78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎映画『ラ・ラ・ランド』感想……ミュージカルという非現実な演出の中で描かれる“現実”

2017-03-27 19:13:41 | ほぼ週刊サンマイ新聞

 当方は洋画をあまり観ない。日本でも有名な名作という名作をほとんど知らない。派手なアクションやグロいホラーよりもこのような恋愛に重点を置いた作品のほうが当方には合うようである。

 

 まず「ミュージカル映画」としての感想を書く。ミュージカル映画というものを実写では初めて体験した。座席の位置が良かったのか、視界のほぼ100%がスクリーンで、俳優が本当に居るかのように感じた。それだけでも大迫力なのに、歌って踊るシーンをIMAX2Dの鮮明な映像と臨場感あるサウンドで鑑賞することで、まるで舞台で観劇しているかのような感激を覚えた。

 表題の「la la land」を和訳すると作品舞台の「ロサンゼルス」となるが、「現実離れした世界」「現実から遊離した精神状態」という意味でもある。ミュージカルは舞台・映画を問わず現実離れした「非現実的な演出」である。歌う必要の無い日常生活の中で突然歌声を響かせ、赤の他人が息を揃えて踊っているのだ。現実世界で起こるわけが無い。それでも突っ込まずに観ていられるのは、ミュージカルはそれが演出の範囲であることを観る側が理解しているからだ。

 

(以下ネタバレ有)

 

 次に肝心の内容について。ハッピーエンドに見せかけてからの残念な結末を持ってくるという「無慈悲な現実」を描いた作品だったが、非現実的な演出の中での現実というギャップがとても良かった。夢を追い続けた男女は、諦められない故に別れ、一方は夢を叶えるも孤独、他方は現実を選び違う男と結婚。もしセブが夢を捨てていればミアと結ばれることは可能だったわけで、そのifルートが作中に妄想として長めに描かれていた。現実世界はセブの店にミアの考案した「SEB’S」の看板を掲げていたりと、彼女のことを諦め切れないセブが切なく見える。

 

 カップルで観に行ったリア充たちはどう思っただろうか。多くがハッピーエンドを望んでいただろうし、観終わった後の淀んだ空気を立て直すのに必死だったかもしれない。それでも音楽面は冒頭の高速道路でのダンスに始まり、タップダンスやプラネタリウムでのキス、オーディションでの涙をこらえての歌唱など、その全てが完璧と言いたいので、そちらで満足出来る人が多いと信じたい。

 

 当方は間違いなく感動した。

 

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◎映画『3月のライオン(前編)』感想……原作を読むと理解が深まる「零と香子の複雑な関係」(ネタバレ有)

2017-03-25 19:44:09 | ほぼ週刊サンマイ新聞

『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』など、邦画の名作が矢継ぎ早に生まれた2016年。この勢いはまだ続くかも、否続いてほしいという想いから、2017年は映画、特に邦画のレビューも積極的に書いていきたい。既に『ひるね姫』を公開初日に鑑賞済みだが訳あって執筆が進まず、本日は実写映画『3月のライオン(前編)』を鑑賞し、こちらは即書けそうな気がしたので先に書くことにする。

 

 高校生にして将棋のプロ棋士・桐山零が彼を取り巻く人間たちとの関わりを通し、棋士として、人として成長していく物語。特に「人間模様」の描写が壮絶すぎて、将棋に詳しくなくてもそちらのほうにハマった人も多いはず。

 アニメ版は未視聴なので触れないが、実写版の前編を観た限りでは、話の順序や細部を変えてきてはいるが、ほぼ原作通りに進んだと言って良いだろう。しかし、映画という尺の都合上、肝心の人間模様の描写の一部がカットされ、分かりづらい部分もあった。その一つが「零と香子の複雑な関係」である。

 

 9年前に妹と両親を亡くした零は、父親の友人である棋士・幸田に内弟子として引き取られ、幸田の長女・長男と共にプロの棋士を目指していた。その長女が香子、つまり零にとって義理の姉ということになる。未経験から将棋を始めた零は当初、香子に馬鹿にされるほどの実力だったがやがて逆転する。奨励会退会を余儀なくされた香子の怒りは増幅し零への暴力にまで発展するほど二人の関係は悪化し、零は家を出て行き一人暮らしを始めたのだ。ちなみに香子、実写版こそ有村架純の奇跡の美貌のお陰で緩和されているが、原作ではもっと怖い顔をしている。

 

 一方で香子は妻子を持つ後藤九段との不倫関係にあり、それを良く思わない零が後藤に噛み付き、殴られてしまう場面も原作をほぼなぞっている。零は幸田と香子という真の親子関係を修復して欲しい願いもあって家を出たわけで、後藤に噛み付いたのも同じ理由から。本当は義姉想いの優しい人間なのだ。

 

 しかし、実写版だけでは不可解なのが、香子が零の背中から抱擁し「怖い」と本心を吐露するシーン。そして零のモノローグ

 

「姉も僕も――こうして 何も変わらないまま 変えられないまま…姉弟にも 他人にもなりきれないまま……」(原作4巻より、実写版でも使用)

 

 この一文もかなり深い。実は原作には、零は幸田家に居る間に香子と最低一度は肉体関係にあったことを示唆する描写があり、しかもそれは零が「恋」というワードに対し連想された一コマなのだ。

 

 これは一例に過ぎず、他にも原作を併せて読むことで実写版の描写の理解が深まるシーンは複数ある。もちろん実写版だけでも話の大筋は理解できるようになっているが、メディアミックス戦略が当たり前になった現代、実写版だけ観て終わりにするのは勿体無いと言える。この話は次回になるであろう『ひるね姫』のレビューでも詳しく説明したい。

 

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◎『けもフレ』『まどマギ』『結城友奈』……考察型アニメがヒットする法則とは

2017-03-17 06:04:58 | ほぼ週刊サンマイ新聞

 今回もアニメ『けものフレンズ』についてである。正直、ここまでのメガヒットは深夜アニメとしては数年に一度レベルではないだろうか。元々は思考回路を停止し「わーい」「すごーい」「たーのしー」と思いながら視聴できる「ゆるーい癒しアニメ」として人気を博していた訳だが、回を重ねる毎に実は人類の居ない荒廃した世界であることが明かされていき、多くの視聴者がネット上で考察を捗らせている「考察型アニメ」としての側面も持つ。

 しかし、全ての考察型アニメがヒットするわけでは無い。結果を残した一例として『魔法少女まどか☆マギカ』『結城友奈は勇者である』を挙げ、これに『けもフレ』を加えた3作品の共通点からヒットの秘密を探る。

(1)原作の無いオリジナル作品
(2)前例の無いフォーマット
(3)最低2回の盛り上がり

 当方は以上を3作品の共通点だと思っている。まず(1)は当然の話で、原作で既に先の展開が語られているアニメは考察のしようが無い。原作未読組が予想して盛り上がるだけではオリジナルに比べるとどうしても弱い。ちなみに『けもフレ』はアプリゲーム版と漫画版が先行して公開されたが、アニメ版のストーリーはそれらとほとんど異なっている。

 (2)は『新世紀エヴァンゲリオン』を例に挙げると分かりやすい。それまで戦闘をメインに描いていたロボットアニメ(ロボットではないが)でここまで内面の心理描写を大きく描いた作品は前例が無かった。『まどマギ』は良くある魔法少女ものと見せかけて、実は人が死ぬ残酷な戦闘アニメであることが衝撃だった。『結城友奈』は放送前にキービジュアルから徹底して日常アニメと誤解させたのが異例であり、『けもフレ』も荒廃した世界の中で動物たちの言動に癒される「陰と陽の共存」は、それまでの動物アニメとは一線を画すものである。

 最後に(3)だが、たった一度の衝撃を3話までに見せる手法は数多くあるものの、その後失速する作品も少なくない。『まどマギ』は3話の「マミる」と6話の「魔法少女は最初から死んでいる」で2度も衝撃を与え、『結城友奈』は1話の開始わずか9分で「日常アニメ」が「バーテックスとの戦い」に豹変、8話で前日譚『鷲尾須美は勇者である』の主人公が突如登場し勇者システムの秘密が語られ、ネットは2度も沸いた。そして『けもフレ』も前半で「癒しアニメ」、後半で「考察型アニメ」としての盛り上がりを見せている。

 これらの共通点を全て満たすアニメは相当限られ、メガヒットが出にくい要因にもなっている。特に(2)はヒットの予測が立てられずリスクも高い。『エヴァ』の後にエヴァっぽい作品が続出し、『まどマギ』の後に3話で誰かが死ぬフォーマットが続出するなど、大体は過去のデータを参考に鉄板の作品を作らざるを得ない現場の事情がある。それでも我々は、斬新で見たことの無いフォーマットによるメガヒットのおかわりを待っているのです。

(#19:1197字)