GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

既定路線すぎる気もするが

2022-11-15 22:14:26 | 野球

 西武の一軍監督に来季(今オフ)から松井稼頭央(和夫)一軍ヘッドコーチが、就任する事になりました。稼頭央監督は、1993年オフにPL学園高から西武へ入団。高校時代は投手で、入団後は野手へ転向した。高校時代は、故障過多ばっかりであまり本領を発揮出来ず・・・ただ身体能力は高く、1995年後半から頭角を現し、スイッチヒッターにも挑み、1996年には田辺徳雄から遊撃手のレギュラーを奪い全試合出場し、さらに日米野球で攻走で大活躍し、各球団のファンにも知れ渡る。翌年には背番号を32から7に変更し、完全無欠の存在となり、リーグ優勝に貢献!初の3割超をマーク。翌年も3割以上をマークし、2連覇に貢献。翌年以降は、長打力もつきクリーンナップや4番も務めるようになる。2002年は、1番打者に戻りトリプルスリーを達成!!さらにリーグ優勝。2003年は、広い守備範囲でアテネ五輪予選で活躍(宮本慎也をセカンドに、二岡智弘をサードに追いやる、もっともこの布陣はショートの選手ばかりを集めた為、誰かをショートにしなければならなかっただけの話やとも思うけどな・・・)。これを置き土産にした訳やないけど、2004年からはメジャーへ!!超大物と鳴り物入りで入団し、初打席でホームランを放つなど、華々しいデビューも長続きせず、天然芝の対応にも手こずりエラーを連発(涙)しかしPLの上下関係などに耐えただけあっての不屈の闘志や反骨精神でメジャーでも、しがみ続け、何とか脇役レベルであるが在籍し続ける!2011年にNPBに復帰して楽天に移籍。期待値よりは劣ったが、キャプテンシーや良い脇役に徹し、2013年には7番・ショートとして日本一に輝く!!2014年のシーズン途中にサードに転向。2015年に、日本の記録だけで2000本安打を達成!!!また同年に本格的に外野手に転向(2014年に21試合外野で出場)している(汗)2018年に西武へ復帰。ただもうさすがに衰えは隠せず、引退・・・翌年から二軍監督やヘッドコーチ。期待のスター選手&メジャー経験者の監督やけど、今の所、指導者として光る所は見当たらんし、ファンも期待してる空気や歓迎ムードや無さそうですね。ただこればっかりはやってみんと、判らんからな!この就任は既定路線やから、驚かんけど。平石ヘッドと将来ゼロになり得るPL野球部OBコンビが、どう球界に影響を与えるか?

 あと阪神の一軍監督に野球解説者の岡田彰布(どんでん)氏が、就任する事になりました。前回のオリの就任時に書いてないんで(謝)どんでんは、1979年オフに阪神に入団。正ポジションは、サードであったが、絶対不動の掛布雅之が居た為、セカンドにコンバート(汗)ただ当時の監督のドン・ブレイザーが、"ルーキー(新人選手)は、1年間一軍で起用しない方針"の為、二軍スタート(汗)さらに今後役立つからという理由で、外野手の練習もさせる・・・しかも間の悪い事にヤクルトから移籍して来た、デーブ・ヒルトンが全く結果が出ず、ファンや球団内部から"地元出身のスター候補・岡田のセカンド起用騒動"が、巻き起こり、ブレイザー監督は解任・ヒルトンも退団!これらの事でしがらみが消え、満を持してセカンド・岡田が実現する。鬱積(鬱憤)晴らしの様に、どんでんも期待に違わぬ活躍を見せ、新人王を獲得!ブレイザーに代わって監督に就任した中西太の方針でもあった。結果だけ見れば、監督解任&どんでん起用は、成功に終わる。ただ長い目で見ると、これが正解やったかどうかは、分からない。確かにブレイザーは監督としてはイマイチやったかも知れんけど、ヘッドコーチやコーチとしては優秀でしたからな!広島・南海で結果が、出てた訳やし。江本孟紀 氏も"中西監督が原因でベンチがアホと批判した張本人やから何とも言えんけど、ブレイザーが監督のままやったら、もっと早くに優勝出来てたし、阪神の歴史も変わったであろう"と証言しているのは、人によって見方や評価の仕方が、異なるから・・・まあそれはともかくとして、選手・どんでんは、順調に生え抜きスターとして成長し、途中故障もあって外野に転向した時期もあったが、1985年には故障も癒え、真弓明信と入れ替わりセカンドとして、日本一の立役者の1人となる!しかも書きたくないけど、"そら俺が一番大変やったし、偉いやろ"の対巨人戦の「バックスクリーン3連発」のトリを務めた!あと掛布4番降格&引退後の4番を務める。ただチームが優勝争いをしていた1992年頃の春には、故障もあり代打・亀山努を送られたりした事で、プライドをズタズタにされ、成績が急降下・・・1993年オフには、涙の阪神退団。去就が中々決まらぬも、代打要員&優勝経験者&集客の為に仰木彬 監督が声を掛け、オリックスに移籍。関西の球場で行われる試合・右の代打要員として重用され、1995年のリーグ優勝に貢献!ただこれを置き土産に引退。

 翌年の1996年には、オリックスの二軍助監督兼打撃コーチに就任。著書によると"意外とプロでもバットの握り方を知らない、そっから教えた!"と証言してるけど、プロやで!ほんまかいな(汗)?・・・1998年に阪神に移籍(オリ時代と同じポジション)。翌年は"助"が取れる。翌年からは、二軍監督専任。毎年の様に優勝を飾る(汗)2003年は、一軍内野守備走塁コーチ(サードベースコーチ)。2004年に優勝チームの後を引き継ぐ形で、阪神一軍監督に就任!1年目はビッグボスと一緒で"選手の適性や戦力になるか否かの見極め"に徹する。2005年には、リーグ優勝!「JFK」の確立が大きな柱!あとは4番・金本知憲の打撃と先頭打者の赤星憲広の盗塁だけは、自由にという方針。ただ日シリでは、0勝!その後もCSには進出するも、殆ど勝利は出来ず、"あまり短期決戦が得意ではない"んかも知れん・・・2008年は13ゲーム差をひっくり返され、2位にも拘らず引責辞任・・・よく言われるんが、「阪神は後半勝率5割で割と普通やったけど、巨人の追い上げが異常で凄すぎただけ」とも(汗)2010年には、オリックスの監督に就任。オリでも救援陣を重視する姿勢は、変わらず。「平野佳寿ー岸田護」のリレーを確立する。ただ2012年からは、2人を入れ替える(汗)阪神で存在が浮いていたアーロム・バルディリスを育て上げたりT-岡田を和製大砲候補として抜擢するなど、野手の見る目は確かではあるけど、パワハラが過ぎて気に病むコーチ陣や選手も続出(号泣)残り9試合を残して、解任・・・僕は当時知らんかったけど、あさってさんによると選手らから吊るし上げにあったらしい・・・まぁこの2012年は、夏場から投手交代の際に投手コーチがマウンドに行かんと、バッテリーコーチの山田勝彦が行ってましたからな・・・

 かねがね噂に上ってたけど、落合博満さんの阪神の監督就任が実現せんかったな(涙)阪神は、生え抜きというか学閥・既定路線の悪しき伝統を何度繰り返すんでしょうか?今回は、親会社の阪急側の意向が、反映された人事らしい・・・オリが阪急系やから、オリに在籍経験のあるどんでんになったんやろうか?対する阪神側は、平田勝男 二軍監督を推してたという噂やが、はたして?・・・どんでんでは、何も変わらんというか・・・どうして二軍は別ものとはいえ、二軍実績のある平田 二軍監督じゃイカンのでしょうか?実績だけでなく、阪神にぴったりなシビアな鬼教官やし。あそこはファンやマスコミが甘やかすから、怖い人を監督に据えなきゃ、ダメ!もっとも平田氏には、「一軍だけは絶対に嫌!」と断られてるという話もあるんやけどな。あるいは、時には外部の血を入れる為に落合さんとか。ただ落合さんは、10年以上前の野球ですから、投手は150kmを投げるのが当たり前になりつつある現代で、どんでん(彼が監督をしてた時代も10年以上前で150kmを投げるのが、当たり前の時代やなかった)や落合さんの時代の理屈が、今にも通用するのかは、疑問ですね・・・はてさて今回のこの時代錯誤の"パワハラ采配"が、今回の阪神に通用するのやら?確かに怖い監督が必要な球団やけど、こういう怖さやない気が、するけどな・・・年齢的にも今回の岡田監督は、短期政権な気がするし、どんでんが退陣になったら、今度こそ平田監督やないか?と思ってるわ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする