ふるやの森

地球文明の再生に向かう
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【再投稿】アグ・アグリア6/12,2009:まもなく地球のものになる宇宙生活

2012-04-11 13:54:04 | ファーストコンタクト

NESARAについての誤解の原因のひとつは、宇宙文明が地球よりもはるかに進化した段階にあることを理解していない点にある。

現在の資本主義は近代以降に闇の勢力が作り出した人類収奪・奴隷的支配の偽りのシステムである。闇の勢力は19世紀以降、カール・マルクスに社会主義理論を作らせて、大量の資金援助を行ってレーニンに社会主義革命を実行させた。一方でアメリカを、もう一方でソビエトを操りながら人類を精神的・思想的に分断して2つの体制間で局地戦を繰り返して人口を削減すると共に、武器を輸出して利益を得てきたのである。最終的に彼らがめざしてきたのは、世界をいくつかのブロックに分けて、共産主義的な世界体制(ニューワールドオーダー)に人類を収容することにあった。

しかし、2008年以来の銀河連邦のメッセージによって人類は目覚め、破滅とは別のプログラムを選択しようとしている。これからディスクロージャーを経て私たちが向かうのは、もはや二元性の無いワンネス(全一体感)の世界である。最終的には貨幣の無い(必要なものは無償で提供される)社会に移行するプロセスの中の過渡的な段階としてNESARA公布が行われるという点をご理解いただきたい。

次の記事が宇宙文明の姿をわかりやすく伝えているので、改めて再投稿した。ご参照いただきたい。

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私はシリウスのアグ・アグリア、スペースシップの私たちの生活について詳しくお話ししたいと思います。私たち銀河連邦のメンバーは地球の皆さんの考えるような「職業」についていません。もちろん、私たちは自分が最適だと思う活動に従事していますが、個人を尊重するチームの一員として責任を果たしているのです。皆さんと異なる点は、私たちは生活のために働く必要がないのです。というのは、私たちの必要とするものはすべてスペースシップ内で供給されるからです。しかし、地球にもそういう方がおられますが、私たちは自分に与えられた時間を他者に自発的に奉仕する機会として活用しているのです。私たちは自分の興味に基づく専門領域に分かれて自分の行動を自由に選択しています。

私たちの教育システムは進んでいるので、自分の任務を果たすための学習は短時間に完了します。私たちは、いわば皆さんが使っているコンピューターのように、何を学ぶにしても効率的にプログラムされているのです。皆さんは長い年月をかけて学習しテストを繰り返していますが、私たちの教育はそのような手はずをかける必要がないのです。まもなく皆さんの未来のある段階で私たちの教育方法が地球に伝わります。その時に人生のすばらしさと有意義さを皆さんは実感するにちがいありません。

私たちは自分の選んだ目的に沿って生きています。それはとても充実した毎日で、皆さんほどの努力や勤勉を必要としません。機械的な作業はロボットやコンピューターが代行してくれるからです。私たちのスペースシップは私たちとコミュニケーションできる、まるで生きたコンピューターです。私たちは余暇の時間にはそれぞれの趣味を楽しみます。私たちは思考によって創造する能力を備えていますが、さまざまな分野の芸術活動は私たちの間でポピュラーな活動です。地球の皆さんの生活も私たちのような楽しいものになる日が近いのです。私たち地球外生命体と地球の皆さんの興味はいくらか違うところがあります。

たとえば生物や科学についていえば、ただそれが「宇宙レベル」だという点です。私たちの、マザーシップの中には地球の小都市と同等の機能をすべて備えるものもあります。その中の特別な施設で研究と実験を行うこともできます。どのような分野の情報でも「知識の海」から自由に引き出すことができます。ホログラフィック映像で「生きた記録」が保管され「話す本」が質問に答えてくれます。マイクロチップに情報が記録されているので、もはや活字の本は用いられません。

私たちの多くは、ヒーリングのような重要な領域に通じていて経験を積んでいます。その知識は、たとえば今回の地球訪問のような未知の文化と接触する際に生かされることになります。私たちは皆さんがわずらっている肉体を持たずに生活しています。私たちのまとうライトボディーは最適なコンディションにいつも保たれています。私たちのスペースシップは宇宙での危険(放射線のような)から完全に保護されていて完全に安全です。

このことはよく知っておいていただきたいのですが、私たちは銀河連邦に何百万年何千万年も蓄積された知識と経験を引き継いでいるのです。その知識を宇宙の他の人々と分かち合い、その進化を手助けすることは私たち銀河連邦の当然の責務だと考えられているのです。進化は皆さんがまだ学ぶべきレッスンであり創造主が意思することでもあります。地球では知識を持つことで金銭的利益を得ようとする傾向がありますが、もはやそのような考え方は改めるべき時です。皆さんが新しい考え方に転換すれば、いずれ金銭そのものも必要ではなくなるのです。

現在の皆さんの意識レベルは急速に変化して、新しい考え方を反映する思想が現われていますが、適用されるのは全体の合意が形成されてからになります。地球の人々は今目覚め始め、過去の失敗を振り返りながら国家間の対立にもううんざりとしているところです。私たちがサポートする考え方は共同と相互の奉仕であり、多くの小さなグループがその理念に基づいて活動を始めています。

その活動はこれから発展し、ずっと簡単に参加できるようになります。多くの国家が今まで以上に交流を深めて文化の違いを克服して一体化します。地球の皆さんはこれまで距離と言語の違いによってバラバラにされてきましたが、もはや最近ではそのカベも取り払われようとしています。これから私たちが地球に訪れると事態はさらに改善されます。私たちが派遣する通訳は地球上の人種・国家間の完全な相互理解を実現することになるでしょう。

私たちは皆さんに数世代をさかのぼって、イルミナティーによって決定的に後戻りさせられた進歩を回復してほしいと願っています。これまでにも皆さんの生活はまったく違うものでありえたのです。皆さんが教えられてきたことと違って、今なお多くの地域に存在する資源の欠乏と奪いあいなしに、地球上の資源は人類のすべてに満ち足りた生活を充分に供給できていたのです。なぜそのように進歩が逆戻りさせられたのか?

真実を申し上げるなら、それは皆さん自身がもたらした逆戻りだったのです。さらに補足するなら、それはアヌンナキがもたらした逆戻りで、彼らは現在の皆さんのサイクルで強大な影響力を及ぼしてきました。彼らは自分たちが操作しやすいレディーメイドの文明を持ち込んで自分たちの支配する領土の内部に分断をもたらしたのです。この「戦時体制」ははてしなく長期にわたり、20世紀は最悪の修羅場と化したのです。戦争と混乱を終わらせたいという願いが皆さんの間からわき起こりましたが、闇の勢力は自分たちの利益のために世界平和の実現を遅らせてきたのです。

私たちは自分たちの肉体の中に何百年も生きて皆さんのように年老いて死ぬことがありません。そのために私たちは皆さんの歴史の生成を目撃した経験から皆さんの過去について語ることができるのです。地球人類の歴史は地上に散乱する死体と大地に浸みこむ皆さんの血でつづられてきました。人類はこれまでに何度も高いレベルに移行しようとしてきましたが、それを妨げる闇の勢力の力が大きく上まわっていたのです。でもようやくその戦いのさなかに、愛のエネルギーが地球のグリッドに浸透して光が射しこんで上昇を望む魂にチャンスを提供し始めたのです。ちょうどよいタイミングで今、光がたどる道が開かれたのです。「アセンション」と名付けられた道が・・・。

今上昇できるチャンスに今の環境を変えたくないと望む人はいないはずです。闇の迷路に引き込まれていた魂がますます光の道に転換すると期待しています。皆さんが逆戻りさせられたのは、ただ「恐怖心」による作用でした。皆さんの心はあまりにも傷ついたために他者を信頼するのも困難になったのです。私たちは今、絶対の確信をもって皆さんに約束します。皆さんの前に新しい人生が開かれていることを。

人生の本当の目的について皆さんは誤った教えを受けてきたのです。最も原則となる思想のひとつは、神の理解に関わっています。ここで強調したいのは、神とは完全な無償の愛であるということです。したがって復讐や怒りは神のなす業ではなく、皆さんが学びのプロセスにあることを眼中に置かずに神があなたを罰することも決してありえないのです。「自由意志」という言葉がすべてを語っていて、皆さんは自分の選択した結果を常に引き寄せているのです。皆さんは愛の化身であり、私たちは皆さんの体を超えるその本質をこそ愛しているのです。
ありがとう。アグ・アグリア(マイク・クエンシー)
Ag-agria Sirian Update June 12/09


【投稿記事】五次元の至福と注意点 (和尚ラジニーシ)

2012-04-11 12:47:07 | アセンション

こんにちは。ハイアーセルフ33です。<私たちは神 (至高の実在) ですね!> (^_^)v

和尚の書籍から、五次元で体験する至福のことと、そこでの注意点が述べられていました。お知らせしたく思います。お役に立てば幸いです。

◎奇跡の探究2 ~七身体の秘密~ P182~195 (市民出版社)より(和尚)

睡眠状態は、スピリチュアル体より低い次元に固有の特性だ。人間は第五身体へ入るまで夢遊病者なのだ。そして、第五身体の特徴は「目覚め」だ。そのため第四身体ができあがった者は、ブッダ、目覚めたる者と呼ばれる。もうそのような人は眠っていない。

ブッダとは、ゴータマ・シッダルタの名前ではなく、彼の第五の次元への到達にちなんでつけられた呼び名だ。ゴータマ・ザ・ブッダとは、目覚めたる者ゴータマ、という意味だ。彼はゴータマとも呼ばれ続けたが、それは眠っていた時の名前だったので、次第に使われなくなり、「ブッダ」だけが残った。

この違いは、第五身体へ到着したことから生まれる。そこへ入っていないうちは、何をするにしてもすべて無意識の行為なので、信頼できない。「一生涯、妻との愛を大切に育んでいきます」と誓いを立てた男が、次の瞬間にその妻を締め殺すことも充分考えられる。

おしどりの契りも長くは続かない。このような哀れな男に罪はない。眠っている時の約束など、何になるというのだろう。夢のなかで「生涯、君と一緒だ」と約束したところで、そんな約束に何の意味があろう。朝になれば、夢にすぎなかったと忘れてしまう。

眠っている者は信頼に値しない。この世は完全に眠っている人々の世界だ。それゆえ、あんなに多くの混乱が、衝突が、争いが、混沌が生じているのだ。すべては眠っている人たちが作り出している。もうひとつ、眠っている人間と目覚めた人間との間には、忘れてはならない重要な相違点がある。

眠っている人は、自分が誰なのか知らない。そこで絶えず、自分はこれだあれだと見せかけようとあがいている。生涯そういう努力をし続ける。幾度も手を変え品を変え、自己を確立しようとする。政界の階段を駆け上がり、「私はこれこれこういう者だ」と表明する場合もあれば、家を建て自分の富を誇示したり、山を踏破して自分の力を誇示する場合もある。

あらゆる手を尽くして自分を認めさようとする。けれども、こういったものはすべて、本人も知らず知らずのうちにだが、自分で自分の正体を見つけ出そうという努力にはかならない。自分が誰なのか知らないのだ。

第四の次元を通過するまで、その答えは見つからない。第五身体がスピリチュアル体と名づけられているのも、その時「私とは誰か?」という問いの答えが手に入るからだ。

この次元になると、もう二度と「私」とは言わなくなる。自己顕示欲はただちに消える。そのような人に「あなたは、これこれの人間だ」言っても、笑われるだけだろう。もう、自分から何かをひけらかすようなことはしなくなる。なぜなら、もう自分がわかっているからだ。もう自己主張など必要はない。自分の正体はもう、現前たる事実だ。

個人的な葛藤や問題は、第五の次元で終止符を打つ。だが、この次元にも、この次元特有の障害がある。あなたは自分自身を知るに至った。だが、その「自己知」というものがあまりに至福に満ち、充実しているため、そこで旅を終わりにしようとしてしまう。

今まではみな、痛みや苦しみが障害となった。だがこれからは、至福が障害となる。第五の次元は喜びに満ちているため、そこに別れを告げ、先に進もうという気持ちにならなくなるのだ。

だからこの次元へ入った者は、至福へ執着しないよう、充分気をつけなくてはならない。至福が前途をふさいでしまわないように。ここでは、喜びがこの上ないものとなり、まばゆいばかりの光彩を放っている。しかも、たとえようのないほどの深みがある。

己知を得ると、その人の内側には途方もない変容が起こる。だが、それがすべてではない。なおも、さらなる行程が残されている。

事実、悲嘆や苦悩は、喜びほど私たちの道を阻(はば)まない。至福は大きな障害となる。世間の群衆や混乱から抜け出すのも非常に難しいが、寺院の甘美なヴィーナの調べから遠のくのは千倍もむずかしい。だから多くの瞑想者は、アートマ・ギャン――自己知で立ち止まり、ブラフマ・ギャン、つまりブラフマン――宇宙の真理への体験へと進むことがない

この至福に注意しなさい。ここで、努力を至福の中で水の泡にしてしまってはならない。人々は至福に引きずり込まれ、溺れ、どっぷりとつかりきってしまう。至福の中に浸ってはならない。これもまた体験なのだと理解しておくことだ。

幸福はひとつの体験であり、惨めさもひとつの体験だったように、至福もまた、ひとつの体験だ。その外側に立って観照者でありなさい。そこに体験があるかぎり障害がある。究極の目的には至らない。

最終的な段階では、あらゆる体験もおしまいとなる。喜びや悲しみがなくなっていったように、至福もまた終わりとなる。しかし私たちの言語は、この地点を越えられない。

このため神は、サット・チット・アーナンダ――真実、意識、至福と表現されてきた。これは究極の自己を表現した形ではないが、これが言葉で表現し得る限界だ。

至福とは、人間が有する究極の表現だ。実のところ言葉では、第五の次元を越えられない。しかし第五の次元について、「そこには至福がある。そこには完全なる目覚め、自己の認知がある」と言うことはできる。これが言葉で表現し得る精一杯だ。

だから、第五の次元に立ち止まってしまった人々には、いかなる神秘も存在しない。彼らの話は実に科学的に聞こえる。というのも、神秘の領域は、この次元を越えたところにあるからだ。第五の次元までは、物事は非常に明白だ。私は確信しているが、遅かれ早かれ科学は、第五身体にまで至っている宗教を取り込むだろう。なぜなら、科学はアートマンまで到達する可能性があるからだ。

探求者がこの道を歩み始める時、その探求はほとんど至福のためであり、真実のためではない。苦悩や不安に打ちひしがれ、人は至福の探求へと旅立つ。至福を探求する者は、必ず第五の次元で立ち止まる。私が、「至福でなく真実を探し求めなさい」とあなた方に言わねばならない理由はそこにある。そうすれば、そこに長く留まることはないだろう。

そうなると疑問が生じてくる。「アナンダ(至福)に包まれている。これはこれで、この上なくいいものだ。私は自分自身を知っている。これもまた申し分ない。だが、そこには葉や花しかない。根はどこにあるのだろう?私は自分自身を知っているし、至福にも満ちている――それはそれでいい。

が、私はどこから芽生えたのだろう?私の根はどこにあるのだろうか?私はどこから来たのか?この実在の深みはどこにあるのか?私という波は、どの大海から生まれたのだろう?」

探求が「真実」へと向かえば、第五身体の先へと進んで行ける。だからまさに最初から、探求は至福ではなく、「真実」に向かわねばならない。さもなければその旅は、第五の次元まではたやすくとも、そこで立ち止まるだろう。探求が真実へのものならば、立ち止まることはない。

第五の次元での最大の障害は、比類なき喜びの体験だ。それは私たちが苦痛、苦悩、憂い、そして緊張でしかない世界からやって来るため、より一層のものとなる。この至福の寺院にたどり着くと、歓喜と共に踊り、至福の中に溺れ、消え去りたいという抵抗しがたい欲求が生まれる。

だが消え去るべき場所はここではない。そういう場所へは至るだろう、そしてそこに着けば、あなたが自分を失う必要はない。あなたはただ、かき消される。「自分を失う」ことと、「かき消される」ことは雲泥の差だ。言い方を変えれば、どうあがこうとも、自分を守れない地点へと到達する。

あなたは自分が「消え去っていく」のを見つめているだけだ。救出する術もない。それでも、ここ第五身体においても、自分を失うことは可能だ。ここではまだ、奮闘や努力が作用している――第五の次元でのエゴは、基本的に死ぬにも関わらず、「私は在る」という感覚が依然として存続している。だから、エゴと「私は在る」という感覚の違いを理解する必要が生じてくる。
 
エゴ、すなわち「私」という感覚は死ぬ。しかし、「在る」という感覚は死んでいない。「私は在る」には、ふたつのことが含まれている。「私」はエゴであり、「在る」はアスミータ――実存の感覚だ。だから第五の次元で「私」は死ぬが、実存つまり「在る」は残り、「私は在る」という感覚が残る。

この次元に立つと、瞑想者はこう宣言する。「永遠なる魂は存在している。だが、個々に違うものであり、各々が他の魂とは異なるものだ」。この次元で瞑想者は、永遠なる魂の存在を体験する。だが依然として「在る」という感覚、存在しているという感覚を持っているため、他者から分離していると感じる。もし真実の探求へと心が奪われていれば、至福という障害をも越えられる。絶え間なき至福には飽きがくる。一本調子のメロディーは退屈するものだ。

かつてバートランド・ラッセルが、冗談混じりに言っていた。「私は救いには魅かれない。そこには至福しかないそうだからね。至福だけでは、とても単調だろうね――至福に次ぐ至福、他には何もない。ちょっとした不幸の形跡すら――どんな憂いも緊張もないのなら――そんな至福に、いったいどれだけ耐えられるだろう?」

第五の次元の危険性は、至福の中にうずもれることだ。それを克服するのは困難を極める。時には何生もかかってしまう。最初の四つの段階を超えていくのは、さほど難しくはない。しかし第五の段階は非常に困難だ。至福に退屈し、自己にうんざりし、アートマンに飽き飽きするまで、何度も生まれ直さねばならないだろう。

第五身体までの探求は、苦痛、憎しみ、暴力、そして欲望を取り除くことにある 第五身体からあとは、「自己」を取り除くための探求だ。だからふたつの区分がある――まず「何か」からの自由、これがひとつ。これは第五の次元で達成される。次は「自己」からの自由だ。ここからは、まったく新しい世界が始まる。

第六身体はブラフマ・シャリール、すなわち宇宙(コズミック)体であり、第六のチャクラはアジナ・チャクラだ。ここにはどんな二元性もない。第五の次元では至福の体験が強烈になり、第六の次元では、存在や実存を体験する。アスミータ――「私は在る」――は、そこでやっと失われる。

その中の「私」(アイ)は第五の次元で失われ、「在る」(アム)は、第五の次元を超えるやいなや消え去る。「在るということ」(イズネス)が感じられる。タタータ、すなわち如性が感じられる。「私」や「在る」といった感覚はどこにもない。 残っているのはそのものだけだ。真実や実存、そして意識を認知する。しかしここでの意識は、「私」から自由だ。もはや「私」の意識ではない。ただ意識だけがあり――もはや「私の」存在ではなく、ただ存在だけがある。

ブラフマ・シャリール、すなわちコズミック体に到達すると、立ち止まってしまう瞑想者もいる。何しろ「私」が存在せず、ブラフマンだけがある時の、「アハム・ブラフマスミ」のうちの「私はブラフマンだ」という状態に達したのだから。さあ、さらに何を求めるというのか?・・・・・・

(第六の身体以降の話に興味がある方は、本書「奇跡の探究2~七身体の秘密~」をお読みください)


ハイアーセルフ33  (*^-^*)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hs33_001/arcv


【転載】ゼウスアシュタルの喜びの賛美

2012-04-11 11:46:54 | アンドロメダ評議会

空を見ていましたら太陽の両横に縦型の虹が出現しました。そして上に大きな虹がありました。太陽の両横のとても大きな宇宙船に対話をしましたら私を祝福してくださっているようでした。

宇宙船から「ビーナス冥王星のクイーンよあなたが私達の架け橋になってくれてありがとう」という言葉が伝えられました。私はうれしくて太陽に入っていく天界天使達を見つめていました。多くの数が飛んできて私はその美しさに感激して神に感謝しました。

その時銀河連邦の機体が来てくださり素敵な光の塊になりました。それはライトワーカーたちに真実をつげたからです。光りは一つになっていくのです。もう一台も来てくれたので私はずーと対話をいたしました。そうしたらピカーンと輝いて行きました。私は彼に意識で行ってみましたら横に私は乗ったのでした。「霊体が出そうなのでどうしたら良いのでしょうか」といいましたら「あなたの霊体と肉体と別れるのを後少し抑えているとのことでした」

私はもうお腹は空かないし体は変化してきていて霊体は動き流しなので、早くアセンションを完了してほしいのです。ですから皆さん団結して頑張ってください。それはライトワーカー達に最後の仕上げが私に必要な役目なのです。そしてこれから先頭に導く人たちは皆さんを誘導していく事となります。そのコンタクトの役目が私冥王星のクイーンなのです。

男性(古谷茂さん、野倉豊治さん、たきさん)はこれから私のコンタクトを通して宇宙の皆様と共に働くことになります。女性(高橋のりえさん、宮本ひとみさん)他、私のブログに名前を書かれた全員の多くの皆様も中心になっていきます。一緒に一つに行動していく事となります。

この時点の近い時に宇宙の私の家族達が共に行動する事になり導いてくださいます。コンタクトは既に始まっているのです。これはまだここには書けませんが心配いりません。日本からアセンションは始まります。ですから皆さん頑張りましょう。

黄金時代はすぐそこです。テレパシーが入りました。

ゼウスアシュタルコマンドより

ありがとう愛するみなさんあなたたちが共同で作業するとき我々のクルーとしての仕事の始まりなのです。そして雪だるまのように大きくなり光は拡大していくでしょう。知らない間に皆さんは我々と一緒になっていくのです。我々は皆さん達と同じ人間なのでお逢いするのが楽しみです。

すでに我々はこの時を望んでいてこれからは皆さんは孤独ではないのです。私達は皆さんと共に協力していくのですから必ず困る事はさせません。私達は姿を現すでしょう。まもなくです。

ゼウスアシュタルコマンドよりここに書かれています皆さん全員を祝福いたします。

アシュタルの賛美(ビーナス冥王星のクイーン