78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎『もうひとつの虹』大反省会

2013-07-29 08:11:31 | もはやチラシの裏レベル
この度は高らかに「ガチ小説宣言」をしておきながら、約半年もの時間をかけたにも関わらずとんでもない作品になってしまい、大変申し訳ございませんでした。
当初は小説投稿サイトにUPし、ブログにはリンク先URLのみ掲載する予定でしたが、作品の出来が出来なだけに、そこまでする勇気には至りませんでした。

ちなみに協議の結果、『もうひとつの虹』はガチ小説にカウントするのを見送らせていただくこととなりました。
投稿サイトに最初に正式にUPした作品を「ガチ小説の1作目」としたいと考えております。
その作品の構想を練っている最中です。完成までお待ち下さい。期限は進行状況を見ながら後日発表します。とりあえずちょっと休ませて……



※この記事は『もうひとつの虹』が“どうしてこうなった”かを順を追って説明する、言い訳がまいの文章になっております。




~『もうひとつの虹』大反省会~


1.どんな話を書きたかったか

当初の表題案が『引きこもりの高校デビュー』(直球過ぎる)。
中学のいじめが原因で不登校・引きこもりになった少女が高校で生まれ変わろうと奮闘する物語を書きたかった。
結果的に高校には入学できたが結局そこでは、いじめは無いものの友達も出来ずぼっちになってしまう。
それでも友達は作ろうとせず独りで猛勉強し一流大学合格を目指す「ガリ勉タイプ」の曲がった性格の人間を目指そうとする。
良い大学、良い企業に入り勝ち組になることが彼女なりの幸せだと考えるようになる。

>「人間は不器用な生き物だ。2つのボールを両方とも掴むことは出来ない。まずは片方だけしっかりキャッチする事だけを考えろ。つまり、コミュニケーション能力が低いなら勉強を、学力が低いならコミュニケーションを頑張る。君は前者のほうが向いている」
(割愛された男の台詞より)


4月11日のブログ記事『◎ガチ小説進行状況報告(第一報)』で「今回は問題作になるかもしれない」と書いた理由がここにある。
当方の今は最悪といっても良い。学力が無ければコミュニケーション能力も無い。大学もFランでブラック会社。
せめてなりたかった自分は「コミュ障でも学のある人間」。
いくら学があってもコミュニケーション能力が無いとホワイト会社に就職できないと良く言われるが、
そもそも学が無ければホワイト会社には就職できない。コミュ障ならそこに気付くべきだった。
(※大手や一流企業にこだわる必要は無いが、せめてブラックではない会社に入るべきという意味で「ホワイト会社」という表現を用いています)

「当方の人生だからこそたどりついた一つの持論」とはつまり、
『コミュ障はどんなに頑張っても治らない場合もある。だったら諦めて勉強だけに絞って頑張るべき』

これを小説という形にして世間に問いたかったが、結局実現には至らなかった。



2.当初はどんな風に書いていたのか

あらかじめ宣言していたとおり、今回は「小説らしい文章」にこだわりたかった。

>たとえば他作品から引用させていただくと、
>「コーヒーの香りが立ち上る中、私たちは白いテーブルに~」とか
>「きれいにプレスされたワイシャツのボタンをはめながら~」とか
>状況を細部まで妄想し、それを正しい日本語に起こし詳しく説明する、
>そんな部分が随所に散りばめられている。
>そのようにして自分の思い描く世界をテキストのみで読者に細部まで正確に伝えることこそが小説の基本な訳だが
>当方にはそれが出来ない。
(1月31日のブログ記事より)


当初、「自分の思い描く世界をテキストのみで読者に細部まで正確に伝えること」を頑張って書いてみたのが下記にあたる。


>太陽の光で輝く海や川から水蒸気が生まれ、青い空へ舞い上がり、雲の中で綺麗な結晶に進化したのに、やがて自重に耐えられず落ちてしまい、溶けて雫となり草木や土に吸収される。降りしきる雨はまるで私を見ているようで悲しくなる。私が結晶で居られたのは小学6年まで。中学でぼっちになり、上履きや体操着が消える怪奇現象が何度も起きてからは学校へ行かなくなった。外にいる人々さえも怖くなり、四畳半の密室からの脱出方法も解らなくなるまでそれほど時間を要さなかった。迎えてしまった15の春、今年も近くの公園の枝から舞い落ちる薄紅色の花びらたちを窓越しに見送るだけ。このままでは駄目だと解っている。それでも一歩も前へ踏み出せない自分がいる。


後半は割愛されたが、これは完成した作品の書き出しとして採用されている。
だがここで力尽きた。ここからどんどんおかしくなっていく。


>『あおいちゃーん、まだ起きてる?』
>今日も七海からメールが来た。初めて出来た友達はまだ顔も知らない。SNSで知り合い、つい先日携帯のメールアドレスを教えてくれたばかり。同じ中学3年生であることくらいしか情報も得ていない。
>『寝る直前だったけど大丈夫。どうしたの?』
>私は両手の親指を使い7秒で返信した。2ちゃんねるに入り浸っているうちに習得した無駄なスキルだ。
>『もぉー(怒)いつも一言多いんだからぁ』
>ついつい本音を出してしまうのは私の悪い癖だ。リアル世界で友達が出来たことのない決定的な理由でもある。
>『嘘嘘! まだ普通に起きてるよ』
>『良かった。いよいよ明日は早川悠斗のシングルのフラゲ日だよ。やっと2番が聴けるね』
>『明後日iTunesで落とすよ。安いし』
>『あおいは馬鹿だなあ。CDを買って封を開けてプレーヤーに入れて再生ボタンを押す、あの瞬間のワクワク感がたまらないんじゃないの』
>私たちが知り合ったきっかけは声優の早川優斗だ。私がSNSで検索した限り、彼の出演するアニメを全作品視聴している唯一の同い年が七海だった。


当然これは後日バッサリ削除されることとなる。
この時点では主人公の相方は男ではなく女だった。
女友達のアドバイスで外の世界に足を踏み入れるなど少しずつ自分を変えようとする主人公。だが続きが思い浮かばない。



3.路線変更

自分の拙いスキルに見合った文章にすべく、路線変更に踏み切る。まず長編の予定を短編に変更、さらに「抽象的」にすることを心がけた。
「引きこもり中学生が高校デビューする話」に限定せず、捉え方によっては
「引きこもり高校生が大学デビューする話」にも受け取れて
「引きこもりが職を見つけて社会復帰する話」にも受け取れる。
さらに主人公の性別さえも曖昧にし、相方も女友達とも彼氏(彼女)とも読み取れる。
もっと言うと「」で括られた台詞も口頭かもしれなければメールの文章かもしれない。
とにかく読み手次第でどうとでも取れる「抽象的」な文章にする。

これならいけると思った。
この手法なら、ありきたりな薄い物語でも新鮮に映るのではないか。
で、書いてみた。


>「出来る限り肌を隠してみなよ。気持ち的に普通よりは外に出やすいと思うよ」
>その仮説に科学的な根拠はないと思う。ただ、貴方に裏切られたことはない、その一点だけが私を動かした。
>帽子にサングラス、マスクにマフラー、スウェットの上下にムートンブーツ。どこからどう見ても不審者の装いで私は雨上がりの少し濡れたアスファルトに足を踏み入れた。眩しい太陽、虹の架った空、春のそよ風、車のエンジン音、全てが私の5つの器官を刺激する。言葉に言い表せない不思議な感覚は、やがて気持ち良いという明確な心情に変化した。
>「君ならもう一度やり直せるよ」
>貴方のその言葉が少しだけ現実に近付いたような気がした。
>翌日はマフラーを巻かずに外に出てみた。その次の日は帽子を脱ぎ、次はサングラスと、少しずつ肌を露出させた。
>「どうだい? この世界、そんなに悪くないだろう」
>この世界で私の身に降りかかった出来事を完全に忘れたと言えば嘘になる。人を憎む感情しか芽生えなくなった世界。理不尽な事で怒られ、信じていた人に裏切られ、努力が必ずしも報われる訳ではないと知った世界。
>「でも、夢と希望に満ち溢れた世界かもしれない」


「私」はともかく「貴方」という言葉をあえて選んだのは抽象的にするため。
当方自身はあくまでも「引きこもの女子中学生が男のアドバイスで高校デビューする」イメージで書いている。
それでも読み手からはどうとでも取れるようになっている。
だがここで筆は止まった。そこで脳みそを搾り出した結果が「冒頭が雨の例えだから結びを『虹』にしよう」という安直なものだった。

完成稿の虹のくだりは下調べを含めても1時間弱で書けた。これでようやく冒頭と結びは完成した。

補足すると、虹が2本あったのは「主虹」と「副虹」。運が良ければ主虹より高いところにもう一本の虹が見えることがある。ただしそれは主虹よりも薄く見える。
存在が薄くても高みを目指したい主人公を表している。

結局そこでまた筆は止まった。


4.「演出」という苦肉の策
期限内に完成させるためにも、中身の薄さを演出でごまかす強行作戦に踏み切った。
そこで考えたのは「台詞をシャッフルする演出」。

2つの場面での2人の会話をMIX。
単に一行おきに場面が交互に切り替わっているだけの簡単な仕掛けである。

これが結果的に大失敗だった。
何というかエヴァの色んな台詞が混ざって聞こえる謎のシーン的なものを狙ったのだが
テキストだけでは表現に限界があった。


5.次回作をどうすべきか
今度は慎重に行きます。とりあえず書いてみて、完成できる確信を得てから期限を公表する。
プロット自体は悪くないと思うので、あとは書けるかどうか。
ただし執筆は少しの間休ませてください。もう色々あって精神がやばい。
そろそろ気分転換に違う話を書きたいので、今後ブログに変な話がUPされていたとしても温かい目で見てください(汗)。


以上、長文スマソです。ご愛読ありがとうございました。

◎もうひとつの虹

2013-07-25 04:59:30 | ある少女の物語
 太陽の光で輝く海や川から水蒸気が生まれ、青い空へ舞い上がり、雲の中で綺麗な結晶に進化したのに、やがて自重に耐えられず落ちてしまい、溶けて雫となり草木や土に吸収される。降りしきる雨は今の私を形容しているように見えて悲しくなる。
 




「……あ、あのさ。相談があるんだけど、いい?」
「私でも、もう一度やり直せるのかな」
「珍しいじゃん。どうしたの?」
「絶対にやり直せるという強い心さえあれば、大丈夫」
「私、ずっと家から外に出ていないんだ」
「ずっと怖かった。人と話すのも、人と仲良くなるのも」
「出来る限り肌を隠してみなよ。気持ち的に普通よりは外に出やすいと思うよ」
「君がまだ出会っていないだけで、この世界は優しい人たちで溢れているよ」
「わかった。私、外に出てみる」
「ずっと恐れていた。人に嫌われるのも、人に苛められるのも」
「頑張って。君なら出来るよ」
「自然体で良いんだよ。それを受け入れてくれる人だって必ず居る」
「眩しい太陽、春のそよ風、川のせせらぎ、車のエンジン音、全てが私の5つの器官を刺激する」
「信じて、良いんだよね」
「どうだい? この世界、そんなに悪くないだろう」
「良いんだよ。だってこの世界は本当は、夢と希望がたくさん詰まっているのだから」





 やがて雨は止んだ。
 雨粒たちが7本の光を曲げる。自然の悪戯が綺麗な橋を作る。

 私たちはなりたい。あの日、貴方と見た2本の虹のように。

「僕にはしっかり見えるよ。もうひとつの虹が」

 私はなりたい。せめて、貴方と見た薄い、でも高いところにある虹のように。



(Fin.)

◎風立ちぬ

2013-07-24 15:00:55 | 思ったことそのまま
2日前の話になるが、観て来ました。

ジブリの作品、宮崎駿氏の作品としては今までにないテイストです。

エンタテインメント性が完全に取り除かれており、まず子供には難しいでしょう。

観終わって2日も経つのにモヤモヤが未だに晴れない。

ジブリでこんな気分になったのは初めてである。

『もののけ姫』で引退宣言をしてから10年以上も経っている駿氏だが、今度こそこれが最後の作品になるのかもしれない
(※話の内容的な意味で。集大成だという人もいる)。

とにかく一度観て下さい(←書くことが無くなったら使う定番のフレーズ)



最後というのは憶測に過ぎないが

いずれにせよ








『ポニョ』が最後の作品にならなくて良かった。

◎【アイカツ!】皆がすっかり忘れている有栖川おとめの深イイ話

2013-07-07 05:58:32 | 思ったことそのまま
『アイカツ!』というアニメがある。

まあアニメは派生メディアで、元祖はゲーセンの女児向けDCDなのだが。



その10話、「有栖川おとめ」の初登場回である。

普段は噴水に現れた虹を触ろうとして落水してしまうくらいの天然なのだが、

初登場の時点で既に3社のCMに出演しているなど何気に実績のあるアイドルとして描かれていた(この設定すら忘れられていそうだが)。




おとめが学園の中庭?かどこかで「白鳥が空を飛ぶイメトレ」をしているのをヒロイン・星宮いちごが見つけるシーンがあるのだが(※唐突に女児向けアニメを語り出す27歳)




おとめ「来年お仕事で白鳥の役をやるから、白鳥になったつもりの練習!」

いちご「すごいね! 来年のお仕事の練習もう始めてるんだ」

おとめ「おとめドジだから、皆の何倍も練習しないと駄目なんです」

おとめ「でも、いっぱいいっぱい練習しても、本番は怖くて……」

おとめ「だからやっぱり、いっぱい、いっぱい練習しないと!」

いちご「うっ……」



こうして、あの常にポジティブないちごを悩ませ、彼女は後に自分を見つめ直すことになる。



表では天然でありながら裏で努力を怠らない、まさに白鳥の水かきとも言えるアイドルだったのだ。

(まあ26話あたりからずっと空気だが)



そして、「いっぱい練習しても本番は怖いからいっぱい練習する」という理論が崩壊しているところが、
正解のない問題の答えを探し続けるもどかしさを表しており、何とも切ない。



努力は必ずしも報われるわけではないし、
努力の仕方によってはそれ自体が間違っていることもある。
それでも、「いっぱい練習する」ことが答えだと言い聞かせる。




ビビッと来てしまった。

正解のない問題が、仕事という世界には何十問あるのだろうか。

悩んでいるのは当方だけではない……はず。




◎交差点で君が立っていてももう今は見つけられないかもしれない

2013-07-07 05:18:33 | 思ったことそのまま
誰にでも出来る仕事だというのは分かっていた。

1年以上前から、それこそ入社した時点で気付いていた。

研修で高校生が3人も4人も普通にこなしている時点で悟っていた。



「この仕事、誰にでも出来ますから」



いつからだろう。

後輩への励ましのつもりで発していた言葉が

自分への中傷でもあったことに気付いたのは。





テンプレという決められたレールの上を歩くだけなら誰にでも出来る。



重要なことは2つあった。

1つは脱線しない程度にプラスアルファのパフォーマンスが出来るか。

そしてもう1つは


レールの上を“走る”ことが出来るか。




走ることが出来ないまま、5クールも経過していた。





例え簡単な仕事でも人並みの速さで出来ないことには

仕事が出来ると胸を張って言えない。



走ろうと努力していた、というか強制的に走らされた時期は確かにあった。

その全貌は『カピバラルート攻略物語』で語られている。

あの戦い、Tとの死闘から早1年。





   す っ か り 元 に 戻 っ て い た 。






ただ時間をかけて仕事をして、自分が遅いがゆえにアルバイトを遅くまで残らせて、

そう、カピバラを残らせてまで仕事をするのなら“誰にでも出来る”。

そんなんでよく1年以上も先輩面していられたものだ。

カピバラとシフトインする日だけ眉毛とか鼻毛とか消臭とか無駄に身嗜みに気を使っているけど、

そういうことではないだろう。





KSMだってそうだ。彼女に迷惑をかけないために

1時間も2時間も早出して作業の遅さをカバーすることだって“誰にでも出来る”。

あの頃は、誰にでも出来ることをして、上辺だけの感謝をされて、何が楽しかったのだろうか。





異性と関わることのなかった学生時代。

異性と関わることのなかった社会人の最初の3年間。

4年目で“27”に出会い、

5年目でKSMに出会い、

少しは嬉しかった……はずだった。





嬉しいだけで、何を頑張ったかと言われれば、答えられない。

良く言えばがむしゃらに、悪く言えば何も考えずに、ただ手足を動かし肺で呼吸するだけの日々。



いつか新聞配達をやっていた時に褒められた「遅い分、人の2倍動く」

その言葉だけを信じて、それだけで自分は頑張っていると思い込んできた。

レールの上を“走る”という簡単な答えが分かっていながらも逃げてきた。





どんなに残業しても、どんなに早出をしても、

誰も評価してくれないどころか逆効果であることに気付いたのは、

本当に最近になってからの事だった。