GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

面白いというより芸達者やったか?

2022-11-07 18:46:27 | お笑い考

 酒井くにお(酒井くにお・とおる)師匠が、亡くなられました!兄弟漫才コンビですから、当然出身地は、共に一緒の岩手県。あら?今回調べて初めて知ったんやけど、くにお師匠は大学へ行ってたんですね!漫才でのブレーンや出来・不出来では、失礼ながら、正直逆にとおる師匠の方やと思ってたけど・・・今回召されたのも、一瞬逆やと・・・来歴としては、上京してコントコンビを組む。やや演劇にも傾倒していた。1974年に大阪へ拠点を移した。しかし所属した吉本に実力不足を理由に解雇される・・・松竹に拾われたのを機に漫才へ転向。関西弁を徐々に覚えて行き、徐々にだが頭角を現す!1977年のNHK上方漫才コンテストでは優秀敢闘賞を受賞。半ば開き直りからギャグは生まれるもので、弟を呼ぶときに"とおるちゃん"やとおる師匠の漫才の定番のセリフ"ここで笑わないと、もう笑うとこ無いよ"・"うちらの漫才笑うとこ2つか3つしか笑うとこないから、皆さん笑おうと努力せなイカン"・"忘れてちょうだい!忘れてちょうだい"・"こんなん二度と言えへんわ"などが、笑い所として仕込まれていた。1997年には、上方漫才大賞を受賞!名前は忘れたけど、とあるもの真似漫才コンビが、2人共もの真似する程の知名度になっていた!

 特にくにお師匠は、ダンスというか舞踊が得意で歌も上手かった!!だから漫才にそれらを織り込むネタも積極的に取り入れていた。一方とおる師匠は、話術や漫才全体の構成に磨きをかけていた。このバランスというか正反対さが、笑いを産んだんでしょうね。僕は、ベテランの中で2人の漫才コンビが好きでしたし、2008年頃には弟子入りも考えてました(爆)優しそうやし(汗)結局芸人になる勇気が無くて、しませんでしたけどね・・・特に2009年までは、正統派の笑いが好きやったんで、ピッタリやったからね。2010年以降ぐらいから尖った・シュールな笑いに傾倒して行ってるんで、合わんかったかも知れんけど、気持ちは理解してくれたかも知れん、誰しも芸人はどっか尖ってる部分を持ってるからな。それはともかくとして、これで"劇場でトリをとる・とれるクラスの芸人が、松竹からほぼ居なくなった"んやないか!?考え得る存在として、海原はるか・かなた、横山ひろし・春けいこ、パピヨンズ、浮世亭三吾・美ユルぐらいか(汗)?さらに深堀すると、シンプレ・ますおかになるか?ただますおかは、あまり松竹の劇場に顔を出さん方針らしいけどな・・・お悔やみ申し上げます(号泣)!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする