、どこへ行ってもいじめられる可能性があるということ。そしてそれを怠ったまま高校生になってしまったのが西宮硝子なのだ。彼女は小学時代、聴覚障害であるが故にコミュニケーションを上手く取れず、石田将也を始めとするクラスメイトからいじめを受けるが、上手く言えないながらも「ごめんなさい」と謝るばかりで、自身のコミュ力という原因に向き合おうとしない。最終的には将也と取っ組み合いの喧嘩になり再び転校することに。補聴器を破損するなど最も過酷ないじめを犯した将也は、今度は自身がいじめられる立場になり、こちらも成長できないまま高校生になってしまう。教室では孤立しクラスメイトの顔を見ない、話を聞かない、あえて耳(心)を塞ぎ“聞こえない”ようにしていたという意味では西宮に似た境遇とも言える。その二人が笑い合い、涙し、時には家族や友人までも巻き込みぶつかり合いながらも心を開いていく物語なのである。
そして2点目は「手話の描写」と向き合ったこと。元々京アニはクオリティーの高さに定評があったが、リソースを大きく割くと言われているこの難解なシーンを丁寧に描いてくれたことでまた一つ伝説を作った。締切が12回も訪れる1クールのTVアニメではなく、短い尺に多大な準備時間を費やせる劇場版という選択にしたのも正解だった。もちろん他にも喧嘩シーンや背景など作画における見所は細部にわたり数え切れない。3点目は「発音」。聴覚障害という難しい役を指導した方々と、それを受けて見事に演じきった早見沙織に賛辞を送りたい。
いじめられたトラウマといじめた後悔、それぞれが消せない過去と真剣に向き合いながら成長するという新たな切り口で「いじめ問題」の本質を描いた『聲の形』。いつの時代もいじめが存在するこの国だからこそ、永遠に語り継がれる作品であって欲しい。
(#14:1193字)
<1話>
千歌は梨子と出会った瞬間(それが全ての始まりだった)とモノローグが入り「一緒にスクールアイドル始めませんか」と明確に誘っている。一方曜は誘われてはいない。梨子一勝。
<2話>
千歌と梨子は自宅が隣同士であることが判明。そしてピアノを弾ける梨子が作曲、千歌は作詞に挑戦することも決まり、以後曲作りにおいても両者は深く関わることとなる。梨子二勝。
<3話>
千歌の姉に「飽きっぽいんじゃなくて中途半端が嫌いなんですよ。やる時はちゃんとやらないと気が済まないっていうか」と漏らす曜。身内よりも千歌を知り尽くす幼馴染。初白星だ曜。
<6話>
千歌は梨子と歩いて帰る。自宅が隣なのだから当然である。一方曜は津島善子とバスで……梨子三勝。
<7話>
東京の旅館での夜、梨子は千歌だけに自らの過去を話す。梨子四勝。
<8話>
東京のイベントで惨敗したAqours。曜は「悔しくないの?」と千歌に問いかけるも答えを聞けず。翌朝梨子の前で「悔しいじゃん!」と初めて涙と共に本音を漏らす。そして後ろから優しく抱きしめる梨子。サンシャイン屈指の名シーンで、梨子大きくリード。
<10話>
千歌に抱きついて「ホント、変な人……大好きだよ」。他でもない梨子だった。
<11話>
「千歌ちゃん、もしかして私と二人は嫌だったのかなって。私、要領良いって思われていることが多くて。だから、そういう子と一緒にってやりにくいのかなって」と、鞠利の前で本音を漏らす曜。「千歌っちのことが大好きなのでしょう?」と、鞠利の口からとは言えこちらも「大好き」であることが明かされる。そして曜はついに千歌に抱きつき、更に絆を深めた。予備予選は曜千歌のダブルセンターによって歌われ、曜の逆転勝利でめでたしめでたし……
否、ちょっと待て。曜はピアノコンクールに出ることとなった梨子の代役でしかない。ということは、本来は千歌梨子のダブルセンターとして作られた曲だった。
曜「千歌ちゃんにとって輝くということは自分一人じゃなくて誰かと手を取り合い皆で一緒に輝くことなんだよね」
梨子「私や曜ちゃんや普通の皆が集まって、一人じゃとても作れない大きな輝きを作る」
それが千歌の出した答え。千歌にとってはどちらも大好きで、そもそもAqoursの皆が大好きで、一人を選ぶことなんて出来るわけがなかったのだ。
こうして千歌を巡る熱き戦いは引き分けで幕を閉じた。
(#13:1199字)