78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎【もうすぐ10周年】ブログを振り返ってみた(2008年編)

2018-02-14 04:58:22 | 追憶の自分史

2008年8月に当ブログを開設してから早9年半が経過しました。
現時点で延べ551614 PV、315037 IPの方に訪れていただきました。
皆様本当にありがとうございます。

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10周年までまだ半年もあるが、
10年分を振り返るには相当な時間を費やすことが想定される為、
今から少しずつ振り返っていこうと思う。

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78回転のアーカイブス◎→2008年(107記事)

<すべてはここから始まった>

100の質問、まだやっていないですねえ(汗

 

<仕事で車を使用し、運転に苦労していた>

運転そのものも緊張の連続だったが、社用車は一部を除きナビが無かったので、道路地図を片手に運転する苦労もあった。

今ならスマホが音声でナビしてくれるのだから、10年間の技術の進歩には驚かされる。

まあとっくの昔に運転しなくなったけどね(汗

 

<10年前のブログ論>

今で言うと「Twitterの裏アカウント」である。

芸能人の皆様、くれぐれも本アカウントに誤爆しないようご注意下さい。

 

<当時の女性のファッションについて>

この記事を読んで思い出したことがある。
ブログを振り返る趣旨からは外れてしまって恐縮だが……
当方の大学時代は2004~2008年だった。
そのうち2004~2006年は、大学の構内にいる女子は、ほぼ全員といって良いほどスカートを履いていなかった。
本当に一人や二人を除いたほぼ全員だから、今では信じられない光景である。
当然、ガウチョやワイドパンツなどが流行る前の時代なので、ほとんどが地味なデニムのジーンズで統一されていた。
それは季節を問わず、真夏でも例外ではなかった。
2007年あたりからようやくスカート女子が少しずつ増えていった。

確かにデニムのジーンズはどんなトップスも合わせやすいので、コーディネートに重宝されていることは知っている。
しかし、毎日が私服なのに、ボトムスを固定し、上半身だけのバリエーションで勝負するというのも、それはそれで厳しい気もするが。

当時のファッション業界では一体何が起きていたのだろうか。それとも秋田だけか?

 

<10年前のアクセス数>

それが今では以下のようになりました。本当にありがとうございます。

 

<人生の迷子だった時期>

 

<ある少女の物語>

 

<年末に思ったこと>

 

2008年だけでこんなに時間がかかるとは……

果たして10周年までに10年分振り返れるのだろうか。


◎高校で落ちこぼれる原因を徹底分析してみた

2012-11-13 05:52:58 | 追憶の自分史

中学までは成績が良かったのに、
それが嘘のように高校で落ちこぼれる。

当方がまさにそれだった。

ネットで調べると、同じような人が何十人と知恵袋や2chでボヤき、まとめサイトにまとめられてすらいる。
決して珍しいことではないようだ。

何が問題かって、大抵はそれがきっかけで人生が詰んでしまうこと。


これから大人になる皆様、特に今の中学生には同じ道を歩んでほしくない。

その為にも、「高校落ちこぼれ問題」について徹底分析しようと思う。





まずは知恵袋っぽいサイトから直球な意見をいくつか引っ張らせていただきつつ、
自分の落ちこぼれた経緯をまとめてみる。


>全ての中学が学力で同レベルではないので、内申書の影響が大きい高校入試に成功したとしても、実は井の中の蛙だったという可能性がある。


当方の中学は、決してレベルの高い所ではなかった。市内で不良が一番多く集まっていた。
そこの中3で、200余名いる学年で最大15位にまで昇り詰めた。
今思えば全体のレベルが低かったのだろう。
偏差値が解れば良かったのだが、あいにく偏差値制度は既に廃止されていた。
なんであんな便利な物差しを廃止したのか、文科省に疑問符を投げたい。





>そりゃ、中学と高校では内容もボリュームも雲泥の差ですよ。
>だから、中高一貫校では中2までに中学の内容を終わらせ、残りの4年間を高校の内容に費やすんです。
>私は中高一貫出身なんですが、中3の時に戯れに都立高校の入試問題を見て驚愕しました。
>はっきり言って50分のテストでも10分もあれば満点取れる内容だと思いました。
>ちなみに今33歳なので、ゆとり教育以前です。
>この内容では、同じ満点を取る子でもかなりの落差があるだろうから、学区のトップ校でも、入学後にかなり差ができるだろうな~と思いました。


やはり中学の勉強は簡単だっただけ、これに尽きるのだろうか。
といっても当方は中学時代、全教科が得意だったわけではない。

数学≒英語>国語>>>>>>>>>>>理科≒社会 みたいな感じで

数英国が90点超でも社会で40点を取って、でも合計は400を超えて褒められた、なんて事もあった。
要は暗記が大の苦手だった。

その理社も何とか頑張って多少は上げたが、それでも足かせとなり県内一の進学校のレベルには到達できなかった。
その進学校出身の両親、特に母親が「中途半端な公立に入るのは許さない」と豪語していた。
秋田で県内1位の高校は偏差値70、2位は65、3位は63。
1位と2位に開きがあり、母親は2位すら入るなと言っていたのに、
当方の最終的な成績では3位がやっとだった。
3位は進学校ですらなかった。
高校が山ほどある関東ならそれなりの良い公立に入れるレベルだったはずなのに、秋田は選択肢が異常に少なかったのだ。


そこで、次元の違う「高専」というものを母親に勧められた。
教師は確かに「当方君なら合っているかもしれない」と言った。
全くの間違いだった。高専の厳しさを中学の教師が机上の空論で語れるわけが無かったのだ。

ちなみに高専は偏差値59。その受験の成績が当方はトップクラスだったという裏情報まで入ってきている。
決して自慢ではない。それでも落ちこぼれると言いたいのだ。



高専は専門科目の難しさに涙し挫折したわけだが(※僅か3クールで中退しています)
一番のショックは高専とか関係ない一般科目の「数学」で落ちこぼれたことだった。

数学は今でも好きだ。だがそれは中学数学の話。高校数学は今でも嫌い。

好きだったはずの数学で20点とか30点取った日には本当に「どうしてこうなった」状態だった。


そこでこの引用である。



>たいていの凡人高校性は、数学で挫折する。
>中学とは格段に違う、数学の高次概念についていけないのだ。
>「ベクトル」、「一次変換」、「数列」、「級数」、「三角関数」、「微分」、「積分」と新概念、つまりは仮説が次から次と出てくる。
>実体概念思考になじんできた中学生時代と違い、数学の本質である仮説思考の世界に一気に突入するのである。
>操作的アプローチでなんとか見よう見まねで処理方法だけはつかめても、結局仮説思考に転換できなければ、数学の思考はできない。



まさにこれだった。
中学数学は目に見えて分かりやすかったが
高校数学はバーチャル世界に居るような感覚で実態が見えてこない。

教師が板書するだけだったのもモチベーションを低下させた。
中学数学は教師が毎回「プリント」を作ってくれた。
B5判1枚に説明と問題が全てまとめられ、それを見るだけで全てを把握できた。
高校数学にはそういうのもなかった。



高専に入って数学のみならず英語も国語も成績を大幅に下げた。
好きだったはずの英語は完全に嫌いになった。
幼少期からYAMAHAに通っていたこともあり、中学の英語の成績は結構良かったのだが、
それがお遊戯レベルだったのだと痛感させられた。



公立は赤点の生徒に対し夏期講習などの補修を設けるのが常套手段のようだが、
学生の自主性を無駄に重んじる高専ではそれすらなかった。


公立より難しい勉強をしているのに補修をしない矛盾。
落ちこぼれが更にどんどん落ちていくシステムだったのも痛かった。





当方は決して偉くはないが、
反面教師として言わせてほしい。

優等生の厨房に向けてのメッセージである。




(1)自惚れるな

中学の勉強は簡単だ。ゆとり仕様になった今なら尚更。



(2)信じるな

点数も順位も嘘だと思え。予備校の偏差値だけを信じろ。
親の意見も全部信じて良い訳ではない。納得いかない事は全部反抗して徹底的に話し合え。



(3)妥協するな

高校は絶対妥協するな。レベルの低い人しか居ない底辺校なら絶対大学受験で失敗する。
レベルの高い友人を作って切磋琢磨しろ。



(4)ビデオ受講の予備校は選ぶな

これは中学のみならず高校に入ってからも言えるが、TVCMを良く目にするビデオ受講で有名な某予備校がある。
当方はそこに居たが、あれは駄目すぎる。
やはり三次元の教師が生徒一人一人の面倒を見てくれる予備校でないと駄目だ。
個別受講か教室受講かは問わない。双方にメリットデメリットはあるだろう。
だがビデオ受講だけは絶対に駄目。本当に駄目。



(5)地方組は上京しろ

お金のある家庭限定だが、地方の人は出来れば高校入学と共に上京すべき。
最低でも大学で上京。大学生ならバイトすれば親に負担もかけない。事実仕送りなしで一人暮らしする大学生はごまんといる。
当方はそれが出来なかった事も大きいと思っている。
地方に居続けるとガチで「井の中の蛙」状態なのだ。一刻も早く「世界の広さ」を知らなければならない。
成績なんて周りの環境で大きく左右される。前述のとおり切磋琢磨が重要なのだ。




やばい無駄に興奮してきた。
ああもう、ブログでしか伝えられないのがもどかしい。
漫画喫茶が2chに書き込みできれば今すぐスレ立てる勢いなのに(落ち着け)。

◎絶望と希望のフラッシュバック ~高専~

2008-10-17 02:17:35 | 追憶の自分史
世界はまわると言うけれど頭上の空だけが巡るだけと思う方は
「追憶の自分史」カテゴリーの下からお読み下さい。

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当方の高校生活は短かった。

高専を9ヶ月で中退し、大検を取得してそのまま大学受験をして大学に入った。

もう7年も前の話でほとんど記憶に残っていない、わずか3クールの高専生活。



一体何が中退に追い込ませたのか。


まず、友達が出来なかった。
学力も急激に下がった。
勉強が苦手になった。
機械が動かせなかった。
化学実験さえもろくに出来なかった。
大好きなパソコンの授業も、プログラミングでいきなり挫折した。
製図の授業も嫌だった。
剣道の授業すら辛かった。
何もかもが嫌になっていた。



11月の半ばから授業をサボることが多くなり、やがて不登校になった。
クラスの委員長の女子が心配し、わざわざ自宅に電話をかけてくれた。
それなのに本心は一つも伝えられなかった。



結局、冬休み中の1月に高専中退。



人生で初めて“逃げた”。

中学時代はイジメに遭いながらも風邪以外は一切学校を休まなかった男が、
義務教育でなくなった途端に簡単に逃げ出した。



この9ヶ月、一体何だったのだろうか。

今の当方が高専に入ったら、確実に辞めることは無かったはずだ。
どんな辛い授業にも、たった一人でも乗り越えられたはずだ。



今のほうが何億倍も辛いのだから。



つづく

◎限りなく透明に近い人生 ~発端~

2008-09-04 21:22:40 | 追憶の自分史
暇過ぎて久々にNHKを観てしまった方は
「追憶の自分史」カテゴリーの下からお読み下さい。

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先週の金曜、当方に給料が入った。

しかし、嬉しくない。

何故なら、これからお金が色々とかかるから。



今の生活では給料前に家賃分すら残らない現状。

それが、更にお金がかかる生活になるのだ。



どういう事なのかというと……

まず、突然だが、来月までには家賃が2万ほど高い物件に引っ越す事になる。



2Kの。





……ん? 2K?





もちろんジョカノではない(そりゃそうだ
















言っておくがアレではない。誤解はしないで下さい。

Aは公務員試験を受けるため、その勉強に専念するために会社を辞めようとしているのだ
(※今のところ辞めない可能性もあります)。

で、当方が支援することになったのだ。



当方が支援する内容は、

・物件の初期費用の半額
・毎月の家賃+水道光熱費の全額
・中古の冷蔵庫と洗濯機



来年以後、数年に渡り、いずれはその支援金が還ってくるという条件で、双方は合意した(ちょっと待て








もう馬鹿かと(ぉぃ


まあ、完全に割り切ってますよ。

家賃や光熱費は今までだって自分で払って来た。それが少し増えるだけと考えれば気持ち的にも何とかなる。

冷蔵庫や洗濯機だっていずれは買うつもりでいた。




そして、Aには色々と恩がある。

そのAが今困っている。悩んでいる。

Aはこう言う。



「仕事とは人生である」と。



時間的には人生の大半を仕事に費やす。

しかし、利益再優先となっている今の仕事は自分には合わず、生き甲斐を感じられないのだという。

利益を求めず純粋にお客様にサービスを提供出来る職業。

それでいて安定している職業。

まさに自分に一番合う夢のような職業だという。

公務員を批判する人は多い。まあ国民の税金で食ってる訳だからね。
しかしAに言わせれば、批判する人は公務員になれないことへのひがみだとか。
批判する人も実際に公務員になれば単純に嬉しいはずだとか。



とにかくAはしっかりした夢を持っている。

ならば応援しようではないか。
恩もあることだし。



それが今のところの当方の答えである。

迷いが無いと言えば嘘になるが--




これからどのような試練が待っているのか。

そして、その試練は無事に乗り越えられるのか。

一人の友人のために費やされる
当方の限りなく透明に近い人生が
始まろうとしている。



そして、まだ始まってもいないのに最初の試練は既に訪れていた。


つづく

◎絶望と希望のフラッシュバック ~奇跡~

2008-08-31 23:29:08 | 追憶の自分史
初めて読むけど何のことか解んねーよゴルァの方は「追憶の自分史」カテゴリーの一番下からお読み下さい

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必死の勉強も空しく、日本経済論の後期試験は3割ほどしか解けなかった。

残りは勘を働かせて書いて何とか埋めはしたが、ほとんど記述なのでごまかしは効かない。

もちろん大学は絶対評価なので、他人の成績も全体的なレベルも関係ない。



終わった。そうとしか思えなかった。



約束を守れないかもしれないことを友人Aに伝えた。



Aは激怒した。



「大学辞めてでも関東に来い。
そうしなきゃ俺が今まで苦労して関東で働ける会社に決めた意味が無くなる」



そんな無茶なことまで言い出した。

Aの約束にかける想いは本物だったのだ。
例え人の人生を目茶苦茶にしようが守り通すつもりの約束だったのだ。



じゃあどうすりゃいいんだよ。
本当に大学辞めろというのか、それとも――



イヤ、まだ諦めてはならない。すぐさまゼミの先生に相談を持ち掛けた。

しかし、



「気持ちは分かるけど、私の権限ではどうすることも出来ないんだよ」



やはりそういうことだった。

成績が出るまでの2週間、大人しく待つことしか出来ないもどかしさは半端無かった。



木枯らしと真っ白な雪に身を包まれるだけの日々が過ぎ去り、2週間後。

成績は――









これは想定外だった。


奇跡が起きた。まだチャンスはある。



しかし、再試験の内容は、試験ではなく課題だった。

本を2冊、計6000円も費やして購入し、指定箇所をそのまま書き写したり感想を述べるなど、
ノート2冊を丸々使い切る量の課題だった。

しかも、期限はわずか一週間。

当方は毎日3時間睡眠でとにかくノートに書き続けた。

全ては大学を卒業するため、
約束を守るために。




――1週間後――



「ノート確かに受け取りました。よく頑張ったね。
君は出席日数や試験の点数は足りなかったんだけど、
普段から勉強を頑張っているのは分かっていたから、
特別に再試験という形でチャンスを与えたんだよ。
もう大丈夫。単位のことは安心して下さい」



つづく

◎絶望と希望のフラッシュバック ~約束~

2008-08-30 00:07:06 | 追憶の自分史
※初めての方は「追憶の自分史」カテゴリーの一番下からお読み下さい。


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ある友人Aとの約束。それは、

「出来れば一緒の地域に就職しよう」

というものだった。


当方がこの約束を交わしてしまったのは軽い気持ちだったと思う。

「出来れば」がただの飾りだったとも知らずに――



2007年11月。

Aが内定を貰った。勤務地は関東の某所。

当方はというと……どこからも内定が貰えずにいた。

最終的には前回書いたとおり、無謀にも関東で一人暮らしのフリーターをしながら職を探すことを決意したのだ。

ちなみに、理由はAとの約束を果たすためだけではないことを付け加えておく。
職も決まらぬまま大学を卒業する、要するにニートになってしまう男が地元でのうのうと実家暮らしをすることに危機感を抱いたのだ。
一人暮らしというハングリーな環境に追い込むことで、ちゃんとと職を見つけて親に迷惑をかけない人間になりたかったのである。



しかし、事件は起きた。


4年次で唯一残してしまった必修科目・日本経済論の













就活で講義を何度も休んでしまったのである。
卒業に必要な単位数は既に取得済みだが、
4年次で必修を落とすことは単位数に関係なく“留年”を意味することは言うまでもない。
さらに、その年から就活による欠席は成績には全く考慮されなくなった。
理由に関わらず単純に欠席が多けりゃ不可になる。ただそれだけになってしまった。

留年が決まればもう一年大学にいなければならなくなり、金銭面で親にも迷惑がかかり、何よりもAとの約束は果たせない。


自転車のペダルを漕げば風が冷たく感じる頃、当方は焦り始めた。

残りの講義を全部出ても必要出席日数に届くかは微妙なライン。
しかし、そんな事を考えても仕方が無い。大学卒業を賭けた猛勉強が始まった。
講義内容は財政投融資から戦後の住宅事情、歴代総理大臣まで経済学の枠を超えて多岐に渡っていたが、
それらをインターネットや図書館を使い、時には古本屋で本を買ってまで詳しく調べて復習ノートにまとめた。

そして、ある日の講義前のこと。
机上には講義用ノートに加えて復習ノートと高校時代の日本史の教科書を並べ、ノートを読み返していると


「これ、君がまとめたの?」


なんと先生が話しかけてくれた。


「君、頑張ってるね」


当方の命懸けの努力が先生に伝わったのである。
何だろう。この純粋な嬉しさは。
希望は見えて来た。モチベーションは最高潮に達していた。



そして時はあっという間に流れ、2008年2月、運命の後期試験。


問題は、ほとんど














つづく

◎絶望と希望のフラッシュバック ~現在~

2008-08-27 20:51:07 | 追憶の自分史
仕事とは何なのだろうか。

一日の大半を費やし、それが毎日、何十年と続くもの。

働いたら負けでは決して無い。これは普遍の心理。

だが、将来のことは置いといて、今を一番楽しんでいるのは確実にニートである。



当方もニートになりかけた。

正確には大学卒業後、地元でのうのうと実家暮らしをしながら
バイトをしつつ地元で職を探して正社員になろうと努力していたはずだった。

しかし当方は関東で一人暮らしをしながら職を探すことを選んだ。

2ヶ月で職を見つけなければ地元に帰るという条件付きで親から許可を貰い、
2ヶ月分の家賃と5万円の生活費まで出してくれた。

大学4年の就活で約20万も親にかけさせてしまったのに、
さらに迷惑をかけてしまった。

もう二度と親に迷惑はかけたくない。そんな想いでバイトをしながら関東で職を探し続けた。



そして、親との約束の期限が間近に迫った5月の中旬、ようやく今の会社に決まった。



そして今
当方にとっては激務の毎日である。



給料は安いわけではない。
ゲームやCDなど大きな買い物はせずに我慢している。
お金を惜しまずかけているのは漫画と週一の満喫ぐらいである。

それでも当方が馬鹿なのか、お金はどんどん減っていく。

休みの日に東京の行ったことの無い様々な場所に行き、思いきり楽しむのが地元にいた頃の夢だった。
何も無い地元よりは楽しめる。そんな想いだった。

しかし、そんなお金はあるはずもなく、休日の過ごし方は地元にいた頃と大して変わらない。



これでは何のために関東に来たのか解らなくなってくる。



そもそも何故関東に来ることを選んだのか。



それは、



約束した友達がいたから……



つづく